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吉田修一さん

この人の本を読むたびに
目を引く文章が必ずある。
この人はずるいなぁ。
人間の心の陰影の中にある核を
実に上手く
日常に溶け込んだ感じで言葉にする。

誰もがそうなんだよな!ではなく
誰もがそうだよな.....嘆息。と感服させられる書き方。

「怒り」を観た。

映像とか演出とか、分からないけれど
なかなか原作に忠実で、本を思い出す。

世の中に対する怒り。
やり場の無い
行き場のない怒り。
言葉にできない怒り。
声にならない怒り。
声にできない怒り。
言葉にしないと決めた怒り。
叫んでも、泣き叫んでも届かない怒り。
世論や喧騒にかき消される怒り。
どうしたら良いんだ?歯を食いしばって、涎が流れるのも気にならないほど泣き叫ぶしかないのか?

怒り。

「俺のはなから何を知っていれば信じられるっていうの?」
信じる定義は?
信じられない境界は?

信じるからこそ
裏切られることが怖くて仕方ない

「裏切るなよ!」は威嚇ではなく
「信じているから裏切るようなことはしないでくれ」という悲嘆に近い願い。
「信じてくれてありがとう」
尖った心を和らげる。

騙されるではなく、
裏切られることが誰もが怖い。

相手が愛する人ならなおさら。

裏切られたくないではなく、
裏切られることが怖いから
強がったり、疑ったり、怒りを感じる。

そしてそんな自分から解放され逃げ出したくなる。
信じきれるほど強くないから。
愛する人間を疑うという自分人身に嫌気がさし
押し潰されそうになるから。

真実を知ったとき、信じきることができなかった自分に、
自分の弱さに怒りを感じる。

信じていた相手に裏切られ、怒りの矛先は定る。



それぞれの怒りを
やり場のない怒りを
切ない怒りを
強く感じながら
泣きわめき、彷徨う

怒り


『大切なものは減っていくのだ。』
「生きて行く。」上での無常観

あるいは

本当に大切なものとは幾つもあるものではない。
実は大切なものは数少ない。
それに気づくことは、幸せなことだ。

心に審美眼をもつこと。。。。
その審美眼とは
裏切られることも恐れず信じる強さを持つこと。


深い....

吉田修一さん。
凄いな.....


映画のエンディングは原作のそれとは少し違って、沖縄の美しい海に向かって叫ぶシーンで終わっていく。

一晩寝て今感じることは、

怒りなど持って生きていくことは悲しいばかりだ。
心が浄化されるような美しいものに向かって叫び散らす、叫びわめくことで怒りが粉砕して、吸収されていくような印象を受けたことに気付く。

人を信じる定義とは?
人を信じられない境界線とは?

そんなもの、どこにもない。
攻略本もなければ、指南書もない。
見えないソレを、自分自身で決めることだろう。
尋ねること。聞くこと。話し合うこと。
分かち合うこと。こころを吐露すること。

これができるか、できないかで、「信じる」は大きく変わり、その後も変わる。

しかし、人間って愚かで不器用で、自分勝手だから、そんな簡単なことができずに、懊悩とし、悶々とし、「信じきる」ことができないんだな。

自分の子供ですら信じられない親がいるのだから、血の繋がっていない他人を「信じきる」、「信じぬく」なんていうのは、そうそうできることじゃない。

つまるところ、人間ていうのは、その真ん中に立っているんじゃないかな・・・・

コメント

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