困った。非常に困った。
わたしはまた、この物語を読みに項を開いてしまった。
昨日、今日、そして明日も──。
もしかしたらわたしは、月を眺めているかもしれない。
──月とは。
いつの時代に於いても、人間の理性を狂わせる。
狂気を孕む其は、かの騎士でさえ狂わせた。
それだというのに、わたしたちがその狂気に抗えると言うのだろうか?
わたしたちの心は狂気に、恐怖に。言葉にできない暗澹たりて惨憺たる闇がりに怯えるはずだったんだ。
だがどうだろう。
あぁ、困った。
わたしたちは斯くして恍惚とし、其惚れてしまったではないか。
あぁ──困ったなぁ。
わたしたちにはもう、其が隣にいるようだ。
さて、君も……わたしたちの隣に座ってみてはいかがかな──?
隣室から響くドビュッシーの『月の光』。それは聞く人の心ひとつで、いかようにも表情を変える。それは月の裏側と表側のように、あるいは歴史が歩んできた月の解釈のように多様に、様々に移ろっていく。
はじめ関心から始まった物語が、やがて怒りへ、そして慰めへ、最後には愛へと移ろっていく過程は、あまりにも端的に、しかし詩的で情感豊かに描かれていく。
この物語は、私達が月を見て、それを知り、感じることによって、表情を変える月の光を、視覚ではなく聴覚で表している点に、面白みがある。
奇妙で、不気味でありながら、不思議と安らぎを感じる愛情の物語を、是非紐解いてみてはいかがだろうか。