• 二次創作
  • 創作論・評論

宛先:ハルケギニア

どうもヤマグチ先生、夜分遅くにすいません。丑三つ時の方がそちらに届いてくれるかなあ、と思いましてこんな時間に送らせて頂きました。ご迷惑かもしれませんが許して下さい(笑)。

 早速話が脱線しそうなので改めて。初めまして。僕は先生のゼロの使い魔の二次創作を書かせて頂いているカゲヤマと申します。最終巻発刊、おめでとうございます。僕も思い切って茨城まで足を運びたかったのですが、今年は学生の身としては勝負の年で、そしてまだ「勝手にゼロの使い魔」も書き上げてません。さらに先生のいらっしゃる所が分からないので、こうやって言葉を贈るに留まってしまいました、すいません(汗)。来年までには今言った全部受かって仕上げて、そしてちゃんと調べときます。頑張ります。

・・・・・・さて、えーっとですね。・・・・・・あれ? どうしようちょっと待って下さい言いたいことが多すぎて頭が回らない!? うわぁあああああああっ!!??
落ち着け、落ち着け! ほら息を整えて、心の中にファンタジーを!

 ・・・・・・うおっ!? なんだこれはッ! 鯛焼きが空を泳いでるッ!? ああッ! あんな所でドナルドとカーネルサンダースが殺り合いをッ!? ・・・・・・はっ!? もしやと思ったらお前は平安京に残して来た梅ではないか!? わざわざこの太宰府まで飛んできたというのかッ!? 飛梅「ソウデスヨミチザネサマ」しかも喋ってるし!? うわああああああ!? ・・・・・・そうかッ! これがそうだというのかッ! ならば思う存分楽しもうではないか!  イッツ! ア! フェアンタズィイウェアールゥヅッ!!

・・・・・・はあ、はあっ・・・・・・。かえって取り乱してしまいました、すみません。それでも何話して良いか分からないので、これまたうざったらしい自己紹介をさせて頂きたく存じます。作家の端くれ、カゲヤマとしての「僕」の話は先生の前でしたいので、これからするのは純粋に「ゼロの使い魔」の面白さを楽しみ、感動に泣いた読者だった「僕」の話です。

 ・・・・・・十四才、まだ肌寒い二月の下旬でした。フリーマーケットに雑貨を出品している際に、暇なので近くの新しくできた図書館に向かい、そこで初めて、僕は「ラノベ」という本の種類を知りました。
 家庭の事情で小、中学校に「行かず」(※注 不登校ではありません。あと学力は決して低くないです)、ろくにネットも使えませんでした(今では違います)。本を読むにも近くの区役所にある小さな図書館に通っていましたから、「ラノベ」というものを目の当たりにした僕の心は、未知に対する気後れと好奇心がせめぎあっていました。
 その結果ほんのわずかに好奇心が打ち克ち、この時は一見当たり障りのないのを数冊借りて返りたのですが(確かとらどら! だったと思います)、それでも棚に並べてあった「ゼロの使い魔」というタイトルには何か不思議なものを感じていました。
 ・・・・・・20巻を手に取り、最後のページをチラ見し、「? これ、続きは図書館に入ってないのかな?」と疑問に思ったのですが、借りた「とらどら!」が全十巻のうち6巻までしか図書館になかったので、その時はあまり深く考えませんでした。
そして数日後、それがどうしても気になった僕は近くの図書館で取り寄せ、“ゼロの使い魔”を読み始めました。・・・・・・長い前置きになりましたが、これが僕が“ゼロの使い魔”に出会ったきっかけです。

 ・・・・・・正直な話、1巻は何となく惰性で読んでいました。大した感慨を抱くこともなく、かといって読み止める訳でもなく、まあまあ、なあなあでペラペラとページをめくるだけでした。・・・・・・しかし、2巻から僕の中で少しずつ何かが変わり始めました。自分が今ここにいないような、目に映る文字の世界に溶け込んでいくような、そんな本当に、不思議な感覚。「おもちゃ箱をひっくり返したようなファンタジーテーマパークのアトラクション」先生は2巻のあとがきでそう仰っていましたが、僕にとっては全てが変わった瞬間でした。“ゼロの使い魔”には、温かくて優しい先生の「心」がありました。それは友達もおらず、将来に漠然とした不安を抱え、狭い世界でしか生きていなかった空っぽの僕の中に滑り込み、安心と希望をくれました。
 ただの文字で、こんなにたくさんの思いを誰かに伝えられる。こんなに誰かを、幸せにできる。モノクロだった世界が色鮮やかに? そんなもんじゃないです。僕にとっては点が線に、線が立体に変わるような次元的な革命でした。ページをめくる指は止まらなくなり、図書館に本が届くまでの三日間は興奮に目が冴えて眠れませんでした。そしていつしか僕の生きる意味は、先生の描く世界をこの目で見ることになっていました。僕に世界をくれた作品。嬉しくて楽しくて、・・・・・・たぶん世界で一番、幸せでした。
・・・・・・だからでしょうか。図書館の司書さんから気になっていた20巻の続きを聞き、そして先生の訃報を知った時、例えようのない悲しみが僕を襲いました。
 ・・・・・・実際に感じて驚きました、「時間が止まった」という表現を。頬に触れてみて本当なんだと知りました、人は一番苦しい時には笑みが零れてしまうということを。今から三年前、2014年の3月27日、PM4:40分。あの瞬間は鮮明に思い出せますが、帰り道の記憶は未だに思い出せません。そしてその時はまだ、18、19、20巻には手を付けていませんでした。
・・・・・・思い返せば、僕がただの「読者」で踏み留まるかどうかが、18巻を手に取ったあの時決まったんだと思います。いくら待とうと、望もうと、願おうと、終わりが訪れることのない物語です。諦めて捨てて、忘れて殺して逃げれば良かったんです。でもその想いをどうしても傷つけられなかった僕は、せめて先生の意思だけでも受け継ごうと、「カゲヤマ」になりました。・・・・・・それから1年と三ヶ月ほど経ち続巻発刊が決定したと聞いても、自らの決断を滑稽だと思いこそしましたが、恥じる気持ちや後悔する気持ちは微塵も浮かんできませんでした。それが何よりも誇らしいです。ここから先の話は「カゲヤマ」としての話なので、続きはいつか先生の前でしたいと思います。

本当に長くなりました。では最後に「読者」としての僕の夢を、きっと誰よりも生きたかった先生に聞いてもらいたいです。
 僕の夢、それは、もう二度と作家が死なない世界を作ることです。
 ・・・・・・大事な物や愛する人を失っても、いつかは思い出に溶け、消えていきます。でも作品はそうはいきません。初めて出会った時のままで、何一つ変わらない姿を読者の瞳に映し出しますから、忘れることもままなりません。そしてその世界の時のネジを回す作者がいないから、作品は何度も何度もその世界を繰り返します。
 1巻で平賀才人は春の使い魔召喚でルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラヴァリエールと出会い、20巻で海竜船で胸のルーンを見つめる。その瞬間世界は暗転して巻き戻され、彼らは互いを忘れて再会のない出会いを繰り返す。
 ・・・・・・今でこそ代筆者さんのお陰で今でもちゃんとゼロの使い魔の世界は続いていますが、それまでにその繰り返しが何度彼らを、読者を苦しめたかと考えると胸が張り裂けそうです。だからこそもう二度と、そんな地獄をキャラクターにも、読者にも味合わせたくないんです。
 血ヘド吐こうが鬱になろうが、歯ぁ食い縛って頑張ります。でもきっと先生からしたら大したことないですよね? ですから僕も笑って成し遂げてみせます! そのうち先生の所にもお邪魔しますから、その時はよろしくお願いしますね♪ いきなり感極まって泣きじゃくるかもしれませんが、ヘンなモノを見るような目で見ないでくれると嬉しいです(笑)。
 ではまた、先生! もしも来世があるのならば、ちゃんと「作家」やって下さいね! そしたら僕は必ず先生の作品を読みますから! スワヒリ語でもヘブライ語でもどんとこいです! 心のファンタジーで読み切って見せますからッ! ありがとうございましたッ!!! 

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