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「英語が分かれば世界が分かる」なんていう戯言をホザく人が世間によくいますが 😠

そんなことは嘘です。
絶対に信じてはいけません。
悪質な英会話教室などの「国際意識を高めましょう」的詐欺に遭います。
もっと重要なのは英語圏の文化、特に宗教的背景に対する理解です。
言葉だけ表面的に話せても何の意味もありません。

それに「世界」と言うならば、英語圏やヨーロッパ語圏だけではなくて、アラブやアジア、アフリカや南米などに対する歴史的・文化的理解も当然に必要でしょう。

ある方の応援コメント(決してその方が上のようなセリフを書かれた訳じゃないですよ)をきっかけに、あらためてそう思い、近況ノートにわざわざ書く気になりました。
でも、こんなことはむしろエッセイか何かにしてまとめた方がいいのかな?

12件のコメント

  • そうですねー。自分は英語苦手なのでよく分かりませんが確かにその通りかもしれません💦
  • コメントありがとうございます。
    ウン10年ず~っと英語や海外文化の勉強・研究・指導をしてきて、長らく英語圏にも住んで、いろんな国の人々とも接してきた人間の結論ですから、これはある程度信用して頂いて良いかと思います。
    決してチャラいアメリカかぶれの人物や、その辺の英語塾、英会話教室などの煽り的宣伝に騙されたりなされないように……
  • 昔、英語教師が似たような事を言っていましたね。

    「 英語が出来なければ 生きていけない世の中になる ! 」

    ………まあ、なんとか生きています。
  • 英語や、外国語を学ぶ過程で。
    その国のバックグラウンドに興味を持って、その国の人たちのメンタリティを勉強するようになって。
    それで初めて意味を成すんだと思います。
    語学力という結果ではなく、過程が大事なのではないでしょうか。

    もっと言えば、別の国の理解力は日本語からでも高めることができるかと……。
    (どうしても、他の人たちの経験のまた聞きにはなってしまいますが)

    まずは、想像力を保つことが一番大切な、第一歩ですよね。
  • >るしあん 様

    そうですよね。
    英語教師は頻繁にそんな事を言います。
    私の周りにもそんな英語教師が多い。
    でも、仕事によっては全く英語なんて必要ないし、立派に生きていけますよね (笑)
  • 蜂蜜の里 様

    おっしゃる通り、言葉そのものではなくて、バックグラウンドやメンタリティに対する理解や想像力こそが重要なんだと思います。
    だから日本語からでも海外諸国の理解はできる。
    でも、日本語で書かれた文章やマスメディアの報道には的外れなものや、日本人に都合のいい視点でしか書かれていないものが多くって…… 困ったものです。
    おい、自称文化人やマスメディア! もっと責任感を持った意見・報道を心掛けんかい! とか、私なんてしょっちゅう怒ってます (笑)

  • 国家の言語には国家と民族の文化、慣習、宗教などが総体的に考慮されて形成されるという次元が大部分です。 英語が重視されるのは国際的覇権を考慮した時、勝者の言語として評価されるためです。

    世界に対する理解のために全体的に地理的特性や歴史的or文化的理解および考慮が必要だが一つの言語でほとんど大部分を包括するには限界があると考えます。


    その理由は言語はその言語が集中的に使われる圏域での観点を代弁する用途で使われる可能性を排除できないという点とその言語を使って叙述および発言or研究をする人間の思想および価値観そして世界観によって中立性が高い確率で喪失になる現象が発生する可能性が存在します。


    結論をいおうとするなら、現実的な結果の相対性によって絶対的な正解は存在しません。 したがって個人の世界に対する最大限中立的に判断できる能力が重要だと考えます。

  • >ThinkingExperimenter 様

    19世紀のイギリスと20世紀以降のアメリカの政治的・軍事的・文化的影響力のせいで、英語が国際語になったのは常識ですよね。
    そしてまた、そのヨーロッパ文化のダイナミズム的展開であるアメリカ的認識・理解一辺倒では、とても現在の複雑な世界情勢を分かり得ないのは、当然の文化人類学的・言語学的常識です。

    だからこそ、言語学者や社会学者の多くの研究が「相対的」理解の方向へと雪崩をうって向かっているのでしょう。
    卓越した言語学者であるチョムスキーなどは、自らがユダヤ系でありながらも、合衆国のイスラエル偏重政策を激しく批判している程です。

    つまり、結論は仰る通り「中立的」「客観的」に考える事が大切ということなんですが、単なるコミュニケーションの道具としての「言葉」が話せるだけの人はそれが出来ない。
    でも、そういう人に限って声高に「国際語である英語を学びましょう!」「ぜひ我々の学校へ!」「私は英語の達人です!」なんて繰り返し叫ぶ(?)人が多い。

    だから、そんな人には騙されちゃダメですよ…… って言いたかったんですが、通じたかな? (^^;)
  • 大学院で古代西洋史を専攻する者です。
    「独仏西伊露+ラテン語+ギリシア語は一通りできるよね」的な業界なので、英語だけができても何のウリにもなりません。
    ある大家曰わく、「ローマの歴史を勉強するのなら、少なくとも 10 ヶ国語は勉強しないと」とのこと(゚Д゚)。

    英語力だけで胸を張れるのは、日本の貧相な教育界と経済界の中だけですよ。「英語が分かる」こと自体は良いことなのに、それが「MBA」や「医者で弁護士」と変わらないマウントツールに堕しているのは悲しいことです。

    また、少し真面目に語学をやれば、「訳せても理解できない」なんて場面も日常茶飯事。
    言葉が通じることと意味が分かることは、全く別物だと思う今日この頃です。
  • ヨーロッパ系の言語は互いに関係が深いので、5・6か国語を話せる人はゴロゴロ居ますよね。
    私の知り合いのスペイン人も、全然勉強しなくともイタリア語は7~8割方理解できたって言いますし。
    日本人も英語だけじゃなくて、次にフランス語、その次はドイツ語なんていう風に勉強していけば、先の方になればなるほど簡単になるっていう話も聞きます。
    なにしろ文法は共通性があるし、単語も似たようなものが多いし。
    まあ、私はそこまでは勉強してませんが。

    「マウントツールに堕していること」も仰る通りだし、「訳せても理解できない」人が確かに多い事には頭を捻るばかりです。
    特に英語の先生にそういう人が多い。
    あれはいったい何なんだろう。
    やっぱり勉強の仕方に問題があるのかな?
    まあ、そういう人は「誤訳」も再々ですけど……
  • あーーーー、
    確かにマスメディアの報道とか、よくあるネットニュースとか、微妙(というか……)ですよね。

    だけど、日本語だけでなく英語による情報収集を行おうとしても、こちらも別の意味でかたよってるし。

    英語圏の価値観を押し付けてしまう天真爛漫な傲慢さも。
    日本文化という、一つの国の価値観を持つことは大切でもそれが全てと思ってしまうことも。
    等しく罪で。

    じゃー、どーすりゃいいの!と思い、
    やっぱり想像力を持って人と接するという、幼稚園児並みの結論に辿り着く私です。
  • >蜂蜜の里 様

    そーなんです。
    あれをやろうとしても、これをやろうとして、それなりに難しかったり偏ってたり……
    結局は偏見なく情報を分析する冷静な(!)態度と、客観的な(!)批判精神、そして、仰る通り当事者の立場に立って考えるイマジネーションの力が問題かと思います。
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