君と俺の未来の記憶

阿々 亜

君と俺の未来の記憶

 小学生最後の日、俺は“未知”を奪われた。


 俺の名前は久城健生くじょう たけお

 小学校の卒業式が終わり、帰宅途中に交通事故に遭った。

 頭を強く打ち、外傷性のクモ膜下出血というのになってしまったらしいが、幸い障害などは残らなかった。

 だが、その日から、俺には少しずつ無いはずの記憶が増えていった。

 それは、過去の記憶ではない。

 未来の記憶だった。

 事故にあった日を起点に、1日後には2日先までの記憶が、2日後には4日先までの記憶が、3日後には6日先までの記憶が、少しずつ増えていった。

 あくまで記憶なので、すべてを鮮明に覚えているわけではない。

 だから、何月何日の朝食は何を食べたとか、その日の天気がどうだったとか、どうでもいいことは覚えていない。

 逆に、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、そういう感情に刻まれるようなことは、まるですでに体験したかのように鮮明に覚えていた。

 記憶が増えていくペースは変わらず一定で、事故から1週間後には2週間先までの記憶が、1か月後には2か月先までの記憶が、1年後には2年先までの記憶が、脳内で増殖するように増えていった。

 このペースでいけば、俺は何歳まで生きられるかわからないが、俺の寿命の半分にくるころには、俺は死ぬまでの記憶を全て手に入れてしまうことになる。

 なんとも言えない気分だった。

 恐怖のような、絶望のような……

 一方で、その日その瞬間に体験する出来事に、俺は感情が動かなくなった。

 そりゃそうだ。

 何が起こるかもう知ってるんだから。

 俺は“未知”を失ったのだ。


 そして、中学3年の3学期のある日のことである。

 朝、起きた時、俺の脳には新たな記憶が増えていた。

 事故から3年弱経っており、新たに増えた記憶は、今から3年後のものであった。

 高校3年の3学期、その出来事は起こる。

 俺はその内容に絶望した。




 学校の帰り道。

 人通りの少ない橋の上で、俺は幼馴染の中川唯なかがわ ゆいと二人で歩いていた。

 俺は唯に向き直り、その事実を告げた。


「唯……好きだ……」


 2月中旬のひと際寒い日だった。

 俺のその声は一瞬白く曇ったあと、宙に消えていった。


 相手――唯は驚いており、元々くりっとしている目を更に丸くしていた。


「ええと……冗談とかじゃ……ないよね……」


 唯は少し困ったような表情でそう聞いてきた。


「冗談だったら、もっと笑えること言うだろ……」


 俺は少しむすっとしながらそう応えた。


「そ、そうだよね……」


 唯はすまなそうに苦笑いする。


 沈黙が流れた。

 俺も唯も俯いたまま黙っていた。

 俺の方からこの沈黙を壊すことはできなかった。

 この場を支配する“問い”に、俺は“答え”を持っていないから。

 答えを持っているのは唯なのだから。


 どれほど待っただろうか。

 きっと1分かそこらだったのだろうが、俺には永遠に等しく感じられた。


 そして、ようやく答えがもたらされる。


「ごめん……」


 唯は頭を下げた。

 俺は呆然と立ち尽くしている。


 しばらくして頭を上げた唯は俺に追い打ちをかける。


「私……好きな人がいるの……」




 以上が、今から三年後に起こるのである。


 あー……

 マジかー……

 未来の記憶を思い出すようになって、今までで一番キツイわー……

 三年も先に告白するのに、すでにフラれることが確定しちまったー……


 俺は頭を抱えた。


 唯とは家が近くて、幼稚園からの腐れ縁だ。

 小学校高学年の頃にはもう異性として意識していたように思う。

 だが、本当に好きだって思うようになったのはつい最近だ。

 その矢先に、この未来の記憶である。


 どうすっかなー……

 今まで、未来を変えられるかと思って、記憶と違う行動を起こしてみたことは何度かあったが、細かいことは変えられても、大きな出来事を変えることはできなかった。

 特に、他人の意思や行動を変えることは成功した試しがない。

 あー、困ったー……


 そんなふうに悶々とする日々が続いたが、さらに新しい記憶が現れる。

 俺がフラれた数日後、唯は同じく幼馴染の長月智哉ながつき ともやと付き合うことになる。

 唯の「好きな人」というのは智哉のことだったようで、俺がフラれたあと、智哉に告白しOKをもらったとのことであった。

 なぜ、そうなる……


 この事態を知って改めて現在の二人の様子を見てみると、確かに唯の智哉に対する態度は完全に想い人に対するそれであった。

 しかも、智哉の方も唯に対してまんざらでもない様子だった。

 なんで今の今まで気付かなかったんだ、俺……

 自分の鈍感さが嫌になる……


 だが、となると状況はもう絶望的だ。

 俺が告白してフラれ、唯と智哉が付き合い始めるまであと三年あるわけだが、唯の気持ちはおそらくもう固まっている。

 だったら、なんでこれから三年も告白しないのか謎なわけだが。

 好きなんだったらさっさと告白しろ!!

 って、それは俺もか……

 だが、俺が唯に告白する意義はもうない。

 フラれるのが確定してるのに告白するバカはいない。

 あれ……

 じゃあ、俺、なんで三年後に告白するんだろう?


 その疑問の答えは、いくら考えてもわからなかった。

 とりあえず俺は、唯を諦める努力を始めた。

 唯以外にいい人を見つけようと、周囲の同年代の女の子をできるだけ意識するようにした。


 高校に上がってからは、何組の○○が可愛いとか、上の学年の□□先輩が優しいとか、そんなことばかり考えるようになった。

 周りからは「アイツ、高校に入って急に女好きになったよな」と揶揄され、挙句の果てに、智哉から「お前、そんなヤツじゃなかったじゃん。いったい何があったんだよ?」と真剣に心配されたりした。


 誰のせいだと思ってんだ!?


 と心の中で絶叫したが、事情を説明できるはずもなく、心の中で留め置いた。


 そうやって人一倍思春期真っ只中な高校生活を送ったわけだが、唯より好きになれる人は見つからなかった。

 まあ、俺が全くモテなくて、誰からも相手にされなかったってのもあるが……


 そして、とうとう、高校3年3学期、2月某日、俺が唯に告白するはずの日がやってきた。

 絶対告白なんかするまいと、その日は朝から唯と会わないように逃げ回った。

 だが、どういうわけか、放課後学校を出た途端に唯に捕まり、一緒に帰ることになってしまった。

 やはり、歴史には逆らえないということなのか……

 いや、他人の意思や行動は変えられなくても、俺の行動は変えられる。

 家に帰るまで、俺が唯に告白しなければ済む話だ。


 そんな固い決意を胸に、俺は唯と並んで歩いた。

 18歳になった唯はすっかりキレイになっていた。

 キレイになったけど、中身は小さいときと同じで、優しい少女のままだ。

 俺じゃなくても、同年代の大多数の男が唯を好きになりうるだろう。

 そして、それは智哉も……


 そうこうしているうちに、あの記憶の中にある橋の上に差しかかった。

 このまま何も言わずにここを通り過ぎる。

 ……はずった。


 俺の脳に新たな記憶が現れた。




「健生!!」


 俺は呼び止められ、振り向いた。

 そこには一人の女性が立っていた。


「やっぱり健生だ!! 久しぶり!!」


 女性は二十代前半くらいで、ベビーカーを押していた。


「唯……なのか……」


 俺は恐る恐るそう尋ねた。

 たった数年しか経っていないはずのに、唯の雰囲気はとても大人びていた。


「そうよ、私に決まってるじゃん。なによ、そんなに老けたって言いたいの?」


 唯はそう言ってカラカラと笑った。


「それより健生、去年の結婚式、なんで来てくれなかったのよ?」


 結婚式……

 ああ……

 智哉とゴールインしたのか……


 諦めたはずなのに、やっぱり胸が痛むな。

 そうか……

 だから、俺は結婚式に行かなかったんだな……


 俺が言葉に詰まっていると、ベビーカーの中の赤ん坊が泣き出した。


「ああ、またかー……さっきミルク飲んだじゃん。今度はどうしちゃったの?」


 唯はベビーカーから赤ん坊を抱きかかえた。

 わたわたと困った顔をしながらも、その表情はとても明るかった。


 不思議だな……

 唯のその姿を見ていると、俺の胸の痛みが嘘のように晴れていく。


「唯」


「ん? 何?」


「今、幸せか?」


「うん、幸せだよ」


 唯はにっこりと笑ったあと、意外なことを言った。


「全部、健生のおかげだよ」


 え……


「健生があの日、言ってくれたから、私は前に進むことができたんだよ」


 俺が言った……

 ああ……

 そうか……



 記憶が繋がり、俺の意識は現在に戻ってくる。

 事故から6年が経っているので、今思い出した記憶は6年後のものなのだろう。

 6年後、唯は結婚し、子供が生まれ、幸せに暮らしている。


 俺は……

 唯の幸せを守りたい。


 いつの間にか、俺と唯は橋の真ん中まで来ていた。

 俺は唯に向き直り、その言葉を告げた。


「唯……好きだ……」


 記憶の中と同様に、唯は驚いていた。


「ええと……冗談とかじゃ……ないよね……」


「冗談だったら、もっと笑えること言うだろ……」


「そ、そうだよね……」


 記憶と同じように沈黙が流れあと、唯は頭を下げた。


「ごめん……」


 唯は頭を上げて、その事実を告げる。


「私……好きな人がいるの……」


 うん……

 知ってるよ……

 ずっと前から唯が智哉のことが好きなのも……

 勇気が出せなくて、ずっと告白できないでいるのも……


「ああ、やっと言えたー!!」


 俺は笑顔を作り、わざとらしく大声でそう言った。

 思いがけない反応に、唯はキョトンとしている。


「すっげー、勇気いったー!! でも、言えてよかったー!!」


 俺は橋の上から川の下流に向かって力の限りそう叫んだ。

 一人二人通行人がおり、かなり恥ずかしいが気にしない。


「唯、俺は勇気をだしたー!! だから、お前も勇気を出せー!!」


 そこまで叫び終え、俺は唯の方に向き直った。


 唯は何が起こったのか理解できず、混乱している様子だったが、俺の目を見ているうちに徐々に俺の気持ちが伝わったのか、うっすらと涙を浮かべ始めた。


「うん……ありがとう……」


 唯はそう言って、元来た学校の方に向かって走り出した。

 おそらくこのあと、智哉のところに行って告白するのだろう。


 それにしても、さっきの部分の記憶だけ抜け落ちていたのがなぜかわからない。

 考えられることとしては、未来の記憶によって左右された意思や行動は未来の記憶として見えないとか……そういうタイムパラドックス的なやつか?


 まあ、どうでもいいことだ。

 大事なのは、俺にも知らない未来があったということ。

“未知”が残されていたということだ。


 俺は前を向いて、未来に向かって歩き始めた。




 君と俺の未来の記憶 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君と俺の未来の記憶 阿々 亜 @self-actualization

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画