【短編】悪夢の追走者

四季 訪

【短編】悪夢の追走者

 “これは悪い夢だ。

 私はこうした夢を時々見る。

 それはまるで、別の世界に来てしまったかのようなリアルな夢を”


 前置き


 人には信じて貰えないだろうが、これは私の体験記だ。




 ───見られている。


 僕はふと、そう思った。

 うるさい心臓をあいつに聞かれないように必死に抑えこむ僕の直感が最悪な虫の知らせを齎した。

 体がガクガクと震え始める。

 白い息を荒く吐く口元を覆っている手が湿っていく。

 汗交じりの手を握り込んだ僕は、勇気を出して茂みから外の様子を窺った。

 あいつはいない。

 僕たちを生かすつもりなどさらさらない殺人鬼の姿はここからは見えなかった。

 それでも安心はできない。そもそもあいつが視界に入る距離に居たら、こんどこそ僕は助からない。


 突然始まったデスゲームのような殺人ショーは、集められた人々を次々に無残な惨殺死体へと作り変えた。

 僕もその一人。

 ラストゲームと銘打つこのステージをクリアすることができれば、僕たちは生きて帰ることができる。

 そう、信じていた。

 知恵や運を試された今までのゲームとは打って変わって、この最後は異常だった。

 投入された一人の鬼役の男。その男が異常だった。

 無尽蔵の体力。超人染みた速さ。そして──手にも触れずに人を真っ二つに切り裂く特殊な能力は、あまりにも現実離れしていた。


 僕たちはこのゲームにもクリアの為の糸口があると、そう信じていた。

 だけど、ここまで生き残ってきた人たちはそれまでの活躍があいつのためのお膳立てだったかのように、嘘みたいに簡単に死んでいった。

 頭の切れる奴も。幸運に恵まれた奴も。身体能力にずば抜けた奴なんて、真っ先に殺された。

 そして、ここまで僕の心を支えてくれた祖母もまた……


 みんなが攻略法を探した。

 分かったことはひとつ。


『あいつは誰一人として絶対に“逃がす”つもりがないらしい……』


 頭の切れる奴はそう断じて死んだ。

 あいつは遠くにいる参加者を殺そうと、信じられない速度で追いかけ始める。

 僕たちが「絶対に逃げられない」。そう感じてしまうほどに。


 脚の早さも持久力も化け物染みたあいつからは、どれだけ距離を取ったって逃げられない。

 そう結論染みた僕たちが出した答えは、みんな適切な距離を図りながら時間を稼ぐ方法だった。

 あいつが最速で走らない距離で、できるだけみんなが距離も保つ。


 だけど、そんな回数無制限のロシアンルーレットのような苦肉な策はいとも簡単に崩れ去った。

 当然だ。追いかけられた奴が死を素直に受け入れて、がむしゃらにならない訳がないからだ。

 距離の維持など容易く崩壊した僕たちは、自分だけが生き残ろうと、立ち位置の奪い合いを始めた。

 烏合の衆と化した僕たちが、あいつから時間を稼ぐ。なんて負け犬思想の作戦すらも果たせるはずもなく、みんな凄いスピードで死んでいくことになった。

 唯一の救いがあるとするならば、作戦中も今も、人が死ぬ間隔に違いはないということだろうか。


「皮肉だな……」


 最後に残った僕は急に自分の前に現れた黒い影を見ながらそう呟いた。

 震えはもうない。

 ころころ転がる視界を最後に、僕はあいつの足が、ふっと消えるの見ながら薄く笑った。


 はは。まだいたね。



 男は荒い息を吐きながらベッドから起き上がった。

 動悸は荒く、全身汗まみれ。

 恐怖に満ちた表情を安堵に変えて、男は台所へと向かった。


「ひでぇ夢」


 水を注いだコップを薄暗いテーブルに置いて、男はソファの上でくつろいでいた。


 しがない作家をしているこの男はこうした悪夢を時折見る。

 作品へのインスピレーションになるようなものから、朝には忘れているようなものまで様々。

 いつも見る、妙な程にリアルな夢に悪態半分、感謝半分。そしてちょっと楽しかったな、なんていう外様の人間特有の感覚に、恐怖の薄れ始めた男は表情を和らげ始めていた。


「使えるかな。結構面白かったし……書き出しは

 ──“これは悪い夢だ。

 私はこうした夢を時々見る。

 それはまるで、別の世界に来てしまったかのようなリアルな夢を”とか?」


「大丈夫?、Sくん」


 リビングに女が現れた。

 恋人とかそんな浮ついた関係ではないし、奥さんというわけでもない。

 たまたまこっちに遊びに来て、宿代を浮かせるために男の家に泊まったただの従妹だ。

 そんな関係性や思いは一切ない。


「あぁ、ごめん。悪い夢見てさ」


 心配する従妹に、男がそう愛想笑いを浮かべた。


「怖い夢?」


「そ、人がたくさん死ぬ怖い夢」


 従妹が近づいてくるのを見て、男が座り直す。

 隣に座った従妹にその夢の内容を具に話した。


「小説でも読んでるみたいに細かくて草」


「作家だからな」


 作家としての性で、少し細かく話してしまい、時間を食ったことに男は気付いて謝った。


「うなされるほどだったんだからよっぽどなんだね」


「俺、寝言言ってた?」


「よくわかんないことをごにょごにょと」


「うわ。まじか。恥ず」


「最後はちょっとにやついてたけどね」


 あの夢の人物の最期のシーンを思い出した男は、少し不快気に表情を顰めた。


「どうしたの?」


「いや。やっぱり人の本性ってのは最後の最後に出るもんだな、と」


「?」


──他の人を殺しに行くのを見て笑うなんて。


 夢であの人物の視点を追っていた男にとって、あの人物があんな性格だったとは少しがっかりした。

 やはり人間の本性なんて最後の最期までわからないものだ。


「なんかセンチメンタルになってる?」


「……悪夢だからな」


 恐怖して、見せ物として楽しんだ後、やはり男の胸に残ったのは少し悲しい感情だった。

 

「こういった夢を見るとな、自分の現状にも目が行って少し悲しくなる。その時はそんなに気にしていなかったことでも、今振り返ると感情的になってしまう」


「乾燥して固くなっていた心が、恐怖の湿気で柔らかくなったんだ?」


「それで押し当てられてた出来事に心がひしゃげてな──って、なんか急に詩的だな」


「私も作家志望だから」


「そうでしたね」


 男は水を飲み干すと、ぼーっとし始めた。

 それは何かに思いを馳せるような目だった。


「○○さんのことでしょ」


「うぇ。言うなよ」


「好きだったもんね」


 それは先日聞かされた友人の結婚話のことだった。

 仕事の忙しさと作品作りに没頭していた男にとって、電話越しの久しぶりの片思いの相手との会話は、さほどショックではなかった。

 美人だし、年齢も考えるとそろそろだと男は覚悟していたからだ。


「本当に好きなのか、分からなくなるくらい時間が経って、諦め半分もあったけど。今思うとまだ……好きだったんだなぁ、てな」


 従妹はなにも言わずに黙って男の話を聞いた。

 それに甘えて男も柔らかくなった心で感じた言葉を吐露し始める。


「周り皆、結婚し始めてる。俺はそんな相手もいない。ずっと一人でもまったく問題ないって、そう思ってたけど。今はどんどんと、皆との距離が生まれ始めてる。そんな気がしてさ」


「孤独?」


「そんな……感じかな。あんまり感じたことはなかったんだけどな」


「孤独を感じない人間だと、俺は自分のことをそう思ってた。でも違った。一定の空間の中で一人で居続けるのが孤独なんじゃない。心の繋がりを全て失って、心の空間を誰とも共有できなくなった時、人は初めて孤独になるんだ。今はそう思ってる」


「私は?」


「家族とは別だよ。友人っていうのは……。今は……すごく寂しいんだ」


「Sくん?」


 声のトーンが落ちた男に従妹が心配そうな目を向けた。

 ここまで落ち込んだ男を従妹は見たことがなかったからだ。

 いつも余裕そうで、不安や自分の弱みを見せたがらない男を知る従妹にとって、今のこの状態は少し不安な印象を抱いてしまう。


「皆、新しい家族が出来て俺を置いていく……」


「そんなこと───」


「ライフステージの違いってやつか?恋人が出来て、伴侶を持って、子どもが出来て、家族を作って……新しい空間の中で皆っ皆……!」


「ちょっと……急にどうしたのっ?」


 深夜にも関わらず、頭を抱えて大声を挙げ始めた男を従妹が必死に宥めるが、男の癇癪は止まらない。

 どんどんとネガティブになっていく、普段とはかけ離れたその姿にいよいよ従妹の表情にも焦りが見え始めた。


「皆、俺の元からいなくなる。皆!皆!」


 遂に泣き始めた男の異様な姿に、従妹がその場に固まった。


「新しいステージに行って、価値観が合わなくなって、話も嚙み合わなくなって……!新しいステージに行けない奴は皆──置いてかれて!」


「こ、こわいよ……Sくん……」


「新しいステージに行く度にみんないなくなるっ、どんどんどんどん脱落していって!」


「Sくん……?」


 人が変わったように叫び始めた男。

 口調には幼さすら感じるほどに、普段の彼とは様子が違う。


「おばあちゃんまで死んだ。唯一の肉親のおばあちゃんまで!」


 ──なにを言って……。


 そんな言葉は、従妹の口から出なかった。

 口をパクパクとさせる彼女の姿がそこにはあるだけ。


「無駄死にだった。の能力を計るためだからって……そう言っておばあちゃんは死んだ。分かったのは、切られてから体が切断されるまでの時間に、ほんの少しだけラグがあるってことだけ。おばあちゃんはそれを知るためだけに……死んだ」


「か、感情移入しすぎだよ……。作家さんだからってそこまで……。そ、それじゃまるで役者さんじゃん。Sくん、役者さんの才能まで!……す、 すごい……よ」


 血走った眼。

 じろっとした目つきで従妹を睨むその男。

 恨みの籠った見開かれた眼球がぎょろぎょろとしながら、彼女を見ていた。


「そんなに楽しいか。そんなに他人の悲惨な人生が楽しいか!」


 怒鳴る男に、従妹はただ怯えるしかできなかった。


 「人の不幸を!人の死を!人の最期を見せ物にして感情的になるのがそんなに楽しいか!」


 男の姿をした誰かが、涙ながらに訴えた。

 そしてその怨嗟に満ちたその眼を、能面のようにニヤリと笑みに弧を描くと、楽しみを堪えたように言葉を口にし始めた。


「あのステージに生き残りはいない。に居た参加者は全員死んだ。僕が間違いなくだった」


「なに……を」


「でも、ゲームはまだ終わってない。残念だけど……は全員───死ぬ。あいつからは逃げられない」


 男が鏡を見た。


「まだ……


 鏡を──いや、鑑の中に映る男の顔を見て、満足気に笑った。


「君もに参加していたんだろう?それとも自分はただの観客だと思い込んでいたのかい?でも心苦しいことに───あいつはそう思っていないみたいだ」


 玄関扉のドアノブがガチャガチャと音を立て始めた。


「いやぁあ!」


 遂に限界に達した従妹が悲鳴を上げる。

 そして、何かが崩れる大きな音がした。


「人生の最期に見たのがこんな悪夢だなんてね─────」


 彼女の悲鳴と、廊下の軋む音を聞きながら、“脱落者”がにやりと笑った。


「─────悪くないね」


 女の悲鳴と何かが転がる音がした。

 


──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────

あとがき


おはようございます。

ついさっき首ちょんぱされた四季訪です

五時ごろに悪夢を見て、衝動的に構想練って今あとがき書いてます


もちろん半分フィクションなのでみなさん安心してくださいね。


それでは私は寝ます。

おやすみなさい 

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