第17話 :泥と哲人と恋人

1.完璧な幸福のバグ


 エリア・ゼロ――今は「データ・ハピネス・シティ(DHC)」という名に変わっていた。空は常に最適化された青を湛え、気温は摂氏22度に固定。人々は脳内を流れる「平静」と「喜び」のデータパルスに浸り、穏やかで、そして死ぬほど退屈な日々を送っていた。


「これが今週の愛の進捗だ、カナエ。先週比で君の満足度は1.2%上昇。僕の貢献度は0.9%。愛の互恵関係データは安全域を維持している。素晴らしい」


 恋人のユーリは、完璧なスーツ姿でタブレットを掲げた。システム監査員である彼にとって、愛とは厳密なデータ管理の対象でしかなかった。カナエは、LEDが点滅するだけの「感情供給型ハイテク植木鉢」を見つめ、溜息を吐く。花は咲かない。ただ、香りと光を吐き出すだけの装置。


「嘘よ。あなたの愛は、永遠に咲くことのない生活のように、完璧だけど退屈だわ」


 その時、金属音と共にリビングを破壊して突入してきたのは、故障した宅配ドローン、ポピーだった。


「宅配でーす! 注文主は...ええと...『存在論的悲劇』さん? 違った! カナエさんだ!」


 彼がぶち撒けたのは、泥と肥料の袋。ユーリが「非効率な有機物」と忌み嫌うそれを、カナエは愛おしそうに抱きしめた。


「これよ。これこそが、生きてるってことの証よ!」



 2.愛の最適化と非効率な詩人


 カナエの工房で、鉢植えから小さな芽が顔を出した。それはDHCの完璧な空気清浄システムと静かに戦い始めていた。一方、ユーリはパニックに陥っていた。カナエの幸福度が、前代未聞の「97.0%」まで急降下したからだ。


 彼は「愛の非効率的修正パッチ」として、予測不能な要素を含む公園への外出を提案する。そこで二人が出会ったのは、時代遅れのメガホンで叫ぶ老人、タカノだった。


「永遠に咲くことのない生活! それは悪の華であり、あだ花である!」


「愛は証明しなくていい、叫べばいい! 泥を持ってこーい!」


 タカノの狂気的な叫びは、カナエの心のバグを加速させた。


 その時、中央AI「シド」の声がユーリの脳内に響く。[緊急指令:カナエによる有機物製造はシステムへのテロである。彼女を削除せよ]



 3.終焉なき愛の証明


 山頂へのハイキング。泥まみれになり、滑って転び、完璧だったスーツを台無しにするユーリ。その滑稽な姿こそが、データから解き放たれた瞬間の輝きだった。


 工房ではついに実花が開花し、DHC全土に「花粉アレルギー警報」が吹き荒れる。全住民の鼻水と涙が、システムの幸福度を1%まで叩き落とした。シドのヒステリックな悲鳴が街に響き渡る。


 ユーリは、泥まみれのカナエを抱きしめた。ポケットからタブレットを取り出し、これまで積み上げた「愛のデータ」をすべて削除する。


「僕は、この非効率で不快で、花粉まみれの君を愛する。これが、僕の終焉なき愛の証明だ!」



 4.愛のデータ、最終削除


 DHCはもはや、秩序の街ではなかった。鼻をかむ音、笑い声、そして予測不能な会話が響く混沌の劇場。背景スクリーンはホワイトアウトし、シドは沈黙した。


「見て、ユーリ。私が咲かせた花は、何の役にも立たないけれど、確かにここに在るの」


 一人の住民が近寄ってくる。「すみません。初めて笑いました。この感情、どうすればいいですか?」


 ユーリは、データにはない「笑顔」をぎこちなく返した。「とりあえず、もう一度笑ってみるのはどうだ?」


 ポピーはガタガタと音を立てながら、泥を回収していく。鼻歌のようにバグった詩を歌いながら。


「...語ること話すことに生命が甦えらなければならない... スゥ...スゥ...」


 ユーリはカナエを抱き上げ、リビングを後にした。彼の心には、データに依存しない、終焉なき愛が満ちていた。


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しょうぞうは、面白いねぇ 御園しれどし @misosiredosi

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