耽美散文詩

鍋蓋山めふさん

月は振り返らざりけり。届かぬものの下にて。





「貝殻のように光るあの月を目指せたら、俺はどんなに幸せだろう」


彼は微弱に微笑みました。

汗ひとつ滴らず、決して怒らず。

ただ、夜という名の海に沈む貝殻を

淡く遠く眺めていらっしゃいました。


お月様は彼の言葉にピクリとも動かず、

窓辺にしっとりと佇んでおりました。

私も、その事になんの怒りも抱きません。

何故ならば、彼がやけに遠い目をしていたので

その目を眺める事に夢中だったのでした。

ですので、私は怒りに顔を赤らめるのではなく、

彼の美しき貌に頬を染めました。


「どうしたって人は無力なんだね。この広い空の下では、人なんかちっぽけな花にも劣る。人は、そんなに美しくはない。」


彼は言った。

彼は決して世界を見下してなど居なかった。

むしろ、世界を愛そうともがいていた。


ただ、それは、慈悲深い人間が最後に辿り着く諦めの形なのだと、

私は思った。


花は美しい。

だが、自分が美しい事を知らぬ。

人は違う。

耽美なほどに、自らを知ろうとしてしまう。

彼がそう言う時、その様に、私は酷く人間らしくなってしまう。

胸を打たれ、どうしようもなく、

目を離せなくなる。

その、ちっぽけで不格好なものを、私は静かに愛してしまったのだ。


彼を否定するのかい。

いいえ。滅相もございません。

私は、空を見上げることが出来るので。

そのどこまでも広がる空のように寛容に澄んだ心で、彼を愛そう。


彼の淡い黒髪が夜風に晒され、

ゆらゆらと揺蕩う白霧の様に流れているのに、私は見蕩れていました。

まるで星でも見ているかの如く

私は彼に触れたいと思った。

届くのなら、私は、彼の揺蕩う黒髪を天の川にしたい。

ですが、彼が言うように星は遠く遠く、果てしがないのです。


ですから、私が彼を愛す事は叶わない。

道に迷った子供に

月が自ら手を差し伸べることが無いように。

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耽美散文詩 鍋蓋山めふさん @ricotaros

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