ストライク!
こちょうらん
第1話
「あの雲うんこみたいだな」
僕は突然何を言ってるんだ、と雲川龍彦は思った。
彼女とのデート中、散歩のコースで彼女がクレープを欲しがった。龍彦はクレープを好まない。彼女はすでにキッチンカーまで足を伸ばしていた。
自販機で微糖のコーヒーを買い、近くのベンチに腰を掛けた。安物はやはりドブの味がすると思いながら空を仰ぎ、冒頭に戻るのである。
しばらくすると、彼女である市川愛華が戻ってきた。数日前にプロポーズをして、晴れてふたりは家族になる目処がついたのである。父も老後を迎えて年金ぐらしだけどそれでもいいか、というクソダサいプロポーズに、愛華は泣いて喜んだ。
黒く長い髪を靡かせた愛華はチョコバナナクレープを大事そうに持ちながら、「龍彦!」と彼めがけて歩いてきた。
彼女は龍彦の隣に座り、クレープを一口かじった。大きな口で頬張る愛華を盗み見て、可愛いなと微笑んだ。彼女は少し天然で、よく笑いよく泣く、天真爛漫な女の子であった。愛華を眺めていればドブ味のコーヒーもバリスタが淹れた深みのあるコーヒーだな、このコーヒーはブルーマウンテンだろうか、と思いながら啜っていると、愛華が口を開いた。
「あのね龍彦。私あなたにずっと隠してたことあるの」
「え?なに?」
「私ね、昔万引きしてたの」
「は?」
ドブ味のコーヒーが口から垂れ流れた。ドブ味はドブ味のままだった。彼の白いズボンには茶色いシミができて、漏らしたようになってしまい最悪な状況である。しかしそれに気づくことができないほど、愛華の告白は衝撃的だった。
「は?え?万引き?」
「うん。捕まったこともあるわ」
「前科持ち!?」
「でもいいよね?」
「あ、うん」
彼女の顔が好きだった。ぱっちりした二重にちょっと低めの鼻、顎はほっそりしているのに笑うとふくりとあがる頬が龍彦のストライクゾーンまっしぐら。ストライク!バッターアウト。そんな顔に微笑まれては前科など大したものではない。むしろ大切なのは今なのだ。更生しているならそれでいいじゃないか。
「良かった!あなたならそう言ってくれると思ったの。私の顔好きだもんね」
この無垢な微笑みを浮かべる愛華が、万引きの常習犯なんて信じられなかった。どうしてそんなことをしたのか、龍彦には理解できない。聞き方もわからなくなっていた。さらっと龍彦を舐めた口を聞いているが龍彦は彼女に見惚れて気づいていなかった。
「あのさ、何盗んでたの?どこで?」
質問してから気づいた。おれが聞きたいのはそんなことじゃないだろ、と思っていたが口から出た言葉は消すことはできない。愛華はクレープをかじりながら、うーんと少し悩んだ。愛華はあっけらかんとしていて、龍彦は少しドキドキしていた。恋なのか返答が怖いのか分からなかった。
「ポテチとかおにぎりとか」
「生活に困ってたの?」
「ううん、全然」
そりゃそうだ。彼女はそこそこのお金持ちだった。なおさら疑問が深まる。なぜそんなことをしたのか検討もつかなかった。龍彦の頭の中に浮かぶ疑問に気づきもせず、愛華はにこにこと笑っていた。やはりかわいい。
「じゃあどうして」
「そこのお店の店長が好きだったの!」
「は?」
店長?
「コンビニとかスーパーとかだと裏にいるけどさ、問題あると出てきてくれるじゃない?店長とお話したくて」
「ちょっと何言ってるかわからない」
彼女の表情は純粋そうで、まるでクラスで誰が好きか話してるような表情だった。たしかに好きな人の話ではあるが、ベクトルが明らかにおかしい。わけがわからず空を見上げると、カラスがうんこを落としてきた。ドブ色と化していたズボンに白いシミ。
げんなりと愛華を見ると、大変ね、とレースのハンカチでシミを拭った。その優しさが妙に沁みてしまい涙が溢れそうになるが、原因は彼女にある。
「でもね、店長さん、お仕事辞めちゃったんだ」
「え、そうなの?」
「だから万引きを辞めて、彼を探すことにしたの」
背中が凍りつく。脳裏に父の顔が浮かんだ。
遥か昔。父はある店の店長をしていた。なんでも万引きを繰り返す学生が居て、どうにもできずにストレスで10円ハゲができてしまい、仕事ごと辞めたと。
まさか、まさかである。
「やっとみつけた!」
「……愛華、それって」
付き合っていた数年間の中で、一番の笑顔だった。この笑顔で戦争は終わるし世界は平和になるし、きっと温暖化も食い止められる。そんな大好きな彼女から、あり得ない言葉を聞くことになるのだ。
「あなたのお父様なのよ!」
ストライク!バッターアウト!
ストライク! こちょうらん @kochoran
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