超スピードを表す熟語「電光石火」の「電光」は、「雷」のことだそうです。「雷」にはもともと神速の意味があったということですね。
えー、では、本編のコメント欄での作者さんのお許しに甘えた批評らしきモノをば。
私は、シヴァを大変面白く、また感動して読ませていただきました。美麗な文章、誠実な取材に基づくリアリティと、それを飛躍する熱い展開、フィギュアをよく知らない読者も思わず納得させてしまう勢いのある描写に心打たました。でも、それゆえに、ふたつの疑問があり、その答えを考え続けていました。これはその結果です。なおこれは、あくまでも私の邪推と独断と偏見であり、真実とはとんでもなくかけはなれている可能性があります。
さて、私が抱いたそのふたつの疑問と、見つけたような気がする答えを書きます。
※ご注意 以下の文章は人によってはネタバレにあたる可能性があります。
1. なぜ「すばる」三次落選に留まったのか。 → マンガだと思われたから。
2. なぜ当の作者が「閉じた」「破綻した」「着氷に失敗した」と言わざるえない小説になってしまったのか。 → ツンデレだから。
マンガだ、というのは、「世界観がある」ということです。ただし、「世界観がある」作品のほうが現代的には面白いのです。ルールがあることがスポーツを面白くするように。「その狭い世界の尊ぶべき小さな常識というルール」が、「のだめカンタービレ」や「ちはやふる」をより面白くするように。
しかし、「世界観がある」イコール「文学的ではない」となる見方が実在します。ルールがあることは作り物であるという証拠だからです。心無い人はそれを「苦悩が書けてない」とか「ありきたりな商業作品」などという不当な言葉で表現しますが、現代においてはそれは「好み」にしか過ぎません。これは「世界観の有無をめぐる対立」です。ただしその見方は、人によりますが歌舞伎やデイズニーやクラシック音楽などの強い権威には容易に屈します。そしてフィギュア世界は権威ではありません。
具体的に言うと、「のだめカンタービレ」には優れた音楽を評価できない人間はいません。シヴァには、正しいフィギュアのありかたについて登場人物間の対立はありますが、フィギュアの魅力や主人公の凄さそのものを否定する人物はいません。その対立は「同じ世界観の中の対立」です。
しかし現実においては、聴覚障害者を天才作曲家ともてはやしてその後てのひらを返す音楽評論家が実在します。しょせん声優の歌でしょ、という人が実在します。羽生くんを男らしくないとかフィギュアを子どもの遊び、と言い放つ人が実在します。羽生くんと比べたら普通の男なんかカス、と言う人も実在します。
これが現実、くだらないリアル、であり「世界観というルールのない現実世界」です。Welcome To The Real World!
そして人によりますが、そういったネガティブで興ざめな描写を「より文学的である」とする見方があるのです。もし、「花火」に自虐や他者による侮蔑の描写が一切なかったら、芥川賞はとれなかったでしょう。
もちろん、シヴァにも欠点はあります。特定の映画のネタバレ解釈に頼ったり、年齢よりも老成した内心があったり、幻想シーン直後の現実描写が弱かったり、技の詳細に疎い読者を置き去りにしたり。しかし、シヴァのように地力のある作品ならば、編集委員の営業力次第ですが、そのフォローによってその欠点には修正の勧めが入り、賞入選以外の結果があったような気がするのです。作者さんがその勧めに従うかどうかは別として。
なぜなら、三次落選という結果は、下読み委員というマジョリティな感性(マンガ的世界をフツーに受け入れられる)には十分に刺さったという誇るべき事実でもあるのです。
しかし、その上の人たち、正式な選考委員たちにとっては、判りやすい欠点は判りやすい言い訳として使えるものでもあります。たとえ修正可能な欠点であっても、「好み」による選別を優先するために。もちろんそれは、賞の傾向や個性であって非難されるべき怠慢では決してありません。選考委員には作家性でもあるおのれを突き通す意地と義務があるのですから。
結果だけを重要視するのなら、より文学的ではない賞に応募したほうが良かったかも知れません。もちろん、いつだって「挑戦はプライスレス」ですが。
次は「なぜツンデレなのか」
……については、長すぎるようなので次回に。
長文、失礼いたしました。
作者からの返信
尻鳥さん
返信が遅くなり、大変すみませんでした。
実は昨日尻鳥さんからいただいたコメントに感動のあまり号泣してしまい、なかなかお返事を紡ぐことがままなりませんでした。
小説すばる新人賞の二次選考通過作品は、毎年上位20作は本誌で講評が為されるのですが、「氷上のシヴァ」はこの20作から漏れ、編集部から講評をもらうことができませんでした。
この一年、私はずっとそれを引きずっていました。それこそ、他の作品を書いている間もずっと。
ですが、こうして尻鳥さんから講評をいただけたことで、私の怨念は晴れたように思えます。
自分の作品を立体的に捉えられないと本当の意味では次には進めないと感じていたので……。
シヴァがマンガのようだというご指摘、至極ごもっともだと思います。この作品にはノイズが少なすぎます。
例えば「フィギュアなんて男のやるスポーツじゃねえ」といった心無い偏見は、意図的に排除しました。
ひとえに、ストーリーのラインを太く、明確にしたかったためです。
フィギュアスケートを真の意味で文学的に描くのであれば、そういった本当の意味での世界観の対立は(それこそ「花火」のように)書いて然るべきなのだろうと思います。
小説すばる新人賞は近年ライト文芸寄りのエンタメという傾向があり、イケると思ったのですが、蓋を開けてみれば今回受賞したのはド本格歴史小説(言の葉は、残りて)と殆ど純文学じゃんという幻想文学(しゃもぬまの島)……
やはり私の見立てが甘かったとしか言いようがありません。
他の読者の方にも「キャラクター文芸あたりの賞が獲れるんじゃないか」とアドバイスされたことがあり、自分の戦うフィールドを再考するべきだと思いました。
尻鳥さんの指摘して下さった具体的なシヴァの欠点、大変参考になりました。
実は今シヴァを改稿してライトノベルの賞に出すことを検討しています。
カクヨムに投稿するまでは、シヴァは私の中では完全に終わった作品でした。供養というか、墓標になればいいなというノリで投稿したのです。
しかし、尻鳥さんに講評をいただいたことにより、シヴァを立体的に俯瞰する視点を獲得した気がします。
もちろん、書き手としてベストなのは新作を書くことです。いつまでも昔の作品に縋りつくのは戦う姿勢ではありませんから…でも、まだできることが残っていると知っていて、それを放棄することもまた、敵前逃亡なのかな、と思います。
改稿して良いものになるとは限りません。前の方がよかった、となる可能性が高いです。
しかしここは、私の作家としての第一信条「二つの選択肢がある時は、より難しい方を行け」を貫こうと思います。
勝手に、背中を押された気持ちになりました。
厳しくも温かいコメントを、ありがとうございました。
雷くんが遅れて登場していたという事で納得しました。第四章単体で眺めた時に、そのクォリティが抜きん出ていた印象があったんですよね。なるほどなるほど。
第六章と第七章があったのですね。こうなると第五章で完結させた状態のアンバランス感も納得です。
こちらの作品、まだまだ奥が深そうですな☆
作者からの返信
愛宕さん
コメントありがとうございます!
第四章のクオリティが抜きんでていたと仰っていただけて光栄です。
あの章は一番口語体にこだわった章でして、見方によっては稚拙と捉えられてもやむをえないと思っておりました。
第五章の終わり方がアンバランスなのは尺の問題が非常に大きく、構成をミスったかなあと今でも少し後悔しております。
星評価までいただき、本当にありがとうございました。