轍(わだち)の宝石、あるいは染み

りあな

第1話

 戦場に溢れる怨嗟の木霊。憂いに満ちた嘆きの声。その慟哭を最も高く上げるものはなんだろうか? 戯れな略奪に喘ぐ村々? 馬の蹄に鞣される人々? 余興として子を殺され犯される女? 私は知っている。最も高く響く慟哭は、男たちが死に際に上げるその声だと。


 チュザンニは誉れ高い騎士であった。荘厳たる屋敷を持ち、真珠の様に美しい妻を娶っていた。太陽の誉れを得た土地で生まれ育ったその肌は、美しい妻に相応しく、また彼の持つ騎士の精神を表すかの如く黒々と輝いている。彼は忠義の徒であった。今まさに、その忠義を尽くす我が君がため戦場へ発つ。その身体を支えるは同じ色の名馬。馬もまたチュザンニの雄々しきその気に触れ、嘶きを上げ昂ぶっている。今や今やと脚を進めるその時を待ちながら。心が打つは忠義の音。身体に奔るは想いの熱。

 だが、彼らを待ち受けていたのは圧倒的たる力だった。薙ぎ払われていく男たち、切り刻まれていく男たち。その力の前には彼らの音も彼らの熱も、ただ怒りと嘆きとなり、天と地を流れてゆくだけだった。


 彼は慟哭の溢れる戦場にて、かつて我が君が王子だった頃、彼の持つ土地へ漫遊に来た時の事を思い出す。

 王子の馬車が道を征く。その通り路たる家々から、若い乙女たちが手に手に宝飾を持ち、贈り物として投げ渡す。しかしその数はあまりに多く、大半は側仕えも受け取りきらず、ただ馬車の轍となる。

 しみと成りゆく宝飾品。霞と消えゆく乙女の心。王子にはそれが、誰から贈られたのかも分からない。そも、しみがあることにすら気づかないだろう。


 まさしく戦場はその再演だった。


 泥臭い場に現るは、豪奢な服の蛮族の王。彼を囲うは肌を出した、娼婦めいた下僕の女たち。南より現れた彼はチュザンニの仕える王国を唾棄すべき強奪者の国と罵り、奴隷農奴その他諸々を解放せんとして侵略を始めた。

 彼の者の持つ力は強大だった。腕の一振りで百が薙ぎ払われる。二振りで千が切り裂かれる。三振りで万の嘆きが木霊する。我が君は義に厚き名君であり、盟友たる諸国は忠義に応え各々数万もの兵を寄越した。集まりたるは数十万。万が百にも達せんとす、歴に見ぬほどの大軍である。王国の危機は世界の危機。冬に凍え春に飢え、夏に倒れ秋に嘆き死ぬその民を、初めて零とした名君。その誉れ高さを表さんばかりの数であった。


 天を突く慟哭。男達の叫びで地が埋まる。彼らは皆故郷に家族を残し、妻を残し、子を残して此処へと来た。全ては我が君の、誉れを護らんとして。その想いは怨嗟の嘆きへと、ただ男の一振りで変えられていく。その身体は大地のしみへと、ただ男の二振りで変えられていく。地獄とはまさしくこの場を示す。


 解放を掲げる女たちが、しみへと成り行く男たちの嘆きを聞く。まったく、正義の徒である彼女たちはその声を意に介そうとはしない。むしろ当然の罰であるかのような顔をしている。チュザンニは軍を率いて突撃する。地を疾走る馬たち、声を上げる男たち。それらはすべて、蛮族たちには届かない。ただただ無慈悲なその腕が、彼らをしみへと変えた。


 真珠は涙に濡れて煌めく。チュザンニの逞しい胸に抱かれ、熱く迸る潮で彼を引き留めようとしていた。しかしチュザンニの心は別の熱に浮かされている。忠義の徒として、我が君に尽くさんとするその熱に。真珠は彼を引き留められない事を知っていた。これが永劫の別れとなる事も知っていた。ただ、その熱を彼に伝える事で、その最後が冷たく終わらないことを願った。


 もはやその地には音はない。嘆きも慟哭もすべてが尽きた。蛮族の王とその下僕が道を往く。正義の名の元、誉れ高き王を殺すための道を征く。彼らの衣装に汚れはない。栄誉も名誉も消え去ったその地で、王の下僕の一人が、残ったしみを哀れむように撫でた。


 チュザンニは、最後に残ったその熱で、下僕の顔に一筋の傷を付けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

轍(わだち)の宝石、あるいは染み りあな @riana0702

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画