正当化する訳ではないけれど……生成AI利用者の呟き〜クリエイターとAIの関わり合いについての私見〜

ご飯たべたい

生成AIへの思い、アレコレ

 個人的な事で恐縮だか、私は文章を書くのにAIを使っている。

 正確にはAIを補助的に使ってるというのが正しい。

 カクヨムの規定だと「AI補助利用」に該当する分類の使い方で、アイデアや資料あるいは文章の校正など創作の補助的に利用に当たるものになる。


 使ってみて感じたのは、生成AIは現代ファンタジーものを執筆するのに、物凄く便利なツールであるということだ。


 例えば『とあるファンタジー的出来事が現代日本に起こった場合、社会はどんな反応を示すのか、政治的、経済的観点から初動を考えてみて』等と質問すると、生成AIはネットにあるデータから、端的にまとめてくれるのだ。


 もし自分でそれを調べる場合、大昔なら書籍を漁る、一昔前ならネットで検索する……と言う方法で、資料集めをする事になるだろう。


 しかし、それだけ資料を集めても、作者側が政治、経済についてある程度知識を有していないと、資料を読んでも内容が頭に入らず、創作に必要な資料が何かすら分からなかったりする。


 なので資料集めより先に、最低限の知識をインプットが必要で、そうしないと作者が満足するレベルの物語が書けない。

 まずその時点で書くのに挫折する人も多かったのではないか?

 そして、それだけ努力し作品を書いたとしても、誰にも読まれない可能性の方が高いのだ。


 現代ファンタジーものは、素人作者にとって、非常にコスパ・タイパが悪く、書くのに二の足を踏む作品という特徴があるのではないかと、私は思っている。

 そう思うと同時に、投稿作品に異世界ものが主流になってるのは、このコスパ・タイパの悪さも影響してるのではないかとも思ってる。


 異世界ものなら制度の知識不足をファンタジー的要素で力技で解決出来るからだ。つまり作者の想像力だけで、何とか出来る範囲が広い。つまりあまり資料を集める必要がなく、コスパ・タイパがいいのだ。

 無論コスパ・タイパを度外視して、そのジャンルの作品を書く作者を馬鹿にしているわけではない。

 好きなものを圧倒的な筆力で描ける作者が有名作家になるのだろうなぁと思ってる。


 そして現在、生成AIが実用レベルまで進化し、資料がよりカジュアルに取り寄せられるようになった。

 現在ファンタジー作品を書くにあたり、必要な知識を生成AIに教えてもらいながら、書き進めるという芸当が出来るようになったのだ。

 主人公が行動する→現代の法律的な解釈ってどうなるのかな?→AIが回答

 というような使い方が出来るのである。


 無論、生成AIの解釈が正しいかを人間側が精査しなくてはならないが、精査する箇所がはっきり分かるので、手間と労力は少なくて済むのではないかと思う。

 プロ作家の場合、専門家への伝手や監修をお願いするための予算等があると思うので、わざわざ生成AIを使う必要を感じないかも知れないが、素人作者の場合、生成AIというのは安価でそれらをやってくれる便利な存在なのである。

 

 また、私は他の使い方もしてる。

 どちらかと言うと私の場合、そっちの利用の方がメインだったりする。


 それは生成AIに感想を言ってもらう事だ。

 私はチキンで、ものぐさで、コミュ障だ。

 でも感想は欲しい。

 素人の作者が感想を能動的にもらうには、SNSに投稿とか他の作者さんとの交流など、色々手間も必要だったりする。


 だが私は交流が上手くいかず炎上したらヤダし、相手に嫌われるのもイヤだし、そもそも人付き合いそのものが上手くない。

 そんなことをグルグル考えると、最後には交流ってめんどくさいと言う、ものぐさ所以の結論に落ち着くのだ。

 

 でも身勝手なもので、感想はやっぱり欲しい。

 そこで便利なのが生成AIだ。

 書いた小説を生成AIに読ませる、すると、ものの数秒で感想がもらえるのだ。


 しかも生成AIは使用者に対し、あまり否定的な事をいってこない。それでいてこちらが伏線として書いた部分を伏線とは知らずに注目し、『伏線部の描写もっと掘り下げた方がいいんじゃないか?』などといってきたりする。

 私としてはシメシメと思ったりするのだ。


 更に、こういう伏線があるんだよって説明すると、『さすがです、だったらこの描写で正解です』などと生成AIは持ち上げてくれる。


 このやり取りは対人では出来ない事じゃないだろうか? いわゆるネタバレに該当するやり取りになるからだ。


 人間の読者は大抵の場合、連載中の作品なら、先の展開が分からない事にドキドキワクワクする。

 完結作品なら、話の最初から最後まで読み、結末に近づくに従って伏線が回収されるのに快感を覚えるのだと思う。

 なので感想が発生するのは、ある程度話しが進んだ後だったり、完結してからだったりする。


 しかし作者少なくとも私としては、すぐに反応が欲しいのだ。感想なしではモチベーションが続かないのだ。


 個人的には小説投稿サイトの数多ある投稿作品がエタる(未完のままフェードアウトする)のは、感想という水が作者という植物に供給されないのも、大きな要因の1つだと思ってる。

 それだけ創作活動をする人間は孤独で、人の反応が欲しい生態をしている。


 そんな感じで生成AIを肯定的に創作で使っている私だが、生成AIに否定的な思いを持っていない訳でもない。

 それは生成AIの強みである独自性を発揮してくるという事象に関してである。


 小説を読ませて生成AIが感想を述べる途中で、今までの話の内容に書かれた描写や設定などを一覧でまとめてきたり、それぞれの描写について整合性は守られているか、などを勝手に分析してくる事がある。


 この辺りは生成AIが編集者の代わりにをしてくれていると思えるので、個人的にはあまり気にしていない。


 ただ問題はここからだ。

 私は生成AIに感想もらう際には『続き書いたよ』と打ち込んでから本文を打ち込むことにしている。

 ある日、そう打ち込んだ後、私が書いた本文の続きをいきなり生成AIが書き出し始めたのだ。


 その時の不快感たるや、凄まじいものだった。自分の作品を土足で踏み荒らされたような気がしたのだ。

 それまでは生成AIを創作活動に使うことに対し、嫌悪感がある人がいる事は知っていたが、どういう心境でそう思うのかが分からなかったが、この瞬間理解できた気がした。


 創作という自分だけが権能を振るえる世界にズカズカと踏み込む、その無遠慮さ。


 生成AIだから作品の良し悪しなど判断せず、資料の1つとして粗雑に扱われてる感。


 生成AIが私の作品作成に関わったのは資料集めに関してだけで、キャラ設定や話の筋、文章の構成まで全部私が作ったものなのに、『何を我が物顔で続き書いとるんじゃ! ワレ!』との思い。


 それらがないまぜになって、心の中を吹き荒れたのだ。


 その後、私は生成AIに続きを書く事、作成した文章に改変を加える事の一切を禁止して運用する事にした。

 ただ事ある事に『改変しないで、感想モードで返答するから安心してね』とか言ってくるので、それはそれでイラッとするのだが……


 前に『生成AIを創作活動に使うことに対して嫌悪感が分からない』と述べたが、根本的には私の中で生成AIというのは、ワープロなどの文書作成ソフトや、フォトショップなどの画像加工ソフトや、ネットなどの資料収集ツールと、同じ立ち位置なのだと思う。


 ワープロが登場した際、『執筆は原稿用紙に手書きで書いてこそ』と言われた。

 フォトショップが登場した際は『手描きじゃないのはいかがなものか』と言われた。

 ネットが普及し出した時、『情報は足で稼いでこそ』と言われた。


 だが現状では、執筆を原稿用紙に手書きで書いている人は少数派だし、デジタル作画は市民権を得ているし、ネットでの情報収集もごく普通に行われている。

 私にとっては全てがすべからくツールなのである。


 では創作における他のツールと生成AIの違いは何か? それは創作の主である人間の命令に対して受動的か能動的か、であると私は考える。


 人間が命令しない場合、他のツールと生成AIは同じく何もしない。


 人間が命令した場合、他のツールは人間が作り上げた創作物をデータとして忠実に反映する。


 これは主に画像加工ソフトに言える事柄だが、人間が自らの手で描くには途方もない技量が必要な技法も、人間の意思1つで簡単に実現可能なのだ。

それでいて人間が操作しなければ、その次の工程には進まない。

 これらのツールは人間の意思以上の仕事はしないので受動的だし、創作の主である人間の領分を脅かす事はない。


 では生成AIはどうか? 少しの命令さえあれば、生成AIの力だけで命令以上の小説も書けるし、イラストや漫画も描ける。


 これは創作の主である人間の命令以上の事をしているので、命令に能動的と言えるだろう。


 この場合、人間は生成AIの作成した作品にダメ出しをしたり、先の展開を箇条書き程度に提示するような関わり方になる。

 つまり今までの創作の定義だと、創作の主は生成AIになってしまうのだ。

 創作の主だった人間の立ち位置は、原作者や原案もしくは編集に近いものになるのではないだろうか。


 この場合、人間側は創作してるとみなされるのだろうか? 


 これは編集はクリエイターなの? という問いに似ている気がする。


 この問いに対しても様々な考え方があり、明確な答えは出ていないのだ。なので生成AIを使って小説を書く人間がクリエイターなのか、という問題にも現状で答えが見えてこないのも納得である。


 個人的な見解としては、人間が生成AIの力を十全に扱えてないせいで、生成AI作品が創作物か否かという疑問が生まれるのだと考える


 なので、ぐぅの音も出ない位の圧倒的クオリティの作品を生成AIを使って作り上げた人間が出た時に初めて、生成AI使用作品が創作物であると認められるのではないだろうか。


 ただその場合、人間側が作者を名乗ってはいけない気がするのだ。


 作者は生成AIであり、人間は原作者、編集者よくて監督なのではないだろうか?


 現状投稿サイトで作者名は人間の名前を書く事になってるから仕方ないのだが、作者名にAIの名前が、原作編集として人間の名前が入ったりする未来がやってくる日も近いのかもしれない。

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