2023年度に入ってから、ぼくはハイキングが好きになりました。
理由は、体を動かすことが求められていたし、そうしたいと思ったから――という表現では「お前、何が言いたいねん?」と言われるのが目に見えているため、説明させて頂きます。ちなみにこれ、自分自身への宣誓のようなものです。
現在、ぼくが書いている小説の主人公は「適応障害をもっている」という設定があります。これ、実はぼくが現在進行形でぶち当たっている問題そのものだったりします(さすがに経過や背景は全然違いますが)。
そっちの主人公は、非日常要素のおかげで今までのことを気にする必要が無くなった、という状況のおかげで改善傾向にありますが、なんやかんやで平和な日本に住んでいるぼくには、そのようなきっかけはない――つまりは、自力で克服しなければならないわけです。心療内科の先生に診察をしてもらったところ、必要なことは「生活バランスを整えること」、「夜にきちんと寝ること」でした。
それを成し遂げるために、最も効果がある行為――ぼくは、ハイキングにそれを見出しました。
いきなり山はキツイので、まずは近くの町を、6キロくらい歩く。それに慣れたらちょっと距離を伸ばして、ついに山にトライ! 最初に選んだのは、高尾山でした(不謹慎ですが、これもネタに取り入れました)。マンガ家の設楽清人先生も愛しているこの山は、道順が明確で地図無しでも頂上に行くだけなら容易く、初心者向けでした。その後、静岡県にある巣雲山のハイキングコースに行く等、ハイキングを通じて引きこもりがちだった私生活が、徐々にアウトドアになっていくのを実感しています。
山を登って良かったと思うこと、それは「達成感を味わえること」です。
決して、楽なことじゃありません。だけど、出来ました。やり切りました。
それを繰り返すことで、自分にもまだ出来ることがあるって、信じてあげることが出来るようになった気がします。
無心になって歩くことになるので、気持ちを休めることにもつながると思いますし、何なら初めから思考回路という名のジグソーパズルを組み立て直すような気分にもなれたし、小説を書く上でも必要な運動だと思います。
心と体の連動については、何人もの著名人が説明をしていることだと思いますが、それを自分の身体を通して学べた――そういう意味では、ある意味ぼくにとって適応障害と診断されたことは、いい経験になるかも知れないと、今ではそう思えるようになってきています。
失敗したり、相手の言動で傷つけられるのが怖いという感情は、誰もが持っているもので、それを過剰に反応させたことが、余計な誤解をしたり、あるいは自分から生んでしまった――適応障害とは、そういうものらしいです。自分のことしか考えられなくなった、という意味では、確かにぼくは愚かだったのでしょう。
でも、そうした感情の整理や鬱屈した感情の表現――そういうものが、何かを動かすことが出来ることを、ぼくはこれまで触れてきた様々なメディアを通じて学んできたつもりです。人生相談をお願いしている先生にもいろいろ言われて「俺はダメだ」と苦しみましたが、その人が語ることだって、所詮は人生の形のひとつに過ぎないということ、「もっと生きたいように生きてみろ!」と思えるようになったこと――ただ悩まず仕事しているだけでは学べないことがたくさんありました。
だから、ハイキングというエネルギーを取り込み、吐き出す行動に楽しみを見出しましたし、なんならカクヨムに投稿しようと思えるようにもなりました。
この文章に目を通してくださったあなたが、もしも似たような状況に陥った時、どうか信じてもらいたいことがあります。せっかくなので、伝えさせてください。
それは、「情けない自分だからこそ、気付けるものがある」ということです。
詳細は人それぞれなので上手くは言えませんが、もしも当事者がそれを自覚し、向き合い、そして乗り越えた後に宿した強さは、どのような場面においても強力な武器になる。これは間違いないはずです。
たとえ周りがなんと言おうと、人を殺すとか極端なワルをしでかさなければ、後は個人の勝手ですから、やりたいようにやればいいんだと思います。したいことを自覚して、本気でそれを叶えるために行動をすれば、それはすさまじいエネルギーになるはずです。
これからも、そんな精神を培いながら、日々を生きていきたいと思っています。ぼくの場合、その第一歩が、ここで読者様のココロがオドルような作品を描いていくことだと思っています。
そのための強さを積み重ねるために、これからもぼくはハイキングを続けようと思います。
これからも、がんばります。
(2023年5月3日 巣雲山頂上より)