火神

増田朋美

火神

寒い日であった。もう寒いなあとみんな言っているけれど、時折暖かい日もあって、なんだかよくわからない日々が続いている。そんなわけで、風邪がはやるとか、なんだかへんなものが流行ってしまっている。

その日、杉ちゃんとジョチさんこと曾我正輝さんが、用事があって富士駅近くに出かけていた所、眼の前の道路をサイレンを鳴らした消防自動車が5台走っていったのが見えた。

「何だ、どっかで火事があったのかな?」

「そうですね。消防自動車が、5台も走っていったんだから、よほど大きな火事だと思います。」

杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせた。

「ほら、あの、本町の新築らしいよ!」

近くにいた女性がそういったため、杉ちゃんたちはすぐ考えて、

「本町の新築っていいますとなんですかね。もしかして、先日できたばかりの病院ですかね?」

「よし、行ってみようぜ!」

ということで、火事現場の近くに行ってみることにした。警察官や消防関係者が走っていくのを追いかけていけば、火事現場へすぐたどり着くことができた。火事現場は、大勢の人でごった返していた。そこに行ってみると、火事がおきたのは、ジョチさんが心配した病院ではなく、その隣りにあった学校であった。幸い今日は休日で、生徒さんたちは来訪していなかった。

「いやあひどいですね。今日は授業がある日ではないのが良かったようなものですよ。」

ジョチさんは、燃えている学校を困った顔で見た。学校と言っても、不登校などの生徒さんが通う支援学校であるから、いわゆる校舎があってではなく、一つの雑居ビルを借りて成り立っていた。それでも学校だから、何人か教師が来訪しているはずだ。消防士さんたちは、一生懸命水をかけているが、それに追いつかないほど火が燃えていた。

「いやあ、これはすごい火事やな。一体何が原因だったんだろうな。」

「タバコの不始末とか、そういうことですかねえ。」

杉ちゃんと、ジョチさんはそう言い合っている間、次々に犠牲者たちが運び出されてきた。出されてきた人たちは、制服を着た生徒さんという感じではなく、中年の男性とか、高齢の女性ばかりであった。それから、数十分経って、やっと火事は鎮火したが、その支援学校である、東富士学校は焼け野原になってしまった。隣の病院は、消防士さんの懸命な消火活動のお陰で少ししか延焼しなかった。

「それにしても、支援学校が焼け野原になっちまうなんて信じられないよ。これでは生徒さんも、通う居場所がなくなっちまうな。」

「そうですね、本当にタバコの不始末とか、そういうちょっとした過失が原因の事件とは思えませんね。」

ジョチさんと杉ちゃんは、そう言いながら現場をあとにしたが、なんだか火事現場を目撃してしまって、どこか後味の悪い日でもあった。

それから数日後のことであった。先日の火事のことなんて、もうとうの昔に忘れ去られてしまったと思われたが、杉ちゃんたちが製鉄所のテレビを付けたのと同時に疲れた顔をしたニュースキャスターが、こんなニュースを話していた。

「臨時ニュースを申し上げます。12月9日に、富士市の東富士学校に放火したとして、40代の女が逮捕されました。女は富士市久沢に住んでいる、鈴木ともみ、43歳。警察によりますと、犯行の動機は一切語っていないと言うことです。」

「嫌な事件だなあ。どうせあたしたちみたいな人が、また犯人とおんなじだと思われるだけだわ。」

利用者の一人がそう言ってテレビのスイッチを切ってしまった。確かに精神障害を持っている人が事件を起こす例はよくあるが、それを今いる障害のある人たちに当てはめてしまうのはまずいと思う。

それでは困ったなと杉ちゃんたちは話していたのだが、いきなり製鉄所の玄関の引き戸がガラッとあき、華岡が風呂を貸してくれと言って入ってきた。

「はいはいわかったよ。華岡さん。どうせ、また困ったことがあって、風呂に入りに来たんでしょ。そういうことなら、すぐに風呂に入りなよ。」

「ああ、そうなんだよ。杉ちゃんよく分かるなあ。じゃあ、そのとおりあったかいお風呂に入らせてくれ。」

華岡がそう言うので、杉ちゃんたちは、華岡を製鉄所の浴室に入らせて上げた。まもなく、華岡が風呂の中で、月が出た出た、月が出たと大きな声で歌っているのが聞こえてきた。華岡は風呂に入ると、必ずこの歌を歌うものである。どうせ、40分以上風呂に浸かっているので、杉ちゃんはすぐ台所に行き、華岡に食べさせるためにカレーを作った。

「ああいい湯だった。どうせ、家のボロアパートの風呂なんて、足も伸ばせないし、あったかくも何もないもんな。ありがとうよ。杉ちゃん。」

そう言いながら華岡が風呂から出てきたのには、1時間近くたったあとであった。

「なんですか。華岡さん。また長風呂ですか。」

呆れた顔をしてジョチさんが、そういったのであるが、

「そうなんだよ。だってこの所、理不尽な事件ばかりで、もう風呂に入らないと気持ちがまとまらないんだもの!」

と華岡はジョチさんに対抗するように言った。

「そうなんですね。理不尽な事件というのは、どういうことですかねえ。もしかして、先程臨時ニュースでやってましたけど、なんだか、東富士学校に放火した女性が捕まったんですか?」

ジョチさんが華岡にいうと、

「おう!このままだと事件は永久に解決しなくなってしまうよ。東富士学校の近くにあった防犯カメラに、鈴木ともみの映像があったので、それで俺達は彼女を逮捕することはできたんだけど、、、。」

華岡は、悔しそうな顔をして、カレーを口にした。

「それがどうしたんですか?それなら、彼女の犯行であることもはっきりしてますよね?」

と、ジョチさんは言うのであるが、

「いやあ、警察というものは、結構がんじがらめなところがありましてですね、理事長さん。彼女の犯行であることははっきりしていても、その動機を調べ上げないと、俺達は、次のステップへ勧めないのですよ。俺達は、一生懸命彼女がなぜ、東富士学校に火をつけたのか聞いてるんですけど、全然彼女は、その内容を話さないのですよ。」

と、華岡は、つらそうに言った。確かに、刑事というものはそうやって事件を調べるのが仕事だが、具体的な根拠があっても、理由を話してくれなければ動けないのだろう。

「はあ、つまり、その鈴木ともみという人は。」

「そうだよ杉ちゃん!まるでだんまり比べ。俺達がいくら聞いても、一言も喋らない!」

と、華岡はヤケクソに言った。杉ちゃんとジョチさんは、なるほどねえという顔をした。

「まあ根気よくやるんですね。容疑者が喋らないんじゃ、こちらが動くしかないでしょう。その、鈴木ともみという女と、東富士学校の関係はどうだったんですか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「そうなんだけどねえ。東富士学校の教育関係者は全員なくなってしまったよ。」

と華岡は答える。

「じゃあ、その同級生の親御さんに聞いてみるとか。」

杉ちゃんがそう言うが、

「それだって今やらせているんだが、とにかく、支援学校であり、周りの生徒さんからも情報は得られない。親御さんなどに話を聞いても、子供が怯えているから来ないでくれの一点張りで、俺達は、聞き込みもできない有り様。これでは新たな情報は得られないな。」

と、華岡は、大きなため息をついた。

「まあ確かにそれはそうだと思います。子供さんが怖がるので来ないでくれというのは、ある意味では仕方ないことです。本当に、教員やその他の人は、全員が焼死してしまったんですか?誰か、生存した人はいなかったんでしょうか?」

ジョチさんは、華岡にそういったのであるが、

「ああ。それがいたらとっくに聞いている。それに、生き残った人は、ひどい精神疾患にかかり、とても話をするどころではないということだ。俺達、何もできないよ。市民のための警察なのに。」

と、華岡はそう言うのであった。

「そうですか。それでは誰からも情報は得られてないと言うことですね。そうですね。仕方ないですね。誰か有力な証言をしてくれる人が現れるのを、今は待つしかないでしょう。そうなってしまう事件だってありますよ。人間のすることですから、ホイホイと解決に向かうことはまずないと思った方が良いと思いますよ。どんなにのろいペースでも、いつかは解決するくらいのつもりで頑張ってみてはいかがですか?」

「そうだねえ。理事長さん。俺がまさか理事長さんに励まされるなんて、思ってもいなかった。」

ジョチさんがそう言うと、華岡はカレーをむしゃむしゃと食べ始めた。どうやらやっとやる気を出してくれたらしい。多分、誰からも情報が得られないので、むしゃくしゃしてこちらに来たのだろう。

「まあ頑張ってやってください。容疑者の人が喋らないからと言って、やけになってはいけません。根気よくやることが大事ですよ。」

「はい。ありがとうございます。」

カレーを頬張りながら華岡は答えた。それと同時に華岡のスマートフォンがなる。

「はいはいもしもし。」

いつものパターンなのだが、部下の刑事がそろそろ捜査会議を始めるという内容の電話だった。全く華岡の悪癖はいつまで経っても消えないものらしかった。急いで電話を切ると、華岡はカレーを勢いよく食べ終えて、そのまま製鉄所をあとにした。

その翌日。被害者である、焼死した東富士学校の職員の氏名が公表された。テレビでは報道されなかったが、岳南朝日新聞という富士市内のニュースを報道している新聞社が、被害者の氏名を公表してくれて、杉ちゃんたちも知ることができた。なんと、生存している人物が、数人いたのであるが、用務員として働いていた、かつての製鉄所の利用者であった、川村敬太という男性がその中に掲載されていた。杉ちゃんとジョチさんは、お見舞いも兼ねて、川村という男性の家に行ってみることにした。

小薗さんの運転する車に乗って杉ちゃんとジョチさんは、川村さんのお宅を訪ねた。ごく普通の一般的な一戸建ての家であって、確かご家族といっしょに住んでいるときいた。ジョチさんが呼び鈴を押すと、

「はい、どんな御用でしょうか?」

と、中年の女性の声がした。

「この度は大変でしたね。なんでも、すごい大きな火事だったそうで。僕達は、以前、敬太さんが通っていた福祉施設の者です。」

ジョチさんがそう言うと、中年の女性は警察の関係はまずいと言ったが、ジョチさんが、そのような者ではないというと、とりあえず入ってくれといって、玄関のドアが開いた。

「あ、あの、僕達、川村敬太さんのお見舞いに来たんですが。」

ジョチさんはそう言うが、

「そうですか。残念ですが、敬太も、あの時の恐怖はすごいものだったんだと思います。黙りこくって話そうともしません。今日のところは帰ってください。」

と、女性、つまり敬太さんのお母さんはそういうのであった。

「そうですか。じゃあ、一つだけ聞くが、鈴木ともみさんという女性を、知らないかな?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ、確かに、鈴木という生徒が、学校へ来ていたそうですが。」

と、川村さんのお母さんは言った。

「そのさ、鈴木さんという生徒さんのことをちょっと聞かせてくれないかなあ?その鈴木さんという生徒さんは、なにか学校で問題があったのか?」

「ええ。敬太は、あくまでも用務員なので、あまり詳しくは知らなかったそうなんですけれども。」

お母さんも、杉ちゃんの顔を見て、そう言い始めた。

「大丈夫だよ。僕らは報道機関に公表するとか、そういうことはしないからさあ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうですね。いつかは話さなければ行けないでしょうし、いつまでも黙っているわけには行きませんよね。」

お母さんは、そう言っていた。

「なにか、話してはいけない理由でもあったんでしょうか?」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ。敬太も、可哀想だとは言っていたんですが、でも、止めることは僕にはできないと言って悩んでいました。理由は敬太はただの用務員で、教員ではなかったからだそうです。」

とお母さんは言った。

「そうなんだねえ。ということは、なにか事件というか、そういうことが学校であっただねえ。」

杉ちゃんはすぐ言った。

「ええ。でも、敬太は、自分はただの用務員だし、ただ学校のドアの開け閉めしかできないと言って嘆いていたことがあります。事件の詳細は私も知りません。敬太はそのことになると、話せない状態なのです。」

「ということはつまり、」

「そういうことですよ。だからもう帰ってもらえませんか。敬太も、これ以上話すことは望んでないと思います。だって、もうこちらの話も通じなくて、泣いてばかりですもの。それでは、かえって聞かないほうが良いのかなと思うことだってあります。」

ジョチさんがそう言うと、敬太さんのお母さんはそういったのであった。それがあまりにきっぱりした言い方だったので、杉ちゃんたちは、そうしたほうがいいなと思った。

「わかりました。今日は失礼させていただきますが、敬太さんに言っていただけますか。そんなに自分を責めなくてもいいんだと。もし、すごい事件がおきたのだったら、黙っているのではなくて、話したほうが、ご自身のためでもあり、世の中のためでもあると。」

ジョチさんはそう言ったが、敬太さんのお母さんは、そのようなことは無理なのではないかという顔をして、すみませんとしか言わなかった。結局、杉ちゃんたちは、東富士学校で何があったのか、敬太さんの家では聞き取ることができなかった。それからも、報道は続いたが、鈴木ともみという女性が、なぜ、東富士学校に放火したのか、というところは明らかにされなかった。

それからまた数日が経って、ジョチさんのスマートフォンに電話がかかってきた。誰かと思ったら華岡であった。何だと思ったら、あの川村敬太という用務員が、やっと華岡たちに話をしてくれると言い出したという。しかし、敬太さんは、信頼できない警察官に話をするのは嫌なので、杉ちゃんとジョチさんにいてほしいと頼んだのだそうだ。杉ちゃんとジョチさんは、言われた通り、小薗さんの運転で、敬太さんの家に行った。

到着すると、敬太さんのお母さんが、まるで余計なことはしないでくれとでもいいたげに二人を出迎えた。きっと、話をさせることを、まだ、お母さんとしては戸惑いがあるのだろう。でも、杉ちゃんたちは、本当なら話してしまったほうが良いと行って、敬太さんの居る部屋に入らせてもらった。

腕に包帯をつけた敬太さんは、なんだか人間というより、人間の皮を被った藁人形という感じで、ぼんやりとしていた。華岡は、しっかり答えてくれるか心配だと言ったが、きっと事件の衝撃が大きいんだと杉ちゃんは言った。

「えーとまず初めに、鈴木ともみが、東富士学園とどのような関係であったか教えてくれませんか?」

と、華岡は敬太さんに聞いた。

「鈴木ともみさんは、生徒であった、鈴木美智也くんのお母さんです。」

敬太さんはボソリと答えた。

「で、その鈴木美智也という人は、なにか学校にとって、不便なことを起こしたのか?」

華岡がもう一回聞くと、

「いえ、もう鈴木美智也さんは、この世にはいません。」

と敬太さんは答えた。

「へえ、なにか持病でもあったのか?」

華岡は再度聞くが、

「いえ、そういうことじゃありませんよ。進路説明会のあと、突然なくなりました。僕はただの用務員なので、どういう話をしていたのかは知りませんが、進路説明会にやってきた講師は見ました。その人は、まるで、勝ち誇ったように、学校を出ていきました。それを校長先生が媚びるように見送っていました。」

と敬太さんは言った。

「じゃあ、その講師が、鈴木美智也くんに直接なにか言ったのでしょうか?」

ジョチさんがそう言うと、

「わかりません。何しろ用務員なので、玄関の開け閉めしかできないので。」

と敬太さんは涙をこぼして泣き出した。お母さんが、もうこれだけにしてくれませんか、といった。華岡たちは、もう少し情報を得たいようであったが、ジョチさんはもう帰ったほうが良いと言った。

「ありがとう。でも、これで鈴木ともみがなぜ、学校に火をつけたのか、少しわかったぞ。」

と華岡は言うのであるが、

「刑事さんたちは、そうやって事件に慣れているから良いのでしょうが、あたしたちは、ほとんどないのですから、もうこれ以上押しかけないでください。敬太が良くなるまでそっとしておいてください。」

と、敬太さんのお母さんがそう華岡に言った。それを見て杉ちゃんが、

「きっと、鈴木ともみさんも、同じ気持ちだったんじゃないのかな。そうやって、親としては、放っておいてほしかったんじゃないのか。それがあまりにも干渉してくるからさ。それで怒って学校に火をつけた。」

と思わず呟いた。ジョチさんはそうですねと考え込んで言った。

「そうかも知れません。信頼してもらうには、長い時間が必要なときもあります。それでは今日は僕達も帰りましょう。」

華岡としては悔しそうであったが、今回はそうするしかなかった。

「本当に、教育関係者というのは困ります。自分が正しいと言って、無責任な発言を、弱い人に押し付けるのですから。」

杉ちゃんたちが帰ろうとすると、敬太さんがそういった。

「それはどういうことですか?」

すぐに華岡が、そう彼に言うのであるが、

「ええ。だって、可哀想じゃないですか。美智也くんは、行ってみたい大学があったのだと思います。それを、無理やり別のところへ押し込もうとするなんて。みんなひどいものですよ。お金がかかるとか、親不孝をさせているとか、そういうことばっかり言って、美智也くんの意思を潰すんです。きっと、講師を招いたのもそのためですよ。外からの講師に発言させることで、責任を回避しようとしたんですよ。だから、美智也くんもなくなってしまったのではないですか。」

敬太さんはここまでを一気に話した。みんな黙って彼の話を聞いていた。おそらくこれが、鈴木ともみさんが、学校に火をつけた原因なのだと思った。鈴木ともみさんが火神になった、、、。



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