ソラの話 —正しさのこと—

りび

第1話

「ガキかお前。」


呆れたストナが鋭くそう言い放った。


「あはは…。」


ヒバナも愛想笑いしていた。


「な…なんだよ。」


俺は子供じみたことなんてしてない。むしろ、その反対のつもりだ。

でも、いつもなら何かしらフォローを入れてくれるヒバナですら、今回は愛想笑いだ。


「うーん。ボクもちょっと、さっきのソラのことは擁護できないかもなぁ。」


ヒバナがそう言うなら、きっとそうなんだろう。

しかし、一体俺が何を言ったっていうんだ…?


「…理解らねェって顔してんな。なんたって、いつでもテメーはテメーが正しいからな。」


ストナの言葉はいちいちシャクに触る。

だが、言い返せない。

確かに、今回のことを俺はわかっていない。

ただ、俺が何をしたのかをコイツに聞くのは、それこそシャクだ。そもそも、コイツに聞いたところでバカにされて終わりだ。


「なあ、ヒバナ。教えてくれ。俺は何か間違ってたか…?」


ヒバナは少し悩んだ後、こう言った。


「うーん。今回のことは、ソラ。ソラが自分で気付くべきだと、ボクはそう思う、かな。」


救いが無い。


「そんなこと言わずに教えてくれ。俺は何も間違ったことを言ったつもりはないんだ。」


ヒバナは少し困った様子だった。

何を困ることがある?

何が問題だったのかわかってる口ぶりなんだ。困ることもないだろうに。


「そうだねぇ。…じゃあ、ひとつだけヒント。確かにソラは、間違ったことは言ってなかったね。」


何のヒントにもならない。俺は間違ってないと主張してて、ヒバナは俺が間違ってないと言う。


「なら、何が問題なんだ?」


「そこからは自分で考えてみてよ。」


むう、と鳴いて、あごに手を置いて俺は自室に戻った。




月明かりがカーテンの隙間から溢れている。

俺はベッドに寝そべり、しばらく昨日のことを考えていた。

…しかし、思考がモヤモヤして集中できない。


「…ダメだ。…少し外の空気でも吸ってくるか。」


起き上がり、頭を掻きながら扉に向い、ノブをひねって押し開けた。

後ろ手に扉を閉め、ランドの店側の玄関へ向かおうとした。

しかし、そこで足を止めた。


「…いや。こっちはやめておくか…。」


ランドの玄関に向かうには、1階の共有スペースを通らなければならない。

そして、そこにはいつも誰かしらいる。


「…万が一、アイツとでくわしたら気まずいしな…。」


昨日の出来事が廊下の暗がりにちらつく。

頭を振ってからため息をついた。

それから、体の向きをくるりと改め、2階に外付けされた階段につながる裏口を目指した。

しかし…。


「げ…。」


思わずそう反応してしまった。

裏口の扉を開けると、外階段にアイツがいた。


「げって、何よ。…アンタ、なんのつもり…?」


サヤはそう言って睨みつけてきた。

昨日の昼間、問題が起きたとされるのは、コイツとのやりとりでのことだった。


「別に何でもない。外の空気を吸いにきただけだ。」


どうやらこの返しはまずかったらしい。


「じゃあ、アタシには何もないわけね。もういいわよ!」


そう怒鳴って、サヤは外階段を駆けるように降りて行った。


…サヤのあの様子を見ても、俺にはわからない。


「俺が何を言ったってんだよ…。」




外にも行けず、かと言って自室に戻る気にもなれなかった。

それで、温かいものでも飲もうと、もう夜遅いことを理由に誰も居ないことを願って、店のキッチンへ向かった。


しかし、その淡い期待は簡単に裏切られた。

店の中にストナが居た。…しかし、ソファで寝ている。

それで、ストナを起こさぬよう物音立てず静かにキッチンに向かい、ミルクを鍋にいれて火にかけた。

ミルクが温まるまでの暇を、店の窓から夜空を眺めて潰していた。


街中であるため、そこまでの数は見えないが、星がきらきらと瞬いていた。

それがふと、昨日のサヤのこぼれた涙の雫と重なって見えた。

不意に昨日の出来事を思い出して、複雑な気分になる。

考えを振り払うために、また頭を振った。


その時、揺れる視界のすみに動くものを見た。

そちらを見ると、店の前の通りを誰かが歩いてこちらへ向かってきていた。

…サヤだ。もう帰ってきたのか…。


この場を離れるか物陰にでも隠れたい。しかし、ミルクを火にかけている以上、それを放って離れるわけにもいかず、隠れたって鍋だけあるのは不自然で、あの「カン」の鋭いサヤならすぐに気付くだろう。

それで、サヤと再び鉢合わせて気まずい空気になることを、嫌々ながらも観念して受け入れた。


しかし、サヤは店の玄関ではなく、2階の裏口につながる外階段の方へ回って行った。

先ほど俺と会ったのは裏口だったが、それでもまた裏口から帰っていったのは、サヤの「カン」が働いたのだろう。

ほっと、ため息をつく。

こういう時、サヤの「カン」には度々助けられる。


…そう。今思えば昨日の出来事も、サヤの「カン」が論点だった。




サヤはいつも自分のカンを信じて行動する。

根拠も無いそんな感覚を認めたくはないが、確かにサヤのカンは当たる。

だが、俺はやはり、それをまかり通して良いとは思えない。

特にそれは、仕事や他者に関わる判断となれば、尚更だ。

——昨日、久々に探偵としての依頼がランドに持ち込まれた。

俺が依頼を聞き、その内容をみんなに説明した。

すると、真っ先にサヤは、その依頼を断った方がいい、と言った。

依頼の内容は今までやってきたような、よくある依頼と変わりない、普通のものだった。

しかし、サヤは何か引っかかるようで、根拠はないが、この依頼はやめるべきだと、そう強く自分の意見を推した。

俺はカンに頼りきった判断に納得がいかず、また、一度引き受けてしまった依頼を断るなど、ランドの信頼に響くと反論した。

そして、サヤと口論になった。

サヤは自分のカンを信じろと、ただその一点を主張し続けていた。

そんなワガママを許していたら、物事がうまく回らなくなる——


…そう思うと、むしろガキみたいなのはサヤの方だ。俺は真っ当なことしか言っていない。

ストナの言葉が思い起こされて、苦々しい感情が湧き戻ってきた。


「そうだろ…! なのに何で俺がガキ扱いされるんだよ!」


いつの間にか感情的になっており、心の中の声が口から漏れていた。


「まったく、テメーが正しいよ。」


突然後方からそう言われた。

振り向くと、いつの間にかストナがソファに座り直していた。

その言葉のニュアンスは明らかに俺をバカにしていた。

それで、俺の怒りはヒートアップした。


「だって、そうだろ?! 俺は何も間違ったことは言っていないハズだ!」


それに対して、鼻で笑って返された。


「ああ、そうだ。お前は間違っちゃいないさ。」


半笑いで、まるでふざけた態度。

言葉とその様子の相違も相まり、ついに怒りが爆発した。


「ストナお前っ! テキトウなこと言ってんじゃねえ! いい加減にしろっ!」


我を忘れて、時を忘れて、怒鳴っていた。

しかし、それに対してストナは冷めたように、静かに言葉を突きつけた。


「…そんなんだからガキだってんだよ。」


その時、俺の頭は真っ白になった。

そして、ストナの方へズカズカと威圧するように足早に向かい、その胸ぐらを掴み上げようとした。

…しかし、そこで胸ぐらを掴まれていたのは、俺の方だった。


「…テメーは昔から何も変りゃしねぇ。ちったぁ頭冷やせるように努力でもするんだな。」


ストナはそう言って、自身の方へ俺の顔を引き寄せた。

そして少しの間、息を荒げた俺と冷たい視線を向けたストナは、無言で睨み合っていた。


鍋のミルクは吹きこぼれて、じゅうじゅうと音を鳴らしていた。




突然、店の明かりが点灯した。

振り向くと、宿舎に繋がる廊下の暗がりから、ヒバナが目をこすりながら出てきた。


「こんな時間にケンカしないでよ、二人とも…。」


ヒバナはあくび混ざりにそう言った。


俺はストナの掴む手を振り払い、その場から少し離れて二人に背を向けた。


「昨日のこと…だよね? その様子だと、まだ解決してないみたいだね。」


ヒバナはそう言いながら、吹きこぼれたミルクに気付いてコンロの火を急いで止めに行く。

その様子に見向きもせず、俺は自分の答えを告げた。


「考え直したが、やはり俺は正しい。幼稚なのはサヤの方だ。サヤの根拠のない判断で依頼を断るなんて、クライアントになんて説明するんだ。」


それを受けてヒバナは、こぼれたミルクを布巾で拭いながら少し考えていた。

それからヒバナは口を開いた。


「…そうだね。ソラの言ってたことは真っ当だったよ。ソラは責任とか信頼とか、色々な影響を考えてたんだよね。」


ヒバナのその言葉を受けて、怒りが少し引いて行くのを感じた。


「…でも、擁護できないんだろ…? それはどういうことなんだ…?」


改めて、率直にそう聞いた。

ヒバナは鍋から残ったミルクをマグに注ぎつつ、こう言った。


「ソラの言ってることは、まったくその通りだったよ。」


肯定の言葉。

やはり、俺は間違ったことは言っていなかったようだ。

しかし、ヒバナは続けてこう言った。


「…でもさ。サヤ、泣いてたよね。」


そう言われて、また昨日の言い合いのシーンが脳裏をチラつく。

正論を言う俺に対して、張り合うように激しくサヤは自分の意見をぶつけてくる。

…その目元からは涙がこぼれ、頬を伝っていた。


「あれはワガママってやつだろ? 自分の意見が通らないことに対して怒って、それこそ子供じみてる。」


するとヒバナは笑いながら言った。


「そうだね。元々サヤは心の中のことを言葉にするのがニガテで、すぐカッとなって暴れるから、子供っぽいよね。」


その言葉に、先ほどまでのストナに対する自分の様子を思い出して、少しうつむいた。


「でもさ、それだけ一生懸命だったんだよね。なんとかして、わかって欲しかった。でも、うまく伝わらない。きっとすごく悔しかったんだろうね。」


ヒバナはシンクで鍋を流しながら、サヤの想いを汲んだ言葉を静かに語った。

そのおかげで、サヤの気持ちが少しわかった気がした。

サヤは、言葉にはしないが、とても仲間想いだ。それは態度からひしひしと伝わる。

だから、あの依頼を受けることにあれだけ反対したのも、みんなのことを思ってだったんだろう。

きっと、その想いは誠実だ。なんせ、あの見栄っ張りのサヤが、人前をはばからず涙を流して、訴えていたんだ。

…しかし。


「とは言え、感情論で物事をどうにかするのは間違ってる。俺はそんなこと許さないぞ。」


俺がそう言うと、またストナが鼻で笑った。

それからソファから立ち上がって背伸びをしては、あくびをしては、そのまま宿舎の方へ去っていった。

なんなんだアイツは。いつもいつも…。


俺の気が逸れていることに気づいて、ヒバナは、まあまあと言ってミルクの入ったマグ持ってこちらへ近づき、そして、意識を本題に引き戻す。


「その通りだと、ボクも思うよ。気持ちに揺さぶられてちゃ、責任は果たせない。だから——」


そして、こちらにマグを差し出しながら、ヒバナは言った。


「——冷静でいないといけないよね、ソラ。」


突然、話の中心がサヤから俺に変わった。

俺はマグを受け取った形のまま固まった。

俺が、冷静でない…?


そして再び、先ほどストナと言い争っていた時のことを思い出す。

そして、弁明を述べた。


「さっきのは違うんだ。ストナがおちょくってくるから、つい…。」


「違う。昨日のことだよ。」


ピシャリと、俺の情けない言い訳を払いのけ、ヒバナは訂正した。


昨日のこと、と言われて、俺は首を傾げた。

俺は昨日、冷静じゃなかったのか?


「思い返してみてよ。昨日のこと。」


そして、思い返した。


——サヤが言い分を激しくぶつけてくる。…張り合うように——


そこでハッとした。

そうだ。あの時俺も、サヤと同じように声を張り上げていた。

半ば、怒鳴りつけていた。


「…俺、冷静じゃなかったのか。」


今思えば、サヤが自分の気持ちをわかって欲しかったように、俺もまた、サヤをなんとか納得させようと、躍起になっていたような気がする。


ソファにストンと座り込み、ヒバナは言う。


「うん。昨日のソラ、正直、怖かったよ。」


怖かった。

淡々と伝えられたその言葉に、またも体が硬直した。


俺はあの時、感情的になっていた。

それは、周りで見ていたヒバナが怯える程だった。

——そうしたら、サヤはどうだったのだろう——


思考に囚われた俺を見て、ヒバナはミルクが冷めてしまうと、飲むように勧めた。




ミルクを飲んで、落ち着いた。

それで、ヒバナに尋ねた。


「…サヤは、どうだったと思う。その、感情的になった俺を前にして。」


「そりゃ怖かっただろうねぇ。サヤって強気に見せてるけど、ホントのところ打たれ弱いもんね。」


知っている。

サヤは見栄っ張りで、意地っ張りで、弱みを絶対に見せようとしない。

だけど、ケンカした後、物陰でひとり泣いているのを、子供の頃からよく見かけた。


あの時の涙は、きっと悔しさだけじゃない…。


「ヒバナ。」


「なあに?」


「ありがとうな。」


ヒバナは満足そうに、うん、と答えた。




翌朝、サヤが朝食を食べている隣に俺も朝食の乗ったプレートを持って座った。


「…なによ。」


横目でこちらを見るが、食べる手は止めないサヤ。


「ん…、いや…。」


返答にもならない曖昧な態度をとってしまった。

それにサヤは気分を害したようで、その点を突っ込まれた。


「なんなのよ、気持ち悪い! はっきりしなさいよ!」


「…昨日は…すまなかった。」


俺は素直にそう謝った。

それを聞いて、サヤはキョトンとしていた。

そして、目をそらして静かに言った。


「…別にいいわよ。昔からのアンタだわ。慣れてるから。」


「怒鳴って、悪かった。」


その言葉に、サヤは驚いた。

そして、ソラは続けた。


「俺はあの時、感情的になってた。俺は冷静で、正しいことを言っていたつもりだった。いや、言っていたこと自体は今も正しいと思っている。だから、悪いがそこは譲れない。」


そこでサヤは、ぐっと、何かを我慢し、ソラの話に耳を傾けた。


「…だけど、何より大事な仲間を、サヤを、大切に出来ていなかった。それは、正しさなんかよりも、よっぽど大事なことなのに。」


隣り合わせで顔も見ずに、ソラはそう続けた。

あまり適切ではない。けれど、心からの謝罪。

サヤにとって、それで十分だった。


「…ふん。なら、何かすることがあるんじゃない?」


そっぽを向いてそう言うサヤの口元は、すでにすこし緩んでいた。

そう言われたソラは、分かっていたかの様に自分の朝食プレートをサヤの方へとずらした。


「…これで、いいか…?」


そしてその時には、サヤはいつもの調子を取り戻していた。


「いいわ! これからひと月、アンタの朝食を毎日寄越しなさい!」


「うげー…まじかぁ…。」


「何か不満?」


「…ないです…。」


「よろしい!」


そして、サヤは嬉しそうに、ソラの分の朝食を頬張った。


その後方。ソファでストナが寝ていた。

そこへ、ヒバナが朝食プレートを持って、ストナの横に座った。


「仲直りできてよかったね。」


そうヒバナが語りかけるも、顔に雑誌を載せたまま知らん顔のストナ。

構わず続けるヒバナ。


「ストナもありがとうね。…あまりにざっくりした言い方をしてたから、ソラは気付いてないかもだけど。」


ストナは知らん顔のままだった。

それで、ヒバナは少し、ストナに意地悪を仕掛けた。


「でも、ストナも言い方には気をつけようね。わかってるんでしょ? だから昨晩、あの場から逃げたんだよね?」


しかし、サヤがソラの朝食を平らげて、遂にはヒバナの朝食にまで手を伸ばした時までも、ストナからの返事はなかった。

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