第25話 ハンナとノンナ

「ただいま帰りましたわ。お母様」

「……どうしたの? 急にしおらしくなって。なにか悪いものでも食べた?」

「……もう、なにそれ。ひっどーい」

「うふふ。でも本当にどうしたの?」

「うーん。なんかさ。今日も学校でみんなと話してたんだけど、なんだか私って貴族らしくないんじゃないかな? って思っちゃってね。それで、それっぽくしてみたんだけど、どうだった?」

「思いっきり変だったわね」

「えー。……やっぱり?」

「うふふ。そんなことより、今日は何食べたい?」

「うーん……、カツも捨てがたいけど、どっちかっていうとハンバーグの気分かな?」

「なるほど。じゃあ、そうしましょう。お父さんも好きだからきっと喜んでくれるわよ」

「だね! ついでにいうとユーリも好きだから、家族みんなの好物ってことになるかな?」

「そういえばそうね。私も大好きだから、ついついよく作っちゃうの」

「あはは! あ、目玉焼きものせてね。半熟で!」

「はいはい。じゃあ、さっそく作るけど、今日、宿題は?」

「ないわよ」

「そう。じゃあ手伝って」

「うん! 着替えてくるね」

そんな帰宅の挨拶で堅苦しい貴族社会の生活からいつもの和やかな日常に戻っていく。

私はその瞬間がたまらなく好きだ。

肩肘張った貴族社会の柵から解放され、本当の自分でいられる空間に戻る。

そのことが私にいつも元気をくれていた。

楽な服に着替え、さっそく台所に向かう。

手を洗い、自分のエプロンを着けると、なんだかさらに嬉しくなった。

母と二人、台所に立って夕食の支度をしていく。

それが、貴族社会ではありえないことだと知ったのはいくつのころだっただろうか?

たしか初等部を出るか出ないかの時だったと思う。

友達に、

「うちのお母さんはお料理が上手なのよ」

と自慢したら、

「なんでお母様がお料理をしているの?」

と聞かれたことがきっかけだったはずだ。

家に帰ってすぐに母に質問すると、母は困ったような笑顔で、

「貴族のお家ではメイドさんか料理人が料理をするのが一般的みたいね。うちがちょっと変わっているのよ」

と教えてくれた。

私はなんとなく妙な気分になったが、今にして思えばちょっと変わっている我が家に生まれてよかったと思っている。

母と一緒に野菜を切り、あめ色になるまでタマネギを炒める。

その時間で今日あったなかばどうでもいいような出来事をぺちゃくちゃと話すことは、私に人間らしく生きるとはどういうことかを教えてくれているような気がした。

母がお得意の氷魔法で氷を作る。

なんでも母はあのシャーリー先生を凌ぐほどの氷魔法の使い手なんだとか。

普段の生活で母はそんな物騒な一面をみじんも感じさせないけれど、話に聞くと父と親密になるきっかけを作ったのはその氷魔法らしい。

それはまだ母が定食屋の娘として市井に暮らしていたころの話。

たまたま町で見かけたひったくりを母が氷魔法で転ばせて逮捕するということがあったのだそうだ。

その時、町の警備にあたっていたのが若き日の父。

その事件をきっかけに父が母の実家の定食屋に通うようになり、二人は大恋愛の末結ばれたのだとか。

父が継ぐはずのなかった伯爵家の家督を急遽継ぐことになり、二人の間に危機が生じたが、それも愛の力で乗り越えたらしい。

父は貴族社会が求める万難を排するために、そうとう頑張ったのだとか。

その時のことを話す母はいつも嬉しそうな顔をするからよっぽどのことがあったのだろう。

そんな話を聞く度に私は、

(本当に素晴らしい両親のもとに生まれたんだなぁ……)

と心の底からの幸せというものを実感することができた。

やがて、肉タネを氷水で冷やしながら手早くこねていく。

混ぜ終わると、「ペチ、ペチ、ペチ……」と両手を使ってリズムよくタネを躍らせ、手早く空気を抜いていった。

「うふふ。ずいぶん上手になったわね」

「そりゃぁ、毎日のようにお手伝いしているんだもの」

「こうして料理に集中できるのも、他の家事をメイドさんや執事さんがやってくれているおかげなんだから、感謝を忘れないようにね」

「はーい。でも、なんでお料理はあまり手伝ってもらわないの?」

「うーん。最初はけっこう手伝ってもらってたんだけど、ユーリもノンナも大きくなって手が離れたくらいからかな? 家族の食事は全部自分の手で作りたいって思いが余計に強くなってね。それからわがままを言って、今みたいにしょっちゅうお台所に立つようになったのよ」

「そうなんだ。お父さんはなにも言わなかったの?」

「ええ。出来るだけ庶民的に暮らしたいっていうのが私の希望だったから。きっとその夢をかなえようとしてくれているのね。あの家族用の食堂だって、結婚した後、書庫だったところを改装してわざわざ作ってくれたのよ」

「そうだったんだ。ふふっ。それも愛の力ってやつだね」

「まぁ、ノンナったら……。でも、その通りね」

「うふふ。そんな話をされたらご飯の前からお腹いっぱいになっちゃいそう」

そう言いつつも手を止めることなくハンバーグを作っていく。

家族の分だけじゃなく、使用人さんたちが食べる分まで作るからけっこうな量になった。

まずは母が使用人全員分のハンバーグを焼き、それに合わせて私が半熟の目玉焼きを作っていく。

ジューッといういい音とお肉のやけるいい香りが充満する台所にいるとそれだけで私の心は満たされていった。

ふと。

「私にも魔法の才能があればよかったのになぁ……」

とつぶやく。

「あら。ノンナも氷魔法を使えるじゃない」

母はそう言うが、私の氷魔法は中途半端だ。

せいぜい大きめのボウル一杯か二杯の氷を作る事しかできない。

とてもじゃないが母のように、池の水を全部凍らせてしまうとか王宮の庭に降る雨を凍らせて季節外れの雪を降らせるという芸当はできない。

それでも、氷魔法を使えるというだけで、かなり珍しい存在であることは確かなのだが、目の前に伝説的な人物がいて、しかもそれが自分の母だということを思うとなんだか少し悲しくもなった。

「私もいつかお母さんみたいな魔法が使えるようになるのかしら?」

そんなことを言う私に、母は、少し困ったような顔で、

「ノンナにはノンナの魔法があって、ノンナにしかできない使い方があるものよ。いつかそれがわかるころ、ノンナはきっと素敵な淑女になっているわ。だから、あまり気にせず自分らしく生きてちょうだいね」

といつもの慰めの言葉を掛けてきてくれる。

私は私で苦笑いしながら、

「そうだよね。うん。こうしてハンバーグのタネを冷やしたり、アイスクリームを作ったりできるだけでもすごいんだもんね。私もっとお料理を勉強してお母さんみたいにみんなを喜ばせることができる人を目指すわ」

と言って母に微笑んで見せた。

そんな私の頭を母が軽く撫で、

「自分らしく生きていけばそれでいいのよ」

と言ってくれる。

私はそれが妙に照れくさくて、少し頬を赤らめつつも、

「荒事はお父さんとユーリに任せておけばいいんだもんね。私は私のやり方でこの魔法をみんなの幸せのために使うわ」

と自分なりの決意を母に話した。

そうこうしているうちに大量のハンバーグが焼き上がる。

それをお皿に盛り、目玉焼きをのせて我が家自慢のデミグラスソースをかければ、グランフォード伯爵家自慢のハンバーグが出来上がった。

そこへメイド長のミリーさんがやってくる。

「いつもありがとうございます。奥様。お嬢様」

にこやかにそう言ってくれるミリーさんにハンバーグの配膳を引き継ぎ、今度は自分たちの分を作り始める。

すると今度は執事のキーナンさんがやってきて、

「旦那様のお帰りです」

と告げてくれた。

「じゃあ、先に食堂にいってお父さんとお話してるね」

「ええ。すぐに持っていくわ」

と話し、私のお手伝いはここまでとなる。

私はいつものようにエプロンを脱ぎ、家族の食堂に向かうと、

「お父さん、お帰り!」

といつものように元気よく挨拶をした。

学校はどうだったか? といつもの様に話していると、そこへ母がカートを押して入ってくる。

炊き立てのご飯にほかほかのハンバーグがのったカートからそれぞれの前に食事が配られると、いつも通り、家族の食事が始まった。

「ユーリは今頃どうしているかしら?」

「今回はシャーリー先生のお供で奥地まで行っているらしいが、なに、あいつのことだ、心配ないさ。きっと美味い野営飯を食ってみんなと一緒に笑い合っているさ」

「ええ、そうね。でも、やっぱり心配だわ」

「そうだな。私もまったく心配じゃないかと言われれば嘘になる。しかし、私はあいつの剣を直に何度も受けているからな。みんなより少し心配の量が少ないのかもしれない」

「いつも思うんだけど、ユーリってそんなにすごいの?」

「ああ。あれは稀代の天才だ」

「そうなんだ。すごいなぁ……」

「その天才が努力を怠らないんだから、さらにすごい。そのうち私なんか飛び越えて、王国最強と呼ばれるようになるだろう」

「嬉しいような気がしますけど、それはそれで心配ね」

「ああ。そうなれば周りの貴族連中がいろいろちょっかいをかけてくるだろうし、今からそれに対応するための策を教えておかんといかんな」

「もういっそ、本当に私のお兄ちゃんってことにしてしまったら?」

「ああ。それも考えているが、貴族の柵というやつをひとつひとつ解きほぐしていく必要がある。なに、私なりに動いているから、心配ないさ。万事上手くやるよ」

「よろしくね。あなた。……でも、ユーリを貴族の枠にはめてしまうのは、ちょっと心苦しいわ」

「ああ。しかし、私が貴族である以上、それはどうしても避けられない。いろいろ考えたが、やはりこの家はあいつに任せようと思っている」

「そうね。私もそれがいいと思う。私は私で貴族っぽくないから、伯爵家を切り盛りしていく自信なんてないし、それに、政治のこととなるとちんぷんかんぷんなんですもの」

「まぁ、そうかもしれんが、ノンナ。お前もそろそろ貴族社会に溶け込む練習をせねばならんぞ」

「えー……」

「……そう不貞腐れるな。せっかくの美人が台無しじゃないか」

「なにそれ。でも、面倒なのはいやだなぁ」

「そう言うな。これも貴族家に生まれてしまった運命だと思って受け入れてくれ」

「はーい。でも、将来の結婚はちゃんと自分で自分の相手を見つけてくるから、そのつもりでいてね?」

「……父親にはなんとも辛い言葉だな。いや、それはともかく、ノンナも自分が信じた道を行きなさい。その先にはきっと幸せが待っている。私もハンナも信じて応援するからな」

ユーリのいない間になんだか重要なことが決められたような気がしなくもないが、食事はいつも通り楽しく進んでいく。

そして、デザートのミカンゼリーを食べ終えると、私たちは明日に備えてそれぞれの部屋に戻っていった。

「貴族ねぇ……」

部屋に戻り、ひとりつぶやく。

もうそろそろ子供のままじゃいられないことは重々わかっていた。

しかし、もう少しあの両親の子供でいたいという思いもある。

「ユーリはどう考えているのかしら? でもあのユーリのことだもの、きっとどんな道を示されても軽々乗り越えて行っちゃうんでしょうね。……はぁ、天才が羨ましいわ」

と冗談半分の皮肉を言って軽く苦笑いをしてからベッドに体を投げ出す。

何もない天井を見上げて私はまた軽くため息を吐いたが、

(まぁ、どうしょうもないことはどうしょうもないわよね。私は私らしくが一番。毎日を楽しく過ごすことを第一に考えていればきっと道は開けるはずよ。……私はひとりじゃない。お父さんもお母さんも、それにユーリもちゃんとそばにいてくれる。きっと大丈夫なはず!)

と頭を切り替え、布団を掛け直し、目を閉じる。

(今日のハンバーグ美味しかったなぁ。明日は何を食べようかしら? 久しぶりにチャーハンもいいわね。そしたらお母さんと一緒にギョーザを包みながらおしゃべりできるわ。うん、明日はチャーハンとギョーザ。それに卵スープもつけるの。うふふ。明日も楽しみだな……)

そんな明日の楽しみを考えていると、さっきまであった心のもやもやがすーっと晴れて穏やかな気持ちになった。

(おやすみなさい)

と心の中で唱え、ゆっくりと息を整える。

そして私はいつも通り幸せな気分で一日を終えた。

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