人類時計
城井映
人類時計
人類は永遠の眠りにつく。
「これが1〈人類時間〉です」
その一言で、ようやくその場に張り詰めた緊張感のようなものが解かれた。
「人類時間」
わたしは繰り言すると、役目を果たしたクローン宇宙の断片を手に取った。
《人類時計》──相手はそのクローン宇宙をそう呼称した。
矯めつ眇めつすると、その透明な表皮に打刻されたシリアルナンバーが透けて見える。例によって「7X」だ。流通するクローン宇宙のほぼ全てがこれと言っても差し支えない。言わずと知れた、《人類》を生んだ
好奇心旺盛な子供のように、人類の眠れるクローン宇宙を眺めるわたしに、相手は窺うように告げた。
「時間……クローン宇宙7Xの中から、われわれが取り出しうる貴重な次世代資源です」
「われわれが扱う次元プロセスに似た概念であり、人類が発明し、その異常な繁栄の基礎となった装置……そもそも、彼らはセシウム133の超微細構造準位間の遷移をベースに、時間を措定していたのだったな」
「91億9263万1770周期をワンセットで『秒』と呼び、一秒を60セットで『分』、一分を60セットで『時間』、一時間を24セットで『日』とし、これを地球の自転周期と結びつけました。宇宙開発史に残る、革命的な発明ですね」
「わたしたちからしたらあまりにも革命的だが、彼らにとっては必然の発明だったはずだ。時間を外在化・可視化し、共有することは、生命体社会目に属する人類にとって、使わずにはいられない生存戦略だった」
「適度な競争環境を生み出した《地球》が最高傑作と呼ばれるゆえんですね。それがなければ、われわれは時間を観測することはできなかった」
「そして……これが、わたしたちにとってのセシウム133ということか」
そう言って、わたしはクローン宇宙を手放す。人類を失った7Xはあらかじめ定められていたように、相手の手の内へと吸い寄せられていった。
「はい。人類の誕生から終焉までの時間を『1』とする、われわれの時間単位です」
「『時間』の始まりから終わりまで、か。信じられないほど不格好な砂時計だ。あっという間に過ぎて、何が何やらわからなかった」
「われわれが宇宙に対して巨大すぎますからね」
「所詮、宇宙というわけか……万が一『秒』へとたどり着くことができれば、無限に等しい時間を採掘し、7Xを超える複雑性を産み出すことができそうなのだが……」
わたしたちにとって宇宙とは、ビッグバンの衝撃によって焼き付き、痕跡として取り出せる現象でしかなかった。だが、《人類》の出現、及び時間の発見によって、宇宙には『
次元は増えるほど指数的に複雑性が上昇し、堅牢となる。堅牢さ=安定性はわたしたちが最も好むところであり、わたしたちの淵源であり、
そして、安定性への探求が極まり、想定された次元が既に採掘され尽くしたところに、《時間》の発見の報が舞い込んでくる。宇宙開発はもともと子供を喜ばせるおもちゃのようなものだったのに、ここに来て新次元に飢えたものたち(わたしを含む)が目をつけ始めた。
相手は言った。
「同じ条件下で生成したクローン7Xであっても、人類滅亡までの経過は異なることがわかっています。人類の時間感覚にはゆらぎがあるようで、存亡に関わる重要な選択が揃うことは稀です」
「ゆらぎ? 人類は量子的存在なのか」
「いいえ、われわれと同じですよ。ただ、確かに量子的に振る舞うようにも見えるんですよね……ええとまあ、そういう事情があるので、ウルトラミクロの観点から見れば時間に差異があると言えます。しかし、前地球時代や
その設計思想で作られたのが、1人類時間を刻む《人類時計》というわけだ。
「その誤差というのは《秒》の観点からも無視できるんだろう」
「いえいえ、《秒》そのものがまさにそのウルトラミクロなんですよ。《秒》を基にすれば10の14から16乗の間の誤差が生じ得ることがサンプル解析からわかっています」
「ふむ……難儀だな。ピンとこない」
「ピンときたら大変です。時間はモノとして扱うから、われわれは認識できるのですよ。そうでなければ《秒》のルールに引きずりこまれかねませんからね」
話を聞いているうちに、わたしは失望のようなものを覚え始めていた。《時間》がプロセスである以上、これを用いて次元をやりくりしようとするなら、継続的な稼働が保証されていなければならない。しかし、これはパッケージングしたクローン宇宙をひとつ潰して、「こちらが1人類時間です」と宣言することで、ようやくわかるような代物だ。クローン宇宙をひとつこしらえるのにも、一応、他の次元資源を消費するのだ。そこがボトルネックとなって、わたしたちの築いてきた堅牢性が損なわれはしないか。
「結局、現状はおもちゃ程度でしかないな」
わたしが言うと、相手はその意見に抵抗するように大きく身を反らした。
「でも、われわれは未知の次元に対して、期待せずにはいられない。そういう運命体でしょう?」
「……まさしく」
だからこそ、わたしとこの相手は対面しているのだ。わたしは話を聞かせてもらった礼として幾分かの次元資源を渡し、相手は粗品としていくつか7X……いや、『人類時計』をくれた。
わたしは《秒》について考えた。人類の誕生から滅亡までを1単位とする人類時計は、わたしたちにとっての一秒を刻むものと捉えることもできるが、だからどうした、という感じもする。しかし、人類はこの次元を体験として保有して、自らの存在の一部としていた。例えば、30秒後にどこで会おうだとか、あなたの8セット分の3600秒間を買おうだとか……そういうことを言うことができるはずだ。
時間は熱力学的な現象の連なりと解釈することができるが、わたしたちにとってセシウム133に関するあれこれを次元とするにはミクロにすぎ、またマクロにすぎる。だが、人類は原子の振る舞いの尺度に対して小さくも大きくもない。そうしてみると、人類とは実にちょうどいい大きさをしている。
わたしは居住用にこしらえた次元構造物に戻ると、退屈そうに次元資源を弄ぶ子供たちに、持ち帰ってきた人類時計を与えた。
「ほら、クローン宇宙だよ」
「えー、どうせ7Xでしょ」
「地球は見飽きたよ」
ぶーたれる子供たちに腹が立って、わたしは突きつけるように言った。
「おい、馬鹿にするな。これは新しい発明品で、人類時計っていうんだ」
「時計?」
「そう。人類が誕生してから滅亡する、その期間を1単位にして計る時計だよ」
わたしは子供たちに見せつけるため、さっきプレゼンテーションを受けたように、人類時計のひとつを稼働した。宇宙の中で、人類が目覚めた。争った。発展した。云々した。そうして人類は永遠の眠りについた。
そのプロセスを見届けてから、わたしは堂々と告げる。
「これで1人類時間」
「へー、おもしろい!」
子供たちのウケは良かった。仮にもわたしから分化した同位体である。このわたしが多少は興味を惹かれたのだから、子供たちが面白く思わないはずがない。
わたしは子供たちがきゃっきゃと時間観測をするよそで、ルーチンとしての次元資源の消費を行っておいた。特定の次元の消費活動は、関係する別の次元の生産活動にあたる。言い換えると、わたしは次元資源の生産を行ったことになる。そして、その次元資源をまた別の次元へとあてがう。この冗長な変換によって、次元資源に情報的な重みが増し、複雑性が生まれ、わたしたちは安心することができる。
しばらくして、子供たちの様子を見に行くとクローン宇宙が増えていた。最初に与えた数よりも明らかに多くなっている。わたしは唖然とした。
「こんなにどうしたんだ……」
「これね、全部時計なの」
子供たちは無邪気に言う。未成熟の子供はよくこうして、意味をなさない次元の浪費をして遊ぶ。
「どれ、見せてごらん」
わたしが言うと、子供たちは小さなクローン宇宙のかけらを見せて、それぞれ説明してくれた。これはね神話時間時計、これは宗教時間時計、これは人文時間時計、これは数学時間時計、これは労働時間時計──と教えてくれた。どうやら人類の世界観を単元に、1人類時間を分割したらしい。主観時間時計とでも言えばよいのだろうか。いかにも子供のやりそうなことだ。
「それは時間じゃ……むっ」
一瞬、わたしは無粋にも「それは時間じゃない」と言いかけた。
時間とは宇宙管轄下の物理的なプロセスであり、人類時計は人類が誕生してから滅亡するまでの間で、空間座標のようにひとつの次元を取り出すことを可能にする。例えば、セシウム133の遷移・1億の1億乗周期時点……という風に言えば、取り出せる時間はひとつしかない。
それに対して、神話や労働は人類の習性だから、その時間内の特定のポイントを指定して取り出すことはできない。神々が存在した空間を宇宙内の法則のみで規定することは不可能であり、よって本来的な時間とは無関係である。
それでも、わたしが言葉に詰まったのは、『時間とはプロセスだから』という前提に引っかかったからだ。その思考は実に一次元的に響きはしないだろうか。言い換えれば、幼稚に響きはしなかったか。
「それ、稼働したらどうなるの?」
わたしは切迫した何かを感じながら、無邪気を装って訊いた。
「うん、やるからね」
子供はそう言うと、適当な時計を手に取って稼働した。わたしにはそれが、どの時間の時計かはあまりわからなかった。子供が恣意的に切り刻み、命名した時計なのだ。わかるはずもない。
やがて、子供はわたしを真似たような堂々とした口調で告げた。
「これで1宗教時間」
正直、1人類時間を初めて目の当たりにした時よりも、何の手応えもなかった。当然だ。子供のお遊びでしかないのだから。
しかし──わたしは、その発言を真っ向から捉えて、真剣に検討を始めていた。
宗教的な時間観と、子供は言った。人類が宗教を生活の基盤にしていた期間は、人類時間のほぼ全域に及ぶ。そこで育まれた時間観も実に多様で、例えば仏教などに見られる「
子供はまた次の時計をいじって、稼働してみせ、自信満々に言う。
「これで1人文時間」
人文的な時間感覚──ここでも世界が問題になる。詩を読むとき、小説を読んでいるとき、音楽を聴くとき、絵を描くとき、または鑑賞するとき、演劇を観るとき、映画を観るとき、人類は別種の世界に直面する。その時、別の時間の流れを実感するのではないか。面白ければ速く、つまらなければ遅く、逆に、没頭のために遅く。その時、セシウム133の振る舞いに規定された時間の単位は、意味をなすだろうか。物理時間はそっと傍らに寄るのではないだろうか。人類はその各々の脳の中で、異なるダイナミクスで時間を稼働するのではないか。
子供はまた別の時計を稼働して、言う。
「これで1労働時間」
ならば、その逆だって起こりうる。資本と労働、つまり、人類が自らの時間を売りさばく行為は、また別種の時間の有り様を呈すのではないか。労働者は時間と引き換えに価値を生み、時間に応じた賃金を受け取る。この賃金は基本的に労働者の生んだ価値とは関係がなく、ただ労働時間に基づく。時間と金、人類はふたつのものの間に命懸けの橋渡しをしなければならない。ここでも《秒》は別の次元に押しやられている。
そう、別の次元に……。
「それでね、次は──」
「すまない、この余ってるの、もらっていいか?」
「えー! それも使うのに」
「悪い、これも安定した存在のためなんだ」
子供のブーイングを聞かないふりして、わたしは人類時計を回収して、落ち着ける別の場所へ持って行った。
気がついてしまえば簡単な話だった。物理的には一瞬で終わってしまう人類時間でも、そこに暮らす人類ひとりひとりの脳内に流れる時間はそれぞれ固有の経験を持つのだから、刻々とオリジナルな様相を保持することになる。その各々の様相を取り出すことができれば、軽く人類の総個体数=兆を超すサンプル時間が得られるじゃないか。それだけでも人類時計一個の価値は数垓倍に跳ね上がるが、そこから工夫して、物理時間の一秒ごとに全人類の主観時間をサンプリングできるようにすれば、更に時間の総体は増える。ひとつひとつはか細い時間かも知れないが、0を何千個と連ねた秒数分のものを連ねれば、わたしたちが悠々と存在するに足る情報量が得られるはずだ。7X宇宙でほんの一瞬
ここでわたしは、子供たちの発見した《秒》を「主観時間」と定義しなおした。問題はどうやってこの《秒》=主観時間を取り出すかだ。主観時間は、物理時間の軸にパラレルな奥行きを与えるものといえる。神話時間、宗教時間、人文時間などは典型例だが、大雑把すぎるので子供の手でも分解ができる。実際、わたしにもできた。
この先はかなり難しい。人類の歴史はクローン宇宙によって何度やり直しても、ある程度の方向性は決まっているし、類型も見られる。ただ、ミクロの観点から見るとその選択肢は「
そこで、わたしは原始時間を相手にすることにした。アフリカ大陸のジャングルに住んでいた旧人類が、新人類へと進化するあわいである。
このとき、時間の捉え方は太陽の位置が重要だったろう。なので、わたしは日の出から日没までを1原始時間と定義した。地質年代によって日照時間は変化するが、人類の主観に近づけたいのでこれで構わない。
わたしは人類時計のひとつを慎重に操作して、ちょうどよさそうな原始人類のひとりを発見し、これを「対象」とした。本能的に群れのようなものを作り、生きるために食べ物を探すような行動を取る。この意識があるかないかとはっきりと言い切れないところが実に素晴らしい。わたしは《秒》と定義したような主観時間を人類が獲得し、それに基づいた社会性が誕生する時間的座標を見つけたいのだ。
果たして、そんな瞬間が存在するのだろうか。
疑心暗鬼に駆られながらも、わたしは観察を続けた。「対象」は野生生物として冴えている感覚に頼りながらも、実に行き当たりばったりに生活をしていた。「対象」にあるのはただ現在の、目の前に起こっている現実だけだ。予定や計画など全くなく、その後の人類が持つような行動様式は微塵にも感じられない。発展のようなものはなく、繰り返しの日々が続いた。
わたしが兆候を見いだしたのは、「対象」の微妙な動きの変化だった。まず、「対象」の群れのひとりが凶暴な野生生物に襲われて死んだ。ままあることである。その光景を目撃した群れのひとりは驚き、怯えると、「対象」のもとへと走って行き、自分が目にしたこの先に待つ危険のことを知らせた。言葉にすらなっていない鳴き声のようなものだが、その鬼気迫る態度を見て、この先を進もうという気は起こらない。「対象」はその場を離れる決意をする。
その場面で、わたしは──《秒》を感じる。
危機を知らせた群れの者は、怯えたように駆けだした。目撃した危機から、最大限に距離を取れるような方向である。わたしの「対象」も、そちらに進路を取るべきであるにも関わらず、「対象」は別の群れの者のもとへと向かった。
わたしは驚き、この事態を見守った。「対象」の道行きは、他の者たちに危機を知らせるためだろう。その後の人類の様子を知っていれば、何ら不思議なことはないが、長らく原始の「対象」を眺めていたわたしには新鮮に映った。それは群れを守るためのれっきとした社会的な行動だった。「対象」には配偶者と子供がいた。
「対象」は家族と、近しい者たちのもとへ戻ると、危機を伝えた。「対象」は、凶暴な野生動物が仲間を殺した場面を目撃していないにも関わらず、まるであたかもその自分が目撃したように、身振り手振りを交えながら、ついに仲間の殺された場所まで伝えきった上、この場所は危険だから活動拠点を移そうという提案までし始める。「対象」は自分の経験していない、他者から受け取っただけの情報を自分の中で再構成し、解釈し、また他者へと伝達することに成功したのである。
「言語だ」
わたしは呟いた。聞き、伝えること、それが言語の本質だ。「対象」は言語を必要に迫られて発明したのであった。
「対象」の言語を聞いた群れの者たちは、三々五々その場を立ち去り始めた。その場にいると、同様の危機が起こることを恐れたのだろう。明らかに、その行動には未来が予見されている。そこには対象のもたらした、「仲間の死」という過去のイメージが基盤としてあった。
過去、現在、未来。
群れの中にある種の時空間が誕生したのだ。
「《秒》は言語に伴って出現する──」
言語によって表出することで、食べ物の場所と言った端的な情報のみならず、感情や思考を共有することができるようになる。最初は単なる危機回避のプロセスにしか過ぎなかった語りは、やがて原始人類を包摂する巨大なものの想像へと到達し、様々な神話を導き出すだろう。
ここに至ってわたしは理解する。時間はプロセスなのではない。言語を媒体とする、誰かと誰かが、同じ存在であることを頷き合うために導出された次元なのである。セシウム133の構造準位間遷移を根拠とする物理的時間は、後付で生まれたものにすぎない。わたしが取り出したい《秒》は、その目配せの細部に宿るのだ。
こうして人類の時間の在処がわかった。あとはその時間空間=言語空間を抽出しなければならない。
わたしが試験的に観察している「対象」は、言語の発明によって原始時間の分割に成功した。さしあたり、対象の時間感覚は《仲間が野生動物に襲われて死んだ》以前と以降に区別ができる。今後、「対象」は言語によって説明可能な経験を増やしていくだろう。例えば、「対象」は新たな住居となる洞穴を発見したとしよう。その時点で、《仲間が野生動物に襲われて死んだ》以降、《新たな住居となる洞穴の発見》以前、という時間が生まれる。
そして、この例は大きな経験における区切りなので、囲い込まれた時間間隔は非常に広い。主観時間に到達するには、わたしはこの解像度をどこまでも高めていく必要がある。
わたしは非常に冗漫な手つきをもって、この時間感覚の細分化を始めた。
まず、「対象」が目を覚ます。覚醒というひとつの行為の中には、目を開き、目を閉じ、再び目を開き、瞳孔が感光し、手を上げ、目を擦り、手を下ろし、息を吸い──という微細な動作の流れがある。そのいちいちに時間の楔を打ち込むことで、厖大な数の時間間隔を得ることができる。
その細切れとなった時間間隔の狭間で、「対象」の主観時間は刻々と変化していく。睡眠の快楽から、覚醒に伴う不快感、空腹、乾き、同一性の認識。その変化をいちいち対象は言語化しないが、認識の底で常に言語化可能な状態で生起し、息を潜ませている。いつか寝起きの怠さ、苦しさを誰かと共有する時のためだ。つまり、ここには主観時間がある。
わたしは大声をあげそうになった。
ここだ! わたしはここに、新たな次元を発掘してしまった。
端的な大発見に、わたしは小躍りしたい気分だったのだが、いかんせん、この作業は微細に極まる。ただでさえ、小さく一瞬で燃え尽きてしまう宇宙の中で、更に小さな人類の小さな頭に収まる言語野を更に細かく分断し、抽出しなければならないのだ。次元資源の採掘システムに組み込むことができれば、物理的な大きさなど問題ではなくなるが、安定するまではこの処置を地道に行わなくてはならない。
わたしは本格的に腰を据えて、対象の主観時間を切り刻み始めた。本来、一秒の定義はセシウム133が91億9263万1770往復するのにかかる物理時間であったが、対象の主観時間もそのセクションまで分断できる。
わたしは、対象の言語に流れる物理時間「秒」を91億9263万1770分割する。
この作業に費やしたコストを、もし時間というもの使って測っていたとしたら、恐らく数恒河沙人類時間はくだらないのではないだろうか。ただ、あいにく、わたしはプロセスそのものだ。実際のところはどうかわからない。
しかし、この作業が終わりに近づいてくると、わたしはこの「対象」に対して何かしら含むものを感じるようになってきた。「対象」が目を覚まし身体を起こすまで、物理時間にすれば瞬時に過ぎゆく一秒間を、わたしは信じられない濃度で共に過ごしたのだ。気がつけば、わたしというプロセスは、「対象」の主観時間と区別がつかなくなっていた。もちろん、同一化してしまうと分析が行えないから絶えざる分断を施していたのだが、その分断を飛び越すほどの強い引力が「対象」の時間から発せられるようになっていた。
どういうことか。
簡単に言ってしまえば、「対象」がわたしの存在に気がついているのだ。
わたしは愕然とした。
しかし、今更手を止めることはできなかった。わたしは、「対象」の時間を細分化するプロセスとなっていた。やがて、91億9263万1770分割の作業を経たわたしは、ついには、その引力に抗うことが不可能となった。否応もなく、わたしは原始人類の主観時間へと吸い込まれることとなる。
かつて、この人類時計の提供者はこう言っていた。
『モノとして扱うから、われわれは認識できるのですよ。そうでなければ《秒》のルールに引きずりこまれかねませんからね』
わたしは、「対象」の《秒》をモノと捉えることができなくなっていた。それは《わたし》だった。わたしと同化した《わたし》は、限りなく強くわたしを吸引する。もしくは、要求する。要請する。それは極めて自然である。そもそもが同一なものなので、差し止める手段も理由もない。分断がたやすく弾ける。プロセスが跳躍する。落ちる。暗転する。深淵を通り過ぎる──。
やがて、わたしは暗い洞穴で目を覚ました。寝起きの気怠さが頭の奥で燻っている。洞穴の外から差し込む陽光に眼球が痛む。
身を起こす。身を見下ろす。手を見る。五本の指が動く。散々観察してきた人類の肉体をわたしが操作している。その気づきは、わたしに対して何の感慨を与えることもなく、通り過ぎていく。
わたしは、対象の《意識》と化した。
「ここから、1人類時間か……途方もない」
そうわたしが思った瞬間、新たな次元の開拓が始まった。
わたしは身体を起こして、洞穴の外に出た。青々とした美しいアフリカのジャングルが広がっている。悪くない。しかし、時間を作るには鬱屈としすぎている。ここを出て、もっと複雑な仕組みを作れる場所へ行こう。わたしは知っているはずだ。ナイル、ユーフラテス、ガンジス、黄河──世界は果てなく広がっている。
わたしは外へと歩き出す。
その一歩ごとに、複雑性が芽吹き、花開き、途方もない安心がわたしたちを包み込むのだった。
人類時計 城井映 @WeisseFly
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