Act8.「新たな始まり」
勇者一行がマラカ洞窟から帰還し、十日が経つ。
ルーク達は洞窟の最奥で、邪神の思念体の大元を滅ぼした。しかし数名の狂人を取り逃がす。その中にはノアと同じく邪神の“器”もおり、彼らは邪神の遺志を継いでいた。
――この世から全ての邪気が消えるまで、勇者の旅は終わらない。
「暇ねえ」
「……ね」
宿の一階、宿泊客が寛げるちょっとした談話スペースで、ノアとレイラは緩やかな時間を共有していた。ルークとギルバートは早朝から、帝都との魔法通信会議に出かけている。今後の邪気への対応方針を話し合うそうだ。
重要参考人ともいえるノアが出席しないのは、彼女の出自が四人だけの秘密になっているからである。ノアがノアであるという保証は、仲間の絆の上にしか成り立たないのだ。
ノアとレイラは、ゆっくり体を休めろという彼らの気遣いにより、帰って来てからというもの何もしていない。
「こうしてると、十日前が嘘みたいだね」
「そうね。……ねえ、ノア。もう変な声は聞こえていないのよね?」
「え? ああ、うん。大丈夫だよ」
レイラの言う声とは、ノアの頭の中に響いていた邪神の声のことである。邪神が滅びてから、あの声が聞こえたことはない。たまに遠くで他の器の気配を感じはするが、それも共鳴とは別の感覚だ。
ノアはもう、邪神に飲まれはしない。
「心配かけちゃったね、ごめん」
「べっつにアンタの心配なんてしてないわよ。何かあったら、アタシ達に迷惑がかかるんだから」
憎まれ口を叩くレイラ。その時、宿の扉が開いた。
カランとベルを鳴らし入って来たのは、ルークとギルバートだ。珍しく正装に身を固めた彼らは、どこか気恥ずかしそうにノア達に近付く。
「ルークさん、ギル、お帰りなさい」
「……ただい、」
「あらあ、そういう服も似合うじゃない! でもちょっと着崩した方がセクシーよ」
レイラが素早くルークに近付き、きっちり閉められていた服のボタンをプチ、プチ、と外す。ルークは鬱陶しそうに「やめろ」とあしらうが、本気で嫌がっている様子はない。こういうじゃれ合いは日常のことなのだ。
そう、いつものこと。
こういう時、ノアはいつも僅かにモヤモヤする。レイラの美しさが妙に目についた。刺繍が煌めく鮮やかな色のワンピース。胸元に輝く宝石。艶やかな長い髪。彩られた爪、唇。……化粧っ毛のない自分が、少しだけ居た堪れなくなる。ノアとて村を出る前は、着飾ることに興味がなかった訳ではないのだ。
しかし突然女の装いをするというのも不自然だし、何よりギルバートにはまだ、性別を明かすことが出来ていない。ノアは申し訳なさそうに、何故か襟元を大きく開け広げているギルバートを見た。
「レイラ、いい加減に離れろ」
「なによケチね」
ルークはノアをチラチラと気にしながら、レイラを振り払った。
「あの、会議はどうでしたか?」
「ああ。まあ……想定通りだ」
ルークとギルバートは、留守番組に会議の内容を教える。
結論としては――これからも、やることは大きくは変わらない。洞窟を目指していたのが、行方を眩ませた邪神二世を追うに変わっただけ。難易度が上がったように感じられるが、強大な邪神本体を滅ぼした事は、人類にとって大きな成果に違いなかった。
話し終えたルークは、ずいっとノアに近付く。
「ノア。この後、少し二人で話さないか?」
「えっ。あ、はい」
「おー、折角だからそのまま出かけてきたらどうだ? まだ昼過ぎだしのんびりして来いよ。今日は各々好きに過ごそうぜ」
「そうだな、そうしよう。ノア、支度があるなら待つが……」
「大丈夫です」
ノアは、レイラの方を見なかった。気を遣うのも烏滸がましいと思ったからだ。それにきっと、彼女なら無理矢理にでも付いて来るに違いない。
しかし、その予想は外れた。
「ギル。アンタ、一人になったら碌なことしないんだから、アタシの買い物に付き合いなさいよ」
「おおっ、レイラちゃん、マジで!?」
「ほら、行くわよ」
「はいはい、どこまでもお供します! よっしゃあ!」
ジーンと喜びを噛みしめるギル。
二人はさっさと宿を出ていってしまった。
「……私達も行こうか」
「……はい」
ノアとルークも、後に続いた。
*
長閑なせせらぎ。ノアとルークは小川のほとりに腰を掛け、キラキラ輝く水面を眺める。草むらは温かく、頬を撫でる風は柔らかい。最終決戦を前に、季節に目を向けることをすっかり忘れていた二人は、まるで今、春に気が付いたようだった。
手元には昼食用に買って来たパンがあるが、ノアは彼の話が気になって手を付けられない。
「あの、ルークさん。お話って何ですか?」
「戻って来てから、落ち着いて二人で話す機会がなかっただろう。だから改めて……」
「……改めて?」
「お前に、謝りたかった」
期待していたものと違う返答に、ノアは何とも言えない顔をした。ルークはその表情の意味を誤解し、ぎゅっと辛そうに眉を寄せる。
「謝って許されることではないと理解している。あの晩、嘘とはいえ私はお前に酷いことを言って傷付けた」
「え、あの、僕を追い出した時の話をしてますか? そんなのもう気にしてませんよ。僕のためを想ってしてくれたことだって、分かってますから」
あの追放劇が茶番であったことを、既にノアは知っている。三人から謝罪を受け、許し(そもそも怒ってなどいなかったが)事は済んでいた。何よりルークには彼の命の一部という、大きすぎる代償を払わせてしまっている。
「それでも、私はあの時の自分が許せない。もしあのまま、二度とお前に会えなくなっていたらと思うと……」
「じゃあもう、二度とあんな悲しい嘘はつかないでください。どんな場所にも必ずお供させてください。ね」
ノアの念押しに、ルークはぐっと息を詰まらせる。危険な場所には連れて行きたくないのが本音だが、大人しく待っているような彼女ではないのは重々承知だ。だったら、守りきるために強くなるしかない。
「分かった」と頷くルークに、ノアは満足げにうっすら微笑んだ。
空気が軽くなると、二人は空腹を思い出しパンを手に取る。
焼き立てのパンはまだほんのり温かかった。
「これ、すごく美味しい」
「……そうだな」
「前に行った港町のパンも美味しかったですよね。また食べたいな」
「あの町はこの先も立ち寄る予定がある。その時にまた買おう」
「はい」
ノアはパンを味わいながら、これまでの道中を振り返る。また同じ場所を巡ることもあるだろうが、前の旅とこれからの旅は、全く異なるものになる予感があった。
ノアが食事を終え、お茶で喉を潤して一息ついたのを見計らい、ルークが何気ない口ぶりで問いかける。
「そういえば、結局聞きそびれていたが……お前のしたいことは何なんだ?」
まるで今思い出したかのような訊き方だが、ルークはずっとそれが気になっていた。洞窟内でノアが見つけたと言った、“戦いが終わったらしたいこと”。戦いは終わっていないが、ノアの願望は知っておきたい。
「え? ああ」
ノアは帰り道で教えると言ったそれを、すっかり忘れていた。邪神との戦いの後は、満身創痍でそれどころじゃなかったのだ。
「僕のしたいこと、実はもう叶っちゃいました。またこうやって、みんなで旅をしたいなって思ってたんです。今度は平和な旅で良かったんですけどね」
邪気問題が解決していないのに、不謹慎かもしれない……と気にするノア。ルークは彼女のささやかな望みに拍子抜けした。
「お前は本当に欲がないな。ギルバートやレイラを見習えとまでは言わないが……」
「ルークさんには言われたくありません。ルークさんは、したいこと見つかりましたか?」
無言の返答。ムッと唇を引き結ぶ彼に、ノアはふっと目を細めた。
「ほら、やっぱり欲が無いじゃないですか」
「逆だ」
「え?」
「自分でも欲に塗れていて呆れる。だから、訊かない方がいい」
「……はあ」
ここは、分からない子供の顔をしていた方がよさそうだ。と、ノアは追及を諦める。ルークは「まさか私がこんな、ギルバートみたいに……」とブツブツ言っていた。洞窟内でノアに想いを明かして以来、彼は時々様子がおかしくなる。
「あ! そうだ。ギルに性別のこと、話さないと」
「何故だ? 話さなくていいんじゃないか?」
「いやでも、レイラだけじゃなくてルークさんも知ってたんですから、一人だけ教えないって言うのはちょっと……仲間外れみたいで」
「やめておけ。あいつなら、お前が女だと知った途端に手を出しかねない」
「それも、ルークさんには言われたくありませんね?」
ノアは何気なくそう言った後で、何かを思い出し、頬を染める。ルークもまた血色の良い顔で、目を泳がせた。
「意地が悪いな」
「だって……楽しいんです」
こんな風に、軽口を言えることが。
楽しくて、幸せで、仕方ない。
油断していたノアの手を、ルークの手が捕らえた。
「男をあまり揶揄うものじゃない。後悔するぞ」
「あ、」
「ノア……」
近付く距離。囁かれる名前に、ノアは慌てた。
「ルークさん、待ってください」
こういう時に“ノア”と呼ばれるのは困る。
どこかで兄が見守っていたら、きっと複雑な顔をされるだろうから。
「何故だ。嫌じゃないと言っていただろう」
「そうじゃなくて。えっと、ノアっていうのは、実は兄の名前なんです。だから……そんな風に甘く囁かれると、兄に悪いというか」
ポカンとするルーク。ノアは――少女はその耳元にそっと口を寄せ、本当に呼ばれたい名を教えた。
ルークは噛みしめるように瞳を閉じ、それを丁寧に復唱する。
「……良い名前だな。誰にも教えたくなくなる」
ルークの両の手が、少女の頭を包み込んだ。
少女は彼の青い瞳をずっと見ていたかったが、多分こうした方が良いんだろうな……と目を閉じる。
二人の呼吸が重なり、世界の音が遠のいた。
――その晩、四人の泊まる宿には、ノアの性別を知ったギルバートの驚愕の叫びが響くのだった。
パーティー最弱の男装ヒーラーは勇者の愛により追放される。 夢咲咲子 @sleepism0x0
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