第3話 逃亡失敗

「馬鹿め! 一晩も時間があれば、遠くへ逃亡することなど容易いわ!!」


 モアが寝室に入り、小さな寝息を立て始めてからおよそ2時間。

 僕は家から遠く離れた森林の奥地を歩きながら、高らかに笑った。


 僕の選択は──拒否だ。

 誰かに行動を制限されるなんて御免だね。しかも魔女の所有物にされるなんて……絶対に碌な目に遭わない。守るとか言いながら、きっと僕に延々と伝説級の魔導具を作らせる気なのだろう。それも、休む間もなく。


 僕は自由を謳歌したいのだ。

 制限されることなく、のんびりと、平穏に暮らしたい。

 だから、逃げることにした。

 モアの庇護下に入ったら、きっと平穏な生活とは無縁になってしまうから。


「……休憩」


 家を出てから今まで休むことなく歩き続けたので、流石に足が疲れてきた。凸凹している森の中は、平地以上に疲労が蓄積する。

 近くの倒木に腰を預け、僕は腰元の水筒に口をつける。


 冷たい水で喉を潤して一息つき、ふと、家のある方角へと視線を向けた。

 今頃、モアはどうしているだろうか。

 それなりに飲酒もしていたし、まだ眠っている頃だろうか。できれば、そのまま朝まで眠っていてほしい。


 家とはいえ、森の中に放置してしまったことは少し申し訳なく思う。けど、きっと大丈夫だろう。彼女は魔女だ。多少抜けているところはあるようだけど、本来はしっかりと強いはず。今回の件で無闇に森の果実を口にしてはいけないことは学んだはずだし、帰るだけなら、空を飛べば方角もわかる。


 グッドラック。

 お気をつけてお帰りください。


 胸中で呟き、親指を立て、僕は再び水筒に口をつけた──その時だった。


「……は?」


 見上げた夜空に、影が通過した。

 鳥ではない。満ちた月の前を横切ったのは──魔女だ。大きな箒に跨った、とんがり帽子を被った魔女。


 見間違いではない。

 確かにいた。僕が助けてしまった、彼女が。


「なん、で……」


 呆然と呟く。

 あり得ない。僕が逃げたことを悟り、探していることまでは理解できる。けれど、なぜこんな近くに来れている? 広大な森の中で、ピンポイントに僕が進んだ方角に行くなんて不可能だ。しかも、丁度僕の真上辺りで停滞している。


 偶然では片付けられない。

 確実に何か、秘密がある。僕の居場所を特定する秘密が。


「いや、落ち着け」


 動揺を鎮め、深呼吸をし、平静を保つ。

 逃亡の装備は完璧だ。今の僕が装着しているのは、姿を隠す透明マント。これは装着している者が発する音や痕跡まで消してくれる、伝説級の魔導具。近づかれたとしても、簡単に見つかるものではない。


 大丈夫。

 だけど……クソッ! こんなことなら、空間転移の魔導具でも作っておくんだった。多分、僕なら作れると思うし──モアが降りてきた。


「ロ〜ゼ〜ス〜く〜ん? いるのはわかってるんだよぉ〜??」

「……」


 恐ろしい狩人の呼びかけ。

 僕は必死に声を押し殺し、身を潜め、やり過ごす。

 姿勢を低くし、息を殺し、モアが通り過ぎるのを静かに待つ。心臓は早まり、緊張に身体が震えるが、何とか音を出さないように努力する。

 魔導具によって音が出ないことはわかっているけれど、それでも、動きを止める。


 そうすること、数秒。

 僕を探すモアが近くを歩いてきた。

 彼女はザッと足を止め、周囲を見回し……。


「……うーん。この近くにいるねぇ」


 なんでわかるんだよ……。

 胸中で呟き、僕は涙目になった。

 痕跡は残していない。声も音も出していない。気づかれる要素はないはずなのに……。


 焦る僕など露知らず、モアは慎重に周囲を捜索する。

 茂みをかき分け、木を見上げ、石の裏を覗き見る。そんなところにいるわけないだろ……とは思いつつも、とにかく無言で耐える。


 頼む、どうかバレないでくれ。

 僕を見つけず、先に行ってくれッ!!


 祈り、願い、僕はぎゅっと目を瞑って両手を組み合わせた。

 そのまま、数秒、十数秒、数分。

 時間は経過し、いつの間にか、モアの捜索する音が聞こえなくなった。耳を澄ませても、聞こえてくるのは風に揺られた葉の音だけ。気配も何もない。


 助かったのか。

 安堵の息を吐き、胸を撫で下ろし、僕は瞑っていた目を開けた。

 すると──








 目の前にいた。

 美貌の魔女──モアが、至近距離から僕をジッと見つめていた。

 恐怖すら感じる、微笑みを浮かべて。


 声すら出なかった。

 何の反応もできなかった。

 ただ、心臓が止まるかと思うほどに驚くだけで。

 見えていないはずなのに、見えるはずがないのに、モアは確実に僕を見ている。ここにいることを理解していた。


 モアは硬直して身動きが取れない僕の顔に手を伸ばし、そっと透明マントのフードを外し……嬉しそうに笑って、蠱惑的な声で僕の耳に囁いた。


「捕まえた♪」

「…………………………………捕まっ、ちゃいました」


 泣きそうだったけど、何とか堪えました。

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何度でも言うけど、僕はごく普通の魔法道具職人だからね?~伝説級の魔導具しか作れない僕は厄介ごとを避けるために隠居していたのに、世界最高の魔導姫たちに見つかってしまったんだけど!? 定時に来たんだから定時で帰らせろks @erodoujinnmitaini

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