真夜中に求婚された俺の話

朏猫(ミカヅキネコ)

真夜中に求婚された俺の話

 ネトゲに夢中になりすぎた。時計を見たら午前二時前で、そんな時間なのに腹が減っていることに気がついてため息が出る。「こんな時間に食べたら太りそうだなぁ」なんて思いながら冷蔵庫を開けたものの、すぐに眉間に皺が寄った。


(そういやさっきのコーヒーが最後だったような……)


 空っぽの冷蔵庫にでかいため息が漏れた。ため息をついたところで空腹がまぎれるわけでもない。「仕方ない、コンビニに行くか」とぐぅっと伸びをし、ついでに朝飯も買ってくるかと思いながらパソコンの電源を落とした。

 若干面倒くさいなと思いながらスマホと鍵を手に外に出る。上着を忘れたことに気づいたものの、思っていたより寒くなくてTシャツ一枚のまま暗い道を歩いた。


(今年っていつ秋になるんだろうな)


 今日は十月最後の日だ。いわゆるハロウィンというやつで、きっと渋谷だとか新宿だとか大都会は阿呆みたいに賑わっているんだろう。


(まぁ、俺には関係ないけど)


 あんな馬鹿騒ぎで混雑する中に好んで行く奴らの気が知れない。人混みは最悪だし酔っ払いや外国人にも辟易する。それより部屋でゲームをしているほうが何倍も楽しい。自分がボッチなのを棚に上げ、ハロウィンどころかその後にやってくるクリスマスにまで「アホくさ」と難癖をつけながら坂道を下った。


(……にしても、今年はいつまで経っても寒くならないな)


 大学に行くときに金木犀の香りがし始めたのはつい最近だ。それなのに日中は半袖でも平気なほど暖かい。さすがにいまは長袖のTシャツを着ているが、夜中だというのにそれ一枚で寒くないなんて異常気象だとしか思えなかった。


(温暖化すると夏はもっと暑くなって冬はさらに寒くなるんだったっけ?)


 ネットでそんなニュースを見た気がする。世界中で大雨だの大寒波だの騒ぎになっているのも見た。世界はそんなでも俺の日常は変わらない。大学では友達が一人もいないままで、必要最低限の授業を取る以外はゲーム三昧の毎日だ。

 逆にゲームの世界ではそこそこ知名度があって協力してダンジョンに挑む仲間もいた。だから現実世界に友達がいなくても気にならないし、むしろ飲み会だのなんだのと声をかけられるほうが鬱陶しいから清々している。


(明日は唯一取ってる授業が休講になったから、朝寝して昼からダンジョンに潜るか)


 マンションからコンビニに行く最短ルートは小さな公園の前を通る道だ。若干暗いものの公園には外灯もあるし、道を挟んだ向かい側にはマンションや戸建てが並んでいるから真っ暗というわけでもない。それでも少しだけ怖いと感じるのは昔から怪談やホラーが苦手だからだ。


(ゲームなら平気なんだけどな)


 人気のゾンビゲームはシリーズ全部プレイしているし、昔流行ったらしい怪談系ノベルゲームもやったことがある。


(ゲームだと怖くないけど……って、いま思い出す必要はないか)


 背中がゾクッとしたところで公園に差しかかった。すっかり葉が落ちた桜の下を歩いていた足がぴたりと止まる。


(誰かいる……?)


 歩道に面したところに等間隔でベンチがいくつか並んでいる。そのベンチに座る人影を外灯が照らしだしていることに気づいてドキッとした。


(まさか幽霊なんてことは……いやいや、幽霊なら影なんてできないか)


 怖いながらもガッツリ見ていると数多部分に違和感を覚えた。


(あれは……猫耳か?)


 頭に三角形の尖ったものが見える。あの形は猫耳だ。日付が変わったばかりだけど今日はハロウィン当日で、そういう仮装をする人もいるだろう。でもここは繁華街でもイベント会場でもない、ただの住宅街にある公園だ。しかも人影は一人だけで、ほかに誰もいないのに仮装しているなんて怪しすぎる。


(別の道にするか?)


 夜中に一人で仮装しているようなやつの近くを通り過ぎるのは怖すぎる。かといってもう一つの道はマンションを挟んだ反対側で、坂道を上ってまで遠回りするのは面倒くさい。


(まぁ、通り過ぎるのは一瞬だし)


 覚悟を決めてこのまま進むことにした。それでもベンチから一番離れた歩道のきわを足早に通り過ぎようとしたときだった。


「見つけた」

「ひっ」


 突然聞こえてきた低い声と動き出した人影に飛び上がりそうになった。いつの間に立ち上がったのか、ベンチにいたはずの人影がこちらに向かってくる。


(どうする? 逃げたほうがいいか? それとも通報するか?)


 心臓がバクバクして真夏でもないのに背中を汗が流れた。ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出そうとしたところで「やはりこの辺りだったか」という声がして「へ?」と影を見た。

 後ずさっていた足が止まった。外灯に照らされた顔に恐怖とは違う意味でギョッとした。


「は……?」


 そんな間抜けな声が漏れたのは不審人物がゲームのキャラにそっくりだったからだ。しかも俺がキャラメイクした自キャラにだ。


(コスプレ? いやいや、他人のキャラをわざわざコスプレするなんてことあるか?)


 思わず顔を凝視してしまった。そのままゆっくりと足元まで視線を動かす。

 一見するとスーツのように見えるが、上着の後ろは燕尾服のような形で胸からは円の中に十字の飾りが付いたでかい首飾りを下げていた。これは神の使徒を意味するアイテムで、ダンジョンの第二十七階層をクリアしたときにドロップしたレアアイテムだ。服は黒だが靴が真っ白というのも自キャラと同じだった。白い靴は神の使徒の魔法を強化する装備品で、これもダンジョンでドロップしたアイテムで間違いない。


(どんだけ俺のキャラが好きなんだよ)


 暗くてよく見えないが、もしかしたら腕輪やベルトなど細かいドロップアイテムも身に着けているんだろうか。

 もう一度舐めるように視線を動かしてから顔を見た。服だけじゃなく顔まで自キャラそっくりだ。日本人とは思えないはっきりした目鼻立ち……もしかして外国人だろうか。


(そりゃまぁベースに選んだのは外国人顔だったけどさ。それにしても課金しまくって作り上げた顔が本当にあるとは……)


 怖いのを忘れて思わず見惚れてしまっていた。目も鼻も口も、何度も課金して作り直した顔がまさか現実世界に存在していたとは驚きだ。


(まさに俺が思い描いていた完璧な超絶イケメンの顔だ)


 それなのに、どうして頭に猫耳なんかが載っているんだろうか。自キャラに猫耳アイテムなんて付けたことは一度もない。ハロウィン限定の課金アイテムにはあるが、どう考えても似合わなくて最初から眼中になかった。


(ここまで完璧にコスプレするなら猫耳なんか付けるなよな……じゃなくて、そもそも他人のキャラのコスプレなんて普通するか?)


 公式キャラならわかる。たしかSNSでもハッシュタグイベントとかでコスプレ画像をたくさん見かけた。中には自キャラのコスプレをしている写真もあったが、手間暇かけてまで他人のキャラのコスプレをしている写真は一枚もなかった。


(もしかして俺のファン、とか?)


 思わずにやけそうになった口元を慌てて引き締めた。

 俺はサービス開始当初からの古参プレイヤーだから名前はそこそこ知られている。いまのキャラに固定して二年近く経つが、その間にイケメンキャラメイキングのランキングで上位になったこともあった。現実リアルとはまったく違ってゲーム世界では声をかけられることも結構あるし、それなりに付き合いの長い仲間もいる。

 それでも全員ゲームの中だけの付き合いだ。お互いにリアルを詮索することはなく、そういう話をするやつとは付き合わないようにしてきた。そうやって居心地がいい空間を作ってきたおかげで毎日のように入り浸ることができている。


「やはりここで待っていて正解だった」


 聞こえてきたイケボに「うわ、マジか」と言いそうになった。ゲームで選べるボイスは種類が限られていて、自分が想像するものに一番近いものを選んだ。それでもいまだにボイスだけは納得がいかない。ところが目の前のコスプレ男の声は、まさに俺が理想としている声そのものだった。


「センサーの反応が微弱で若干不安もあったが、やはり間違いじゃなかった。辺境の地まで来た甲斐があったな」


 外灯に照らされた超イケメンの顔が微笑んだ。その顔を見た途端に心臓が不整脈を打ち始めて胸が苦しくなる。


(しゃべり方まで完璧だ。こいつ、完全に俺のキャラになりきってる)


 まるで俺の頭の中を具現化したみたいな男に感動すら覚えた。ここまで完璧に再現してわざわざ俺に会いに来てくれるなんて……会いに来て……?


(いやいやいや、おかしいだろ!)


 ハッと我に返った。もし、仮に、万が一、俺の熱狂的なファンだったとして、どうして住んでいる場所を知っているのだろうか。毎日のようにゲーム内で会っている仲間には俺が大学生だということすら話していない。公式のオフ会に誘われたこともあるけどすべて断ってきた。もちろんリアルでゲームの話をすることはないし、俺がこのゲームのプレイヤーだってことを知っている人もいない。


(なのに、なんでこの男はここに……?)


 じわっと汗が滲んだ。ホラーゲームですら味わったことがないゾッとするような冷たさが体の真ん中を駆け抜ける。


「やはりあなたで間違いない」


 男が一歩踏み出した。慌てて数歩後ずさるが、俺よりずっと背が高い男は俺の数歩をたった一歩で詰めてくる。そうして目の前に立つと覗き込むように顔を近づけてきた。


「ひぃっ」


 声にならない音が口から漏れた。喉の奥が渇いて掠れたスカスカの声しか出てこない。


(やばい)


 咄嗟にそう思った。俺なんかをストーカーするやつがいるとは思えないが、どう考えてもこいつはストーカーだ。しかもやばい部類だ。やばいと思っているのに、それでも完璧すぎる自キャラ姿のせいかもっと見ていたいという気持ちがわき上がってくる。怖いのと惚れ惚れするのが入り混じって動けなくなった。


「見た目も仕草も夢で見たとおりだ」


 男の優しい声色に悲鳴混じりの声が詰まった。とんでもなく怖いのに、やっぱり見た目と声の再現率に惚れ惚れしそうになる。ちぐはぐな気持ちに頭が混乱してきた。


「初めてあなたを夢で見たのは二歳のときだった。それから何十年と夢であなたに会ってきたが、こうして本当に会えるのかずっと不安だった。だが、こうして会うことができた。やはりわたしとあなたは運命で繋がっていたのだな」


 またもや完璧な顔が笑みを浮かべる。


「あぁ、なんてすばらしいのだろう。素朴な顔立ち、無造作な髪型、わたしの胸ほどしかない背丈、か弱い手足……夢では知っていたが、実際に見るのとでは大違いだ」


 さっきから何を言っているんだ。意味がわからなくてますます混乱した。


(夢? 夢ってなんだ?)


 そう思った瞬間、何かが一瞬だけ頭に浮かんだもののすぐに消えてしまった。涙目になりながらズズッと鼻をすするとイケメンがハンカチを差し出した。思わず「どうも」と受け取ると、ハンカチまでイケメン仕様なのかいい匂いがしている。


「声も夢で見たとおりだ。それに、その警戒心が強そうな眼差しも口数が少ない控えめなところも夢のままで……あぁ、興奮が抑えられそうにない」


 声が上ずったように聞こえた。このままじゃ本当に危ないかもしれない。「逃げないと」と思って一歩後ずさりしたところでガシッと右手を掴まれてしまった。今度こそ「ひぃっ!」と悲鳴が漏れたが、男は気にならないのかそのまままた顔を近づけてくる。


「念願叶ってようやく会うことができた。今日はなんとすばらしい日だろう」

「あの、手を、」

「そうだ、今日は二人が出会った記念日に制定しよう。我が民もおおいに祝ってくれるはずだ」

「だから、手を、」

「あなたの誕生日は生誕祭として祝い、婚姻式は祝日にして民に祝いの酒を振る舞うことにするか。あとは子の誕生日も記念日に、いや、せっかくだからモニュメントを造るのもいいかもしれない」


 興奮しているのか男に掴まれた手が痛い。何度も振り払おうとしているのに、どうしてかうまく力が入らなくて振り払えなかった。


「あなたもこの出会いに感動しているようだね。激しく打ち鳴らす鼓動がよく聞こえる」


 頭のてっぺんにある猫耳がピクピクッと動くのが視界の端に映った。思わず視線を向けると、小道具にしてはやけにリアルな耳がまたピクピクッと揺れる。


(耳の内側に血管みたいなのも見える)


 外灯に照らされている猫耳はまるで本物のような出来だった。俺がじっと耳を見ていることに気づいたのか、男が「わたしの耳はとくに優秀でね」と微笑んだ。そうしてまたもや耳がピクピクッと動く。


「あなたの鼓動や息づかいがよく聞こえる。できればわたしの鼓動も感じてほしいが、あなたたちの耳では聞き取ることができないのだったな」


 それまで晴れやかだったイケメンの顔が急に寂しそうな表情に変わった。たったそれだけなのに胸が抉られたような痛みを感じて戸惑った。


(いやいや、こんなやばいやつに何同情してんだよ)


 早く逃げなくてはと思っているのに、ゲーム画面でも見たことがない自キャラの表情から目が離せない。「いくら理想そのものでも違うだろ」とつぶやいたところで、男が再び笑顔を浮かべた。


「夢で何度もわたしの顔が理想だと言われたが、やはり直接言われるのは格別だな。あぁ、本当になんという最良の日だろうか」


 うっとりした顔が俺を見ている。得体の知れないものを感じて手を引こうとしたのに失敗した。


「そうだ、あなたたちは触れ合うことで愛を伝えるのだったな。さぁ、わたしの興奮と愛をあなたにも感じてほしい」

「ちょっと、ぅわっ」


 突然グイッと手を引っ張られて踏ん張りきれなかった。そのまま男の胸にポスッとぶつかって慌てて目を閉じる。すぐに背中に男の手が触れたことで抱きしめられたのだとわかった。


(ひ、ひえぇぇ……)


 理想を詰め込んだ自キャラそっくりの男に抱きしめられてしまった。しかもとんでもなくいい匂いがしている。何もかもイケメンすぎる男に全身がカッと熱くなった。


「あなたのことをずっと探していた。だが夢で見るあなたの情報はとても少なくて、わたしの記憶をもとに星間を飛んで探すのには限界があった。本来ならもっと早くに迎えに来るはずだったのだが……」


「待たせてしまって申し訳ない」と囁かれて、なぜか胸がきゅうっと切なくなる。不意に「待っていて」という誰かの声が蘇った。どこで聞いたのかわからないが、その声が男の声と重なって気持ちがざわつく。


「時間はかかったが、こうしてちゃんと見つけることができた」


 ストーカーのくせにどんな設定だよ……そう心の中で突っ込みながらも落ち着かない。それが気持ち悪くて離れようとするが、男の手は背中に回ったまま動こうとしなかった。それでもと両手で胸を押し返す。


「ようやく見つけた、わたしの花嫁」


 押し返していた手が止まった。思わず視線を上げながら「はい?」と聞き返すと、「愛しい我が花嫁」と返ってきて目が点になる。


「……いやいや、意味わからなさすぎるだろ」

「言葉のままの意味だが?」

「いやいやいや、ストーカーのくせにどんな設定だよ。相手が女の子ならまだしも俺相手に何言ってんだ」

「すとーかー……すまない、まだこの星の言語を完璧にはマスターしていないんだ」


 意味がわからなかった。至近距離で見る自キャラは神々しいくらいだが、さすがにこれ以上付き合うことはできない。そもそも男相手に「花嫁」なんて怖すぎる。

 何度も胸を押し返すが男は抱きしめた腕を解こうとはしなかった。たしかに体格差はあるものの、それでも微動だにしないのが恐ろしい。


「いい加減離せって」

「なぜだ? あなたたちはこうして触れ合うことで愛を確かめるのだろう?」

「何言ってんだよ。訳わかんねぇ設定盛り込んで何がしたいんだよ」

「わたしがしたいことはただ一つ、運命のあなたとの結婚だ。どうかわたしの星に来てほしい」

「だから、その設定の意味がわかんねぇ……って言ってん、だよっ」


 渾身の力を込めてなんとか逃れることができた。そのまま逃げようと思って一歩後ずさったが、抱きしめられたときに感じたいい匂いがしてきて足が止まってしまう。「動け、動け」と念じても匂いに邪魔されているかのように次の一歩が出なかった。


「そういえばあなたは照れ屋だったな。それに寂しがり屋でもある」

「何言って、」

「夢で教えてくれただろう? 本当は友達がほしいがうまく話ができなくていつも一人ぼっちだったこと、だから小さいときからゲームの世界に閉じこもっていたこと、ゲームの世界では仲間がいて充実していること。周囲と馴染めなかった理由に性的嗜好とやらが関係していることも話してくれた」

「……なんで……」


 これまで誰にもそんな話をしたことはない。両親はもちろん、ゲームでも話題にしたことはなかった。


「あなたとはずっと夢で会っていた。わたしの姿が好きだと言ってくれたのを忘れたのか? あの言葉にどれほど歓喜したことか……。生まれ育った星が違えば好意や嫌悪の対象となるものが変わる。だが、あなたはわたしのこの姿が好きだと言ってくれた。こんなに離れた星に生まれ育ったというのにだ。だからこそ確信した。あなたとわたしは運命で繋がっている」


 興奮しているのか、それとも外灯のせいか男の目がギラッと光ったように見えた。


「どうかわたしと結婚してほしい。いや、結婚する未来はもう決まっている」


 男が近づいてきた。「何言ってんだよ」と言いながら二歩後ずさるが、すぐに距離を詰められてしまう。


「わたしの花嫁はあなただけだ。わたしとともに来てほしい」


 また右手を掴まれた。慌てて振り払おうとしたが、いい匂いがしてきたせいか腕にうまく力が入らない。


「なんだよ、この匂い……」

「夢で大好きだと言ってくれただろう? 実際に嗅いでみてどうだ?」


 直後、感じていた匂いが強くなった気がした。紅茶のような石鹸のような不思議な匂いに鼻がヒクヒクする。


「あなたはわたしの花嫁だ。タリオリアヌス系フリュームル星第三王子、タタンピュリツァヒュリンギールの花嫁だ」

「たり……? タタン? なに?」

「花嫁のあなたには特別に個人名のギールと呼ぶことを許可しよう。いや、ギールと呼んでほしい」

「だから、俺男だって、」

「それはこの星での生物学的分類でしかない。この星では重要なのかもしれないが、わたしたちの星では結婚を決める要素としては重要視されない」

「意味、わかんねぇ」

「男とは陰茎が発達し精巣や前立腺が成熟した個体というだけだ。髭や喉頭隆起こうとうりゅうき、性ホルモン、遺伝子的な違い、それは個々を形作るものとしては大事だが、結婚はそうしたものを超越する」


 何を言っているのか理解できなかった。というより匂いが気になって男の言葉が耳からポロポロこぼれ落ちているような気さえしてくる。


「あなたはわたしが探し続けてきた花嫁だ。あなたも夢でわたしに会いたいと言っていたじゃないか」


 初めて聞く不満そうな声に思わず顔を見てしまった。相変わらず理想的な超絶イケメンだが、眉尻を下げた表情になぜか懐かしいような変な気持ちになる。


(そういや、なんで課金までしてこのキャラ作ろうとしたんだっけ)


 お金を捻出するために食費を削りに削った。バイトでもすればいいんだろうけど極度の人見知りの俺には現実的じゃない。それでも課金のためにとゼミやなんかで小銭を稼いで自キャラを理想に近づけようと必死だった。


「わたしたちの星では運命の相手は会う前からわかっていると言われている。運が良ければ直接出会うこともできるが、そうでない場合は夢で最初の接触を果たす。そういうときは大概遠い星に住む相手で諦めることも多い」


 腕を掴む男の手に力が入ったのがわかった。


「だが、わたしは諦めたくはなかった。たとえどんなに遠い星だろうと必ず見つけると決意した。この世界には多くの星があり多くの生命が存在している。その中から運命の相手を見つけるのは砂浜に紛れた小さな宝石の原石を見つけるようなものだ。だが、こうして見つけて会いに来ることができた」


 また匂いが強くなった。いい匂いのはずなのに強くなってきたからか目眩がする。


「わたしの花嫁はあなたしかいない。どうか結婚してほしい」


 自キャラからの求婚にクラクラした。それとも匂いのせいで目が回るのだろうか。とにかく目の前がグラグラして返事ができる状態じゃない。それでもこのままじゃ駄目だと思って声を出そうとしたが失敗した。代わりに右手に持っていたハンカチがヒラヒラと地面に落ちる。


「あなたは何も心配しなくていい。我が星はこの星よりずっと安定している」


 そういう問題じゃない。そう言いたいのに声が出ない。そもそも急に俺がいなくなったら騒ぎになるはずだ。


「では身代わりを置いていくことにしよう。あなたそっくりの人形を置いていけば問題ないだろう? ちょうど精巧に作ったあなたの人形を持ってきている」


 高校のときから寮生活で、帰省するのは年末年始だけだったからたしかに気づかないかもしれない。そもそも親以外に親しい人間はいないから誰も騒がない気がする。そう思ったら口元が歪んだ。


「誰も気づかなければ騒ぎにはならない。あなたは心置きなくわたしの花嫁になればいい」


 そう言って再び抱きしめられた。


「そう、そのまま身を委ねていればいい」


 いい匂いに全身を包み込まれて、ますます目の前がグラグラと揺れる。


「あなたは稀に見る生殖能力に長けた個体だ。数値上でもわたしとの相性の良さは抜きん出ている。さらに喜ばしいことに、この星の生殖に関する考え方のおかげであなたは真っさらなままだ。あなたの体に種を植えつけるのはわたしが初めてということだな」


 イケボの声が段々遠くなっていく。


「あぁ、わたしの運命の花嫁。これで我が王家も……」


 最後に聞こえた「運命の花嫁」という言葉に心がざわつくのを感じながら、意識がゆっくりとフェードアウトするのがわかった。

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