第51話 トキの来訪と消えた魔術師

 フイは、一旦父王の元へ戻るようカエムワセトを諭した。カエムワセトは言われた通り、ぺル・ラムセスへの帰路についた。


 復路も馬を連れて中型の木造船を利用したカエムワセト一行は、川面を滑る風に吹かれながら、のんびりとナイル川を下った。


「なんであんた達がいるのよ?」


 ライラは馬の傍ではしゃいでいる少年と、その少年に掴まれている腕を解いて何とか馬から離れようとしている少年に、不満げな顔を向けた。


 ジェトがようやくカカルの手から逃れ、船の端に逃げながら、ライラに向かって得意げに鼻を鳴らす。


「王子が一緒に来ていいって言ってくださったんだよ」


 約束通り、カエムワセトは二人を無罪放免にし、自由を与えた。しかし二人は、カエムワセトに仕えたいと申し出たのである。今回の働きもあり、二人はとりあえず従者として迎えられる事になった。


「近衛隊でも作ればいんじゃねえか? 頑張れよ、隊長」


 アーデスはにやりと意地悪な笑みを浮かべると、ライラの肩を叩いた。 

ライラは目を剥くと、断固拒否で二人の配属に異議を申し立てた。


「冗談でしょ! こいつら盗賊じゃないの!」


「元をつけろよ、元を」


 ライラに指をさされたジェトが主張した。頭に一文字付けるのと付けないのとでは意味が大きく異なるのである。


 ライラは横目でじろりとジェトを見た。


「どうだか。手癖の悪さは直んないんじゃないの?」


 これは完全に言いがかりだった。


「なんだと!」


 ジェトがと船のヘリを叩いて失礼な女兵士を睨みつけた。


 カカルがジェトの後ろでおろおろする。


「あにきぃ、仲間内でケンカはやめましょーよ」


「誰が仲間よ、ヒヨコマメ!」


「おいらそんなに小さくないっスー!」


「お前は間違いなくチビだろ」


 三人の賑やかな声を聞きながら、カエムワセトは船首に移動した。間もなくアケトを迎えるエジプトは、ナイル川の水勢が増し、船の滑りも早い。カエムワセトは風で飛ばされる前に、頭巾を取った。


「ワセト。どうかした? お腹でも痛い?」


 集団から一人離れた場所に移動したカエムワセトを気遣い、リラが傍にやって来た。

 カエムワセトは「いや。大丈夫だよ」と微笑んでから、ただ……、と言い淀んだ。


「兄上ももしかしたら、ハワラのように生き返ることを望んでいらっしゃったのかもしれない。そんな事を少し考えてしまって」


 カエムワセトの言葉を聞いたリラの眉に、ふと影が落ちた。


「トトの書、また使いたいの?」


 その問いに、カエムワセトは首を横に振った。


「いや。あれは人の手の届かないところに置いておくのが一番いいんだよ」


 念のためカエムワセトは、プタハ大神殿のホルス神像が置かれていた場所を探した。しかし、トトの書は発見できなかった。おそらく、ネフェルカプタハの元に帰ったのであろう。


 二人は暫く何も言わず、風に吹かれていた。


「プレヒルウォンメフ殿下は、ちゃんとイアル野にいるよ」


 風に目を細めながら、リラがぽつりと言った。


「歴代のファラオと一緒にこの国を見守ってくれてる。あんたを助けたことも、後悔してないんだって」


「兄上に会ったのか?」


 カエムワセトは思わず身を乗り出して訊ねた。


 リラはカエムワセトに顔を向けると、「ううん」と首を横に振った。


「アヌビスの使いのジャッカルが教えてくれたんだよ」


 風に吹かれて、くすんだ金色の髪がリラの口元にかかる。リラはその髪を指でそっと耳にかけると、口元に優しい笑みを浮かべた。


「だから、あんたも後悔しなくていいんだよ。ワセト」


 後方から「わあ」と歓声が上がった。


 振り向くと、トキの群れが川上の空に広がっていた。頭部と尾が黒く、胴体が真っ白なこの鳥は、トト神の化身でもある。


「わー。トキがいっぱいだー」


「遅ればせながら、来たな」


 カカルが頭上に両手を伸ばした。アーデスも額に手をかざして、トキが滑るように船を追い越してゆく様を眩しげに眺めた。


「ああ。よかった」


 カエムワセトも仲間の元に戻り、同じように見上げた。


「あれ? リラは?」


 視線を下げたライラが、同乗していた魔術師の姿が無い事に気付き、辺りを見回した。


「いないスね。おかしいなー?」


 ジェトとカカルも船体を探し回るが、見つからない。


「大変! 川に落ちちゃったのかしら」


 船の上に居ないとなると、残るは川の中である。青ざめたライラが、慌てて船の縁から身を乗り出して川面を確かめた。


 アーデスがそんな相棒を呆れ顔で見やった。


「なわけねえだろ。お前もいい加減慣れろよ」


 カエムワセトの危機を告げにやってきたリラである。その心配も無くなり、自分はもうお役御免とでも思ったのだろう、とアーデスは微笑んだ。


「どうせまたひょっこり現れるさ。な?」


 同意を求めてきたアーデスに、カエムワセトはにこやかに頷く。そして、どこにでもなく、言った。


「今度は私を救いにではなく、ただ遊びにおいで」


 この言葉はきっと、リラの元へ届くだろうと信じていた。



 この事件をきっかけに、巷ではカエムワセトを『賢者』と呼ぶ者が現れ始めた。しかし、カエムワセトが真の賢者の器を得るのは更に経験を積み研鑽を深めた後の話である。

 カエムワセトの墓は、未だ発見されていない。だが、人々が後世に伝えた彼の物語の中には、彼の人となりがはっきりと記されている。

 賢者カエムワセトはその類稀な魔術と知識を生涯、人々に捧げたそうである。

 

~完~


ご挨拶

本作を最後まで読んで頂きありがとうございました。

外伝として、『砂漠の賢者外伝1 ライラの憂鬱』(ぺル・ラムセスで開かれる宴会で起こる、ライラを中心とした様々な人間模様。若者の甘酸っぱい恋愛がここにあります。)https://kakuyomu.jp/works/16817330655182266904

『砂漠の賢者外伝2 草色神官の秘話』(イエンウィアと彼を愛した女性のお話。可愛らしい大人の恋愛を書いたつもりです)https://kakuyomu.jp/works/16817330656342734388

そして、第二幕の『オリエントの覇権闘争』(ダプールという城塞都市をヒッタイトに奪われたエジプト。カエムワセトが仲間と共に、無血開城に乗り出す。※現在公開しながらプチ工事中)https://kakuyomu.jp/works/16817330652875104897

もございます。

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新・砂漠の賢者 みかみ @mikamisan

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