マリヤの胸にくれなゐの乳頭を点じたるかなしみふかき絵を去りかねつ
(葛原妙子「飛行」より抜粋)
聖母マリアをキリスト教の考えでは、性的にみることはタブー。
絵画の場合、乳房は布で包まれて描かれることになる。
しかし、この葛原妙子の一首に描かれた絵には性的な気配がある。「かなしみふかき」とはそのことに関わっている。
本来は人間として、性的な側面も持つはずの女性が、性を禁じられ剥奪され、聖母として崇拝されているということ。
俵万智がサラダ記念日などで不倫ということをふくめた短歌を詠んで、それがベストセラーになった。その不倫する女性という人物設定がなくても、恋愛の短歌として共感を呼ぶ作品であり
砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね
(俵万智)
と、手慣れた異化も使った短歌もいくつもあった。砂浜に思い出や貝殻を埋めるのではなく、飛行機の折れた翼と詠む異化は詩的な感覚といえる。
また今回は、男という表記を行うことでどんなことが異化としてあらわれるか、ということも行ってみた。
どれたけ私たちが、女性を作品として言語化して表現するとき、女、と記すことが多くのものを削ぎ落とした異化された表現なのかわかりやすいと思う。
ざっくりとした部分はこうしたことが頭の中にあって作られた作品だけれど、それぞれで楽しんでいただけたら幸いと思っています。
7月9日、深夜、アイスコーヒーを飲みながら