異世界庁管理部修復課課長代理・内海錦一郎

毛玉

異世界庁管理部修復課課長代理・内海錦一郎

 超京都ちょうきょうと霞化石かすみかせき

 異世界庁はここにある。

 その異世界庁の長く白く無機質な廊下をひとり男が歩いている。

 内海錦一郎うつみきんいちろう。43歳。異世界庁管理部修復課課長代理。

 現在は超京都都市魔としま区担当として区役所にいるが、今日は霞化石に呼び出された。

 背はやや低めですらっと痩せている。黒いスーツを着込んで、鮮やかなストライプの青いネクタイを締めている。

 ただ歩いているだけなのに、なにかありそうな細かな笑みを湛えている。


 内海は自身の所属している管理部ではなく、そのひとつ上階のフラグ部部長室に向かっていた。

 ノックを3回。


「内海です」

「おう、入れ」

「失礼します」


 内海を迎えたのは異世界庁フラグ部部長・増岡菊夫ますおかきくおだ。

 

――市民の困りごとがあれば、それに手を貸すのが行政の義務だ。


 増岡が修復課課長代理だったころ、新人だった内海に言ったことばだ。

 内海と同じ課の上司だった増岡は、いまは霞化石の調律師というあだ名がついているほど優秀な職員である。

 管理部修復課からフラグ部へ異動したときには、マスさんがそっち行くんですか、と内海は嘆いたが、増岡の適性自体はフラグ部向きだったのだろう。


 ふたりが上司と部下の関係でなくなってから、すでに10年以上経っている。

 30手前だった内海錦一郎もすでに43。同期の出世頭からは微妙に遅れた。

 係長くらいまでいい勝負だったんだけどねえ、とにこやかに話す当人から後悔は感じられない。


「マスさん、ご無沙汰してます」

「ほんとだよ。おまえ飲みにも付き合わねえからな」

「マスさんのタイミングが悪いんですよ。ぼかぁいつも空けて待ってるのに」

「じゃあ今日行くか?」

「今日は仕事が。都市魔帰って1件対応あるんですよ」

「ほら見ろ」

「いや、なにがほら見ろですか。タイミングが悪いそのものじゃないですか」

 

 ふたりは笑った。


「それでボス、今日はなんですか?」

「ボスじゃねえよ。唐草からくさキレるぞ。あいつ細かいからな」

「カラさんが細かいんじゃなくて、マスさんが雑なだけですね」

「言うねえ、課長代理」

「役職いじりはハラスメントですよ?」

「唐草に似てきたんじゃねえか」

「マスさんが雑でノンデリなだけですね」


「まあ、それでな」と増岡は引き出しから書類を出す。「今日はこれだよ」


 内海はそれを受け取ると眺める。

 小野町おのまちめぐみ。22歳。

 先月入庁した職員だ。


「あ、大学同じか。後輩ですね」

「そいつを、おまえに任せたいんだが」

「お気づきでしょうけど、マスさんはフラグ部部長ですね。ぼくは管理部です。そして、この子もフラグ部。やばいプロットしてますよ」

「プロットクラッシャーだろおまえ」

「ぼくが壊すのはつまらないプロットだけです」と内海は細かくにやりと笑う。「どうせ唐草部長とハナシはついてるんでしょうけど、事情の説明は欲しいところですね」

「今年度から各部の人材交流制度が始まった――のはおまえ知らなさそうだな」

「知らないですね。ぼかぁ現場主義ですから」

「法令だぞ。職員が軽々に無視してんじゃねえ」

「マスさんだってそんなものは読みたくはないでしょうよ」

「だから出世しねえんだよ」

「コンプラ通報しときますね」

「ま、小野町の面倒見てやってくれよ。教育は得意だろ?」

「ぼくが教育得意だと思ってるのマスさんくらいですけどね」

「今日から都市魔区役所行かせてるから頼むわ」

「せいぜい箱入れて育てますわ」と内海は言った。

 

 

「内海さん。よろしくお願いします!」と都市魔区役所に戻った途端に内海は小野町に話しかけられた。

「うん、よろしくねー」と細い目をさらに細めて笑う。


 内海スマイルである。

 なにがあるのかわからないので、内海に微笑みかけられたときは逃げろ。

 かつての霞化石の格言であり、いまは都市魔区の格言だ。


「早速だけど、このあと2時から介入するよ」

「いきなりですね」

「ほかにやることないでしょ。座学するならぼくじゃない」

「わかりました」

「だいじょうぶだよ、そんなに厳しい案件じゃないからちょうどいい」と内海は言った。「申請出したから確認してね」


【介入処置申請書】CASEーDUTM22

【介入対象】

 北尾匠海(33)超京都都市魔区ニゲトグロ3丁目

【任務官】

 主務官:内海錦一郎(異世界庁管理部修復課課長代理)

 副務官:小野町めぐみ(異世界庁フラグ部調整課)

 OFR:伊藤克利(都市魔区行政課)・白井健太(都市魔区行政課)

【責任者】

 総責任者:桐谷翔吾(異世界庁フラグ部調整課課長)

 カウンセリング所見:三田龍典(都市魔区行政課)

 介入所見:内海錦一郎

 ルート:内海錦一郎

 介入:内海錦一郎

 調査書:小野町めぐみ

 OFR:伊藤克利

【概要】

 本人愁訴。保有異世界に違和確認済。カウンセリング所見では剣と魔法の世界。モンスターあり。特殊構造なし。

 29年9月エターナル判定。再開なしとみなし、都市魔区行政課で異世界事案と判断。本庁追認。

 ルート、介入判断は現況優先。詳細資料は事後、調査書提出を速やかに行う。


「あれ、総責桐谷さんなんですか?」

「だねえ。霞化石から出張ってくるような案件じゃない気がするけど、きみの初仕事はフラグ部がケツ持つってことじゃないかな」

「ケツ……」

「いや、やめてねそういうのね! おじさん困るから! 慣用句狩るのよくないよ!」

「冗談ですよ」

「悪いやつだな、きみは。慣れるの早すぎない?」

「仕事ですからね。私、出世したいんですよ。じつは逆指名ですし」

「ぼく指名してなんになるのさ。後藤くんとかにしとけばいいのに」

「後藤さんは課長なので、対象外だったんですよね」

「はっきり言うなあ……」

「でも、後藤さんと選べたとしても私は内海さんにお願いしたと思います!」

「なんも出ないよ?」

「プロットクラッシャー、行政マフィア、ヒーロースレイヤー。管理部エースの内海錦一郎を知らないひとはいないんですよ!」

「きみはなにか、そういう趣味なの?」

「はい、大学時代は異世界庁研究会入ってました」

「あー、あったな、ぼくのときにも」

「ちょっと上の先輩たちは後藤内海の一郎ペア大好きですからね。その影響で」

「省庁の情報開示で盛り上がれる特殊な界隈ね」と内海は苦笑いした。「そういうの本人には言わないと思うけどね」

「空気読まないってよく言われますけど、好意や尊敬は伝えたほうが得なので!」

「生きていくのが上手そうでなによりだよ」

「内海さんが尊敬を集める立場だからお世辞に感じるだけですよ」

「40過ぎの課長代理のおじさん掴まえてよく言うよ」と内海は苦笑いするが、それは内海スマイルではない。「まあ、頑張ってみよう。10分後開始ね。北尾さんはもう処置室入ってるみたいだから。4階、第2処置室の前で」

「どこ行くんです?」

「そら休憩よ。霞化石から急いで帰ったから疲れちゃった」と今度は内海スマイルをした。


 *

 

 超京都の住人は異世界そのものである。

 日々あまた増幅する異世界設定。その異世界が人間として生まれて消えていく。

 超京都に流れ着くのはエターナル判定を受けた異世界が中心だ。作者都合や商業事由で更新がとまって、矛盾を抱えた異世界たちのたどり着く場所だ。

 それぞれ抱えた問題によって、おおよそ都内は棲み分けられている。都市魔区は都市設定問題を抱える異世界たちが多く、人口は多い。超駄区や超奥区、無駄徒区のような大規模な区の次点グループだ。

 超駄区や無駄徒区とはちがい、人物設定や構造に根本的問題があるというよりは、都市の構造や市内戦闘で作者が適当に考えた結果として不調を抱えている異世界が多い。


 都市魔区、都市魔区庁舎4階第2処置室。

 内海と小野町を待っているのは北尾匠海である。

 ドアの前で内海と小野町は落ち合い、ノックして入っていく。


「こんにちは、北尾さん。北尾匠海さんで間違いないですか?」

「はい」


 33歳らしい風貌の男性である。

 保有している異世界の情報以外はプライバシーの観点から内海たちにはわからないが、ある程度の社会生活はしていそうな落ち着きがある。

 

「異世界庁の内海です。今日は主務官として介入します」

「異世界庁小野町です。副務官を務めます。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「カウンセリングでもお話いただいたと思うんですが、気になってるのは主人公再訪のところで間違いないですか?」

「そうですね。私の中では街壊してるのに感謝されるのかちょっとわからなくなってしまっていて。そのせいかずっと体が気だるいんです。作者エタっちゃったし、体は重くなる一方で……」

「わかりました。それほど大きな処置にはならないと思いますから安心してください。なるべくカードは切らずに行く予定です」

「それは後遺症とか話ですよね? カウンセリングのときに説明してもらった」

「そうですね。カードを切るとどうしても北尾さんの異世界に新しい解釈を加えることになりますから、北尾さんの異世界テキストにはない部分も出ます。その影響がないとは言えません。なるべくすくなくするのが我々の仕事ではあるんですが、完璧というわけじゃあない」

「ちなみにカードを切らないっていうことは……子どももまだ小さいですし、仕事もあるものですから、後遺症はちょっと困るんですよね」

「なるべく記述してある因果関係だけで処理するようにはしています。ただ北尾さん自身が違和感を感じてしまっている以上、ほとんどの場合でなにかしらカードは切ることにはなると思います」

「わかりました。ちょっと現状だと働けるような状況ではないくらいだるいので、仕事も今週休んでるんですよ」

「その状態だとおそらくはカードは使うと考えてもらったほうがいいですね。ただ最小限にはしてみますので」

「よろしくお願いします……」

「それではあちらのベッドに寝ていただいて、目を閉じていてください。我々が介入したら意識が落ちますが、とくになんの感覚もなくふっと落ちます。つぎ目覚めたら処置は終わっていますのでご安心を」


 内海は言い終わると小型インカムをつけ、小野町にもつけるよう促す。

 異世界介入したときに外界とつながる唯一の手段だ。

 

「コンタクトトゥOFR。内海です。通じてますか?」

「OFR伊藤。接続問題なし。よろしく」

「伊藤さん、よろしくお願いしますね。今日は副務官つけます」

「了解。副務官コンタクトテスト願う」

「コンタクトトゥOFR。副務官小野町です。よろしくお願いします」

「良好。よろしく」

「では、ルート説明します。ゲート4番で、最大反応部45%部分アクセスします。現況判断後、一旦出て因果見に98%部分へ。今日は初回なのもあって、45%部分でそのままいけそうならいきますが、問題大きそうなら応急処置だけで因果見て戻ります」

「OFR了解。テキスト接続完了してるのでいつでもどうぞ」

「内海了解。武装レベル決めて2分内に介入します」

「了解。いい仕事を」

 

 内海はインカムの通信を切る。

 すでに北尾はベッドに寝て目を閉じている。かなり緊張をしている様子が遠目にもわかる。

 小声で内海が小野町に語りかける。

 

「武装レベルは2かな。3でもいいな。小野町くん戦闘自信ある?」

「あまり……」

「じゃあ、3で行こう。初回だしね。最悪離脱だけしっかりしてね」

「武装レベル3、確認しました。あれ、内海さんは?」

「ぼかぁ1でいいよ、このくらいの相手なら。最強種がドラゴンだけど攻撃ワンパターンだからね。モンスターより圧倒的に人間の戦闘員のが強いから。というか、主人公だけしか脅威じゃないし」

「わかりました」

「自分の身は最優先だからね」

 

 それから内海は北尾のそばに寄って、


「それでは北尾さん、いまから介入開始します」


 *

 

 北尾匠海の異世界で45%の部分はモンスターが街を襲うシーンである。

 異世界を描いたテキストでは、いきなりローナイトドラゴンが襲撃してきて、主人公のいる宿屋を半壊させた、とある。


 宿屋からすこし離れた民家の屋根に登って、内海と小野町はその光景を見ている。

 目の前で、ローナイトドラゴンの尻尾が宿屋を一撃で破壊した。


「ここ離れてるからいいけど、ダメージふつうに入るからね。武装してるからそうそうダメージ通らないけど」

「これ、武装レベル最大じゃダメなんですか!」と小野町は建物が崩れる音でかき消されないよう大声で不満を訴えた。

「強すぎると流れが変わる可能性高くなるから。モンスターのヘイト買ったらこっち来るよ。そうなるともうめちゃくちゃな影響出る。主人公が倒したことにテキストではなってるけど、実際に我々が倒したってことになったら、トンデモ解釈になるからね」

「ええー、綱渡りすぎる!」

「ひとさまの異世界入ってんだから、そのくらいのリスクはあるよ」と内海は涼しい顔だ。

 

 中には住人がいて、泣く子どもと母親がいた、とすこしあとのシーンのテキスト描写にはそうある。

 宿屋の女主人である母親の生存描写はない。子どもだけが健在で、母親については「居た」としか触れられていない。

 主人公はこれからあっさりとローナイトドラゴンを討伐するが、とくにエピソードもなくこの街を離れる。


「なんだっけこいつ――あー、ローナイトドラゴンね、ローナイトドラゴン。主人公そろそろ倒しそうだね。建物被害宿屋だけだな」

「主人公強いですね」

「そういう世界だからね」

「北尾さんの不調の原因って、この宿屋ってことですかね?」

「北尾さんつらそうだったよねえ?」

「そうですね。仕事行けてないって言ってましたから……」

「これだけなのかなあ。まあOFRで多角で確認するけど、そろそろ止めようかな。倒すまで見るか、いちおう。ここ安全そうだし、主人公ぼくたちに気づいてなさそうだし。戦闘なくてよかったね」

「止められるんですか?」

「そりゃ、止められるし、戻れるよ。ラノベだからね。何回でも読み直せる。ただ北尾さん自身にはぼくたちがそうしてることはわかる。解釈されてる最中だってことは理解できてるってことだね。止めたり、遡ったりするとそのぶん北尾さんが意識しちゃうからね。重要じゃなくても重要に感じてしまうこともある。だから手短に最低限の読み込みで終わらせる」

「難易度高すぎるでしょ!」

「知らなかった? そういう仕事だよ」

 

 ローナイトドラゴンはすごく強いが、主人公のこれまでの研鑽が圧倒的すぎるために、相手にならない。

 これだけがこの異世界での事実である。

 ただそのバックグラウンドには、主人公の強さほどは注意が払われていない。


「宿屋は壊れてるねえ。ローナイトドラゴン強いらしいから仕方ないけど。雑に強い相手に雑に強い力で勝つとまわりはふつうなんだから、問題は起きやすいよね」と内海はやはり冷静に言う。

 

 主人公は、コンクリのようなガレキを剣で払う。当たる気配さえない。

 半壊したあとの宿屋に関する記述はそれだけだ。

 ただそのすこしあとで子どもは泣いていて、母親の生存描写はない。


「あ、倒したね。ちょっと広場も壊れてるけど、ここはひといないから問題ないでしょう」と内海は倒れたローナイトドラゴンを見ながら言った。「止めよう」


 そう内海が言って、インカムを操作すると世界が止まった。


「小野町くんさ、なんか感じた?」

「すいません、とくには」

「宿屋だけだよねえ。ここはいいことにしちゃおうかな」

「主務官はその責務を不断の努力とたゆまぬ論理的精神で全うしなければならない。霞化石十訓だって増岡さんは言ってましたよ」

「べつに職責には忠実じゃない? 宿屋の女主人の安否は不明だって、見ればわかるわけだけど、死んだって確定もしてない。このまま因果関係すっきりしてれば、カード切らなくてもいいかもね」

「北尾さんが納得すればいいから?」

「そうだよ。いい理解だ。ぼくらの仕事の本質はそこでしかない」と内海は小野町の不安そうな表情を気にもとめない。「じゃあ、とりあえず結果見に行こうかな」

 

 と。

 インカムから音が響いてくる。

 ああ、そうか、今日は伊藤さんだからなー、とインカムを塞いで内海は小野町に笑いかけた。

 

「OFR、コンタクトトゥー内海」

「内海、とりましたー」

「内海、もう1回いまんとこ見てほしいかも」

「見たつもりですよ。主人公はコンタクトしてないと思います」

「んー、それはそうなんだけど見たほうがいいかも。主人公がガレキを避けて、それが跳ねて、母親に当たってると思う」

「半壊したところですか? 子ども泣いてるのは見えましたけど」

「子ども泣いてるのって、主人公が戦いに広場に行ったあとなんだよね。だから、子どもは100%無事なんだけど、母親になにかあったときには主人公はそこにいた」

「オッケーです。オンフィールドレビューできます? 戻りたくないかも」

「わかった。じゃあ、出す」


 完全に静止した世界で、インカムから照射されているホログラムとふたりだけが動いている。

 

「ちょっと戻すよ。ここね。この初撃あって、もう主人公即時出てくるんだけど、ガレキが来るのよ。これ」

「あー、飛んでますね。尻尾1発しか入ってないから、落下かな」

「だね。ちょっとその角度描写ないんだけど、屋根のガレキだってことじゃないか」

「雑だな。まあでも、ガレキ来て、主人公が剣で、あ、もう1回、剣とガレキのコンタクトまで戻してもらっていいですか?」

「オッケー、戻すね。何回か見せる」

「ありがとうございます。剣で、そうですね。弾いてますね。ここでは子ども泣いてないのか。ガレキはたしかに弾いてますね」

「そのあと描写ないからガレキの行方はわかんないんだけどさ、これがたぶん当たってるのよ、母親に」

「半壊したときに母親がダメージ受けてたら子ども無事じゃないだろうから、自然解釈すればそのあとインシデントですよね」

「そう。だからこの主人公の弾いたガレキ当たってると思う」

「宿屋の女主人の安否書いてエタってくれたらよかったですねえ」

「言ってる場合か。すくなくとも北尾さんの中の整合性だと、当たってんのよ」

「となると、子どもがね、恨みますよね」

「可能性が高いと北尾さんは思ってる」

「街の被害ってことで流そうかと思いますけどどうです?」

「因果で取るってこと? でも子どもは主人公に悪感情持ったままじゃない?」

「死んでないかもしれない」

「ガレキ直撃の可能性高くて子ども泣いてるのに?」

「つぎ来たとき主人公歓迎されてます?」

「されてる。村人総出で大絶賛されてる。でも――」

「子どもそのとき描写ないんですね」

「そう。それでも、カード切らない?」

「そうですね。ある程度の被害は描写外でしょうがないと思ってます。できればカードなしで行きたいです」

「主務官、レコメンドフロムオンフィールドレビュアー。現況判断ちょっと考えて欲しい」

「うーん、流したいかなあ。ダメですか」

「言ったよ。レコメンド。OFRレコメンド」

「オッケーです。ちょっと現況判断します」

「OFR了解。現況判断に時間とるね? 了解」

「お願いします。ちょっと切りますね」


 

 止まった世界でふたりは屋根の上でのんびりしている。

 ように見えないこともない。

 そのくらいに彼らには緊張感がない。

 世界が動いていれば危機もあるが、現状では危機はゼロで、時間が動かない以上無限に近いからだ。

 

「カード切るってようは大幅な解釈入れるってことですよね?」

「そうだね。テキスト記述がない解釈するってこと」

「ホイホイやっていいんですか?」

「ダメだよ。さっき言ったでしょ。カード切ると北尾さんに後遺症や傷跡が残る。北尾さんの肉体と北尾さんの異世界って連動してるからね」

「内海さんはカード切らないほうがいい、でも伊藤さんは切るくらい重大だって言ってるってことですか」

「そう。DOCSOだね。どうやってもカバーしきれない粗相。作者のひどいミスのことだね」

「どのあたりが悩んでるポイントなんですか?」

「ここ軽い世界だからね。すごいご都合主義なの。だから、ぼかぁ死んでないと思うんだよな。たしかに怪我はしてるだろうけどね」

「でも本人愁訴ですよね?」

「そう。だからここに矛盾はあるって感じてるってことなんだろうけど、拡大解釈しなくても流れでいけてると思うんだけどね。このへんがDOCSOかどうかは正直、好みもある。予後なんて対処した時点でわかんないのは事実だしね」

「カウンセリング所見も見ましたけど、結構北尾さん困ってません?」

「そこだろうね。伊藤さんが言いたいのは。本人の訴えが強い。DOCSOでも変じゃないけど、敢えてカード切るかって問題」

「でも介入しないと消えないですよね、北尾さんの不調って」

「そりゃね。でもねえ、カード使うと傷は残る。後遺症出るかもしれない。北尾さんの中の異世界の設定をいじるってそういうことなんだよ。QOLが逆に下がっちゃうかもしれない」

「伊藤さんはカードを切らせたい」

「そうだね。ガレキが『奇跡』的に当たらなかったことにしろってことだろう。どう考えても宿屋直撃してて当たらないわけはないし、子ども泣いてるんだから、もう気を失っただけですんだの『奇跡』っていう理解にするってこと」

「ええー、それはすごくないですか?」

「すごいよ。『奇跡』は使うと全部台なしになる可能性があるくらい重いカードだよ」

「……どうするんですか?」

「カード切らないと伊藤さん納得しなさそうだからね。ただ『奇跡』は切りたくないかな。『偶然』と『克服』くらいで抑えたい」

「ちょっと怪我はするけど、ここに主人公戻るころには回復したあと?」

「いいね。そういうこと」

「本当はですけど、カード切らなくてすむならそのほうがいいんですよね?」

「ぼかぁそう思ってるけどね。個人見解は。だいたい異世界庁の許可してるカードって安全じゃないからね、べつに。効果がはっきりしてる傾向が強いってだけで。効果がきっちりしてるから影響がすくないってわけじゃないでしょ?」

「省庁批判は新人には厳しいです」と小野町は笑った。

「ぼかぁカード切って大きく介入するなら異世界庁認可のじゃなくて、裏で流通してるカード使ったほうがいいんじゃないかと思ってるくらいだからね。まあ、こういうインモラルな中年になったらダメだよ」

「悪いひとですね」

「いまのは一発アウトだね。懲戒くらうから黙っといて」

「いいんですか、そんなにホイホイ私に弱みを見せて?」

「セクハラパワハラお断りだけど、缶コーヒーくらいならいいよ」

「安い! 安すぎる!」

「まあ、ここはプライバシーに守られてるからね。記録もされないし、だからマスさんはぼくのとこにきみを置いたんだろうけどね」

「期待を感じますね! いいですね、滾ります」

「滾るの……。怖いね、若いひとは。ぼかぁ面倒としか思わないけど」

「だから内海さんは期待を集め続けてるからそう感じるだけですって」

「ぼくもきみには期待しとくことにしますよ」と内海は言った。「さて、しょうがないからカード切ろう」

「了解しました」


 *


「コンタクトトゥーOFR。伊藤さんとれますー?」

「オンフィールドレビュワー。どうぞ」

「別角度なんかありました?」

「いや、ないね。ここ宿屋前とドラゴン倒した広場しか記述ない。98%のところの再訪問まで本当になにもないね」

「で、そこは突如英雄視されてる、と」

「そう」

「んー、わかりました。カード切ります」

「了解。なに切る?」

「レコメンドあります?」

「現況優先でいいと思うよ。こっちからは自然解釈の因果では解決しないかなって見えてるってだけだからね」

「了解です。じゃあ、『偶然』でガレキの直撃をちょっと避けますね。同時に『克服』出して、このあとリハビリしてもらおうかと思います」

「2コにわけるのね? 『奇跡』じゃなくて、『偶然』ね?」

「はーい、そうです」

「オッケーわかった。主務官マターだからそれでいいと思う」


 インカムを切って、内海は背広の内ポケットからカードを2枚取り出し、異世界に向けて高らかに宣言した。


「宿屋女主人、『偶然』ガレキの直撃は回避できたが、負傷。のち、怪我を『克服』して平和に暮らして主人公を歓迎する」


 そのあとふたりが飛んだ物語の98%の部分、エタった異世界の終わりのほうで、主人公はこの街に凱旋していた。

 とくに問題なく住人からは歓迎され、建て替えた宿屋の前ではモブとして子どもと女主人が主人公に向かって手を振っていた。



「よかったです。助かってますよね、それはね」


 北尾の脇腹には小さな傷がふたつある。

 『偶然』と『克服』という傷が異世界に加えられた、ということだ。

 それはつづきが望めなくなった作品の拡大解釈ではある、という事実ではあるが、解釈に文句を作者はすでにいない。


「これでいったんは大丈夫だと思います。カードも最小限だったので」

「ありがとうございます」

「北尾さん、また、困ったことがあったら相談に来てくださいね!」と元気よく小野町は言った。


 北尾は礼を言って、軽くなった体を確認するように肩を大きく回して笑った。

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