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  • 小説を書くにあたり、ここまで綿密に背景を考えておられるのですね。
    洵の中の汐音の声。この設定には心魅かれます。

    フィギュアスケートの評価基準はめまぐるしく変わるんで、小説にするのは大変そうです。でも、難しいけれど、純文学としてのフィギュア小説って、とても面白い試みをされていると思います。
    採点の不正問題とか、拒食症になる選手、LGBT……フィギュアって今の世情を物凄く反映している世界だと思いますし。

    作者からの返信

    風梨さん

    コメントありがとうございます!
    できるだけスムーズにキャラクターを動かしたくて、こまごまとしたところまで背景を考えてしまう性分です。
    誰もそんなこと気にしないよ、というところまで…。

    フィギュアスケート小説は、鑑賞に耐える作品に昇華するのも、スポーツとしてのルールや技術の描写も本当に難しく、日々壁とぶつかっております。
    実は今「氷上のシヴァ」のボーナストラックとして第六章を追加で書いておりまして、そちらではまさに、拒食症寸前の体重との闘い、LGBT問題なども取り扱っております。純文学作品なので難解な部分も多いのですが、お時間ありましたら是非お立ち寄りいただけたら嬉しいです。
    星評価までいただき、本当にありがとうございました!

  • 洸一の洸の字は珍しいと思いましたが、氷に光が反射して輝いているような素敵な名前だなあ、と思いました。
    浪恵先生はタラソワのイメージなんですね。エテリコーチや濱田美栄コーチは怖そうですが、タラソワさんはなんとなく温かいイメージがあります。

    作者からの返信

    rainyさん

    氷に光が反射して輝いているだなんて、美しい表現をありがとうございます。
    そうなんです、貫禄があって毛皮のコートというイメージはタラソワからインスパイアされました。
    確かにタラソワコーチは厳しくも暖かそうなイメージがあります。
    エテリコーチはまさに鉄の女という感じで怖そうですね。
    濱田先生は演技前やキスクラでの選手への接し方が好きです。

  • 第2話 名前(1)芝浦刀麻への応援コメント

    芝浦刀麻って格好いい名前だなあ、と思っていましたが、これ程入念に考えられていたんですね!『トーマの心臓』はすぐに浮かんだのですが、快刀乱麻の意味も込められていたんですね。
    ユーリはロシアにもある名前だからフィギュアスケートにはぴったりだと思いますが、ちょっと柔らかいというか、優しい感じがします。今まで読んできて、主人公のちょっと尖った奔放なキャラはやはり刀麻の方がぴったりだと思いますね。

    作者からの返信

    rainyさん

    ありがとうございます!
    刀麻の名前を褒めていただけて嬉しいです!!
    ユーリは確かに柔らかいイメージがありますね。
    名は体を表すというか、刀麻に改名した結果、尖ったキャラクターになって良かったのかもしれません。

  • 第7話 名前(6) 霧崎汐音への応援コメント

    興味深く読ませて頂きました。
    登場人物の名前……私はこれまでそれらについて深く考えてきたことは無く、識別記号としての役割を果たしてくれればいいやと思っていたので天上さんのスタンスは目から鱗で大変勉強になりました。
    天上さんの目指す作品世界はとても緻密で繊細なのですね。
    時系列の矛盾(或いは齟齬)について、私だったらこれが一人称による群像劇であることを理由に「人の記憶なんて思い込みと勘違いで出来ているんだから寧ろこっちの方がリアル」と開き直ったかもしれません(笑

    現在本編の2章を読み始めたばかりですが、最後まで大切に読ませて頂きますね。
    それではまた。

    作者からの返信

    朔さん

    ありがとうございます。
    こだわりが強すぎて、他の人は誰も気に留めないようなことまで悩んでしまいます。
    名前もその一つです。
    識別記号として働いていれば十分だと私も思うのですが、色々とこだわってしまいますね…汗

    時系列の矛盾については私もそう思います。人の記憶は曖昧ゆえに齟齬が発生するのがリアル、仰る通りです。

    星評価までいただき、本当にありがとうございました!

    編集済
  • 第3話 名前(2)霧崎洵への応援コメント

    >感情の水路を整える

    端的であり、深い言葉だと思いました。

    作者からの返信

    朔さん

    こちらまでお読みいただき、ありがとうございます!
    キャラクターを作者の思い通りに操作しないということが重要なのかなと思います。

  • 第5話 名前(4)荻島雷への応援コメント

    雷くんが遅れて登場していたという事で納得しました。第四章単体で眺めた時に、そのクォリティが抜きん出ていた印象があったんですよね。なるほどなるほど。

    第六章と第七章があったのですね。こうなると第五章で完結させた状態のアンバランス感も納得です。

    こちらの作品、まだまだ奥が深そうですな☆

    作者からの返信

    愛宕さん

    コメントありがとうございます!
    第四章のクオリティが抜きんでていたと仰っていただけて光栄です。
    あの章は一番口語体にこだわった章でして、見方によっては稚拙と捉えられてもやむをえないと思っておりました。
    第五章の終わり方がアンバランスなのは尺の問題が非常に大きく、構成をミスったかなあと今でも少し後悔しております。

    星評価までいただき、本当にありがとうございました。

  • 第7話 名前(6) 霧崎汐音への応援コメント

    >読みについては、そもそも「しおん」なのか「しおね」なのか、カクヨムで連載するまでは曖昧なままだった気がします……(そんなのアリか)

    私をそう呼んでほしい、という語りかけがあったのかも。

    作者からの返信

    尻鳥さん

    ありがとうございます。
    そうかもしれません!
    きっとキャラクター自身からの語り掛けで確定したのでしょう。

    というか今まさに思い出したのですが、「氷の蝶」(カクヨム連載前に書き終えていた)で既に「しおん」で確定していました、テキトーなことを書いてしまいすみません。
    人の記憶は曖昧…。

    素晴らしいレビューを賜り、ありがとうございます!!
    引き続き、細々と更新していく予定です。
    またお読みいただけたら嬉しいです。

  • 個人的に刀麻というキャラクターを考える時、彼の母親である瑞紀は非常に重要なキャラクターのように思えます。
    彼女こそ、なぜフィギュアスケートをしているのか、それこそ息子が生まれてもなお氷の上に戻されてしまう、その引力の源には何があるのか。
    一読者として興味があります。

    作者からの返信

    郷倉さん

    コメントありがとうございます。

    瑞紀もまた作中最大の問題キャラの一人ですね。

    実は、シヴァの当初のプロットの段階で、かなり濃厚なファンタジー小説にしようと思っていた時期があって、氷そのものを魂の根源として持っている特別なキャラクター群という構想がありました。
    入江瑞紀、溝口達也、霧崎汐音、そして芝浦刀麻です。
    彼らは地上ではなく氷上を住処にする、人間とは別の生き物であり、型月でいうところの真祖というイメージでした。
    こんなの殆ど型月の劣化コピーにしかならないなと我に帰り、結局このアイディアは立ち消えたのですが、その名残が一番色濃いのが、瑞紀だと思います。

    彼女は、予定している次回作でかなり出番が増えると思うので、そこで色々解明していきたいです。

    編集済

  • 編集済

    登場人物の名前作りって、個人的にはいつも悩まされる部分でした。

    (事実、いろいろ考えて名前が決まった後でも、他のキャラとかぶるのかーとか、実在する人はないのかーとか、検索してみたりして、せっかく作った名前が流されたり。涙)

    それを、このような裏話を通して、他の方がどのような考えのもとで、キャラの名前を決めているのかを知ることができて楽しかったです。

    それと、キャラに対する考え方がとても印象的でした。
    特に『作者にもコントロールしきれない部分が確実にある』というくだりは、いろいろ考えさせる話でした。

    作者からの返信

    冬野さん

    こちらまでお読みいただき、そして星評価までいただき、ありがとうございます!

    登場人物の名前、悩みますよね。
    私自身、皆さんどうしてるのかなと気になり、私なりの方法を書き連ねてみた次第です。

    一生懸命考えた名前が他作品のキャラとかぶったり、実在人物と似てたりは、本当にあるあるですね笑

    キャラクターに血を通わせて行くと、だんだん作者の思い通りには動いていかなくなるので、そういう時には深呼吸して、自分の奥へ潜り、「…で、君はどうしたいんだい?」とキャラと一対一で話す、という電波なことをよくしています。

  • 第3話 名前(2)霧崎洵への応援コメント

    スケート靴のエッジが氷を「切り裂く」、そこからインスピレーションを得たというのがなるほどと思いました。漢字ひとつ取ってもこだわりがあって良いですね。

    作者からの返信

    サンダルウッドさん

    こちらまでお読みいただき、ありがとうございます。
    そうなんです、フィギュアスケーターの男の子のキャラクターを作る時に、氷を「切り裂く」というイメージが非常に強くありました。
    結果的に洵は、エッジ使いが上手いキャラクターにはなりませんでしたが、その分彼の鋭さは内面に反映されたかなと思っています。


  • 編集済

    私だったら、「朝と夕」の両方が入っていることを理由に採用したと思います。
    好みは色々。

    さて、前回に引き続き、「なぜツンデレなのか」について語りたいと思います。繰り返しますが、これは、あくまでも私の邪推と独断と偏見であり、真実とはとんでもなくかけはなれている可能性があります。
    ※ご注意 以下の文章は人によっては重大なネタバレにあたる可能性があります。 











    不思議だなあ、と思っていたんです。

    私、尻鳥はシヴァを破綻した、とか、閉じた、とかいう作品だとは思っていなかったんです。少なくともそう見えたものは、作者が最初からそう見えるよう意図したものだろうと考えていました。なぜならそれが魅力のひとつであると捉えていたからです。なのに作者の評価は違う。
    この齟齬はいったいどこから出てきたのか。
    疑問が解けたのは、本編のコメントのレスにあった、「この作品は語り手の視点によるマルチバース(多元世界)でもある」との説明を読んで事態を把握したのです。

    作者さんが、とんでもない誤解をしている可能性に!

    多元世界(または平行世界)、という概念は、ご存じの人が多いかも知れませんが、科学的には思考実験である「シュレディンガーの猫」に端を発します。
    この実験における猫は、生きている状態と死んだ状態が重ね合わせになっていると考えられます。そんな状態がありうるとしたら、それは可能性の違う別の世界が重なっている、そしてそこからさらに別々な歴史に変化すると言えるのではないか、という解釈が多元世界のもと(の、ひとつ)となりました。

    したがって、猫が主人公の多元世界を物語として表現するとしたら、猫が生きる世界と、猫が死ぬ世界を、同列(同量とは限りませんが)に冷徹に描く必要があります。
    でもそれって、猫好きには難しいと思いませんか?
    猫好きだったら、ついつい、猫が生きる世界を大事に描いてしまうのではないでしょうか?

    シヴァを読んで誰しも感じると思うのは、作者さんが各キャラにそそぐ愛情の深さです。なのに、そのキャラを設定に跪かせようとしている。だから、あちこちで「破綻」してしまう。でも、読者はそもそもそんな隠し設定など知らないし、作者によるキャラへの想いが眩しくて細かい計算など気付かない、もしくは「謎めいた」程度の認識しか持たない。だから作品の魅力を見えるまま、そのカオスそのままで受取り、ああ、こういう作品なのね、と感じてしまう。

    「どっか行っちゃえ……やっぱり行かないで!」
    「べ、別にアンタたちに存在してほしいとか、そんなんじゃないんだからね!」

    ……と、聞かされたかのように。
    まごうかたなき、ツンデレでございます。
    ごちそうさま。

    読者にとってシヴァの魅力は、計算された魅力ではないと思うのです。
    綿密な取材の上に成り立っているため荒唐無稽にならない、それでいて現実と幻実が交じり合う、訳の判らない魅力があると言っていい。
    それは親である作者の希望の進路とは違うけれど、溢れんばかりの愛情と正しき教育を受けて育った我が子が、苦しみながらも自分なりの道を歩まんとする凛々しき姿でもあるのです。
    破綻もまたその一歩に過ぎないのです。
    閉じている、と思っているのはオタクへの偏見を持っている人と、そして作者さんだけではないでしょうか?
    それが誤解、読者に対する誤解、キャラに対する誤解である、と私は思うのです。

    では、設定を読み取らない読者には、実際シヴァはどう見えているのか?

    フィギュアを題材にしたスタイリッシュな小説、という点以外に他人がどう感じるか、というのは私に本当のところは判りません。しかし、おそらく、「カッコいいキャラたちがマンガエファクトを決める謎めいた本格ヌーベル・スポコン」として捉えている人が多いのではないでしょうか。マンガエファクト、というのは私がいま作った造語ですが、テニスのサーブが天地を裂き、告白が薔薇の津波となり、美味が審査員を爆破する、おなじみのヤツですよ。

    そして、当の私、尻鳥は、シヴァをどう見ているのか。

    前置きとして、45年前のとあるマンガの中の台詞をひとつ紹介しましょう。
    作者は萩尾望都さん、タイトルは「ハワードさんの新聞広告」。
    この作品には空を飛べる少年が登場するのですが、その空を飛ぶ理屈というのは、ただひと言。

    「ただの子どもは みんな飛ぶんだ」

    私は、トーマが持つパワーは、本質的にコレじゃないかと思っています。
    すべての高みを目指す者たち(ひょっとしたらこれを読む貴方でさえも)は、すでにそのパワーを持っている。
    そして、スポーツに、音楽に、フィギュアに、神に、深淵に、あるいは「銀盤」に、望む望まざるにかかわらず「選ばれてしまった」者たちは、そのパワーに「気付く」。
    「得る」のではなく。

    だからトーマは自分が英雄や勇者のようにスペシャルな存在だとは思わないし、そのパワーを持っているのに気付いていない人がもどかしくてしょうがない。だから、まるでヴァルハラに英雄をいざなうというヴァルキリーの役割をせざるを得ない。目覚めてくれと放たれたイカズチのように。

    しかしヴァルハラは、万人向けの天国ではなく、誇り高き戦士たちが永遠に殺しあうという、きわめて人を選ぶ世界です。神の審判、真理の深淵、銀盤というコロシアムも、同じ二面性を持っています。
    ある人にとっては救いや喜びであっても、ある人にとっては地獄にしか思えない。だからトーマは天使であり、同時に悪魔でもあると思うのです。

    そして、トーマが見せるファンタジーとは何か。
    それは、マンガエファクトに彩られた、いわゆる「ゾーン」ではないかと思っています。ただし、そのゾーンを表現するヴィジョンと言葉は、語り手によって違う。ある人にとってはそれはオカルトだし、ある人にとっては神話だし、マンガ、ミステリ、SF、哲学、おとぎばなし、幻覚、異次元世界、そして、ゆるぎなき現実のひとつ。さらに、同時にそのすべてでもあります。
    世界は、人の数だけ、その認識の数だけ、もともと重なり合って存在していて、高みを目指すものだけが、つかのま、それを俯瞰することができる。
    これがマルチバースという概念と違うのは、「たくさんの世界によってひとりの人間が成り立っている」のではなくて、「たくさんの人間によってひとつの世界が成り立っている」という考え方の違いになります。

    トーマは氷上の舞によってその視点にいざなう巫女、そして、この物語は、彼にいざなわれた(いざなう、を漢字変換すると、誘う、になります)人たちから見た話のアソートである。

    そして、トーマが果たして何者か、という問いかけは私にとって無意味です。
    もともと人間は、神にも悪魔にもなれるし、されるからです。

    私はシヴァを、そのように解釈しています。
    二度に渡っての長文、失礼いたしました。
    素晴らしい物語をありがとう。

    作者からの返信

    尻鳥さん

    作者である自分よりも的確に、そして芳醇に、自作を語られた時、作者としてはどのような言葉を発すればいいのか、というのが率直な今の気持ちです。降参してしまいたいところですが、そうもいきません。

    シヴァはマルチバースではなくユニバースだと言い切れたらどんなに気持ちが楽でしょう。というか、まさにそう言い切れるような作品をこそ私は書くべきだった…。

    当初はそんな妙な仕掛けを入れるつもりは皆無でした。
    単に「桐島」スタイルを気に入り、章ごとに語り手を変えて書いていくうちに、時系列の齟齬が避けて通れなくなってしまったのです。(章を照らし合わせると、刀麻の四回転失敗や、里紗のリンク入りするタイミングなど、出来事の前後関係が矛盾していることに気付くかと思います←そんな細かいこと誰も気付かないよ、ということをまさに尻鳥さんは仰りたいのかもしれませんが…)
    その齟齬を解消しようとすると、章が死ぬ気がしました。あっちが生きる代わりに、こっちが死ぬという風に。何とかこの齟齬を齟齬として残したまま、作品として成立させる手はないかと思い、辿り着いたのが、いわゆるギャルゲーやビジュアルノベルのマルチエンディング手法でした。
    結局のところ、策士策に溺れてしまったのだな、と思います。

    本当は芥川龍之介の「藪の中」のように書きたかったのかもしれません。あれはそれこそ尻鳥さんの仰るような「アソート」だと私は解釈しています。

    実際のところ、世界はどのようにできているのでしょうかね?……というのが、私がこの作品で一番、読者一人一人に突きつけたい問いなのかもしれません。
    たくさんの世界によって一人の人間が成り立っているのか?
    たくさんの人間によって一つの世界が成り立っているのか?
    一人の人間はどこにいるのか?
    一つの世界とは何を指すのか?
    世界に観測者はありうるのか?

    こういうものを刀麻一人に背負わせてはいけなかった。あるいは、ありったけ背負わせて完全に向こう側に追放するべきだった。
    ……この二律相反が私の中に同居する限り、尻鳥さんが私に下した「ツンデレ」という評価はやはり的確だと思います。

    >「ただの子どもは皆飛ぶんだ」
    この言葉を見て、一番大切なものが伝わっていた、ということに涙が止まりませんでした。
    各章の語り手は刀麻を「ワガママ」だと形容します。そしてそれは即座に刀麻に出会って以降の自分への評価に直結します。
    「ワガママ」とは、「べき」や「ねばならない」によって社会に矯正・馴致される前の状態、すなわち「子ども」を指しているのです。
    第一章のタイトルが「Child」なのも、刀麻の何よりの本質が「子ども」だからです。

    もともと人間は神にも悪魔にもなれるし、される。
    それは、人間は元々みな「子ども」だから……と結論付けるのは、少し安易すぎるでしょうか。

    最上級に優れた講評とは、作者自身が気付かなかった作品の死角にスポットライトを当てるものだと思います。
    尻鳥さんがシヴァに対して下さった講評は、そういった意味では私にとってまさに目から鱗であり、同時に「そこまで伝わっていたのか」と共有する世界の思わぬ広さ・深さを眼前に提示する……二つの矛盾を華麗に飛び越える、まさにアクロバティック的跳躍でした。

    尻鳥さんのような読者に見つけていただけたこと、そしてこのような講評をいただけたこと、この上ない僥倖だと思っております。
    宝物のようなお言葉、しかと胸に抱き、また一歩ずつ前に進んでいきます。
    本当にありがとうございました。

    編集済
  • 第5話 名前(4)荻島雷への応援コメント

    超スピードを表す熟語「電光石火」の「電光」は、「雷」のことだそうです。「雷」にはもともと神速の意味があったということですね。


    えー、では、本編のコメント欄での作者さんのお許しに甘えた批評らしきモノをば。

    私は、シヴァを大変面白く、また感動して読ませていただきました。美麗な文章、誠実な取材に基づくリアリティと、それを飛躍する熱い展開、フィギュアをよく知らない読者も思わず納得させてしまう勢いのある描写に心打たました。でも、それゆえに、ふたつの疑問があり、その答えを考え続けていました。これはその結果です。なおこれは、あくまでも私の邪推と独断と偏見であり、真実とはとんでもなくかけはなれている可能性があります。
    さて、私が抱いたそのふたつの疑問と、見つけたような気がする答えを書きます。
    ※ご注意 以下の文章は人によってはネタバレにあたる可能性があります。 












    1. なぜ「すばる」三次落選に留まったのか。 → マンガだと思われたから。
    2. なぜ当の作者が「閉じた」「破綻した」「着氷に失敗した」と言わざるえない小説になってしまったのか。 → ツンデレだから。

    マンガだ、というのは、「世界観がある」ということです。ただし、「世界観がある」作品のほうが現代的には面白いのです。ルールがあることがスポーツを面白くするように。「その狭い世界の尊ぶべき小さな常識というルール」が、「のだめカンタービレ」や「ちはやふる」をより面白くするように。

    しかし、「世界観がある」イコール「文学的ではない」となる見方が実在します。ルールがあることは作り物であるという証拠だからです。心無い人はそれを「苦悩が書けてない」とか「ありきたりな商業作品」などという不当な言葉で表現しますが、現代においてはそれは「好み」にしか過ぎません。これは「世界観の有無をめぐる対立」です。ただしその見方は、人によりますが歌舞伎やデイズニーやクラシック音楽などの強い権威には容易に屈します。そしてフィギュア世界は権威ではありません。

    具体的に言うと、「のだめカンタービレ」には優れた音楽を評価できない人間はいません。シヴァには、正しいフィギュアのありかたについて登場人物間の対立はありますが、フィギュアの魅力や主人公の凄さそのものを否定する人物はいません。その対立は「同じ世界観の中の対立」です。

    しかし現実においては、聴覚障害者を天才作曲家ともてはやしてその後てのひらを返す音楽評論家が実在します。しょせん声優の歌でしょ、という人が実在します。羽生くんを男らしくないとかフィギュアを子どもの遊び、と言い放つ人が実在します。羽生くんと比べたら普通の男なんかカス、と言う人も実在します。
    これが現実、くだらないリアル、であり「世界観というルールのない現実世界」です。Welcome To The Real World!

    そして人によりますが、そういったネガティブで興ざめな描写を「より文学的である」とする見方があるのです。もし、「花火」に自虐や他者による侮蔑の描写が一切なかったら、芥川賞はとれなかったでしょう。

    もちろん、シヴァにも欠点はあります。特定の映画のネタバレ解釈に頼ったり、年齢よりも老成した内心があったり、幻想シーン直後の現実描写が弱かったり、技の詳細に疎い読者を置き去りにしたり。しかし、シヴァのように地力のある作品ならば、編集委員の営業力次第ですが、そのフォローによってその欠点には修正の勧めが入り、賞入選以外の結果があったような気がするのです。作者さんがその勧めに従うかどうかは別として。

    なぜなら、三次落選という結果は、下読み委員というマジョリティな感性(マンガ的世界をフツーに受け入れられる)には十分に刺さったという誇るべき事実でもあるのです。

    しかし、その上の人たち、正式な選考委員たちにとっては、判りやすい欠点は判りやすい言い訳として使えるものでもあります。たとえ修正可能な欠点であっても、「好み」による選別を優先するために。もちろんそれは、賞の傾向や個性であって非難されるべき怠慢では決してありません。選考委員には作家性でもあるおのれを突き通す意地と義務があるのですから。

    結果だけを重要視するのなら、より文学的ではない賞に応募したほうが良かったかも知れません。もちろん、いつだって「挑戦はプライスレス」ですが。

    次は「なぜツンデレなのか」
    ……については、長すぎるようなので次回に。
    長文、失礼いたしました。

    作者からの返信

    尻鳥さん

    返信が遅くなり、大変すみませんでした。
    実は昨日尻鳥さんからいただいたコメントに感動のあまり号泣してしまい、なかなかお返事を紡ぐことがままなりませんでした。

    小説すばる新人賞の二次選考通過作品は、毎年上位20作は本誌で講評が為されるのですが、「氷上のシヴァ」はこの20作から漏れ、編集部から講評をもらうことができませんでした。
    この一年、私はずっとそれを引きずっていました。それこそ、他の作品を書いている間もずっと。
    ですが、こうして尻鳥さんから講評をいただけたことで、私の怨念は晴れたように思えます。
    自分の作品を立体的に捉えられないと本当の意味では次には進めないと感じていたので……。

    シヴァがマンガのようだというご指摘、至極ごもっともだと思います。この作品にはノイズが少なすぎます。
    例えば「フィギュアなんて男のやるスポーツじゃねえ」といった心無い偏見は、意図的に排除しました。
    ひとえに、ストーリーのラインを太く、明確にしたかったためです。
    フィギュアスケートを真の意味で文学的に描くのであれば、そういった本当の意味での世界観の対立は(それこそ「花火」のように)書いて然るべきなのだろうと思います。
    小説すばる新人賞は近年ライト文芸寄りのエンタメという傾向があり、イケると思ったのですが、蓋を開けてみれば今回受賞したのはド本格歴史小説(言の葉は、残りて)と殆ど純文学じゃんという幻想文学(しゃもぬまの島)……
    やはり私の見立てが甘かったとしか言いようがありません。
    他の読者の方にも「キャラクター文芸あたりの賞が獲れるんじゃないか」とアドバイスされたことがあり、自分の戦うフィールドを再考するべきだと思いました。

    尻鳥さんの指摘して下さった具体的なシヴァの欠点、大変参考になりました。

    実は今シヴァを改稿してライトノベルの賞に出すことを検討しています。
    カクヨムに投稿するまでは、シヴァは私の中では完全に終わった作品でした。供養というか、墓標になればいいなというノリで投稿したのです。
    しかし、尻鳥さんに講評をいただいたことにより、シヴァを立体的に俯瞰する視点を獲得した気がします。
    もちろん、書き手としてベストなのは新作を書くことです。いつまでも昔の作品に縋りつくのは戦う姿勢ではありませんから…でも、まだできることが残っていると知っていて、それを放棄することもまた、敵前逃亡なのかな、と思います。

    改稿して良いものになるとは限りません。前の方がよかった、となる可能性が高いです。
    しかしここは、私の作家としての第一信条「二つの選択肢がある時は、より難しい方を行け」を貫こうと思います。

    勝手に、背中を押された気持ちになりました。
    厳しくも温かいコメントを、ありがとうございました。

  • 第2話 名前(1)芝浦刀麻への応援コメント

    「ユーリ・オン・アイス」、そういえば前に付き合ってた子が好きなアニメでしたね。結局観ることはありませんでしたが(笑)

    ひとつひとつ理論立てて名前を付けられていてすごいですね。自作はだいたい適当か、半笑いシリーズなどは実際の人物から一部変えたりとかがほとんどですね。桑田白眉←桑野白馬(元ネタ)とか(笑)

    作者からの返信

    サンダルウッドさん

    コメントありがとうございます!
    好きな女の人多いですよね、あのアニメ。
    私はこのトラウマでいまだに見たことがないです…笑
    (久保ミツロウがどうも肌に合わないというのもあります)

    名前、実際はまじめに付けているものと、閃きや流れで付けているものが半々です。
    小説の人物の名前にはある程度キャラクター性や、格というか地位のようなものが表象される気がするので、しっくり来るまで試行錯誤します。

  • 「星洸一」という名前は真っ先に「星光一」を思い出します。
    「星光一」でググると北海道の工学博士のかたがおられるようですが、オタク零式な私が知っているのは手塚治虫さんのW3(ワンダースリー)に登場する、主人公のお兄さんにあたる特殊エージェントですね。だから今の小説内で見かけると少し妙な気がします。何か秘密兵器を持っているような気がして。
    それにしても、ありふれた名前の漢字に、テーマを想起させる「へん」(つくり)を付け加えるというネーミング方式は秀逸だと思います。音で親しみやすく、字面で個性的になるので。

    作者からの返信

    尻鳥雅晶さん

    こちらの方までお読みいただき、ありがとうございます!!

    >星光一
    ググってみました!
    ほんとだ、実在の工学博士と、手塚治虫の漫画キャラクターがいますね…!
    全く知りませんでした。
    教えていただき、ありがとうございます!!

    キャラクターにテーマを想起させる漢字を付けるのは、「少女革命ウテナ」というアニメで「決闘」に関わるキャラクターのみ植物を表す漢字が使われている、という例に倣いました。