「雨への強さと安定性を重視するなら、いっそ『トライク』っていう手もあるよ」
「とらいく…?」
聞き慣れない単語に、私は首を傾げる。店員さんはニヤリと笑って、店の奥を指差した。そこには、さっきの屋根付きスクーターよりも、さらに一回り大きくて、どっしりとした風格の乗り物が鎮座していた。
前はバイクなのに、後ろのタイヤが二つある。その独特なフォルムを見て、私の脳裏にピーンと閃くものがあった。
「ん?…ピザ屋さんのバイクですか?(笑)」
街でよく見かける、あのデリバリー用のバイクだ。思わず口に出すと、店員さんは「まあ、あれも仲間だね!」とカラカラ笑った。
「これは屋根付きの3輪スクーター。後ろが2輪あるから、安定感が段違いなんだ」
なるほど、3輪。私はそのバイクに吸い寄せられるように近づいた。二つの後輪が、大地をがっしりと掴んでいるように見える。これなら、私のような初心者でも安心できそうだ。雨で路面が滑りやすくなっても、これなら…。
「すごい!これなら、3輪だから転ばないんですよね?」
再び、私の瞳は期待に満ちてキラキラと輝き始めた。今度こそ完璧な乗り物に出会えた。そう確信して、同意を求めるように店員さんを見つめる。
すると彼は、今日一番の、実に楽しそうな顔で、私の淡い期待を粉々に打ち砕いた。
「いや、転ぶな(笑)」
「……えぇっ!?」
もはや、今日何度目かもわからない驚きの声が、店内に響き渡る。嘘でしょ?タイヤが三つもあるのに?物理法則を無視してない?
私の混乱はピークに達していた。そんな私を見て、店員さんは追い打ちをかけるように説明を続ける。
「普通のバイクは、カーブで車体を傾けて曲がるでしょ?でも、こいつは車体が傾かないタイプなんだ。だから、曲がる時には遠心力に負けないように、カーブと“反対側”にぐっと体重をかけないと…」
彼は芝居がかった仕草で、ゆっくりと手をひっくり返してみせた。
「そのまま、外側にひっくり返る(笑)」
「ひっ…!?」
想像して、背筋がぞっとした。交差点で曲がろうとしたら、スローモーションのようにバイクごと外側に倒れていく自分の姿が目に浮かぶ。全然、安定してないじゃないか。むしろ、普通のバイクより高度なテクニックが必要そうな響きだ。
完璧な通勤計画は、もはや跡形もなく消え去っていた。屋根があっても濡れる。タイヤが三つあっても転ぶ。私の知らないバイクの世界は、あまりにも奥が深く、そして理不尽に満ちていた。
「なんだか…どんどん難しくなってきました…」
思わず本音がこぼれると、店員さんは「ははは、ごめんごめん!」と悪びれもなく笑った。
「でも、それがバイクの面白いところでもあるんだよ。乗りこなす楽しみっていうのかな。まあ、習うより慣れろ、だね!」
彼はそう言うと、トライクのキーを手に取った。
「ちょっと、そこの駐車場で跨ってみる?」
彼のその言葉に、私の心は揺れていた。理想とは全然違う。むしろ、困難ばかりが待ち受けていそうだ。
でも、なぜだろう。その困難が、なんだか無性に面白そうに思えてしまったのだ。