第56話:心を映す結晶の下で


 天井から逆さに突き出す黒い結晶は、まるで世界の理を嘲笑うかのように、冷たく鈍く光を反射していた。その漆黒の表面には、覗き込んだ者の心の奥底が映し出されるという。過去の過ち、胸の奥に秘めた欲望、忘れ去ったはずの罪——それらが容赦なく暴かれ、現実のように浮かび上がる。結晶に映る己の影に耐えきれず、正気を失った者も少なくないという。


 ミリアリアの姿を見て、誰もが伝承の真実を悟ったに違いない。


「……心配かけたな」


 その声はいつものように威厳を帯びていたが、どこか照れを含んでいた。ミリアリアは海賊帽の影から蒼い瞳を伏せ、白い頬にわずかな紅を差す。彼女がそんな風に感情を覗かせるのは珍しく、だからこそ、私は胸の奥に溜まっていた不安がふっと和らぐのを感じた。


「よ、良かったです……ミリアリアさんが倒れていた時は、び、びっくりしました……」


 アニーが震える声で言葉を紡ぐ。前髪の陰に隠れたその瞳は、心底安堵しているように潤んでいた。彼女の小さな手が胸元でぎゅっと握られているのが見える。


「一時はどうなることかと思いました」


 ケビンが静かに呟く。彼の声には不安と安堵が入り混じっていたが、その眼差しには確かな勇気が宿っていた。彼は自分の無力さを噛みしめながらも、仲間を想う気持ちを隠さなかった。


「へっ、いつもの姉御ォだなァ」


 オーグが豪快に笑いながらも、どこか安堵の色を滲ませて言った。その赤銅色の肌に浮かぶ汗は、戦いの熱気だけではない。仲間を失う恐怖を、彼なりに押し殺していたのだ。


 ミリアリアはゆっくりと立ち上がり、海賊服の裾を払うと、静かに周囲を見渡した。蒼い瞳が鋭く光を捉え、彼女の中に再び芯の強さが戻ってきたのが分かる。


「……もう、かなり進んだようだな」


 その言葉に、皆が自然と視線を南へ向けた。そこには、まるで世界の終わりを示すかのように、漆黒の壁が地平線を覆っていた。第1層と第2層の境界——あの絶望と恐怖の地を越えてきた証が、確かにそこにあった。


 そして、ミリアリアは北を見やる。彼女の視線の先には、さらに巨大な黒い壁が立ちはだかっていた。世界をも覆い隠すようにも見えるその壁は見る者に無言の圧力を与える。


「第3層はもうすぐか」


 その言葉には、覚悟と決意、そしてほんのわずかな不安が滲んでいた。


「そうね」


 メグーが短く頷く。銀の髪が静かに揺れ、無表情の中に微かな感情の波が見えた。彼女の瞳は、すでにその先を見据えている。冷静でありながら、確かに仲間を想う心がそこにあった。


 黒い結晶の下、彼らは再び歩みを進める。己の心と向き合い、なおも前へ進むその姿は、まるで闇を裂く光のように、静かに、しかし確かに輝いていた。


 黒々とした岩肌の壁が、まるで世界の終わりを告げるかのように彼らの前に立ちはだかっていた。その壁の中心に、ぽっかりと空いた巨大な穴が口を開けている。底の見えないその闇は、まるで地の底へと続く奈落のようで、見下ろすだけで吸い込まれそうな錯覚を覚える。


 穴の内壁には、螺旋状の細い道が刻まれており、それがぐるぐると下方へと続いていた。風が下から吹き上げ、冷たい空気が肌を撫でる。アニーは思わず身をすくめ、前髪の奥で目を細めた。


「ゆくぞ」


 ミリアリアの声は、静寂を切り裂くように凛としていた。海賊帽の下から金色の髪が風に揺れ、蒼い瞳が闇の奥を見据えている。その背中には、誰もが自然と従いたくなる威厳があった。


 彼女の後に、アニーはおずおずと足を踏み出す。その後ろに、無表情ながらも足取りの確かなメグー、緊張で肩をすくめながらも一歩一歩を踏みしめるケビン、そして最後尾には、赤い肌をした巨体のオーグがどっしりと続いた。


「チンチクリン、アンポンタン、足を滑らせるんじゃねェぞ」


 オーグの怒鳴るような声が響く。アニーはびくりと肩を跳ねさせながらも、小さく「はい!」と答えた。ケビンも慌てて「わ、わかりました」と声を上ずらせる。


「ふ、オーグもいつの間にか兄貴分だな」


 ミリアリアは振り返り、ふっと微笑んだ。その笑みは、どこか懐かしさを帯びていて、彼女の過去を垣間見せるようだった。


 その様子を見ていたメグーが、首を傾げながら問いかける。


「ね、ミリアリアは、オーグとの付き合いは長いのかしら?」


 その問いに、ミリアリアは少し目を細め、口元に笑みを浮かべた。


「ほう。メグー、お主が我に関心を持つとは、珍しいこともあるものだな」


 メグーはすぐにぷいっと顔を背けたが、その頬がわずかに赤らんでいるのをアニーは見逃さなかった。


「すまん。つい、茶化してみたくなったのだ。我とオーグは…そうだな、長い付き合いになる」

「最初は、フェイさんとミリアリアさんで旅をしていたんですか?」


 ケビンが恐る恐る尋ねると、ミリアリアは一瞬、遠い記憶を探るように目を伏せた。


「いや…最初は…私とフェイ、それに…従者が1人おってな」

「従者?」


 アニーが小さく首を傾げる。前髪の奥から覗く瞳には、純粋な好奇心が宿っていた。


 ミリアリアは一瞬、言葉を詰まらせた。自身がかつて王族であったことを、まだ誰にも話していないことを思い出す。今ここで打ち明けるには、あまりにも唐突すぎる。彼女は一呼吸置いて、言葉を濁した。


「あ…ああ、まぁ、傭兵みたいなものだな」

「そうなんですね」


 それ以上は深く聞かず、アニーはそっと頷いた。


「傭兵を雇って旅していたんですか?」

「…ああ、あれはまだ…我らがメグーぐらいの歳の頃だ」

「そんな…幼い頃から?」


 ケビンの声には驚きと尊敬が入り混じっていた。自分がようやく旅に出たばかりなのに、彼らはそんな昔から戦いの中にいたのかと、胸の奥がざわつく。


「おう、俺がァ、フェイのアニキに助けてもらったのも、そんぐらいの時だったなァ」


 オーグが懐かしむように笑う。その顔には、いつもの荒々しさとは違う、どこか柔らかな表情が浮かんでいた。

 彼はよくフェイに助けてもらった時のことを自慢げに話すため、彼がミリアリア達の仲間になった経緯をアニー達は知っていた。


「ああ、我ら3人に、続けてオーグが仲間になった。そして…」


 ミリアリアの声がふと途切れる。彼女の瞳が、過去のどこか遠くを見つめていた。


「ミリアリアさん?」


 アニーがそっと声をかける。


「色々とあってな、我の姉と妹が加わって、6人で世界中を旅したものだ」


 その言葉には、懐かしさと、ほんの少しの哀しみが滲んでいた。


「おう、懐かしいぜェ」


 オーグが低く呟く。彼の声にも、かつての絆を思い出すような温もりがあった。

 しかし、メグーだけは何か思う所を隠すような表情を見せていた――。

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2026年1月22日 10:00
2026年1月23日 10:00
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剣と魔法、魔王と勇者、神と星、銀の少女と料理のファンタジー @tototete

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