青二才のアズル ~冒頭 短編版~
紫煌 みこと
青年と小鳥の旅立ち
まず初めに問おう。
皆は「勇者」と聞いて、どんな人物を想像するだろうか?
RPGゲームでも定番の、勇者という役職、もしくは称号。筋骨隆々の勇ましい格闘家だろうか。知的で華奢な剣士、というのもあるかもしれない。
この物語の主人公も、「勇者」……といつかは呼ばれるかもしれない存在である。お? ならこの主人公も? 最強の能力を持った戦士か、賢明な剣士か、それとも……?
「腹減ったな……えーっと、西、西だよな、うん、こっちが西、あれ? このマークって西だよな? 北がこのマークだから、えっと……うわ、待って、わかんね!」
温かい風が吹くのどかな草原の上。
朝のお天道様は、輝きながら笑っていた。しかしそれはおそらく嘲笑だろう。
コンパスすらもまともに読めず、さっきから草原を目障りにうろうろしている男に向けて……
彼の名前はアズル。根は一応、心優しい青年だ。
年齢は21。つい最近、21歳になったところである。
先ほどのポンコツからは想像できないかもしれないが、顔はそれなりに整った美貌だ。肩ほどまである青色の髪を無造作に結んでいる。そして何より目立つのは——宝石を上回るほどに美しい、緑色の碧眼だった。
山にある田舎町で育った、世間知らずの若者である。
服装は、安物の白い長袖シャツにベルトを結び、下に古いズボンとブーツを履いただけだ。ボロいマントが風になびいており、全体的な不潔感から、浮浪者にしか見えない。顔が良いだけあって、酷く滑稽に見えるありさまだ。
腰には一本、細い剣がさしてあったが、柄はボロボロなのに刀身はピカピカ。
——要するに、相手を斬ったことがなく、素振りが唯一の特技という、情けない実績である。
アズルは今、故郷の田舎町を出て、初めて遠い都会を目指していた。
理由は医者だ。医者に相談したい事柄があるからである。田舎町は医療があまり発展していなかったので、高度な治癒や魔法の知識がある医者を、直接都会へ訪ねに行こうとしていた。なので彼は、世界中を旅する冒険者というわけではないのだ。
遠いとはいえ、乗り物を使わなくてはたどり着けないような距離でもない。ちゃんと出発する前に、本などで調べておいたのだ。都会へ行くには、山を下り、まず最初にこの草原まで来て、それからまっすぐ西へ行くだけだと。
初の遠出だが、方角と道さえ理解していれば、一、二時間も経たずに草原を抜け、到着するだろう。
——方角と道が、わかっていればの話だが。
「大丈夫、さすがにわかっている。いや、わかってきた。俺はさっきまでどうやら東に進んでいたらしい。気づけた俺は天才だな」
アズルは謎に得意げな声で独り言をつぶやく。お天道様も無視している可能性が高い。
彼自身、自分が極度の方向音痴であることはわかっていた。だからコンパスを持ってきたのだが、それでも迷うほどに、彼はどこかへ移動する能力がない。友達10人分の誕生日は覚えられても、東西南北は理解できない。もはや才能である。
草原までは、勘だけを頼りになんとかたどり着くことができていた。しかし、それから先は、未だに一歩も進めていない。
先ほどまで東に歩いていたという事実を理解した地点で、すでに絶望的だ。しかし、それに気が付けたのはある種の成長だろう。なら、真後ろを振り向いて逆に向かえば西だ。
だというのに、この男は……
「なら、こっちが西か」
堂々と南へ歩み始めた。
どうか、「あぁもうダメだこいつ」となって、画面端の×印を閉じないでほしい。
失望も甚だしいが、彼の旅は、ここから本当の幕開けなのだ。
やがて、ずっと嘲笑していたお天道様も飽きてきたのか、いなくなってしまった。
代わりに、雨が降る。ぽつぽつ、ぽつぽつと、少しずつ。
「……」
アズルは、顔を上げる。
空は灰色だ。今、きっと、自分の心も同じ色だ。
なんだか、そんな気がした。
「着かない……また方向をミスってるのか?」
彼はもう一度、コンパスを手に持ってみた。
すると——空から、黒い鳥が数羽、彼目掛けて飛んでくる。雨の日、視界が悪くなる時を狙って襲ってくる鳥だ。
獲物を捉える彼らの瞳は、ギンと強い眼光を放っていた。
「うわっ、何だよ!? ちょ、おい、やめろ!」
鳥たちが、アズルに襲い掛かり、つついたり引っかいたりを繰り返す。
アズルは思わず顔を腕で覆って身を守ろうとするが——手の中のコンパスがなくなっていることに気づいた。
「おい! それを返せ!」
鳥たちの目的は最初から、コンパスだったのだ。嫌がらせに人間の持ち物を奪い去って逃げる、凶悪な性質だ。
アズルは大きな声で怒鳴ったが、完全に後の祭りである。
鳥たちは容赦なく、コンパスを持ち去って行ってしまった。
東西南北があやふやな彼にとって、コンパスなどあるもないも変わらないことだった。
しかし……彼自身は頼りにしていたつもりの道具が盗られてしまい、精神的にもダメージがいく。
雨が強くなってきた。
コンパスを失ってから、何時間経ったことだろうか。
雨宿りする場所もなく、彼はもう、あてもなく草原の中を彷徨っている。
腹が減っていた。
「誰も——俺の味方をしてくれないのかよ」
それはつぶやきにも満たない、失望から成される声だった。
そしてとうとう疲れ果て、泥まみれの地面に座り込んでしまう。
マントが濡れて体にはり付く。服も湿り、体に悪寒が走る。
いくらポジティブな人間でも、限界はあるものだ。
打ち付ける雨の中、独りで身を晒し、どこに行けばよいかもわからない。この状況で、前向きになれる者などいるのだろうか。
彼は無意識に剣の柄に手をかけていた。
何か、自分の誇れるものが欲しい。
故郷から都会にすらたどり着けない、無力な青年。
鳥にすら勝てない、脆弱な青年。
昔からそうだ。強くない。賢くもない。取柄なんて見当たらない。
しかし、何もない虚無の人間では在りたくない。
「寒い……」
本当の独り言が漏れる。
腹が危険信号を鳴らし始めた。もともと、かなりの空腹だったのだ。
ぐらりと、めまいまでもを感じる。
このまま誰にも知られず、草原の中で静かに消えていくのか——
そう思った時だった。
「情けない人間がいるっぴね。助けがほしいっぴか?」
琥珀の瞳を持った赤色の小鳥が、ぴょこぴょこと跳ねてやってきたのだった。
突然声が聞こえ、アズルは虚ろな目を上げる。
「はぁ~、雨が降ると、テンション下がるっぴよね。オイラとか、鳥だから特に」
唐突に現れた小鳥は、独り言を漏らしながら羽をついばんでいる。
空腹のあまり、アズルには幻覚が見えていた。
雨が降る草原の中、こちらに向かって元気に飛び跳ねてくる——から揚げ。
中枢神経が勝手に、小鳥をから揚げとして脳内で形成してしまっているのだ。
神経が発狂する。腹が減った。目の前に食料がある。食事だ! 食事!
「ふぁああああああああああ!」
急にアズルは奇声を上げ、やってきた小鳥に前のめりになって近づいた。唾液がダラダラと滝になっている。
小鳥は戦慄し、全力で後ずさりする。
「え、ちょ、何、気持ち悪いっぴ、顔を離せ……」
「から揚げええええええええ!」
「うげぇっ!」
アズルは容赦なく、小鳥の体を両手でガシッと掴んだ。うめき声が生じたが、彼の鼓膜は微動だにしない。つまり聞こえていない。
素晴らしい、なんてことだ。食事が自ら歩いて来た。なんだか触感がフワフワしているが、気のせいだろう。これはから揚げなのだ。田舎町での大好物だ。今すぐ食え。
から揚げ洗脳に自ら掛かって気狂いと化しているアズルに、小鳥は必死に声を絞り出す。
「う……ぐ……お前、死にたいっぴか……放ちぇ、マジで殺す、っぴよ……!」
「いただきま——」
「死ねゴラアアアアアアアアア!」
小鳥は怒りをあらわにすると、くちばしから小さな炎の塊を吐いた。
そしてそれはまっすぐ、アズルの顔面に直撃する。
「ギャアッ! あつっ、あつぁつぁつぁちぃっ!」
アズルは悲鳴を上げ、小鳥を宙に放り投げて顔を押さえた。
幸い、雨が降っている。炎自体はすぐに消えた。だが熱の余韻が残り、彼は顔をしかめている。
「まったく、こんなふざけた奴の前に、出てこなきゃよかったっぴ。面白そうな奴だから、近づいてみたっていうのにねぇ」
小鳥はハァとため息を漏らした。
アズルは少しずつ、理性を取り戻す。から揚げ洗脳、完璧に砕けたり。
目の前の個体を「小鳥」と認識し、改めて自分の行動を見直す。
「あれ……もしかして俺、小鳥を間違えて食おうとしていた? ……え、ごめん」
「ごめんで済むと思うなっぴよー! 死ぬかと思ったわ! ったく……」
小鳥は足踏みをしながら、少しだけアズルに近づく。
アズルは草原にしりもちをついたまま、小鳥に尋ねた。
「ていうか——なんでお前は人の言葉を話せるんだよ」
「オイラが? それはオレが魔物だからっぴ。そんなことも知らないっぴか? ようし、お前に自己紹介をしてやるっぴ」
小鳥はアズルの前に立つと、赤い両翼を大きく広げた。それから右へ左へと動く奇妙な動き。からの謎の決めポーズ。なかなかに癖強い奴が現れてしまった。
「オイラはサラマンダーバードの幼体、サラピだっぴ! サラピと呼ぶっぴよ!」
から揚げ改めサラピはドヤ顔を浮かべ、羽先でアズルを指さした。
アズルはうなずく。
「へぇ、サラダっていうんだ」
「マジでお前ぶっ殺すっぴよ!? いつまで食事のことを考えているっぴ!?」
あまりにも酷いアズルの食欲に、サラピはカチンときた。しかし、気にしていたらおそらくキリがないので、放っておくことにする。
サラピは手乗りサイズほどの、琥珀の瞳を持った可愛らしい小鳥だった。顔は白いが、体は赤い。両生類のような尻尾が生えているのだが、これはサラマンダーバードという種としての特徴だろう。
サラマンダーバードは魔物の一種だ。先ほどアズルのコンパスを盗んだ劣悪な鳥とはわけが違う。成長すれば人間ほどの背丈となり、巨大な炎を吐く。そしてこのように、人の言葉を話すことができる。天敵が多く減りやすいので、なかなか希少な魔物である。
しかし田舎育ちのアズルは、そもそも魔物と接触したことがない。魔物という概念すら、漠然としているだろう。魔物とは、世界中に生息している不思議な生態の生物で、人間に敵対的なものと友好的なものが存在している。
「オイラは昔からこの草原で一人で暮らしているっぴ。草原には餌が多くて助かるっぴからね。天敵から隠れながら生活していたんだっぴ」
「へぇ……そうなんだ?」
「でもそろそろ飽きてきたころだっぴ。大きく成長するまでこんな生活をしているのは御免だっぴよ。何か面白いことはないかなーって探していたら、ちょうどお前を見つけたんだっぴ。晴れてた時からお前を見ていたけど、本当に愉快な奴だっぴ!」
「俺って面白い奴判定なのか?」
アズルは不満そうな顔をした。当然だ、この小鳥は、アズルのポンコツを馬鹿にして面白がっているのである。
「方向音痴、それは面白いっぴ。コンパス盗られて、道に迷う。これもまた面白いっぴ。雨に濡れて絶望、草原に座り込む。もう傑作だっぴーっ! 今まで何回も、この草原を通りかかった人間はいたけど、ここまで何もできない奴は初めて見たっぴよ。身なりもボロクソで、お前、何がしたいんだっぴ?」
「ちょっと黙ってもらえますかね!? 俺だってわざとじゃねぇのよ!」
アズルは苛立ちを表情と声に出した。
そしてげんなりした様子になり、ドサッと地面に尻をつける。
「なんだよ、はぁ……本当にから揚げが現れてくれりゃよかったのによ、いや、から揚げになった状態のお前が出てくればいいんだ」
「聞き捨てならない台詞っぴね……まぁいいっぴ。とにかくお前、コンパスもないのにこれからどうするっぴよ?」
サラピに問われ、アズルはわずかに思考する。
しかしすぐ額に手を当て、大袈裟にため息をついた。
「知らないよ……自覚しているし、方向音痴ってこと……家に帰ろうにも、無事にたどり着く自身が微塵もない。ただ都会に着きたいだけだったのに……このまま死ぬのだろうか」
情けない声を出し、首をすくめてうずくまる。
さっそくすべてを諦めかけているアズルを見つめ、サラピは目を細め、鼻を鳴らした。
「フン、急に面白みの欠片もないことを言い出すっぴね。そこは限界まで足掻いている方がまだマシっぴよ。ここでくたばるとおもんないっぴ」
小ばかにするように言って、そっぽを向き——わざと聞こえるような独り言を言う。
「オイラはこの草原の近くにある都会の場所、知ってるっぴけどねー」
「@#☆?÷¥*!?」
言葉にならない悲鳴を上げ、アズルは泥だらけの地面に手と膝をつき、小さなサラピを見下ろす。
「いいいいいい今なんて」
「いや、やっぱなんでもないっぴね。意気地なしに教えることなんて何もないっぴよ。自分で頑張って都会まで向かいたまえっぴ」
「本当は諦めてなんかいないって! 絶対に都会に着きたいんだってば! なぁ、都会の場所を教えてくれよ!」
「嫌だっぴね~」
サラピは意地悪く笑い、ぴょこぴょこと跳ねて離れていってしまう。
「クソぉ……最低な奴だ」
アズルは唇を噛む。
どうすれば、サラピの気を変えることができるだろうか。
いや、サラピが嘘をついている可能性だってある。だとしたら、こんな挑発に乗っている地点で馬鹿の極みだ。
しかし空腹で頭がイカれかけているアズルにとって、今、頼れる相手はこの小鳥しかいない。
「……さ、サラピ、えっと……」
いっそ土下座だ。泥にせっかくの美顔を打ち付けて、「都会まで案内してください」だ。
誇りどころかクソもなくなるが、これしかない。
そう思い、サラピがいる方を振り向いた時——
「ぎゃああああっ! なんだこいつら! 近づくなっぴ!」
サラピが絶叫を上げ、小さな翼を動かし、慌てて宙を逃げている。
「はぁ!?」
アズルも、目を大きく開けて驚いた。
緑と紫の汚らしい肌を持った魔物——ゴブリンが数匹、網や武器を持ってサラピを追い回しているのであった。
ゴブリンは、成人した大人と同じくらいの背丈の魔物である。
武器を持ち、人間や他の弱い魔物を襲う面倒な輩たちだ。数が多いうえしょっちゅう見かけるので、知名度で言えば頭にのぼる存在である。
そんなゴブリン三匹が今、サラピを執拗に追いかけている。
アズルはしばらく呆然としていたが、やがて少しずつ理性が戻ってきて、大きく叫んだ。
「おい、サラピ! なんだよこいつら!」
「お前、まさかゴブリンを知らないとか冗談っぴよね!?」
「いや、さすがに聞いたことはあるけど、こんな気持ち悪い奴なのかよ!?」
アズルが育ったのは完全なるド田舎。魔物を今まで見たことがない。初めて見るゴブリンの気味の悪さに、心底ビビりまくっているだけである。
「ぴぎゃっ! こいつら、オイラを食おうとしているっぴね!?」
サラピは成長すれば、巨大な体と豪快な炎を誇る鳥となるのだ。腹が減っているアズルに言うと危険なワードかもしれないが、サラピは魔物にとって栄養豊富な存在だ。
「くそっ、雨が降ったから、空が暗くなって襲ってきたんだっぴ」
「そいつら、炎で燃やしちまえよ」
「馬鹿言うんじゃないっぴ! オイラの炎じゃ限界があるっぴよ! あーもー! 今までは姿を隠して過ごしていたのに、見つかったっぴよ! お前が叫ぶせいだっぴ!」
責任をアズルに押し付け、サラピは文句をまき散らしながら、ゴブリンたちの攻撃をよけている。
「ほれほれ、空には攻撃が当たらないっぴよ~」
サラピはドヤ顔を決めて空からゴブリンたちを見下ろす。
——するとゴブリンたちは、空にいるサラピに向かって、石を投げ始めた。
「ちょ、まっ、反則だっぴよ……ぎゃっ!」
完全に自業自得。煽り散らかしていたサラピの羽に、石ころが直撃する。
羽を痛め、彼は地面に落下してしまった。
ゴブリンたちが涎を垂らしながらサラピを囲む。
「あはは……なんでみんな、オイラを食べようとするっぴか……?」
「グオオオオオオオオ!」
「ぎゃああっ、助けてぴよーーーー!」
ゴブリンの雄叫びを聞き、サラピは思わず助けを求める声を上げた。
誰に言ったのかは——彼自身、意識していないままに。
細い剣を握り、やみくもに突っ込んでくる青年が現れた。
「うわあああああああああ!」
絶叫し、アズルは剣を振り——近くにいたゴブリンを斬りつける。
「えぇええぇぇええ!?」
サラピは目を真ん丸にして驚愕した。
アズル自身にも、どのように動いたのかはよくわからない。
剣術は昔、父に教わっていた。しかし上達が遅く、父からは何度も呆れられていた。このような状況の実戦なんてしたことがないし、相手を見極めて着実に倒せるほどの実力もない。
ただ、彼の中の何かが、瞬時にして目覚めた。そしてそれは、彼を動かす唯一の原動力となる。
強くなく、賢くもないアズルが、持っているもの。そして己を誇れる——
「お前ら全員、寄ってたかってサラピをいじめてんじゃねぇよ!」
叫び声をあげ、アズルは体当たりで他の二匹を蹴散らす。そして地面に倒れていたサラピを片手で拾い、胸ポケットに突っ込む。
斬られたゴブリンは、傷ついた肩を押さえながら立ち上がった。他の二匹も、標的をサラピからアズルに切り替える。
酷く驚いているのはサラピだ。
「ちょ、おま、何して——」
「あいつら、倒せばいいんだろ!? どうせやらないと、お前の次に俺もやられちまうだろうし。……やってやろうじゃん、死なない程度にな!」
アズルは雨でびしょ濡れの顔をキッと上げ、挑戦的な笑みを浮かべた。
死なない程度、と言ってはいるが、おそらく彼は命を投げ出す行為に出ている。
魔法も剣術もさほど強くはないこの青年が、いきなりゴブリン3匹を相手にするだなんて無謀すぎる。
彼の取柄。それは、物理的な強さなど関係ない、無限大の勇気と度胸、そして、仲間を思う心の強さ。
そしてそれが奇跡と結びついた時——かつてない力を、振り絞ることができるのだ。
ゴブリンの一匹が雄叫びを上げ、持っていた斧を振り回す。
「うおっと!」
アズルは慌てて剣を前に出した。鉄と鉄がぶつかり合い、雨の中で激しい火花が散る。
剣にものすごい力が加わるが、弾き飛ばされないよう、なんとか姿勢をこらえてみせる。
武器同士が交差する感覚。父との練習以外では、初めての経験だ。
しかしいざ実戦となると、体は案外順応して動いてくれるものだった。
今まで剣術が未熟だと思っていたのは、何かを守るため、一度も本気で戦ったことがなかったからだ。
毎日、何かを求め続け、必死に素振りをしていた成果を、今ここで出してやる。
「すげぇ、俺、結構まともに戦えてね?」
少しばかりの優越感を覚えた。しかしすぐそこにサラピの警告が入り——
「おい、左を見ろっぴ!」
「え、左?」
左と口に出しながら、右を向くアズル。ここでもかと、方向音痴の炸裂だ。
左から別のゴブリンが走ってきて、容赦なくアズルの左頬を殴った。
「——った!」
ここで初めて、ゴブリンからの攻撃が当たった。頭から倒れそうになり、何とかバランスを取るアズル。殺意を込めた手で殴られたことなんて、生まれて初めてだ。強い衝撃が頬を伝って体に走り、鈍い痛みが残る。思わず涙が出そうになった。
「い……痛いんだよ! あっち行け!」
アズルは苛立った声を上げ、殴ってきたゴブリン目掛けて足を乱暴に振り上げる。その蹴りは——なんと、股間に直撃した。
「ギャオオオオオ!?」
情けない叫び声をあげ、運よく一匹がノックダウン。
意図していない攻撃だったが、敵が減ったなら本望だ。
一瞬だけポカンとした様子の一同だったが、すぐにゴブリンたちは戦闘態勢へと戻る。
連携の取れた二匹(元三匹)だ。アズルは今、一匹と武器を交差させているため、もう一匹への注意を払えない。
別の方角から、ゴブリンが攻撃を加えようと、タイミングを狙っている。
しかし、こちらも連携なら負けてはいない。
サラピが大きな声で叫んだ。
「そのまま押し返しちまえっぴーっ!」
その声を確と聞き入れ、アズルは剣を握る手に力を込める。
「うおおおおおおおおおおお!」
単純な力勝負だ。剣を器用に振れと言われると困るアズルだが、力を込めるだけなら、難しいことではない。
全体重を前に。斧を掴んでいたゴブリンの顔に、焦りが浮かんだ。
「おらあああっ!!!」
そして、ゴブリンの体を完全に地面へと叩きつけた。
斧を持っていたゴブリンは頭を強打してしまい、気絶する。
「よっしゃ、あと一匹だぜ! どうよ、俺の剣さばき!」
剣で敵を本当にさばいていたのかは謎だが……
調子に乗ったアズルは、自慢げに剣の先を最後のゴブリンに向けた。
他の二匹は気絶した。これほどまでの実力があれば、アズルの勝ちも同然だろう。
タイミングを図り損ねたこのゴブリンは、あたふたと困惑する。
そして、小さな木の実を取り出した。
「……? 何しているんだ?」
アズルはキョトンとした顔になる。
ゴブリンが取り出した木の実は、手のひらに収まるほどのものだった。黒色で、毒々しい色をしている。とても食べたいとは思えない見た目だ。
そんな木の実を、ゴブリンは口の中に入れて丸呑みした。
次の瞬間——ゴブリンの姿が、急変したのだった。
巨大な一本の角が生え、体が一回り大きくなる。おそらく、二メートルは軽く超えているだろう。
手足が大きくなったかと思えば、爪も伸び、背中からは悪魔のような翼が生える。
突然の変貌に、アズルは硬直してしまった。
「な、なにが起きて!?」
「……最悪っぴよ……あの木の実を食べたってことは……! 一気に力が増幅して……!」
サラピはあの木の実が何かを知っているらしく、顔に戦慄が浮かんでいる。
「えーと……今のは、パワーアップ的な何かで……?」
「あれはクロの実っぴよ! 食った魔物は手に負えないっぴ! 早く逃げろっぴぃぃぃ!」
これは……さすがに勝てない。
アズルが頭でそれを理解し、脳が体に逃走命令を出すより、ゴブリンの動きの方が早かった。
サラピの悲鳴も空しく、巨大化したゴブリンは、その大きな手でアズルの胴体を軽々と掴み上げる。
唾液を垂れ流し、アズルに顔を近づけている。漂う口臭にアズルは顔をしかめたが、いやいやそれよりも。
「お、俺を喰う気?」
「ギャオオオアアアアアアアアッ!」
「ひいいっ!」
耳をつんざくような叫び声をもろに浴び、アズルは悲鳴を上げる。サラピというと、もはや声も出ず表情だけが固まってしまった。
そのまま巨大な牙に噛みつかれるかと思いきや——
突然、雨が止んだ。
灰色の雲が少しずつ開いていき、草原に陽光が差し込まれていく。
一度は見捨てたお天道様が、再びやってきてくれたのだ。
するとゴブリンは、よっぽど光が嫌いなのか、目を閉じて暴れ、アズルを放り投げた。
そして倒れたままの小さなゴブリン二匹を両手に担ぐと、どこか陰になる場所を求め、慌てて逃げて行ってしまうのであった……
「ハァッ、ハァッ……な……何とか助かった……」
太陽の温かさで乾いていく地面に倒れこみながら、アズルは深い息を漏らした。
魔物の中には一部、太陽が苦手な種類と得意な種類がいる。
サラピ、つまりサラマンダーバードは、太陽の光に影響を受けない種だ。
しかしゴブリンは、光が大の苦手な魔物だった。なので活動時間は夜と雨の日。太陽が現れたので、彼らはアズルたちの前から逃げて行ったのである。
「雑魚なりに頑張っていたっぴね」
「お前さぁ……」
ピンチを救ってもらったというのに高慢なサラピに対し、アズルはため息を出す。
サラピの瞳は、先ほどまでアズルを見ていたゴミを見る目とは変わっていた。
己が認めた者——彼だけが知る青年の姿に向けられる眼差しだ。
「オイラは、お前のことを勘違いしていたっぴ」
「……え?」
「お前は面白い奴だっぴ。でもたったそれだけであって、いざってときは逃げ出すような雑魚だと思っていたっぴ。でも……」
サラピはまっすぐにアズルを見つめる。
「お前は弱くても、勇気を出せる奴だったっぴ。危険を顧みず、オイラの為に戦ってくれたっぴよね? お前はまさに、勇気ある者——勇者、と呼ばれるに相応しい存在だっぴよ」
「サラピ……お前って奴は……」
「オイラは本当に酷い誤解をしていたっぴ。お前は……」
少し涙ぐむ顔をしているアズル。
しかし次の一言で、それは完全に引っ込んでしまった。
「常識を逸した馬鹿だっぴ! そんでもって、世界一面白い奴だっぴ!」
「……あ?」
顔をしかめたアズルを後目に、サラピはあれこれと語り始める。
「マジでやばいっぴ。『やってやろうじゃん』とかカッコつけたセリフ並べておきながら、最後は悲鳴上げていたりとか。そもそもゴブリン三匹に突っ込んでいく猛者の地点で、脳を持っているのかを疑うっぴ。勇者って本当に呼ばれるには、あと百万年はかかるっぴねー。あと、あの股間蹴っていたやつ……」
「もうそれ以上深堀りすんな!」
ついにアズルが、顔を真っ赤にして叫んだ。
サラピは笑い声を出すが、一瞬だけ、アズルを見つめてほほ笑んだ。
ごく普通のことのように、彼は本音を口に出す。
「でもまぁ……お前が持つ勇気と優しさは、認めているっぴ」
「……なんだよ、急によせよ」
今度は別の理由で、アズルが再び赤面する。
サラピは笑顔を浮かべたまま、ちょこんとアズルの前に立った。
そして、大きな声で言う。
「決めたっぴ。オイラはお前についていくっぴ!」
「……えっ!?」
「ちゃんと都会まで案内してやるっぴよ。いや、それ以降もついていくっぴ。お前が何をするのか知らないけど、お前といれば飽きないっぴよ」
唐突な同行宣言に、アズルはしばらく理解に追いつけず困った。
この口の悪い小鳥がついてくる? 毎回悪口を言い続けられる予感しかしない。
「や、やだな、ついてくんなよ! 街の場所を教えてくれるだけでいいから!」
「それはお前、自分の要望しか言わないわがままっぴよ。しかも、さっきゴブリンたちを倒せたのは……いや、倒せていないっぴね。追い払うことができたのは奇跡っぴよ? オイラがいなくても、この先やっていけるっぴか?」
「……それは、そうだけどっ……ていうか俺、医者に会ったら家に帰るつもりなんだけど。お前が望むような旅をするつもりはないぞ」
「それでも構わないっぴよ~」
アズルが何と言おうと、サラピは絶対についてくるつもりらしい。
「……ハァ、わかったよ、勝手にしろ」
アズルは諦めたようにつぶやき、立ち上がる。
サラピが、勝手に彼の胸ポケットの中へともぐりこんだ。そしてアズルは、少しずつ歩き始める。
奇妙な感覚だった。表面上は、サラピに対する嫌悪感を露わにしている。
しかし、誰かがそばにいてくれるというのは、意外と悪い気分ではなかった。
「ところで、まだ名前を聞いていなかったっぴね」
「あれ? そうだっけ?」
あまりにも親しみすぎていて、名前をサラピに教えていなかったとこに、今更気づいた。
「俺はアズル。……えーと、よろしくな」
「改めて、オイラはサラマンダーバードの……」
「サラダだよな。ちゃんと覚えてるぜ」
「マジ今度こそぶっ殺すっぴよ!?」
またもやサラダネタの繰り返し。
するとアズルの腹が、断末魔を上げた。
「あぅあああぅああああっぁ! 腹が……腹が減って死ぬ……」
「そういやアズル、おなかが空いたって言ってたっぴね。忘れてたっぴ?」
「早く都会まで案内して……じゃないと本気でお前をから揚げに……」
アズルの弱々しい声と、それに続くサラピの返答。
草原に、二人の爆笑が響いた。
きっと、お天道様もつられて笑っている。だから、草原はこんなにも輝いているのだ。
短編版を読んでくださりありがとうございました!
あらすじにある通り、今後、アズルは色々あって指名手配されたりするのですが……
続きはぜひ、連載版「青二才のアズル」の第5話から確認してみてください。
青二才のアズル ~冒頭 短編版~ 紫煌 みこと @boll
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