かさぶたを剥がす悪い子

ねむい眠子

どうせ私なんか覚えてないくせに

鵜野うのさん、メリクリ! お菓子あげるね」

 昼休みを告げるチャイムよりも早く、天羽あもう真珠ましゅは振り返ってそう言った。

「あ、ありがとう……」

 言い終わるよりも早く、天羽さんは私の机にお菓子を置く。

 黒猫のシールが貼られた、チョコパイだった。


「はい、大河おおかわさんもメリクリ〜」

 弾丸のように、天羽あもうさんはお菓子を配って回る。

 天羽さんは、いつもそうだ。

 クラスの中心人物でありながら、誰に対しても平等に振る舞う。

 保育園の頃からずっと変わらないポジションを維持している。

 ……それは、私も同じだった。


「マシュ! アタシは要らないから」

「りぃさ、ダイエット中だもんね。その分、貰ったげる〜」

「だーめ、ヒロにはもうあげたじゃん。りぃさ、おからクッキー食べる?」

「うわ、ロフトコラボのやつじゃん。ありがと〜」

「わざわざ買ってきたの?」

「そだよー。今度こそダイエット応援しなくっちゃね」

「てかお菓子にプリ貼るのやめてよ〜。この時めっちゃむくんでるし、ニキビもあるし」

「あー、新大久保で撮ったやつね」

 にぎやかな会話。

 いっつもそうだ。

 天羽あもうさんのお菓子配りは、五十音順から始まって彼女りぃさたちを最後に回す。


 つまり私は、天羽さんと一番縁遠い人間なのだ。悔しくて悔しくて頭がおかしくなりそうだ。


 私は、極力静かに席を立った。

 背中を丸めて、ポケットにチョコパイを入れて。

 持ってきたお弁当は、もう食べないことにした。

 頭も胸も重苦しくて、食欲どころの騒ぎじゃなかった。



***



 私と天羽あもうさんは、同じ保育園に通っていた。

 天羽さんは、特別だった。

 誰とも喧嘩をしない、優しい子だった。

 自分の考えを口に出しても、口答えや意見の押し付けにならない言い回しができる子だった。

 世渡りがうまい、と言い換えられるのかもしれない。

 人見知りの私には、とうてい真似のできない立ち回りをする子だった。


 周りにいる子たちは、天羽あもうさんを取り合った。

 珍しいシールやおいしいお菓子を献上することで、彼女の一番になろうとした。


 だからなのだろうか。

 天羽さんは、私と一緒に遊びたがった。

 人から何か誘われるたびに、私を引き合いに出して断った。


 彼女との関係が終わったのは、小学校にあがる前のことだ。


『ねーぇ。まりーちゃんは、なにが好きなの?』


 私があまりにも相手をしなかったせいだろう。

天羽真珠が、今にも泣きそうにそう言った。


『おかしも嫌い? えほんは好き? でも、ましゅがとなりに来ると、いつも本、しまっちゃうね』


 だって天羽あもうさんは、いつもいつも私の真似ばかりしてきた。

 私は、一人が好きだった。

 他の子どもと一緒にサンタの絵を描いたり、一緒に歌を歌うことが嫌いだった。

 本名が「まりも」なのに、マリーと呼ばれることも嫌いだった。

 だから天羽さんが、私の隣で一緒に図鑑を見ても何の価値も感じなかった。



 でも一緒にいてくれるということは、私のことが好きなのだろうか。

 よせばいいのに、私の舌が回った。


『わたし以外にも友だちがいるくせに』


 ああほら、傷ついた顔をさせた。だから会話は嫌なんだ。

 実際に口を開くまで、どんな言葉が出るのか。自分でもわからないから。


 だけど天羽あもうさんの反応は、想像と違った。


『そうだね。は特別な友だちよ』


 鮮やかな手のひら返しに、私は戸惑った。

 さっきまで泣きそうだった幼女が、別種の冷たさをもって私を見つめている。


『ま、まって、ましゅちゃん。わたし、黒ねこが好き。えほんも好き』


 彼女の名を呼ぶのは、これが初めてだった。

 なのに天羽あもうさんの心は、どんどん遠ざかるのがわかった。

 その時になって、ようやく私はわかった。

天羽あもう真珠ましゅも、私を試していたのだと。


 以来、天羽さんは私につきまとうことをやめた。

 今にして思えば、あの関係性はガス抜きだったのだろう。

 他人からは、私が天羽さんを独占しているように見える。

 だが実際には、取り合いの場から遠ざかるための口実にすぎなかった。


 天羽あもう真珠ましゅから見た私は、さぞ滑稽な傀儡かいらい程度の存在だった。



***



 はやる息をおさえて、私は外へ飛び出した。

 校舎の裏手には、焼却炉がある。

 もちろん今は使われていない。

 そして誰も、近づかない。


 私にとって最後の憩いの場であり、理性の砦でもある。

 ポケットから取り出したチョコパイは、まだ原型をとどめている。

 黒猫のシールが、命乞いのように口を開けている。

 そういえば、ハロウィンの時も同じシールが貼ってあった。

 生き物は嫌いだけど、強いていうなら黒猫が好き。

 保育園の時に言った私の言葉を、あなたはまだ覚えているのかな。


 でも、私は許せなかった。

 陰キャを極めた蒼白い手が、チョコパイを握り潰す。

 銀紙越しでも、罪悪の手応えを感じる。

 クリームが飛び出て、チョコレートのコーティングが滑りを帯びて溶けていく。

 何度も何度も握り潰して、情念も執念も少しでも消えろと念じながら。


 でも、消えないんだ。

 天羽あもう真珠ましゅほどの、天性の魔性はいない。

 いたとしても、私は認めたくない。

 彼女以外の人間に狂いたくない。


「うぅうぅぅ……」


 誰にでもいい顔しやがって。

 その中でも選りすぐりと言わんばかりに女子校の王子様と引き立て役の道化師をはべらせやがって。

 私は、あの時のままずっと変わってないのに。

 今度こそ間違えないように、あなたを無視しているのに。


 私は、焼却炉にチョコパイを投げ捨てた。

 だってこれは、大河おおかわさんにもあげていたから。


 だけど黒猫のシールだけ、生徒手帳に貼った。

 シワシワの黒猫は、泣き腫らしたような顔をしていた。

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かさぶたを剥がす悪い子 ねむい眠子 @tokekoro

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