対戦ゲーム 格闘ゲーム、FPS、MMORPG等の主に対人戦において、初心者が集まる場所や初心者と対戦しやすい場に出現し、圧倒的なレベル差・技能差で初心者を圧倒することで自分は強いんだと錯覚すること。 または、そうして悦に入った状態を表す。
俺TUEEE - おれつえええ - ピクシブ百科事典より抜粋
俺TUEEE のテンプレができるもとのチート能力を思い返してみると
たとえば、漫画ドラコンボールで、空を飛んだり、光を太陽拳とかいって出したり、どんな修行したら、そんなことができるんじゃい? って能力が登場していた。
バブル景気があったころから、バブル景気が終わったけど、なんとなくみんながんばれば中流階級、結婚ブームでみんな幸せみたいな雰囲気があった。
ドラクエやファィナルファンタジーとか、家庭用ゲーム機の普及もちょうど時期としては重なる。
時代の雰囲気をふくんだ創作物はある。
その前は、ちゃんと嘘くさくても、強キャラの能力には理由があった。一子相伝の筋肉むきむきの拳法とか、小宇宙を高めるやら、波紋を身につけるとか、理由づけがあった。
経験値を貯めれば魔法が使えるとか、理由不明の設定がRPGでもあった。
(がんばる=修行=経験値ためる)
みたいなテンプレや、がんばらないと競争でいい学校いって、いい会社にいけませんよ! みたいな競争と目標設定みたいなのは、バブル景気でピークだった気がする。
1998年ぐらいになると、それが無理じゃない?っていうのや、自分ががんばれなかったから悪いみたいな雰囲気になり始める。
俺TUEEEは主人公特権でモテるとか、まわりのキャラより優遇されている(後半か終盤で仲間がピンチになると、ちょっとがんばったり本気出す)わけだけども。
今は俺TUEEEに飽きられたところがありながら、読者は現実の生活でしんどいのに、なんで小説の主人公まで苦労するのを読まなきゃあかんねん! っていうのは残っている。(その代わりにヒロインや脇役たちは深刻な問題を抱えがち)
エリザを、私TUEEEにしなかったけれど、主人公として、ちょっと派手さがなく、パッとしないところもある気はしている。(深刻な事情がなく、苦労しないからか?)
第253話の吟遊詩人は、俺TUEEEなキャラとして登場させた。
でも、主人公にはしなかった。
(チート能力に理由を、嘘くさくても、つけたいのは作者のセンスが古いからなのか?!)
小説はその時代の問題に癒しを与えることも、また、向き合ってきたジャンルな気がしている。
たぶん、俺TUEEEでは、現代の問題は保留にはできても、向き合うには、ちょっとちがう気がしている。
難しく考え始めた時は、スランプかなとちょっと思うww