幼馴染の男に恋してた俺、ルームシェアしたらまさかの女だった

tommynya

第1話 幼馴染の男に恋してた俺、ルームシェアしたらまさかの女だった



 俺は幼馴染のあかりに、三年間片想いしている。


 朝七時十分のリビングで、テーブルに突っ伏しながらその現実と向き合う。キッチンからはコーヒーの匂いと、目玉焼きを焼く音が聞こえてくる。


悠真ゆうま、起きてー。朝ごはんできたよ」


 振り返ったあかりは今日も白シャツにネクタイ、スラックスという爽やかな格好。イケメンなのがさらに際立つ。長めの前髪から覗く茶色い瞳が、朝日に透けてキラキラと輝いている。


「ん……ああ」


 生返事をしながら顔を上げると、あかりが目玉焼きとパンを木製の皿に乗せ微笑む。


 今日も最高だなあ……。


 男なのに、なんでこんなに可愛いんだろう。腰のラインが妙に細いけど、中性的な男も大学には結構いるし……まあ普通なのかな。華奢で、シャツの袖から覗く手首も綺麗で——って、男に対して綺麗って。


 俺、やっぱりゲイなのかな……。


「悠真? 顔赤いけど、大丈夫?」


「大丈夫!」


 慌てて目を逸らすと、あかりは首を傾げながら「そっか」と笑う。その笑顔に心臓が跳ねて、俺はフォークを持つ手に力を込めた。


 あかりと初めて会ったのは幼稚園の頃だ。マンションの隣に引っ越してきた、ヤンチャそうな子。砂場で一緒に遊んで、「ずっと一緒にいよう」なんて約束をした。当時の俺は何も考えてなかった。ただ、男の子の友達ができたことが嬉しくて。


 でも小学校に上がる直前、あかりは突然引っ越してしまう。「また会おうね」という言葉だけを残して、それきり十年以上も会えなくなった。


 再会したのは高校二年の春だ。


 またマンションの隣に誰かが引っ越してきて、ドアを開けたら——そこには、完全にイケメン化したあかりがいた。


「久しぶり、悠真」


 背は俺より少し低いものの、シュッとした顔立ちで、長めの前髪がアンニュイ。笑うと少しだけ目が細くなるのが、幼い頃と変わっていない。その笑顔を見た瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。


 俺はその場で、恋に落ちたのだ。初めての恋というものを知った日である。


 それから俺は、本気で自分がゲイかもしれない——と悩み続けた。学校は別だったけれど、毎日顔を合わせるし、あかりの顔を見るたびに胸が苦しくて、眠れない夜もあった。ネットで「男を好きになった」「男と男の恋愛」なんて検索しまくる日々。


 この事は誰にも言えなかった。友達にも、家族にも。

 でも、あかりと一緒にいる時間が幸せで、俺はそれだけで満足していた。


 そして大学受験。奇跡的に、俺たちは同じ大学に合格。


「ねえ悠真、ルームシェアしない?こっから大学通うのも大変だし、二人の方が家賃安いし、家事とか分担してさ」


 あかりがそう言ったとき、俺は三秒で答えを出した。


「……いいよ」


 内心は大パニックだったけれど、一緒にいられるならそれでいい。

 そうして始まった、2DKアパートでのルームシェア生活は、もう三ヶ月が経とうとしている。


 ◇


「ごちそうさま」


「うん。じゃあ僕、先に洗面所使うね」


 あかりが立ち上がると、シャツの背中が少しシワになっている。直してあげたい。でも触れない……。適度な距離感を保ちたいから、俺は黙って皿を洗い始めた。


 同居生活は思っていた以上に辛かった。いや、辛いというより——幸せすぎて死にそうになるという方が正しいだろう。


 ある日の午後、リビングで洗濯物を畳んでいると、あかりが隣に座ってきた。


「手伝うよ」


「ああ、ありがとう」


 あかりが自分の洋服を畳んでいるので、俺も自分の洋服を畳む。何気ない日常なのに、鼓動がうるさい。


 あかりのTシャツが俺の洋服に混ざっていたから、あかりに渡そうと手を伸ばす。ふとそれから匂いがした。柔軟剤と、あかりの匂いが混ざって——。


 男の服なのに、なんでこんなにいい匂いがするんだ。


「悠真、顔赤いよ?」


「ちょっと暑いよな!」


「そう? エアコンつける?」


「いや、大丈夫」


 あかりは不思議そうな顔をしながら、また洗濯物を畳み始めた。俺は自分の頬をバチンと叩く。落ち着くんだ。


 別の日の朝、シャワーを浴びたあかりがリビングに出てきた。髪をタオルでターバン状に巻いている。


「髪乾かすのめんどいんだよねー」


「……ああ」


 その巻き方、完全に女子のやつだ。でも中性的な男なら、こういう巻き方するのかもしれない。あかりは鏡を見ながらタオルを取って、髪を乾かし始めた。その仕草が妙に慣れていて——。


 数日後のキッチンで、あかりが料理を作っていた時のことだ。エプロン姿のあかりが、フライパンを振りながら鼻歌を歌っていた。


「悠真、味見して」


 あかりが、スプーンで料理をすくって差し出し、俺は自然に口を開けて、スプーンを受け入れる。


「うまい」


「よかった」


 あかりは喜んでいるが、俺は——固まった。

 今のって、間接キス……?


 いや、違う。気にしすぎだ。俺は何を意識しているんだ!変態!


「悠真? どうしたの?」


「なんでもない!」


 慌てて否定すると、あかりは首を傾げながら、また料理に戻った。

 俺は自分の手の甲をつねった。落ち着けって。


 ある日の午後、リビングでスマホをいじっていると、あかりが突然顔を近づけてきた。


「悠真、前髪にゴミついてる」


「え?」


 あかりの指が、俺の前髪に触れる。距離が近い。キスできそうな距離——。


「……取れた」


 あかりが笑いながら、小さなホコリを見せてくる。


「あ、ああ……ありがとう」


 俺は顔が熱くなるのを感じながら、瞼をぎゅっと瞑る。


 ある朝、あかりが弁当を作ってくれると言った。


「僕のお弁当作る時のついでだから、気にしないで」


「うん、ありがとう」


 出来上がった弁当を見て、俺は固まった。彩りが綺麗すぎる。三食そぼろの弁当に、星型の人参やミニトマトやソーセージには切り込みが。見た目にも拘っているのが分かる。


「お、お前……料理、うまいな」


「まあ、そうかな?」


 あかりが得意げに笑う。男にしては上手すぎる気がするけど、まあ大学には料理男子も結構いるって聞くし……。


 そんな日々が続いて、ある夜。二人でソファに座って映画を見ていた。


「悠真、このシーン怖い」


「……そう?」


「うん。だから、もうちょっとくっついてもいい?」


「え?いいけど……」


 あかりが俺の腕に寄りかかってくる。柔らかい肌。髪が俺の首筋に触れて、少しだけシャンプーの香りが漂う。あかりの体温が徐々に伝わり、呼吸の音まで聞こえてくる。


 意識しすぎて死にそうだ——でも逃げたらあかりが傷つくかもしれないから、俺はじっと耐えるしかない。


 しばらくして、あかりが呟く。


「悠真って、手温かいね」


 あかりが俺の手に自分の手を重ねてきた。


「え、あ……うん」


「僕の手冷たいから、ちょっとだけ貸して欲しい」


 あかりの手を温めてあげる俺。小さくて柔らかすぎる手に狂いそうだ……。


「男同士だし、別にいいよね?」


 あかりが悪戯な笑みを浮かべる。俺は何も答えられず、ただ手を握ったまま画面を見つめた。


 しばらくして、あかりが静かになったと思ったら、寝てしまったらしい。俺は動けなくなって、ただあかりの寝顔を横目でチラッと見る。


 愛らしすぎる……。

 声が漏れてしまう。あかりには何も聞こえていないと思う。幸せそうに眠っている。


 そんな日々が続いて、俺の中で違和感が積み重なっていった。

 タオルの巻き方。料理の手際。手の柔らかさ。弁当の女子力。


 でも——あかりは男だ。中性的なだけで、男なんだ。そう自分に言い聞かせていた。

 ある夜、あかりが先に寝てしまったあと、俺はスマホを持って布団に潜り込む。

 小さくため息をつき、検索窓を開いた。


 『男装 見分け方』

 『タオルターバン 男 する?』

 『手 柔らかい 男 普通?』


 見るだけで恥ずかしくなる検索履歴が並んだ。指が震える。でも、消せない。

 いや、違う。あかりは男だ。俺が変に意識しすぎてるだけだ——。心臓の音ばかりが大きく響く。


「……俺、どうしちゃったんだよ」


 誰もいない部屋で呟いた瞬間——ガチャッ。ドアが少しだけ開いて、あかりが顔を覗かせた。


「悠真、まだ起きてるの? 電気付けようか?」


「う、うわああああああ!!?」


 俺は反射的にスマホを胸に押し当てて隠した。あかりはキョトンとした表情で首を傾げる。


「な、なにしてたの?」


「寝ようとしてただけ! 寝る! 今寝る!!」


「あ、そ……? じゃあ、おやすみ」


 あかりが静かにドアを閉める。俺は布団の中でスマホを抱え込みながら、心臓が爆発するのを必死に抑えた。


 あぶねえ……今の履歴見られたら、気まずすぎる。

 画面を見ると検索ワードがまた目に入った。


 『手 柔らかい 男 普通?』


 俺はスマホを伏せて、枕に顔を押しつけた。


「……もう、わかんねえよ……」


 それから数週間が経った、夏の終わりの蒸し暑い夜のことだった。

 俺が部屋で課題をやっていると、リビングからあかりの声がした。


「暑いから、ちょっと脱ぐね」


「ん、いいよ」


 何気なく返事をして、ペンを持ったまま顔を上げた瞬間——あかりが、Tシャツを脱ごうとしていた。


 Tシャツの下に、白いものが巻かれているのがチラッと見える。サラシのようなものが。


 怪我でもしているのかな?と心配になり二度見したが、あかりの動きは自然で、どこかを傷めている感じもしない。


 でも、胸のあたりが、なんだか丸い……。


 え! どういう事?

 俺の脳みそが停止する。


 は? 待って。あれは、まさか……。

 サラシで巻かれている、あの曲線は、胸……?


 いや、待て。男でも胸筋がすごい奴はいる。筋トレしてる奴とか。そうだ、あかりは胸筋がすごいんだ!だから固定してるんだ!


 いや、無理がある。無理がありすぎる。あれは胸筋じゃない。

 女性の、胸だ。

 まさか……女なの?


 あかりが……女……?

 じゃあ俺、ゲイじゃなかったってこと……?


「悠真? どうしたの?」


「な、なんでもない!」


 慌てて目を逸らすと、不思議そうな顔をして、また上着を羽織った。


「変なの」


「ごめん……」


 俺は自分の部屋に逃げ込んで、布団に顔を埋めた。

 女だ……。あかりは、女だったんだ!


 俺、ゲイじゃなかった……!


 安堵と混乱が一緒にやってくる。嬉しい。嬉しいけど——でも、なんで? なんで男装しているんだろう。事情があるのかもしれない。


 聞けない。聞いたらあかりが困るかもしれない。隠してるのに聞かれたら嫌だろう。

 だったら俺が黙っていればいい。あかりが自分から言ってくれるまで、俺は何も知らないふりをしよう——そう決めた。


 でもその夜は眠れなかった。目を閉じると、あかりのサラシが浮かぶ。女と言う事分かったのが嬉しくて、胸の奥がざわつき続けた。


 翌朝。あかりの仕草が、昨日までとまったく違って見えた。

 髪を耳にかける指先、包丁を持つ手首、笑ったときの横顔——全部、女の子にしか見えない!


「悠真? なんか変じゃない?」

「べ、別に」


 動揺を隠したつもりでも隠せてなかったらしく、あかりがじっと俺を見つめてくる。その目が、昨日よりずっと距離が近い。


 それから数日後の夕方。

 ソファに並んで座ると、あかりが俺の肩にそっと頭を乗せてきた。


「……え、ちょ、待っ——」

「今日の悠真、なんか可愛い」


 たぶん、気づかれてる。俺が昨日までと違うってことに。


 しばらくそのまま寄りかかっていたあかりが、小さくあくびをした。

 そのまま、さらに体重を預けてくる。


「ねえ悠真、眠い」


「……寝れば?」


「ここで寝ていい?」


「……いいよ」


 あかりの髪が俺の首筋に触れる。女だってわかった今、この距離は間違いなく変な気持ちになる。でも逃げられない。


 あかりの寝息が聞こえる中、心の声が漏れてしまう。


「……好きだ」


 あかりには聞こえていない。ただ、幸せそうな寝顔を見つめる。


 ◇


 時は過ぎ、冬になった。期末試験が近づくと、俺たちは毎晩リビングで勉強するようになった。


「悠真、この問題わかる?」


「ああ、これはな……」


 教科書を指差しながら説明していると、あかりは真剣な顔でペンを走らせる。その横顔が可愛すぎて、俺は説明の途中で言葉を詰まらせそうになった。


「……っていう感じ」


「なるほど。ありがとう」


 そんな日が続いた試験前日の夜。俺たちは徹夜で勉強していた。


「もう無理……」


 テーブルに突っ伏して、項垂れるあかり。


「寝るなよ、あと三時間で朝だぞ」


「わかってる……でも……眠い……」


 しかし、そのままあかりは、寝息を立て始めた。俺は苦笑しながらペンを置き、あかりの肩にブランケットをかけてあげる。


 この瞬間が、永遠に続けばいいのに……。


 そう思った瞬間——世界が、止まった。


 色が吸い取られて、モノクロになり、音が消える。時計の秒針が、ピタリと止まっている。


 え……?


 俺は立ち上がってみた。動けるようだ。でも世界は止まっている。あかりの寝息も聞こえないし、呼吸している様子もない。完全に静止している。


「なんだこれ……」


 試しに手を伸ばしてみる。あかりの髪に触れそうになって——ダメだ。触ったら理性が吹っ飛ぶ。


 俺は手を引っ込めて、寝顔を見つめた。十分間、何もせずに見つめる。それだけで胸がいっぱいになって、小さく呟いてしまう。


「好きだな……」


 目を閉じて、もう一度念じる。時間、そろそろ動いてくれ。


 すると、世界が動き出した。カラフルな色彩や、音が戻り、あかりの寝息がまた聞こえ始める。


「……ん」


 あかりが少しだけ動いてまた眠る。俺はその場に座り込み、今の現象について考え込んだ。


 翌日、また試してみた。あかりが買い物に出かけている間、部屋で念じてみる。

 時間よ止まれ。


 すると、また、世界が止まった。


 やっぱりだ……。俺は時間を止められるようになってしまったらしい。あかりへの恋心が強く溢れたとき発動するようだ。


 俺は……とんでもない能力を手に入れてしまった。でも、この能力で何をする?

 答えは決まっていた。あかりを、守りたい。それだけだ。



 能力に気づいてから数日が経ち、俺は試験勉強の合間に何度か時間を止めてみた。でもやることは決まっている。あかりの寝顔を見る、ただ、それだけだ。触らない。触ったらいろいろ終る気がして、怖いんだ。


 そんなある日、また試験勉強中にあかりがテーブルで寝落ちした。


「……あー、疲れた」


 俺は伸びをしてあかりを見ると、唇が少しカサカサになっているのに気づく。そういえば昼間、「リップどこいったんだろー」なんて探していたっけ。


 立ち上がってソファの下を覗いてみると、転がっているリップを見つけた。拾い上げて、あかりの方を見る。塗ってあげたい。でも——。


 俺は時間を止めた。あかりは眠ったまま、完全に静止している。リビングの照明だけは、変わらず灯っている。


 震える手でリップのキャップを開けて、ゆっくりと、繰り出す。そして、あかりの顔に近づける。唇が目の前にある。塗ろうとして——手が止まった。


 ダメだ。塗ったらキスしたことになるかもしれない。俺の指があかりの唇に触れる、それは許されない。罪を犯すことになる。


 俺はリップのキャップを閉め、あかりの手の横にそっと置く。そして、時間を動かした。


「……自分で塗ってくれたらいいな」


 小さく呟くと、世界が戻ってあかりが目を覚ました。


「ん……あれ、リップだ」


 リップを塗りながら、「無くなったと思ったよ。ラッキー」と喜んでいる。俺は背中を向けて、ガタガタ震えていた。


 ◇


 その数日後の夜、あかりがリビングでゲームをしていた。


「くそー、また負けた」


「下手だな」


「うるさい」


 笑いながら俺も横でスマホをいじっていると、しばらくしてあかりの声が止まった。見ると、コントローラーを握ったまま眠っている。


「おい、ソファで寝るなよ」


 声をかけても起きないから、俺は立ち上がってあかりを見下ろした。そして——気づいた。スウェットパンツがずり下がって、おへそが丸見えになっている。さらに下着が見えそうなくらい下がっていく。


 慌てて目を逸らした。でも——このままじゃダメだ。


 俺は時間を止めた。あかりの呼吸がピタリと止まる。

 静寂の中混乱しながら、手を伸ばした。


 スウェットに触れようとして——三センチ手前で拳を握りしめる。スウェットを上げることも、脱がせることもできてしまう……。


 でもダメだ。触っちゃいけない。


 俺はブランケットを持ってきて、あかりの体にふわっと掛けた。首元から、つま先まで、全身を包む。ホッとしたと同時に、あかりの顔を見ると、髪が少しだけ乱れている。


 指が動きそうなのを止め、洗面所からコームを持ってきて髪を整えてあげた。俺の手で触れることは許されない。


「……大好き」


 耳元で囁いた後、時間を動かした。世界が戻り、あかりが寝返りを打つ。


「ん……」


 俺はその音にビクッとして、ソファに座り込みながら顔を手で覆った。バレていないようで安堵する。


 ◇


 それから一週間後、サークルの飲み会があった。あかりも参加するというから俺も行ったのだが、案の定あかりは弱いくせに飲みすぎた。


「悠真ー、飲もうよー」


「お前、弱いくせに飲むなよ」


「だいじょぶー」


 全然大丈夫じゃない。二時間後にはあかりは完全にベロベロで、俺がタクシーでアパートに連れて帰った。


「ただいまー」


「おい、走るなよ」


 何故か俺の部屋に入り、そのまま俺のベッドに倒れ込んだ。


「一緒に寝よー」


「は? お前のベッドで寝ろよ」


「やだー」


 そのまま寝息を立て始めて、俺は溜息をつき、あかりを見下ろした。そして——気づいた。


 シャツのボタンが上三つ外れている。なんてことだ!


 鎖骨が丸見えだ。サラシの上端が見えて、谷間が少しだけ見えてしまっている。


 理性が音を立てて崩れていく。見ちゃダメだ。見ちゃダメなのに——このままじゃ、俺が壊れる……。


 俺は時間を止めた。


 世界が静止して、あかりの呼吸が止まる。酒の匂いがほんのり漂い、リビングの照明だけが、あかりの寝顔を照らしている。


 そして——震える手を伸ばした。もう止められなかった。


 1つ目のボタンに手をかける。


 指先が震えてなかなか触れない。サラシに触れそうになって、慌てて手を引く。深呼吸して、また挑戦する。ボタンを穴に通そうとするが、指が震えて入らない。


 何度目かの挑戦で、ようやくボタンが穴に入った。


「……ごめん」


 小さく謝って閉めた。汗が額に滲んでいる。


 2つ目のボタン。


 さっきより震えがひどくなって、涙が出そうになる。なんで俺、こんなに必死になってるんだろう。ボタンを閉めるだけなのに。でも——触れたら、罪人だ。


「本当に……ごめん」


 何度も挑戦して、ようやく閉めた。


 3つ目のボタン。


 指が震えすぎて、もう穴に入らない。何度挑戦しても失敗する。視界が滲んできて、涙が一粒、あかりのシャツに落ちた。


「くそ……」


 好きすぎて触れられない。好きすぎてボタンも閉められない。


 でも——諦めない。


 10回目の挑戦で、ようやくボタンが閉まった。


 俺は布団をあかりの胸元までかけた。それから耳元に顔を近づける。


「……好きだよ」


 小さく、本当に小さく囁いてから、時間を動かした。


 世界が戻る。


 あかりが——目を閉じたまま、微笑んだ。


「……ありがとう、悠真」


 え? なにが?


「ちゃんと閉めてくれたんだ……偉いね」


 あかりがニヤッと笑う。


 俺は——顔が真っ赤になった。


「お、起きてたの!?」


「うん。ずっと寝たふりしてた」


「なんで!?」


「だって、悠真の反応が可愛いから」


 あかりがクスクス笑う。


 俺は何も言えなくなって、ただ顔を手で覆ってその場に座り込んだ。

 恥ずかしすぎておかしくなりそう……。


 あかりの笑い声だけが、部屋に響いていた。


 ◇


 翌朝、俺は合わせる顔がなかった。朝ごはんを作りながら、背中越しにあかりの気配を感じている。


「おはよう、悠真」


「……おはよ」


「昨日はありがとうね」


「……別に」


 あかりが小悪魔的な笑みを浮かべている。


「ねえ、話があるんだけど」


「……なに」


「座って」


 俺は渋々テーブルに座った。あかりが向かいに座って、少しだけ真剣な表情になる。


「僕ね、女の子だよ」


 俺は言葉に詰まり、数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開く。


「……知ってた。夏に、サラシ見ちゃって」


「え!?」


 あかりが目を丸くする。


「じゃあ、なんで黙ってたの!?」


「……事情があると思ったから」


「事情?」


「うん。なんか、言いたくないことがあるのかなって」


 あかりは少しだけ目を伏せた。


「……そっか」


 沈黙がまた流れる。そして、気になっていたことを質問した。


「きっかけが何かあったんだろ?」


 あかりが顔を上げる。


「うん……小学校のとき……変質者に遭ったの」


 俺の拳が強く握りしめられる。


「それから、男子にイタズラされたり、スカートめくられたり……いろいろあって」


「……そっか」


「女でいるのが、嫌になっちゃって」


 あかりの声が少しだけ震えている。


「でも……悠真の前では、女でいたかった」


「え?」


「だから、わざとサラシ見せたり、スキンシップ増やしたり……気づいてほしかったんだ」


 あかりがプクーっと頬を膨らませる。


「全然気づかないから、バカって思ってた」


「……ごめん」


「謝らなくていいよ。優しいのは知ってたから」


 あかりが微笑む。俺も勇気を出して本心を話すことにした。


「俺も……言いたいことがある」


「なに?」


「高校のとき……ゲイなんだって、本気で悩んでたんだ」


 あかりが目を丸くする。


「……僕のせい?」


「そう。でも女だってわかって……安心したよ。もっと好きになったし」


「……悠真」


「でも、言えなかった。関係が崩れるのが怖くて」


 あかりは立ち上がり、俺の隣に座って手を握る。


「僕も、ずっと好きだったよ」


「……え」


「高二で再会したときから……ずっと」


 あかりが俺の顔を覗き込む。


「だから……もう、我慢しなくていいよ」


 そう言って——あかりが俺の唇に、チュッとキスをした。


 柔らかくて、温かくて、脳が溶ける。俺は目を閉じて、その感触を受け入れた。


 唇が離れて、あかりが微笑んでいる。


「これから、毎日こうしていい?」


「……ああ」


「じゃあ、今日から恋人だね」


「……うん」


 俺はあかりの手をぎゅっと握り返した。

 やっと、自分から触れられたのだ。


 ◇


 それから数週間が経ち、あかりは少しずつ女の子らしい服を着始めた。


 最初はスカートを履くのが怖いと言っていたけれど、俺が隣にいると大丈夫らしい。今日も、淡い水色のワンピースを着たあかりが、少し恥ずかしそうにリビングに立っている。


「……変じゃない?」


「変じゃないよ。すごく似合ってる」


 あかりが頬をピンクに染め、目を細めた。


「じゃあ、今日はこれで出かけようかな」


「うん」


 俺たちは並んで玄関に向かう。あかりが靴を履こうとして——手が滑って、バランスを崩した。


 俺は反射的に時間を止めた。


 あかりが倒れかける姿勢のまま、宙で止まっている。

 俺は手を伸ばして、腰を支えられる位置に手を添えた。

 それから、時間を動かす。


「わっ」


 あかりが俺の腕に支えられて、顔を上げる。


「危ない」


「ありがとう……って、今の」


「時間、止めた」


 あかりが目を丸くする。


「え……そんなこと、できるの!?」


「うん。あかりのことが、好きすぎて、止められるようになった」


 あかりが少しだけ恥ずかしそうに睨む。


「変態」


「あかりのせいだ」


「時間止めて何したの? 教えてよ」


「なんもしてない……」


 あかりが笑いながら、俺の腕に抱きついてきた。


「ねえ、悠真」


「ん?」


「これから先も、ずっと一緒にいてくれる?」


「当たり前だろ」


 あかりの頭を優しく撫でる。


「幼稚園の時に約束しただろ。ずっと一緒にいようって」


「……覚えてたんだ」


「うん」


 あかりが嬉しそうに、ぎゅっと抱きついてきた。

 もう、守るために時間を止めるんじゃない。


 一緒にいたいから、時間を止めるんだ。


 幼馴染の男に恋して、男だと思い込んでいたこの時間は無駄じゃなかった。

 この時間があったから、今のあかりを、こんなにも好きでいられるから。


 


          ― Fin.―



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