地蔵人形

ユニ

地蔵人形

俺、甘利巧(あまり たくみ)にとって、学校という場所は「狩場」か「暇つぶしの場」、そのどちらかでしかない。


「おい巧、またサボりか?」

「うっせーな。かったりぃんだよ」


教師の説教を右から左へ受け流し、俺は気怠げに教室の自席に座る。

まわりは大学受験だの騒がしいが俺には関係ない。

要は、賢く立ち回って、甘い汁を吸えればそれでいいのだ。

真面目に勉強して働くなんて、馬鹿のすることだ。


クラスメイトたちは、俺の視線を避けるように会話をしている。

俺が「素行不良」だから?

違うな。俺がこの教室のヒエラルキーの頂点にいるからだ。

目障りな奴からは金を巻き上げ、気に入らない奴は精神的に追い詰める。それが俺の日常。


「……」


ふと、教室の隅に視線をやる。

そこに、相馬灯(そうま あかり)がいた。


長い前髪で目元を隠し、いつも俯いている女。

存在感がなさすぎて、クラスの連中は彼女を「幽霊」扱いしている。

俺にとっても、これまでは視界に入れる価値すらない「空気」のような存在だった。


だが、最近どうもあいつが気になる。

いや、恋とかそういう甘ったるい話じゃない。


あいつの周りでだけ、妙なことが起きている気がするのだ。

俺の動物的な勘が、「あいつを見張れ」と告げていた。


放課後。

俺は下駄箱の陰から、相馬灯の様子を観察していた。


相馬は誰とも会話せず、一人で校門を出る。

その背中を、一定の距離を保って尾行する。


「……ん?」


相馬がふと足を止め、自動販売機の前で立ち尽くした。

小銭を入れた様子はない。

だが、ガコン、という音がして、ジュースが一本転がり出てきた。


「当たり……まただ」


相馬はボソリと呟くと、無表情でジュースを拾い上げる。

また?

俺は眉をひそめた。


それだけじゃない。

昨日の数学のテスト。

いつも赤点ギリギリのはずの相馬が、なぜか満点を取っていた。

教師が「解答用紙と模範解答が完全に一致している」と首をかしげていたのを盗み聞きした。


さらにその前日。

校庭で相馬に向けて蹴り飛ばされたサッカーボールが、直前で不自然に軌道を変えて逸れていったのを見た。


偶然か?

いや、偶然にしては出来すぎている。

まるで、見えない何かに守られているような、あるいは――何かズルい「手品」を使っているような。


俺の中の好奇心と、得体の知れない欲望が鎌首をもたげた。

もし、あいつがあの「運」を意図的にコントロールしているとしたら?

そのタネさえ奪えば、俺の人生はイージーモード確定じゃないか。


「おいおい、面白くなってきやがった」


俺はニヤリと笑い、さらに慎重に彼女の後を追った。


相馬灯が向かったのは、自宅ではなく、寂れた神社の裏手だった。

鬱蒼とした木々の陰に、小さな祠(ほこら)がある。


相馬は周りをキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認すると、鞄から「それ」を取り出した。


「……何だ、あれ?」


俺は木の幹に隠れて目を凝らす。

それは、泥で作られたような、汚い人形だった。

大きさは掌サイズ。形は地蔵に似ているが、顔の部分には目も鼻もなく、ただ不気味に滑らかな曲面があるだけだ。


相馬はその地蔵人形を祠の台座に置くと、財布から100円玉を取り出し、人形の前に供えた。


「お願いします……お小遣いが欲しいの」


彼女は小さく手を合わせる。

1分ほどそのまま祈っていただろうか。

相馬が顔を上げ、供えていた100円玉を回収しようとした――その時だ。


カラン。


どこからともなく、風に乗って何かが転がってきた。

それは泥にまみれた紙幣の塊だった。

相馬がそれを拾い上げ、広げる。

千円札だ。


「……ありがとう」


相馬は嬉しそうに微笑むと、人形の頭を優しく撫でた。

俺は息を呑んだ。


「次は……テストで良い点を取りたい」


今度は、彼女は自分の指先を少し噛み切り、滲んだ血を人形の「口」にあたる部分に塗った。

そして、愛おしそうに頭を撫でる。


なるほど。

テストの満点も、あの不気味な人形のおかげか。

きもちわるい血の儀式をすれば金が手に入り、世話をすれば願いが叶う。

なんて分かりやすくて、最高なシステムなんだ。


俺の心臓が早鐘を打つ。


あれだ。

あれさえあれば、俺はもうセコいカツアゲなんてしなくて済む。

勉強もしなくていい。働かなくていい。

ただあの人形に願えば金が手に入る。

人生の勝利条件が、あんな薄汚い人形一つで満たされるんだ。


「あんな陰気な女にはもったいねえ」


俺は自分に言い聞かせるように呟いた。

相馬灯のような地味な女が、あんな強力なアイテムを持っていること自体が間違いなんだ。

俺のように、もっと野心があって、使い道をわかっている人間が持つべきだ。


「情けは人の為ならず、ってな」


ことわざの意味を俺流に解釈する。

情け(親切)は他人のためじゃなく、巡り巡って自分のためにやるものだ。

つまり、俺があの人形を「有効活用」してやることは、世の中のためであり、俺のためでもある。

そうだよな?


俺はポケットの中のジャックナイフに触れた。

奪うことに躊躇はない。

この世界は、奪うか奪われるかだ。

そして俺は、常に奪う側にいる人間だ。


相馬が人形を大切そうに布に包み、鞄にしまおうとした瞬間。

俺は茂みから飛び出した。


「よお、相馬ちゃん」


「ひっ!?」


相馬灯が肩を跳ねさせ、鞄を抱きしめて後ずさる。

その顔は恐怖に歪んでいたが、俺にとっては最高のアペリティフだ。


「甘利……くん……? どうしてここに」

「偶然だよ、偶然。……なんて言うと思ったか?」


俺はズカズカと歩み寄り、彼女の胸倉を掴むような勢いで壁際に追い詰めた。


「見せてもらったぜ。その鞄に入ってる薄汚い人形、俺によこせよ」

「だ、だめ……! これは……!」


相馬が必死に首を振る。

その抵抗が俺をさらに苛立たせた。


「あぁ? 俺に逆らうのか? お前が学校でどうなっても知らねえぞ」

「そういうことじゃなくて……! これは、そんな簡単なものじゃ……」

「うるせえ!」


俺は強引に彼女の腕をねじ上げ、鞄を奪い取った。

中から、あの布に包まれた人形を取り出す。

近くで見ると、やはり気味が悪い。

石とも粘土ともつかない冷たい感触。目鼻のないのっぺりとした顔が、俺を嘲笑っているようにも見えた。


「返して……お願い、返して……」

「へへっ、もう俺のもんだ。お前には過ぎた玩具だったんだよ」


俺は勝利の笑みを浮かべ、人形をポケットに突っ込んだ。

相馬はその場にへたり込み、しばらく震えていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。


その表情を見て、俺は一瞬ゾクリとした。

泣いているんじゃない。

彼女は、どこか哀れむような、それでいて底知れない闇を孕んだ目で俺を見ていた。


「……わかった。あげる」


相馬の声は、驚くほど冷静だった。


「その代わり、約束して。甘利くん」

「あ?」

「その『地蔵人形』を、絶対に大切にしてあげて。優しくしてあげて。……何があっても」


「はっ、言われなくてもそうするさ。俺の『打ち出の小槌』だからな」


俺は鼻で笑い、彼女に背を向けた。

背後から、相馬灯の小さな呟きが聞こえた気がした。


「……そう。情けは人の為ならず、だもんね」


家に帰った俺は、早速「儀式」を執り行うことにした。

自分の部屋の机の上に地蔵人形を置き、正座する。


「さて、まずは手始めに……」


「頼むぜ、地蔵様。1万円だ。1万円くれ」


俺は地蔵人形にニヤニヤしながら手を合わせた。

1分経過。

3分経過。

10分経過。


「……あ?」


何も起きない。

風も吹かないし、金が降ってくる気配もない。


「おい、どうなってんだよ」


俺は地蔵人形を揺さぶった。


「足りないのか? 血か? 血が必要なのか?」


俺はカッターナイフで指先を少し切り、人形の口元に血を塗りつけた。

テストで良い点が取れるはずだ。

かったるい。


「金だ! 金を出せ! 今すぐだ!」


人形に血を塗りたくり、頭を撫で回す。

だが、人形は沈黙したままだ。

ただの汚い泥人形が、俺の机を汚しているだけ。


「ふざけんな……なんでだ? あいつの時は動いたじゃねえか!」


イライラが募る。

期待が大きかった分、裏切られた怒りは凄まじかった。

俺は人形を睨みつけた。

そののっぺりとした顔が、

『お前なんかの願い、聞く耳持たねえよ』

と言っているように思えてならなかった。


「動けよ! 役立たずが!」


俺の指が、デコピンの要領で地蔵人形の額を弾いた。

パチン、と乾いた音がする。


「痛えな……硬ぇんだよ、クソが」


指先がジンジンと痺れたが、怒りの方が勝っていた。

俺は人形を鷲掴みにすると、その細い腕を指でつまんだ。


「願いを叶えねえなら、こんな腕いらねえだろ!」


ギリギリと力を込める。

粘土細工のような見た目に反して、妙に粘り気のある感触が指に伝わる。

ブチッ。

嫌な音と共に、人形の右腕が千切れた。


「はっ、ざまあみろ」


千切れた腕をゴミ箱に放り投げる。

それでも怒りは収まらない。

こいつは俺をコケにした。

俺という選ばれし人間に従わない道具など、存在価値はない。


「燃やしてやる。跡形もなく消えちまえ」


俺は人形を掴んで家を飛び出した。

向かったのは、夜の学校だ。

校舎の裏手にある、今はもう使われていない旧式の焼却炉。

あそこなら、誰にも見つからずに始末できる。


フェンスを乗り越え、焼却炉の前へ。

俺は持ってきたライターオイルを人形にぶっかけた。


「おい、最後に遺言はあるか?」


当然、返事はない。


「死ね」


俺は人形を焼却炉の中に放り込み、火のついたライターを投げ入れた。

ボウッ!

音を立てて炎が燃え上がる。

地蔵人形が炎に包まれるのを見て、俺はようやく胸のつかえが取れた気がした。


「ケッ、時間の無駄だったぜ」


俺は唾を吐き捨て、その場を立ち去ろうとした。


ドゴッ!!


「ぐあっ!?」


突如、俺の額に衝撃が走った。

目の前が真っ白になり、地面に倒れ込む。


「い、ってぇ……なんだ!?」


額を押さえると、ドロリとした液体が手のひらを濡らした。

血だ。大量の血が溢れ出している。

足元を見ると、拳大の石が転がっていた。


誰かが石を投げた?

いや、周りには誰もいない。

それに、この衝撃……まるでハンマーで殴られたみたいだ。


「あ、が……っ!?」


次の瞬間、右腕に激痛が走った。

まるで、万力で締め上げられ、無理やり引き抜かれるような痛み。


「ぎゃああああああああっ!!」


俺はのたうち回った。

右腕が、ありえない方向にねじれている。

骨が砕ける音が、自分の耳にはっきりと聞こえた。


「なんで……なんでだよ!?」


恐怖で涙と鼻水が止まらない。

その時、ふと相馬灯の言葉が脳裏をよぎった。


『情けは人の為ならず』


そうだ。

あいつは100円を供えて、1000円を得た。

10倍になって返ってきた。

頭を撫でて、満点を取った。

良いことをすれば、10倍の良いことが返ってくる。


なら。

悪いことをしたら?


俺は人形の額を、指で弾いた。

だから今、10倍の大きさの石が、俺の額を砕いた。


俺は人形の腕を、引きちぎった。

だから今、俺の腕は10倍の力で、ねじ切られようとしている。


「ひっ、ひぃっ……!」


理解した瞬間、本当の絶望が襲ってきた。


俺はさっき、人形をどうした?


焼却炉。

オイルをかけた。

火をつけた。


「う、そだ……やめろ、やめろやめろ!!」


全身が熱くなり始めた。

皮膚がチリチリと焼けるような感覚ではない。

いきなり、全身を業火で炙られるような激痛。


「ぎゃあああああああ!! あつい! あついあついあつい!!」


俺の体から火が出ているわけではない。

だが、痛みだけが確かにそこにある。

あの人形が感じている「焼かれる痛み」が、10倍になって俺の神経を焼き尽くしているのだ。


俺は地面を転げ回ったが、火は消えない。

だって、燃えているのは俺じゃない。

焼却炉の中の人形が燃え尽きるまで、この地獄は終わらない。


「あ、あ、ああ……」


薄れゆく意識の中で、闇の中に立つ相馬灯の姿が見えた気がした。

彼女はやっぱり、薄気味悪く笑っていた。

そして、口パクでこう言った。


『だから、大切にしてって言ったのに』


俺の意識は、紅蓮の炎と絶叫の中に溶けて消えた。

情けは人の為ならず。

巡り巡って、己が報いを受けるのだから。

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