太宰、ジェンガ、ミクトラン

坂本懶惰/サカモトランダ

太宰、ジェンガ、ミクトラン(完結済み)

 私だけ、生き残ってしまった。

 あの日、心中に失敗してから、私は太宰になるしかなくなった。そのために、これから少なくともあと2人を殺さねばならないと思うと、気管支の辺りがぎゅっと詰まるようで、途方もなく感じる。

 

 それに比べれば、この鬱屈した感情を書き殴るのはよほど容易いことに思えた。もとより、うつけじみた話を空想してはそれを写すことしか能がないのだ、やることは変わらない。それは今も金にならない。世に遍く数多いるアマチュア、あるいは甘ちゃんと呼ばれる種族に該当する。

 食っていくことができていないので、貧して鈍する日々である。必然栄養は失調し、精神が不安定になってはあらゆる衝動によって、多方面から人生をジェンガのように抜き取っている。今や私の人生は、すかすか、かつ、ぐらぐら、である。

 54本で1組のジェンガセットのうち、3分の1の18本は、睡眠である。人によってはもう少し多いかもしれないし、少ないかもしれない。6本くらいは食事と移動で、12本くらいは学業だった。では残りの18本を何かに使えるかと言うと、そうでもない。ジェンガは、元の塔の高さを、終わる時まで残すことになるゲームである。生来の矜恃を保ちながら生きることが、暗黙の律となっている世界だ。私の矜持とさえ呼べない傲慢さは確かに人並みであったし、むしろ人よりも高いのやもしれない。だから、自由に使える本数は、きっと他人よりも少ない。そうでもなければ、この破滅的な現在に対して、どうにも説明のつけようがない。

 何も求めずに生きていられたなら、どれだけ楽だろうか。

 かつては整ったジェンガの塔、身の詰まった旬の蟹のようであったその人生設計から、身を切り詰めるように無秩序にいろいろを抜いていく。無秩序、けれど、順番に、順番に。貯金、友人、現代を象徴するような万能サブスクリプション、毎日の朝食、親知らず、など。親知らずに関しては、抜くべくして抜いたのだろう、しょうもない駄洒落だ。この世界に報いることを知らない恩知らずの顎に生えてしまった親知らずは、保険適用の中で、無事に摘出された。それは、恩知らずに持ち帰られることなく歯科に引き取られ、不明な手段で廃棄された。そうして削った尊厳のスケルトンとして、この燃え滓の肉体と不安定な魂が残っている。

 とはいえ、自棄になって崩してしまってはゲームが終わってしまう。なんとかして次の一片を掠め取ろうと苦心していたところだ。生に何を期待するでもないが、何も今日死ぬ必要はないじゃないか、と言い聞かせてきた。ジェンガならいちばん上のものを取ってしまうのが簡単だが、それはルール違反であり、人間世界で言うところの死罪に相当する。

 段々とすべてが嫌になっていく。

 

 ああもう知ったことか、崩してしまおう。

 と、その大罪を背負う覚悟の末に大きく振りかぶったら、肘が当たって、別の人のジェンガの塔をぶち壊してしまった。

 やってしまった。

 と思った。それがバベルの塔であれば、たかが言語の散逸で済んだのだが、今回のは人間だったので、あの子はあっさりと死んでしまった。

 そして今、私は残った私のジェンガを眺め、またはその頂上から世界を見下ろして、見上げて、あるいは逆さ吊りにされたまま北風に揺られて、終わることのない眩暈に身を任せている。覆水が盆に帰らないことを、少し実感した。

 

 実感したけれど、その感覚も長くは続かなかった。心中の失敗から2週間もすれば、私の心はまた憂鬱で塗り潰された日常に溶けていた。灰色である。けれど前より、少し黒くなった。

 大きく溜息をついて、煙を吸い込む。白檀の香り。煙草はやめた。線香は煙草よりも安い。それすらも身に余る贅沢だ。喪に服する毎日が、無造作に油分を募らせた髪に、その清浄な薫香を染み込ませる。それでも、放っておいても即身仏にはなれないだろう。しかし、私の死体に虫が湧くのであれば、それはある種の再生の象徴とも取れるのではないか。都合のいい解釈だ、と、そこで思考をやめた。

 

 この部屋は、2週間で随分と様相が変わった。積み上げられた空のカップ麺の容器は、部屋の隅へと追いやった。でも捨てていない。洗濯物や他の様々も、堆く積まれていたところを、より安定した低姿勢へと崩して、やはり部屋の隅へと押し付けた。この部屋の中心の座椅子あたりだけ見たならば、ほら綺麗な部屋でしょう、とニヤつく、憎むべきセールスマンを幻視するこトとが可能である。そういう居心地の悪さが累加された。

 部屋は変わった。けれど、本質は変わらない。変わっていない。香りがついても髪型は変わらない。髪型を変えても目付きは変わらない。目付きを整形しても、表情の癖は変わらない。そして表情、はたして表情を変えることなどできるのだろうか。

 同様に、怠惰も傲慢も憂鬱も、あらゆる生来の悪しき性格は、着飾って隠しても、いずれ必ずガタがくる。嘘もつき通せば真理であるが、嘘をつき通すことさえ、私は貫けなかった。無理です、無理です、すぐに整合性が取れなくなります。そんなに柔軟な魂ではないんです。それでも不自由な嘘をつく。そりゃ、柔軟なら嘘も自在につけましょうが、本当に柔軟であれば、そもそも嘘をつかずとも生きていけるのでしょう。機に臨んで応えて変わる、など夢のまた夢、そのまた夢の夢、数えるのも馬鹿らしくなるほど俯瞰に俯瞰を重ねる必要がある。

 そうして、視界の端で棚引く煙は細く、細くなっていき、ついに線香は燃え尽きた。この部屋の酸素をすべて奪い尽くしてくれればよかったのに、あるいは溜まったゴミ袋に引火して、キャンプファイヤーのように燃え盛り、マイムマイムが流れ出して、そのまま人生がお開きになってしまえばよかったのに。

 今日も夜が更けていく。あの日からずっと、絶え間なく焚き続けたので、もう一箱が終わってしまった。次の一箱を買ってくる気力は、もうない。

 きっと、この香立の底には、灰が溜まっている。護摩行の失敗、燃え残った煩悩のように煤が残る。それは堆積した偽の遺灰。そしてあまりにも簡素な、やはり偽の骨壷。命を燃焼に喩えるのは、確かに理に適っているのだろう。灰が残る、それもそうだ。灰しか残らない、それもそうだ。

 

 でも、実際には、その空席に灰が残ればいいほうだ。名も無き死者たちの遺灰は、歴史の風によって吹き溜まりへと飛ばされていく。

 そこが、「忘却」という場所である。

 私はそう呼んでいる。忘却、あるいは、忘却したということさえも忘却した、自己矛盾じみたよくわからないところ。冥府の代名詞の最新版。私も、いずれそこへ行き着くだろう。

 そういえばあの子は、言っていた。

「天国でも地獄でも、浄土でも辺獄でも、あるいはヴァルハラ、ハデス、ミクトランであろうとも、先生の行くところへと、あたしも行きたいのです」

 なんて。

 ははは、そりゃないな、と思う。

 私たちは、どこへも行けないだろう。

 そんな、旅に出るみたいな期待を背負っちゃいけないな。私たちは、何に導かれることもないだろう。

 二十何年も生きてきて一度も出会わなかったというのに、今更私たちのもとへと天使が遣わされるはずもない。同様に、悪魔が手を引いて地獄へとエスコートしてくれるかといえば、それもなんとも奇妙な絵面である。

 生前はマニ車を回すこともなかったし、都合のいい時にだけは神様を本気で信じていた。そしてもちろん、戦士としての栄誉も、六文銭も持ち合わせていない。対岸すら見えないステュクスの、その水平線の向こうを目指す船、船頭であるカロンはきっとちょっとだけ苦笑いをして、錨を上げる。私たちは、目の前でその船出に手を振ることになるだろう。オボロスなんて持っていない。日本円でいくらくらいするかも知らない。一体どこで両替すればよかったのだ。

 そしてミクトラン。ミクトラン? ああ、ミクトランのことはよく知らない。どこにあるのかさえも、見当もつかない。名前の響きからして、アステカの地下深くにある死者の国なのではないだろうか。ないだろうか、と聞いたら、あの子はなんて答えるのだろうか。きっとあの子は、その答えを知っている。

 

 つまり、死によって現世から追い出されたその先に、あらゆる行き着くべき場所からたらい回しにされるのがオチだろう、と私は踏んでいる。

 私の約束の地は存在しない。もちろん、なんの約束もしなかった私が悪い。どの家を尋ねることもなく、ネクロなポリスを練り歩く。気が遠くなるほどそれを繰り返し、どのドアを叩くこともない。

 

 そんな思考が、逆説的に魂の永遠不滅の可能性を指し示すかのようで、やはり失笑してしまう。

 失笑してから、もう、別に、ひとりなのだから、堪える必要もないな、と思い至り、大きく声に出して笑う。ははははは。隣室の住人が苛立ち紛れに薄い壁を叩く。

 これだけやっても、笑うことを、世界は、私に、未だに禁じようとしない! なんとも、あほらしい。これだけすべてを失ったような気になっても、まだまだ失えるものが残っているのだ。

 

 そうして私は、まず、笑うことを捨てた。

 間違った道筋でアパテイアへと迫る。その道はやはり、どこかで忘却の円環へと合流している。

 そして、笑うことを捨てたということを忘れる。

 また笑う。

 ああ、生ける精神のなんと強靭なことか。やっぱり私は太宰にはなれないようだ。弱さを演じ通すことが出来るほど強くなく、また、そんなに弱くもない。

 

 なんだ、太宰にはなれないじゃないか。

 なら、もう誰とも心中しなくていい。してもいいけど、しないだろう。小説も、書いても書かなくてもいい。けど、書き続けるだろう。

 そして、ああ太宰、何より、太宰は未だ忘れ去られていない。まだ忘却という流刑地へと流されている途中なのだ。私が太宰の名前を呼ぶ度に、流刑地はぬるりと太宰の船から遠ざかる。私は否応なくその島へと先回りすることになるだろう。彼が忘れられゆくその航路を辿ることなど、彼以外の誰にもできないのだ。

 あ、私も死を旅に喩えていやがる、と気付く。また笑う。こうして遺書もどきを書いているうちに、また笑えるだけの元気が湧いてくる。それはすべてが笑うことへの燃料として使われるので、結局人生は改善しない。けれど、それでいいのかもしれない。「それではよくないのかもしれない」、と考えることには、もっと多くの燃料がいるので、必然的にこれを受け入れることになる。受け入れることを受け入れるしかない。そのことを受け入れる。

 私もやがて灰になる。そして吹かれて散らばる。それでいい、それを受け入れるしかない。


 太宰が下道で忘却へと連行されていくのを尻目に、私は泥酔しながら高速道路を飛ばして先回りする。忘れ去られるということに関しては、太宰よりも私の方が、明確に上手だ。私は既にそれを、八割方成し遂げている。

 太宰には、今後数百年は、そんなことはできないだろう!

 なるほど、然らばこれは確かに私の人生だ。

 ほんの少しだけあの子が介入した、私の人生だ。そのせいで、こんな泥濘む畦道を、パンクした軋む自転車で走っている。それこそが、祝福だった。

 その祝福、あなたがくれた最後の祝福、それを受け入れよう。喜んで受け入れよう。

 私はまだ生きている。どうにも、生き続けるしかないようだ。

 気付けば日は昇り、それは世間一般で言うところの元旦であった。窓を勢いよく開ける。雲間から曙光が放射状に伸びる。じっと待つ、するとやがて熔鉄のごとき日輪が姿を現し、私はその眩さに目を瞑った。それでも、瞼の裏が赤く染っている。この身体に血が通っていることを、思い出させる。

 ああ、ミクトラン、あなたが行ったかもしれない場所。今度ちゃんと調べてみようと思う。

 いつか、答え合わせをしよう。どうか気長に待っていてほしい。

 

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太宰、ジェンガ、ミクトラン 坂本懶惰/サカモトランダ @SakamotoRanda

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