三人三様
その1
隆の村のお祭りがやってきた。
この日、どの家でもご馳走を作る。門には日の丸が掲げられ、親戚がお祝いを持って駆け付ける。お祭りは親類縁者にとって、またとない、親交を結ぶ場でもあるのだ。
公民館の裏の倉庫からお
一方、子どもたちは村の真ん中にある神社に顔をそろえる。神社は鬱蒼とした大木に覆われ、その神々しさから普段は村人を寄せ付けていない。この日、境内に設けられた簡単な土俵で神事が行われた後、相撲大会が始まるのだった。
相撲大会では勝っても負けても賞品がもらえた。鉛筆や消しゴムなどで大したものではない。しかし、うれしくて、何度も土俵に上がる子もいた。
普段着に、さらしでまわしを締めただけのにわか力士だった。
五番勝負があり、隆は対戦者を寄せ付けていなかった。決勝戦で当たったのは中学二年生の茂だった。
茂は九月に学校で肘を脱臼した。隆にいきなり突き飛ばされたのが原因だった。もう相撲が取れるほど回復していた。
隆と茂は前年も対戦していた。隆の圧勝だった。
この一年で茂の背は伸び、がっしりした体格になっていた。それに、茂は眉を吊り上げ、闘志を前面に押し出していた。
隆が茂の胸に頭を付けた瞬間、隆は力の差を感じた。隆のまわしを握りしめ、茂は隆を引き寄せて吊ろうとした。
「エロ雑誌」
隆は小さな声で言った。
「水車小屋で美智ちゃんに何をしたん」
大歓声の中でも、隆の声は茂の耳に入った。
一瞬、茂の力が抜けた。すかさず隆は茂に足をかけ、突き倒したのだった。茂はしばらく立ち上がらなかった。土俵を降りて泣いていた。
「惜しかったなあ。けんど、そんなに泣くなよ。たかが相撲じゃないか」
茂の父親がなぐさめていた。
その2
子どもたちの熱戦をひときわ大声で応援している人がいた。
峠の一軒家に住むおっちゃんだった。おっちゃんはいつもニッカポッカを履き、ウイスキーの
おっちゃんは隆の頭を撫で回した。
「坊は強うなるわ。どや、おっちゃんと相撲とってみるか」
おっちゃんは隆を土俵にあげようとした。
「もうやめときな」
誰かが注意した。
「そうかい、そうかい。分かったよ」
おっちゃんは酒の匂いをプンプンさせていた。
おばあちゃんの里へ届け物をした帰り、隆は峠で一息ついていた。峠からのパノラマは隆の最もお気に入りだった。いつまでも飽きずに眺めていた。
ふと気が付くと、おいしそうな匂いがしていた。おっちゃんが庭で何か焼いていた。
手招きするので、隆は庭に入って行った。
「おう、横綱。食うか」
おっちゃんは竹の串を差し出した。肉だった。
「一人で寂しゅうないの」
隆はずっと疑問だったことを訊いた。
「もう、慣れたよ。一人の方が気楽でええと思うこともある」
おっちゃんはウイスキーの小瓶に口をつけた。
「結婚は?」
隆は恐る恐る尋ねた。
「おっちゃんな、刑務所に入っとたんよ。出てきたら、女房は愛想尽かして、見知らぬ男と同棲しとった。『絶対、許さん』と思うた。けど、仕返しなんかしたら、刑務所に逆戻りや。成長がない。二人を許した。考えてみたら、おっちゃんだって、女房に言えん秘密は抱えていた。自分のことを差しおいて、女房を責めたらいかんよな。間違いを犯さん人間はおらん。それに、人は誰も秘密の一つや二つは持っとる。それをそっとしておいてやるのが、本当の優しさ・強さやないかな」
隆は
「人の強さ・・・」
「そうと違うかなあ。おっちゃん、学校へ行っとらんから、難しいことは分からん」
「坊は誰か好きな子がおるんか」
おっちゃんはいきなり話題を変えた。
隆は首を縦に振った。
「同級生か。違うのか。じゃ、坊のいとこの美智ちゃんか」
隆は顔を赤らめた。
「なんで分かるん」
おっちゃんはそれには答えなかった。
「ワシも坊みたいに、母親の顔は覚えとらん。その埋め合わせのために、女を追い求めた時期があったなあ。けど、ワシの都合だけで相手は生きてはくれんかった」
「話ばっかりしとらんと、ほら食べろよ」
おっちゃんは隆に新しい串を渡した。
「おいしいか。そうか。もう一匹、焼くか」
言いながら、おっちゃんはニッカポッカの裾に手を入れた。何か動くものを取り出した。長いシッポが見えた。ネズミだった。
隆はやっとのことで
「冗談じゃよ。坊が食うたのは赤犬の肉じゃ」
おっちゃんは腹を抱えて笑った。
隆は胃が空っぽになるかと思われるほど吐いた。
その3
茂から、水車小屋に呼び出しがあった。
「誤解しとる」
という。
「何もしてない」
茂は言い張った。
「ほな、なんで美智子さんが服を脱いだんや。なんで、茂君はパンツいっちょうになったんや」
隆はじっと茂の目を見つめていた。茂の視線が空中をさまよっていた。
「ボクが都会の学校に転校する決心をする前に、どうしてもやっておきたいことがあった。美智子さんに好きだったことを伝えたかった。あんなに美智子さんに焦がれていたことを、ボクの心の中だけに仕舞っておくことは耐えられなかった。そのことを話した。美智子さんは転校の話にびっくりしていた。泣き出しそうな顔になった。そして『ありがとう』ってお礼を言ってくれたんだ」
茂にしばらく沈黙があった。
「ボクは自分でも信じられないことを思いついた。ボクは別人になっていたとしか考えられない。『最後に一つだけお願いしたいことがある。美智子さんのすべてを焼き付けたおきたいんだ』って言うと、美智子さんは納得してくれた。そして『私だって、茂君のことも忘れたくない』って言うので、ボクも服を脱いだのだよ。これがすべてだよ」
隆は板壁の隙間から目に入った光景を思い出していた。
あの時の衝撃が噓のようだった。
「腕、ケガさせてごめんなさい。ボクも茂さんのこと忘れないよ」
茂がボロボロ涙を流しながら、隆の手を握りしめた。
二人で淵を見に行った。
落ち葉が岸に積もり、赤黄茶色の葉で水面が埋め尽くされていた。
二人は時間を忘れて見入った。木枯らしが舞い、滝のしぶきが二人を濡らしていた。
その4
おばあちゃんに頼まれ、隆は水車小屋にそば粉を取りに行った。
年末を迎え、おばあちゃんは年越しの準備に余念がなかった。
「
渓が凍ると水車は停止する。村の衆は気が急いた。
隆が重い開き戸を開けると、先客がいた。
美智子さんが玄米の入ったザルを手に、
水車の回転が鈍かった。水量が少なくなってきたのだ。樋からツララが下がっていた。
「ちょっと見てくるわ」
隆は水車小屋を出て、淵の下まで行って見た。
思わず、息を呑んだ。滝は凍てつき、氷と岩との間をチョロチョロと水が伝わっていた。そこだけが呼吸しているみたいだった。
隆は石をどけ、樋への水量を確保した。明日にも水は氷るだろう。水車は長い冬眠に入る。
「わっ。何しとるん。寒いやろ」
美智子さんだった。隆が遅いので見に来たのだ。
美智子さんは走り寄って、隆のかじかんだ手を両の掌で包んだ。
隆の全身に血が巡った。
村に春が訪れた。
渓の岸にネコヤナギの穂が揺れ、畦道のつくしんぼも膨らむ。
流れはサラサラと音を立て、カワヨシノボリやカワエビ、沢ガニなども動き始める。野山には草木が芽吹き、ゆらゆらとかげろうが立ち上る時季になった。
隆と美智子さんは、バス停で茂を見送った。
隆は二人から離れて、バスを待っていた。やがて、満員のバスの近づいてくるのが認められた。
隆は何か言いたげな茂を、バスに押し込んだ。バスは土煙をあげながら、ゆっさゆっさと街道を下って行った。
その5
四月、隆は中学にあがり、美智子さんは三年に進級した。
隆にはクラスに気になる子がいた。中学になって転校してきた子だった。学校の近くにある電力会社の社宅に住んでいる。 隆はノートに気持ちを綴り始めた。
「こんなにも思われていることに気付いてない」
寂しそうな横顔を見るたびに、胸が締め付けられる。
でも、それでいい、と隆は自分に言い聞かせた。
その後、茂は村に足を運んだことがなかった。有名私立高校から東京の有名私大に進み、国家公務員になったと聞いた。
美智子さんは下宿して町の高校に通い、同級生と結婚して嫁ぎ先の観光業を盛り立てた。すでに引退し、息子さんに代替わりしている。
隆は高校卒業後、大学は建築科に進んだ。都内のゼネコンに就職したが、目を悪くして五〇歳で転職、故郷にUターンし、旧市街地で治療院を開いている。
村は典型的な限界集落である。三人の生家はすでに廃屋となっている。
水車小屋は朽ち果て、わずかに小屋の土台と臼のようなものだけが名残りをとどめているという話だ。
ニッカポッカのおっちゃんがいた峠は、杉木立に覆い尽くされている。
それにしても、謎に包まれた人物だった。
肝臓を悪くして病院で亡くなったという説、ある重大事件に関与していて逮捕されたという説、復縁し二人で朝鮮半島の
姓を
水車小屋 山谷麻也 @mk1624
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。水車小屋の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます