第8話 孤独な逃走、そして起動《ブート》

目覚めは最悪だった。  カーテンの隙間から差し込む朝日は美しいのに、俺の胃袋は緊張で裏返りそうだった。


「……おはよう、リク」


 俺はベッドの上で体を起こし、脳内の相棒に呼びかけた。  昨日の夜、あんなに頼もしいことを言ってくれた彼なら、きっと「大丈夫だよ」と励ましてくれるはずだ。


「…………」


 返事がない。


「おい、リク? まだ寝てるのか?」


 何度呼びかけても、脳内は静まり返っていた。  まるで、最初からリクなんて存在しなかったかのような静寂。


(嘘だろ……なんでだよ。こんな一番大事な時に)


 不安が津波のように押し寄せる。  リクがいない俺は、ただの運動音痴で臆病な高校生だ。そんな俺一人で、あの化け物みたいな教師たちのテストを受けろって言うのか?


 コン、コン。  ドアがノックされた。


「起きなさい、七夕くん。時間よ」


 スカーレットの声だ。  俺は震える手で顔を叩き、無理やり気合を入れた。  やるしかない。リクが起きるまで、俺一人でも生き延びなきゃならないんだ。


 ***


 第13演習場は、巨大なドーム状の施設だった。  観客席はなく、ただ広大なコンクリートのフィールドが広がっている。壁面には無数の傷跡や焦げ跡があり、ここが幾多の戦闘訓練に使われてきたことを物語っていた。


 俺はその中央に、ぽつんと立たされていた。


 遥か頭上、ガラス張りの管制室から、二つの影が見下ろしている。  副学園長ヒルダと、学園長ヴォイドだ。彼らはまるで実験動物を観察するように、冷ややかな視線を送ってくる。


「――テストを開始する」


 スピーカーから、ヒルダの無機質な声が響いた。


「ルールは単純だ。これから投入される『模擬バグ』を殲滅、あるいは10分間生存すること。……まあ、君のような一般人には1分も持たないだろうが」


 フィールドの床が開き、武器がせり上がってきた。  そこに置かれていたのは、一丁の拳銃だった。  黒く重厚なデザイン。SF映画に出てくるようなエネルギー銃だ。


「標準装備の魔導ハンドガンだ。使い方はトリガーを引くだけ。……さあ、拾え」


 俺は震える手で銃を掴んだ。  ずしりと重い。握り方も構え方もわからない。ただ、これだけが俺の命綱だ。


「では、始める。……排除プロセス、開始」


 ブォンッ!  重低音と共に、フィールドの反対側のゲートが開いた。


 現れたのは、3体の機械人形だった。  人型をしているが、腕がチェーンソーやガトリングガンになっており、頭部には赤い単眼が輝いている。  『模擬』バグ?  冗談じゃない。あんなの、殺戮マシーンそのものじゃないか!


『ガガガ……標的ターゲット、確認』


 機械音声と共に、3体が猛スピードで突っ込んできた。  速い!  俺は考えるよりも先に、背中を向けて走り出していた。


「う、うわあああああっ!!」


 無様でもいい、逃げるんだ!  背後でコンクリートが砕ける音がした。ガトリングガンの銃弾が、俺のかかとを掠めていく。


「ひっ……!」


 俺は泥臭く転がりながら、遮蔽物のコンテナの陰に滑り込んだ。  心臓が破裂しそうだ。  リク! おいリク、起きてくれよ! 死ぬぞ、本当に死ぬぞ!


 シーン……。  脳内は沈黙したままだ。


『ガガッ!』


 遮蔽物の上から、チェーンソーの刃が突き刺さってきた。  目の前数センチ。火花が散り、熱風が顔を焼く。


「くそっ、くそっ!」


 俺はめちゃくちゃに銃を突き出し、トリガーを引いた。  ドォン!  反動で手首が折れそうになる。青い光弾が発射されたが、狙いはデタラメで、天井に当たって虚しく消えた。


「当たらない……!」


 素人が動く標的に当てるなんて無理なんだ。  俺は這いつくばって逃げた。  コンクリートの床で膝を擦りむき、服は破れ、全身埃まみれになりながら。


 管制室では、ヒルダが冷笑を浮かべているのが目に浮かぶ。  『やはり無能だ』と。


 5分が経過した。  奇跡的にまだ生きているが、体力は限界だった。  肺が焼けるように熱い。足が鉛のように重い。  そして――


「あ……」


 俺は行き止まりに追い詰められた。  演習場の壁際。  振り返ると、3体の機械人形が扇状に展開し、退路を塞いでいた。


『標的、追い込み完了』 『殲滅モードへ移行』


 ガトリングガンの銃身が回転を始める。チェーンソーが高回転の音を上げる。  終わりだ。  逃げ場はない。弾もない。リクもいない。


「ごめん、三島さん……俺、ここまでみたいだ……」


 俺は銃を取り落とし、膝をついた。  走馬灯のように、昨日の教室の光景が蘇る。  悔しい。何もできずに、ただ逃げ回って、犬死にするのか。  バグから生き延びたんじゃない。ただ、死ぬのが一日伸びただけだったんだ。


 機械人形が一斉に飛びかかってくる。  死の感触が、肌を粟立たせる。


 その時だった。


『――お待たせ、ソウ』


 脳髄の奥から。  待ちわびた、あの大好きな相棒の声が響いた。


解析完了デコード・コンプリート。……ギリギリ間に合ったね』


 ドクンッ!!


 心臓が跳ねた。  いや、心臓じゃない。腹の中にある「シード」が、爆発的な熱量を持って脈動を開始したのだ。

『ソウ、右手を前に出して。イメージするんだ』


 リクの声は、今までになく冷静で、研ぎ澄まされていた。


『破壊じゃなくていい。ただ、あいつらの「場所」を変えるだけでいい』 (場所を変える……?) 『そう。座標の書き換え《ムーブ》。……今のソウならできる!』


 俺は突き動かされるように立ち上がり、目の前まで迫っていた機械人形に向かって右手を突き出した。  チェーンソーが、俺の鼻先数センチまで迫っている。


「どけぇぇぇぇッ!!」


 俺の絶叫と共に、腹の中の熱が右手に収束する。  視界が歪んだ。  世界が、0と1の座標軸グリッドに見える。  俺は、目の前の「敵」の座標を掴み、乱暴に放り投げた――イメージの中で。


 ヒュンッ。


 風を切る音すらしなかった。  俺の目の前にいたはずの機械人形が、唐突に「消えた」。


「……え?」


 次の瞬間。


 ズドォォォォォンッ!!!!!


 凄まじい轟音が背後から響いた。  俺が慌てて振り返ると、遥か後方――演習場の反対側のコンクリート壁に、さっきまで目の前にいた機械人形が「めり込んで」いた。  まるで、巨人の手で叩きつけられたかのように、鉄屑となって火花を散らしている。


「移動……したのか? 一瞬で?」


 俺は自分の右手を見つめた。  破壊したんじゃない。あいつを、あそこまで「飛ばした」んだ。


『――システム、座標変動を確認』


 スピーカーから流れる、ヒルダ副学園長の動揺した声。  そして、まだ残っている2体の機械人形が、状況を理解できずに動きを止めている。


 俺はゆっくりと顔を上げた。  恐怖は消えていた。  代わりに湧き上がってきたのは、この万能感への震えと、逆転への確信。


「……リク。これなら、勝てる」 『うん。やっちゃおう、ソウ。この試験、僕たちのクリアだ』


 俺は再び右手を構えた。  今度は、残り2体を同時に捉える。


 ここからが、俺たちの本当の反撃だ。

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World : Layer / EATER 角煮カイザー小屋 @gamakoyarima

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