幼馴染の男に恋してた俺、ルームシェアしたらまさかの女だった
tommynya
第1話 幼馴染の男に恋してた俺、ルームシェアしたらまさかの女だった
俺は幼馴染のあかりに、三年間片想いしている。
朝七時十分のリビングで、テーブルに突っ伏しながらその現実と向き合う。キッチンからはコーヒーの匂いと、目玉焼きを焼く音が聞こえてくる。
「
振り返ったあかりは今日も白シャツにネクタイ、スラックスという爽やかな格好。イケメンなのがさらに際立つ。長めの前髪から覗く茶色い瞳が、朝日に透けてキラキラと輝いている。
「ん……ああ」
生返事をしながら顔を上げると、あかりが目玉焼きとパンを木製の皿に乗せ微笑む。
今日も最高だなあ……。
男なのに、なんでこんなに可愛いんだろう。腰のラインが妙に細いけど、中性的な男も大学には結構いるし……まあ普通なのかな。華奢で、シャツの袖から覗く手首も綺麗で——って、男に対して綺麗って。
俺、やっぱりゲイなのかな……。
「悠真? 顔赤いけど、大丈夫?」
「大丈夫!」
慌てて目を逸らすと、あかりは首を傾げながら「そっか」と笑う。その笑顔に心臓が跳ねて、俺はフォークを持つ手に力を込めた。
あかりと初めて会ったのは幼稚園の頃だ。マンションの隣に引っ越してきた、ヤンチャそうな子。砂場で一緒に遊んで、「ずっと一緒にいよう」なんて約束をした。当時の俺は何も考えてなかった。ただ、男の子の友達ができたことが嬉しくて。
でも小学校に上がる直前、あかりは突然引っ越してしまう。「また会おうね」という言葉だけを残して、それきり十年以上も会えなくなった。
再会したのは高校二年の春だ。
またマンションの隣に誰かが引っ越してきて、ドアを開けたら——そこには、完全にイケメン化したあかりがいた。
「久しぶり、悠真」
背は俺より少し低いものの、シュッとした顔立ちで、長めの前髪がアンニュイ。笑うと少しだけ目が細くなるのが、幼い頃と変わっていない。その笑顔を見た瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。
俺はその場で、恋に落ちたのだ。初めての恋というものを知った日である。
それから俺は、本気で自分がゲイかもしれない——と悩み続けた。学校は別だったけれど、毎日顔を合わせるし、あかりの顔を見るたびに胸が苦しくて、眠れない夜もあった。ネットで「男を好きになった」「男と男の恋愛」なんて検索しまくる日々。
この事は誰にも言えなかった。友達にも、家族にも。
でも、あかりと一緒にいる時間が幸せで、俺はそれだけで満足していた。
そして大学受験。奇跡的に、俺たちは同じ大学に合格。
「ねえ悠真、ルームシェアしない?こっから大学通うのも大変だし、二人の方が家賃安いし、家事とか分担してさ」
あかりがそう言ったとき、俺は三秒で答えを出した。
「……いいよ」
内心は大パニックだったけれど、一緒にいられるならそれでいい。
そうして始まった、2DKアパートでのルームシェア生活は、もう三ヶ月が経とうとしている。
◇
「ごちそうさま」
「うん。じゃあ僕、先に洗面所使うね」
あかりが立ち上がると、シャツの背中が少しシワになっている。直してあげたい。でも触れない……。適度な距離感を保ちたいから、俺は黙って皿を洗い始めた。
同居生活は思っていた以上に辛かった。いや、辛いというより——幸せすぎて死にそうになるという方が正しいだろう。
ある日の午後、リビングで洗濯物を畳んでいると、あかりが隣に座ってきた。
「手伝うよ」
「ああ、ありがとう」
あかりが自分の洋服を畳んでいるので、俺も自分の洋服を畳む。何気ない日常なのに、鼓動がうるさい。
あかりのTシャツが俺の洋服に混ざっていたから、あかりに渡そうと手を伸ばす。ふとそれから匂いがした。柔軟剤と、あかりの匂いが混ざって——。
男の服なのに、なんでこんなにいい匂いがするんだ。
「悠真、顔赤いよ?」
「ちょっと暑いよな!」
「そう? エアコンつける?」
「いや、大丈夫」
あかりは不思議そうな顔をしながら、また洗濯物を畳み始めた。俺は自分の頬をバチンと叩く。落ち着くんだ。
別の日の朝、シャワーを浴びたあかりがリビングに出てきた。髪をタオルでターバン状に巻いている。
「髪乾かすのめんどいんだよねー」
「……ああ」
その巻き方、完全に女子のやつだ。でも中性的な男なら、こういう巻き方するのかもしれない。あかりは鏡を見ながらタオルを取って、髪を乾かし始めた。その仕草が妙に慣れていて——。
数日後のキッチンで、あかりが料理を作っていた時のことだ。エプロン姿のあかりが、フライパンを振りながら鼻歌を歌っていた。
「悠真、味見して」
あかりが、スプーンで料理をすくって差し出し、俺は自然に口を開けて、スプーンを受け入れる。
「うまい」
「よかった」
あかりは喜んでいるが、俺は——固まった。
今のって、間接キス……?
いや、違う。気にしすぎだ。俺は何を意識しているんだ!変態!
「悠真? どうしたの?」
「なんでもない!」
慌てて否定すると、あかりは首を傾げながら、また料理に戻った。
俺は自分の手の甲をつねった。落ち着けって。
ある日の午後、リビングでスマホをいじっていると、あかりが突然顔を近づけてきた。
「悠真、前髪にゴミついてる」
「え?」
あかりの指が、俺の前髪に触れる。距離が近い。キスできそうな距離——。
「……取れた」
あかりが笑いながら、小さなホコリを見せてくる。
「あ、ああ……ありがとう」
俺は顔が熱くなるのを感じながら、瞼をぎゅっと瞑る。
ある朝、あかりが弁当を作ってくれると言った。
「僕のお弁当作る時のついでだから、気にしないで」
「うん、ありがとう」
出来上がった弁当を見て、俺は固まった。彩りが綺麗すぎる。三食そぼろの弁当に、星型の人参やミニトマトやソーセージには切り込みが。見た目にも拘っているのが分かる。
「お、お前……料理、うまいな」
「まあ、そうかな?」
あかりが得意げに笑う。男にしては上手すぎる気がするけど、まあ大学には料理男子も結構いるって聞くし……。
そんな日々が続いて、ある夜。二人でソファに座って映画を見ていた。
「悠真、このシーン怖い」
「……そう?」
「うん。だから、もうちょっとくっついてもいい?」
「え?いいけど……」
あかりが俺の腕に寄りかかってくる。柔らかい肌。髪が俺の首筋に触れて、少しだけシャンプーの香りが漂う。あかりの体温が徐々に伝わり、呼吸の音まで聞こえてくる。
意識しすぎて死にそうだ——でも逃げたらあかりが傷つくかもしれないから、俺はじっと耐えるしかない。
しばらくして、あかりが呟く。
「悠真って、手温かいね」
あかりが俺の手に自分の手を重ねてきた。
「え、あ……うん」
「僕の手冷たいから、ちょっとだけ貸して欲しい」
あかりの手を温めてあげる俺。小さくて柔らかすぎる手に狂いそうだ……。
「男同士だし、別にいいよね?」
あかりが悪戯な笑みを浮かべる。俺は何も答えられず、ただ手を握ったまま画面を見つめた。
しばらくして、あかりが静かになったと思ったら、寝てしまったらしい。俺は動けなくなって、ただあかりの寝顔を横目でチラッと見る。
愛らしすぎる……。
声が漏れてしまう。あかりには何も聞こえていないと思う。幸せそうに眠っている。
そんな日々が続いて、俺の中で違和感が積み重なっていった。
タオルの巻き方。料理の手際。手の柔らかさ。弁当の女子力。
でも——あかりは男だ。中性的なだけで、男なんだ。そう自分に言い聞かせていた。
ある夜、あかりが先に寝てしまったあと、俺はスマホを持って布団に潜り込む。
小さくため息をつき、検索窓を開いた。
『男装 見分け方』
『タオルターバン 男 する?』
『手 柔らかい 男 普通?』
見るだけで恥ずかしくなる検索履歴が並んだ。指が震える。でも、消せない。
いや、違う。あかりは男だ。俺が変に意識しすぎてるだけだ——。心臓の音ばかりが大きく響く。
「……俺、どうしちゃったんだよ」
誰もいない部屋で呟いた瞬間——ガチャッ。ドアが少しだけ開いて、あかりが顔を覗かせた。
「悠真、まだ起きてるの? 電気付けようか?」
「う、うわああああああ!!?」
俺は反射的にスマホを胸に押し当てて隠した。あかりはキョトンとした表情で首を傾げる。
「な、なにしてたの?」
「寝ようとしてただけ! 寝る! 今寝る!!」
「あ、そ……? じゃあ、おやすみ」
あかりが静かにドアを閉める。俺は布団の中でスマホを抱え込みながら、心臓が爆発するのを必死に抑えた。
あぶねえ……今の履歴見られたら、気まずすぎる。
画面を見ると検索ワードがまた目に入った。
『手 柔らかい 男 普通?』
俺はスマホを伏せて、枕に顔を押しつけた。
「……もう、わかんねえよ……」
それから数週間が経った、夏の終わりの蒸し暑い夜のことだった。
俺が部屋で課題をやっていると、リビングからあかりの声がした。
「暑いから、ちょっと脱ぐね」
「ん、いいよ」
何気なく返事をして、ペンを持ったまま顔を上げた瞬間——あかりが、Tシャツを脱ごうとしていた。
Tシャツの下に、白いものが巻かれているのがチラッと見える。サラシのようなものが。
怪我でもしているのかな?と心配になり二度見したが、あかりの動きは自然で、どこかを傷めている感じもしない。
でも、胸のあたりが、なんだか丸い……。
え! どういう事?
俺の脳みそが停止する。
は? 待って。あれは、まさか……。
サラシで巻かれている、あの曲線は、胸……?
いや、待て。男でも胸筋がすごい奴はいる。筋トレしてる奴とか。そうだ、あかりは胸筋がすごいんだ!だから固定してるんだ!
いや、無理がある。無理がありすぎる。あれは胸筋じゃない。
女性の、胸だ。
まさか……女なの?
あかりが……女……?
じゃあ俺、ゲイじゃなかったってこと……?
「悠真? どうしたの?」
「な、なんでもない!」
慌てて目を逸らすと、不思議そうな顔をして、また上着を羽織った。
「変なの」
「ごめん……」
俺は自分の部屋に逃げ込んで、布団に顔を埋めた。
女だ……。あかりは、女だったんだ!
俺、ゲイじゃなかった……!
安堵と混乱が一緒にやってくる。嬉しい。嬉しいけど——でも、なんで? なんで男装しているんだろう。事情があるのかもしれない。
聞けない。聞いたらあかりが困るかもしれない。隠してるのに聞かれたら嫌だろう。
だったら俺が黙っていればいい。あかりが自分から言ってくれるまで、俺は何も知らないふりをしよう——そう決めた。
でもその夜は眠れなかった。目を閉じると、あかりのサラシが浮かぶ。女と言う事分かったのが嬉しくて、胸の奥がざわつき続けた。
翌朝。あかりの仕草が、昨日までとまったく違って見えた。
髪を耳にかける指先、包丁を持つ手首、笑ったときの横顔——全部、女の子にしか見えない!
「悠真? なんか変じゃない?」
「べ、別に」
動揺を隠したつもりでも隠せてなかったらしく、あかりがじっと俺を見つめてくる。その目が、昨日よりずっと距離が近い。
それから数日後の夕方。
ソファに並んで座ると、あかりが俺の肩にそっと頭を乗せてきた。
「……え、ちょ、待っ——」
「今日の悠真、なんか可愛い」
たぶん、気づかれてる。俺が昨日までと違うってことに。
しばらくそのまま寄りかかっていたあかりが、小さくあくびをした。
そのまま、さらに体重を預けてくる。
「ねえ悠真、眠い」
「……寝れば?」
「ここで寝ていい?」
「……いいよ」
あかりの髪が俺の首筋に触れる。女だってわかった今、この距離は間違いなく変な気持ちになる。でも逃げられない。
あかりの寝息が聞こえる中、心の声が漏れてしまう。
「……好きだ」
あかりには聞こえていない。ただ、幸せそうな寝顔を見つめる。
◇
時は過ぎ、冬になった。期末試験が近づくと、俺たちは毎晩リビングで勉強するようになった。
「悠真、この問題わかる?」
「ああ、これはな……」
教科書を指差しながら説明していると、あかりは真剣な顔でペンを走らせる。その横顔が可愛すぎて、俺は説明の途中で言葉を詰まらせそうになった。
「……っていう感じ」
「なるほど。ありがとう」
そんな日が続いた試験前日の夜。俺たちは徹夜で勉強していた。
「もう無理……」
テーブルに突っ伏して、項垂れるあかり。
「寝るなよ、あと三時間で朝だぞ」
「わかってる……でも……眠い……」
しかし、そのままあかりは、寝息を立て始めた。俺は苦笑しながらペンを置き、あかりの肩にブランケットをかけてあげる。
この瞬間が、永遠に続けばいいのに……。
そう思った瞬間——世界が、止まった。
色が吸い取られて、モノクロになり、音が消える。時計の秒針が、ピタリと止まっている。
え……?
俺は立ち上がってみた。動けるようだ。でも世界は止まっている。あかりの寝息も聞こえないし、呼吸している様子もない。完全に静止している。
「なんだこれ……」
試しに手を伸ばしてみる。あかりの髪に触れそうになって——ダメだ。触ったら理性が吹っ飛ぶ。
俺は手を引っ込めて、寝顔を見つめた。十分間、何もせずに見つめる。それだけで胸がいっぱいになって、小さく呟いてしまう。
「好きだな……」
目を閉じて、もう一度念じる。時間、そろそろ動いてくれ。
すると、世界が動き出した。カラフルな色彩や、音が戻り、あかりの寝息がまた聞こえ始める。
「……ん」
あかりが少しだけ動いてまた眠る。俺はその場に座り込み、今の現象について考え込んだ。
翌日、また試してみた。あかりが買い物に出かけている間、部屋で念じてみる。
時間よ止まれ。
すると、また、世界が止まった。
やっぱりだ……。俺は時間を止められるようになってしまったらしい。あかりへの恋心が強く溢れたとき発動するようだ。
俺は……とんでもない能力を手に入れてしまった。でも、この能力で何をする?
答えは決まっていた。あかりを、守りたい。それだけだ。
能力に気づいてから数日が経ち、俺は試験勉強の合間に何度か時間を止めてみた。でもやることは決まっている。あかりの寝顔を見る、ただ、それだけだ。触らない。触ったらいろいろ終る気がして、怖いんだ。
そんなある日、また試験勉強中にあかりがテーブルで寝落ちした。
「……あー、疲れた」
俺は伸びをしてあかりを見ると、唇が少しカサカサになっているのに気づく。そういえば昼間、「リップどこいったんだろー」なんて探していたっけ。
立ち上がってソファの下を覗いてみると、転がっているリップを見つけた。拾い上げて、あかりの方を見る。塗ってあげたい。でも——。
俺は時間を止めた。あかりは眠ったまま、完全に静止している。リビングの照明だけは、変わらず灯っている。
震える手でリップのキャップを開けて、ゆっくりと、繰り出す。そして、あかりの顔に近づける。唇が目の前にある。塗ろうとして——手が止まった。
ダメだ。塗ったらキスしたことになるかもしれない。俺の指があかりの唇に触れる、それは許されない。罪を犯すことになる。
俺はリップのキャップを閉め、あかりの手の横にそっと置く。そして、時間を動かした。
「……自分で塗ってくれたらいいな」
小さく呟くと、世界が戻ってあかりが目を覚ました。
「ん……あれ、リップだ」
リップを塗りながら、「無くなったと思ったよ。ラッキー」と喜んでいる。俺は背中を向けて、ガタガタ震えていた。
◇
その数日後の夜、あかりがリビングでゲームをしていた。
「くそー、また負けた」
「下手だな」
「うるさい」
笑いながら俺も横でスマホをいじっていると、しばらくしてあかりの声が止まった。見ると、コントローラーを握ったまま眠っている。
「おい、ソファで寝るなよ」
声をかけても起きないから、俺は立ち上がってあかりを見下ろした。そして——気づいた。スウェットパンツがずり下がって、おへそが丸見えになっている。さらに下着が見えそうなくらい下がっていく。
慌てて目を逸らした。でも——このままじゃダメだ。
俺は時間を止めた。あかりの呼吸がピタリと止まる。
静寂の中混乱しながら、手を伸ばした。
スウェットに触れようとして——三センチ手前で拳を握りしめる。スウェットを上げることも、脱がせることもできてしまう……。
でもダメだ。触っちゃいけない。
俺はブランケットを持ってきて、あかりの体にふわっと掛けた。首元から、つま先まで、全身を包む。ホッとしたと同時に、あかりの顔を見ると、髪が少しだけ乱れている。
指が動きそうなのを止め、洗面所からコームを持ってきて髪を整えてあげた。俺の手で触れることは許されない。
「……大好き」
耳元で囁いた後、時間を動かした。世界が戻り、あかりが寝返りを打つ。
「ん……」
俺はその音にビクッとして、ソファに座り込みながら顔を手で覆った。バレていないようで安堵する。
◇
それから一週間後、サークルの飲み会があった。あかりも参加するというから俺も行ったのだが、案の定あかりは弱いくせに飲みすぎた。
「悠真ー、飲もうよー」
「お前、弱いくせに飲むなよ」
「だいじょぶー」
全然大丈夫じゃない。二時間後にはあかりは完全にベロベロで、俺がタクシーでアパートに連れて帰った。
「ただいまー」
「おい、走るなよ」
何故か俺の部屋に入り、そのまま俺のベッドに倒れ込んだ。
「一緒に寝よー」
「は? お前のベッドで寝ろよ」
「やだー」
そのまま寝息を立て始めて、俺は溜息をつき、あかりを見下ろした。そして——気づいた。
シャツのボタンが上三つ外れている。なんてことだ!
鎖骨が丸見えだ。サラシの上端が見えて、谷間が少しだけ見えてしまっている。
理性が音を立てて崩れていく。見ちゃダメだ。見ちゃダメなのに——このままじゃ、俺が壊れる……。
俺は時間を止めた。
世界が静止して、あかりの呼吸が止まる。酒の匂いがほんのり漂い、リビングの照明だけが、あかりの寝顔を照らしている。
そして——震える手を伸ばした。もう止められなかった。
1つ目のボタンに手をかける。
指先が震えてなかなか触れない。サラシに触れそうになって、慌てて手を引く。深呼吸して、また挑戦する。ボタンを穴に通そうとするが、指が震えて入らない。
何度目かの挑戦で、ようやくボタンが穴に入った。
「……ごめん」
小さく謝って閉めた。汗が額に滲んでいる。
2つ目のボタン。
さっきより震えがひどくなって、涙が出そうになる。なんで俺、こんなに必死になってるんだろう。ボタンを閉めるだけなのに。でも——触れたら、罪人だ。
「本当に……ごめん」
何度も挑戦して、ようやく閉めた。
3つ目のボタン。
指が震えすぎて、もう穴に入らない。何度挑戦しても失敗する。視界が滲んできて、涙が一粒、あかりのシャツに落ちた。
「くそ……」
好きすぎて触れられない。好きすぎてボタンも閉められない。
でも——諦めない。
10回目の挑戦で、ようやくボタンが閉まった。
俺は布団をあかりの胸元までかけた。それから耳元に顔を近づける。
「……好きだよ」
小さく、本当に小さく囁いてから、時間を動かした。
世界が戻る。
あかりが——目を閉じたまま、微笑んだ。
「……ありがとう、悠真」
え? なにが?
「ちゃんと閉めてくれたんだ……偉いね」
あかりがニヤッと笑う。
俺は——顔が真っ赤になった。
「お、起きてたの!?」
「うん。ずっと寝たふりしてた」
「なんで!?」
「だって、悠真の反応が可愛いから」
あかりがクスクス笑う。
俺は何も言えなくなって、ただ顔を手で覆ってその場に座り込んだ。
恥ずかしすぎておかしくなりそう……。
あかりの笑い声だけが、部屋に響いていた。
◇
翌朝、俺は合わせる顔がなかった。朝ごはんを作りながら、背中越しにあかりの気配を感じている。
「おはよう、悠真」
「……おはよ」
「昨日はありがとうね」
「……別に」
あかりが小悪魔的な笑みを浮かべている。
「ねえ、話があるんだけど」
「……なに」
「座って」
俺は渋々テーブルに座った。あかりが向かいに座って、少しだけ真剣な表情になる。
「僕ね、女の子だよ」
俺は言葉に詰まり、数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「……知ってた。夏に、サラシ見ちゃって」
「え!?」
あかりが目を丸くする。
「じゃあ、なんで黙ってたの!?」
「……事情があると思ったから」
「事情?」
「うん。なんか、言いたくないことがあるのかなって」
あかりは少しだけ目を伏せた。
「……そっか」
沈黙がまた流れる。そして、気になっていたことを質問した。
「きっかけが何かあったんだろ?」
あかりが顔を上げる。
「うん……小学校のとき……変質者に遭ったの」
俺の拳が強く握りしめられる。
「それから、男子にイタズラされたり、スカートめくられたり……いろいろあって」
「……そっか」
「女でいるのが、嫌になっちゃって」
あかりの声が少しだけ震えている。
「でも……悠真の前では、女でいたかった」
「え?」
「だから、わざとサラシ見せたり、スキンシップ増やしたり……気づいてほしかったんだ」
あかりがプクーっと頬を膨らませる。
「全然気づかないから、バカって思ってた」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。優しいのは知ってたから」
あかりが微笑む。俺も勇気を出して本心を話すことにした。
「俺も……言いたいことがある」
「なに?」
「高校のとき……ゲイなんだって、本気で悩んでたんだ」
あかりが目を丸くする。
「……僕のせい?」
「そう。でも女だってわかって……安心したよ。もっと好きになったし」
「……悠真」
「でも、言えなかった。関係が崩れるのが怖くて」
あかりは立ち上がり、俺の隣に座って手を握る。
「僕も、ずっと好きだったよ」
「……え」
「高二で再会したときから……ずっと」
あかりが俺の顔を覗き込む。
「だから……もう、我慢しなくていいよ」
そう言って——あかりが俺の唇に、チュッとキスをした。
柔らかくて、温かくて、脳が溶ける。俺は目を閉じて、その感触を受け入れた。
唇が離れて、あかりが微笑んでいる。
「これから、毎日こうしていい?」
「……ああ」
「じゃあ、今日から恋人だね」
「……うん」
俺はあかりの手をぎゅっと握り返した。
やっと、自分から触れられたのだ。
◇
それから数週間が経ち、あかりは少しずつ女の子らしい服を着始めた。
最初はスカートを履くのが怖いと言っていたけれど、俺が隣にいると大丈夫らしい。今日も、淡い水色のワンピースを着たあかりが、少し恥ずかしそうにリビングに立っている。
「……変じゃない?」
「変じゃないよ。すごく似合ってる」
あかりが頬をピンクに染め、目を細めた。
「じゃあ、今日はこれで出かけようかな」
「うん」
俺たちは並んで玄関に向かう。あかりが靴を履こうとして——手が滑って、バランスを崩した。
俺は反射的に時間を止めた。
あかりが倒れかける姿勢のまま、宙で止まっている。
俺は手を伸ばして、腰を支えられる位置に手を添えた。
それから、時間を動かす。
「わっ」
あかりが俺の腕に支えられて、顔を上げる。
「危ない」
「ありがとう……って、今の」
「時間、止めた」
あかりが目を丸くする。
「え……そんなこと、できるの!?」
「うん。あかりのことが、好きすぎて、止められるようになった」
あかりが少しだけ恥ずかしそうに睨む。
「変態」
「あかりのせいだ」
「時間止めて何したの? 教えてよ」
「なんもしてない……」
あかりが笑いながら、俺の腕に抱きついてきた。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「これから先も、ずっと一緒にいてくれる?」
「当たり前だろ」
あかりの頭を優しく撫でる。
「幼稚園の時に約束しただろ。ずっと一緒にいようって」
「……覚えてたんだ」
「うん」
あかりが嬉しそうに、ぎゅっと抱きついてきた。
もう、守るために時間を止めるんじゃない。
一緒にいたいから、時間を止めるんだ。
幼馴染の男に恋して、男だと思い込んでいたこの時間は無駄じゃなかった。
この時間があったから、今のあかりを、こんなにも好きでいられるから。
― Fin.―
幼馴染の男に恋してた俺、ルームシェアしたらまさかの女だった tommynya @tommynya
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