【短編】良い子にはクリスマス・ソングを歌って

春生直

第1話

良い子にしていれば、サンタさんは来ると思っていた。

だけど、私にサンタさんが訪れたことは、一度もない。


お母さんは若いうちに離婚して、女手ひとつで私のことを育て上げてくれたのだから、今思えば当たり前なのだけれど。



「樫村、次の会議の資料、明日までに作っておいて」


私のデスクにどん、と紙の束を置いて、部長が言った。


「あ……はい」


今日は、クリスマス・イブだ。

イブにも残業か。

もともと予定は無いのだから、別に構わないのだけれど。


サンタさんが来たことのない私は、そのまま、つまらない大人になった。

言われるがままに働いて、たまに来る無茶振りにも、笑顔で答えて。


そうやって、良い子にしていれば──

良い子にしていれば、何があるというのだろうか。



「あら、樫村ちゃんも残業? 私もなのよ、仲間ね」


だいぶ暗くなって、オフィスの人数も少なくなったころ、隣の席の栗原さんがそう言った。


「はい、明日までの資料を作れって言われちゃって。栗原さんもですか?」

「ええ、私も急ぎの要件を頼まれちゃって。イブなのに、嫌ね」


綺麗な栗色にカラーリングされ、つやつやと丁寧に巻かれた髪を揺らして、栗原さんは笑う。


栗原さんは、完璧な美人だ。

少なくとも私は、そう思う。

仕事もできれば、人望もある。

そんな人をイブに拘束しておくだなんて、この会社はひどい。


「残念ですね、彼氏さんも待ってらっしゃるんでしょう?」


大人にとって、クリスマスは恋人と過ごす日だ。

サンタさんの来る日では、ない。

これは、当たり障りの無い話題のはずだ。


栗原さんは、笑って答えた。


「彼氏はいないんだけどね。毎年、家族と過ごしているから、ちょっと申し訳ないわね」


家族と過ごす、クリスマス。

この年になっても、それはとても眩しいもののように思えた。


私は就職で上京したきり、もう何年も故郷の田舎町には、帰ったことがない。

帰ったとて、今更お母さんと何を話して良いものか、わからない。


「それは、羨ましいですね。私、クリスマスを誰かと祝ったこと、なくて」


つい、本音が漏れた。

栗原さんは目を見開いて、私のことを見た。


しまった。

余計なことを言ったかもしれない。


栗原さんはしばらく私のことを見つめると、椅子の下にかがみ込んで、何やらごそごそとした。

そして、何かを取り出して、差し出してくる。


「……迷惑じゃなければ、これ、もらってくれないかしら」


それは、きらきらとした装飾の、化粧品らしきブランドの箱だった。

私はびっくりして、大きく手を左右に振る。


「い、いやいや、こんな高そうなもの、もらえないです!」


栗原さんは、それを強引に私の手に押し付けた。


「いいの、もらって! 

私、クリスマスコフレが大好きで、毎年たくさん買っちゃうんだけどさ。

私はイエベだから、この色、たぶん似合わないのよ。

樫村ちゃんなら、色白だからきっと似合うわ」


そう言われて断ることもできず、それを受け取って、夜遅く帰途についた。



「クリスマスプレゼント、もらったの初めてだな……」


家に着いた私は、さっそく栗原さんにもらった箱を開けた。

その中には、青に銀の星がたくさん散った容器が入っていた。妖精や蝶の絵も描いてある。


「きれい……」


容器の蓋を開けると、そこには銀色と桃色の、二色のアイシャドウが入っていた。

チップで少量取って瞼につけると、星空が広がるように、顔が明るくなる。


「わあ……」


似合っているかは、わからない。

けれど、その光は確かに、ひとりぼっちの暗いワンルームを照らしてくれた。


栗原さんだったら、もっと似合うのだろうか。

きっと、完璧な美人には、良く似合うだろう。


「そうか、栗原さんは」


このアイシャドウが要らなかったんじゃない。

自分が欲しくて買ったのに、それを私にくれる気になったのだ。


「栗原さん……」


美しい箱を、もう一度見る。

持ち上げると、箱の裏から何かが落ちた。

拾い上げると、それは黄色い付箋のようだった。

その付箋には、栗原さんの丸い字で、こう書いてある。


「メリークリスマス! サンタより」


サンタさんじゃなくて栗原さんからだと、分かっているのに。

私は、手が震えて、またその付箋を落とした。

拾い上げようとして、自分の視界が滲んだのを感じた。


明日は、仕事を早く上がって、栗原さんへのお返しを買いに行こう。

今度は私も、サンタになってみよう。


私は、携帯の電話帳をスクロールして、発信ボタンを押した。


「……あ、お母さん? いや、用なんて無いんだけどさ。今度、そっちに帰ろうと思って」


今夜は、東京にも雪が降るらしい。

良い子じゃなくても、クリスマスの歌を歌って、良いだろうか。

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