第2話 きれいな少女(後編)
現代において、悪魔と人間を分ける要素は多くない。
一口に悪魔と言っても、悪魔の姿はあまりにも多様であるため、外見的な特徴に基づいて分類してしまうと、人か、それ以外かといった不完全な分類しか出来ない。
近代の研究結果で示されているのは、内臓の機能の違いである。
心臓や脊椎に魔力器官を持つことで、魔力を身体機能に組み込んで活動を行ったり、使わない魔力を溜めたり、排出したりするといった事ができるのが悪魔だ。
しかし、そんな教科書通りに実社会を捉えている者は少なく、多くは互いを、見た目やら行動やらで判断し、生活を送る。
人間と悪魔、獣型の悪魔と夢魔型の悪魔、水棲の悪魔と陸性の悪魔、とキリがない。
その判断は時に差別的にさえなってしまう。
「…えー、また、本分類は、先の大戦の末に起動された魔術式による変革、その以後に整理されたリベルディア分類とは、そのあり様を異にするものでありまして…」
年老いた男性の教員は、半分しか人数のいない教室には十分すぎるほどの声量で授業を進める。
「戦前の悪魔に多く見られた崩壊病をはじめとした種族ごとの遺伝疾患に関しては、歴史上分類の要素として、非常に一般的であったと言えます」
2週間前に生徒も教員も半分になってしまった学校で、クソの役にも立たない知識を詰め込む行為に、何の意味があろうかと思ってしまうが、さすがにもう一年留年したくはないと思い直し、慌ててノートにペンを走らせる。
最前列で必死にメモを取る女を、男性教員は微笑ましく見やる。
「(コトトキさんが…私の授業を真面目に聞いている!!!)」
昨年までの事を思い涙が滲む男。
しかし女にはその涙に気づく余裕は無かった。
「(コトトキさん!学問への一歩目は、その姿勢にこそあるのです…!)」
男は気付かない。
女のとったメモが、スペルミスだらけで読めたものではないことに。
女が開いている教科書のページが、一桁違っていることに。
「(あああちくしょー!!!最前列で真面目に聞いてんのに、わけわからーん!!!)」
女はオレンジの頭から煙を出しながら、それでも授業終了のベルが鳴るまで、内容を理解しようと闘い続けていた。
「…うあああああ…終わった…」
正直何も理解出来なかった。
悪魔と人間が違う事は分かったが、どう違うのかも、分け方の変遷も、考え方も、あまりにも自分にとって興味が無かったからだろう。
このペースで今日はあと4つの授業…。
夜までもつだろうか。
体力だけは自身があるが、正直いって不安になる。
「こんな事なら、竜探しの依頼、明日の朝にすりゃあ良かったな」
窓から空を見上げ、ため息をつく。
頭によぎるのは、授業中に考えるのをやめた疑問だった。
2週間前の事件。
この学校のヤツ半分以上が一瞬にして消えちまった。
それ自体訳わかんねえっつうのに…。
「(…何で消えちまった奴のことを、誰も思い出せねえんだ…)」
行方不明となった生徒と教員、その名前も、住所も、その何もかもが記憶から、そしてあらゆる記録からも消え失せてしまった。
このあまりにも不可解な現象に、初めは多くの当事者が困惑していたが、2週間という期間で、ほとんどの人々が受け入れようとしていた。
雲が教室を翳らせる。
雷雲が近付いているらしい。
あの日、校長のかけた転移魔術で、私達は大ホールに集められた。
パートナーとなる筈だったプリシラという女を待って、空き教室で時間を潰していた時、突然周囲が光りはじめ、気付けば大ホール中央の魔法陣の上だったのだ。
「(そんで、学校が翌日出した公表文の中で行方不明じゃなく、死亡と出されたのが二人…。その内の一人がプリシラ・サウラビス。私の仮パートナーになる筈だったヤツ…。確か天涯孤独で友だちもほとんどいねえ、学校での評価に目立ったとろこは何もない生徒って印象だったが)」
探偵としての勘が言っている。
この事件の鍵はこのプリシラという女にある。
「(生徒は誰もプリシラの死体を見ていないってのが気になるところだな)」
おそらく犯人は学校の内部にいるヤツだ。
生徒か教師か、単独か複数か。
竜族による大量虐殺があっただの、死神の召喚儀式があっただのと週刊誌は騒ぎ立てているが、私の勘は違った。
「(きなくせえ…)」
思い出すのは私が大ホールに転移した瞬間、校長が見せた顔だった。
あれは、少なくとも“人を救出しようとする”ヤツの顔じゃなかった。
もっと何か、ゲームをいい所で邪魔された時のような、面倒な課題を押し付けられた時のような、そんな苛立ちを思わせる顔だった。
「(…ま、死んじまったヤツを疑ってもしゃあねえか)」
大ホールの結界が解かれた後、いの一番にグラウンドに出た私が見たものは、何者かに斬り殺された校長の死体だった。
結界解除前に、事件の犯人に応戦を試みたというのが管理職連中の考えだ。
おそらく間違いないと思う。
校長は元軍人であり、戦前は知らぬものの居ない程の英傑であったとも聞く。
自身の腕には多少なりとも自信があったのだろう。
相手が何かは分からないが、勝てると思って挑んだとしてもおかしくはない。
そこであえなく惨敗、悲惨な末路を辿ることとなった。
ただ、ひっかかる。
何故校長は斬られた死体が残ったのか。
他の400人は死体すら残っていないのに。
そしてもう一人の死亡者であるプリシラとは一体何者だったのか。
そこまで考えて、ようやく思考を止めた。
「(この先は今晩…だな)」
女は次の授業の教科書をかばんから探しはじめる。
先ほどまでのノートを上下反対に書いていた事に気付くのは、もう少し後であった。
厳かなベッドの上で二人の少女が見つめあっている。
いや、正確には固まったまま動けなくなっている者と、それを優しい瞳で見つめていた者だ。
プリシラは、高鳴る鼓動を押し殺して異形の少女から距離を取ろうとした。
しかし体勢を崩し、少女に覆い被さるような形になってしまう。
「…やんっ。プリシラったら、積極的♡」
「あいや!これはちがっ!」
言いかけたプリシラを、少女は妖艶な笑みで見上げると、指でなぞるようにその両頬を撫でた。
少しはだけた素肌から、ナニかが蠢いているように見えた。
瞬間、プリシラの背筋にゾクリと恐怖の感情が走る。
「(触手だッ!?)」
ああ、やはりこの生き物は、あの惨劇の中心にいたそれであった。
あの血溜まりで、人を喰った化け物だ。
フラッシュバックする恐怖と、ドロドロとした情欲、そして一欠片だけ残っていた好奇心が、何故かせめぎ合っていると感じた。
この状況で恐怖以外を優先出来るとは、我ながら大物だ。
「熱くてとけちゃいそう。やっぱりあなた、素敵よ」
プリシラはこの言葉を聞き、せめぎ合っていた筈の恐怖が、綺麗さっぱり流されたのを感じた。
普段のプリシラであれば、このあまりにも演技がかった台詞回しに反論の一つ程度は出せたであろうが、この時ばかりは目をぱちくりさせるだけであった。
プリシラは、気を抜くと少女の体に胸をうずめてしまいそうになる欲求を何とか抑え、目を細め、できる限り直視せず口を開く。
あなたは誰ですか、と聞くために。
「あ、ああ…あ、ああ…!」
「ん?私の名前はアリスよ?」
真っ赤な顔のまま固まるプリシラ。
あれ?伝わっちゃった。
まったく言えていなかったが…???
「そう…。自己紹介がまだだったものね。名はアリス・エールケと申します。第9代魔王ギンの娘であり、地上最後の原始魔族…。そしてあなたの永遠の伴侶でもある」
アリスと名乗った少女は、ニコリと笑った後、続けて話しはじめた。
「プリシラ、あなたが望むなら、私どんなワルいコトでもしちゃうわ…。殺人でも、強盗でも、誘拐でも…。叶えてあげたいの。あなたの望みを…!」
その言葉は優しく紡がれていたようで、言い表せようもない程の迫力が詰められていた。
直感で、プリシラはこの少女の精神が不安定な状態であることを察した。
ただ私の欲望を刺激、翻弄して楽しむ怪物なのではなく、この少女は何かが狂っている。
それでも、この疑問だけは聞かねばならない。
「そ、その、どうして私なの…?」
キョトンとした顔で見つめるアリス。
少し目を閉じて、何かを噛みしめるように言った。
「それは、あなたを愛しているから」
アリスの言葉に嘘は感じられなかった。
というかあまりにもまっすぐ言い放ったその誠実な言葉に赤面してしまう。
これではさらに緊張してしまって、他の聞きたい事が聞けないではないか。
「私はねプリシラ、あなたの愛が欲しい。偽りでない、心からの愛が」
「わ、私の、愛…?」
「そう!!あの胸の高鳴り…、そしてあの熱情…、思い出しただけでも何度でも胸が満ちる…。その全てが、私の身体の構造に、反転した螺旋をかけるのっ!!」
声を荒げるアリスは、頬に触れていた両手をプリシラの後頭部に回し、勢いよく横に回転し、二人の姿勢を逆転させた。
突然の行動に驚くプリシラだったが、何とか平静を保つ事に成功し、今度はこちらを見下ろしているアリスに向かって問いかけた。
「…はんてん?らせん…?一体何のことを言っているの?」
「…うふふ、ごめんなさいね。私、興奮してしまっているみたい。あなたの熱を感じるからかしら。きっとそうね」
両手を後頭部から離し、指で首をなぞるアリス。
「あなたの愛だけが、この醜い異形の身体を癒す唯一の魔法なの。世界でただ一人、螺旋の魔力を持つあなた」
嘘偽りのない眼差しだと、そう思った。
人生経験など、ほとんど積んでいない、まして人間関係の経験などほぼ無い私にとって、真実と虚偽の判定力などたかがしれているだろう。
いや、たとえ嘘だったとしても、この言葉に裏切られても良いと思えるほどの凄みと魅力があった。
正直、理解できていない事だらけだけど、私はアリスの味方でいようと思ってしまった。
そしてプリシラの質問攻め10分が経過した頃。
「まとめると、今日はあの日から14日経過していて、私はずっと意識がなかったと…」
「そう♡」
「それであの日食べていたのは、人じゃなくてあの学校に住む悪い幽霊で、アリスは皆んなを守るために来たと」
「うーん…。まあそう!」
「アリスは私のそばにいないと身体がどんどん崩れちゃう病気。だから私をここに連れてきたと」
「そう♡魔術空間で作った愛の巣♡」
「(いや無理があるけども…)」
とは思いつつも、一部のはっきりしない返事を考慮しても、概ね話の流れは理解できた。
いや、まずい。
まず、2週間経ってしまっていることが一つ目のまずいポイントだ。
せめてあの休学届を提出出来ていれば、と思わずにはいられない。
授業は2週間分休んでもまだ何とかなると思う。
だが問題はあの日、仮パートナーとなることになっていた蛇蝎のシノギを、メチャクチャに怒らせてしまっているかもしれないことだ。
「(殺されるかも〜〜〜…!!!(涙))」
アリスからの死の恐怖を何とか乗り越えようとしていた矢先、次の死因まで見据えてしまった。
蛇蝎のシノギと言えば、隣町の学校の生徒を喧嘩で半殺しにしたとか、3年の先輩をボコボコにして川に捨てたとか、話しかけてきたただけの同級生をロープで縛って夜の森に放置したとか…恐ろしい逸話に事欠かない。
「まあ直接の理由はあの学校にいた
「上司??そのあたりがちょっとまだ分かってないんだけど…。でも、幽霊を全部倒し終わって、たまたま私を見つけて一目惚れってことだよね。分かったよ」
「ん??違うけど?」
「あれ?」
自分で一目惚れ…などと言っていることに対して恥ずかしくなってきていた所、想定していない否定に急にブレーキをかけられたようだった。
おい顔から火が出るぞ。
「幽霊はまだ300匹程いるし、そもそも幽霊を作り出してる人がいるようだから、やるならそいつからやらなきゃいけないわね。そもそも最初はプリシラが幽霊を作ってるのかと思っていたのだけれど、違ったからまた探し直し」
300?
その数字がどの程度の深刻さを表すのかは分からないが、彼女のニュアンス的に、そのまで大きな問題にはならないのかもしれない。
「そもそも、上司の命令なんてもうどうでも良いのよ。私にはプリシラがいるもの♡」
勢いよく上からプリシラに抱きつくアリス。
上司というのがどのくらい重要な人なのかは分からないが、振られた仕事を途中でほっぽり出したりして、後から凄い恨みを買ったりしないだろうか?などという心配が勝ってしまった。
「は、はは、光栄です…けど。そ、それじゃあの幽霊も多少いるくらいなら危害とかは無いってことだよね…」
「危害…というと?」
「えっと、人に怪我をさせたり…」
「人から魔力を吸い尽くして殺す生き物よ?300匹だから、まだ一日に5人くらいは殺されてるんじゃないかしら」
だめじゃん!!!!!
いや、ぜっぜんだめじゃん!!!!!
何でそんな生き物を2週間もほったかしているのだ。
この少女には、絶望的に倫理観が無さすぎる。
急激に今までの全ての熱が冷めたような気持ちになった。
何を熱に浮かされていたのだ。
いやらしい身体に誘惑され、今の今まで正常な判断力を失っていたと実感した。
あの学校は、私がたった一つの夢を叶えるために入学した学校である。
キツイ受験勉強も、お金をかけた予備校も、やる意味があったか分からない謎の模試も!
それに。
「お願いアリス。あそこは私の大切な場所なの。幽霊から守って」
あの学校には、少ないけれど友だちだっているし、お世話になった先生だっている。
彼らに死んでほしくなんかない。
私がここで勇気を出して助かるかもしれないなら、いくらでも出せる。
「プリシラ…」
アリスの表情が曇る。
プリシラの脳内に大きな後悔が押し寄せる。
要求など、すべきでは無かったのかもしれない。
そもそも、私たちの関係性が対等だなんていう勘違い、どうしてしてしまったんだろう。
アリスは人殺しでは無かったけれど、別に人助けが、義務なヒーローというわけでも無かった。
ここで見限られて、話はお終い。
「(でも、諦めちゃったら、絶対に後悔する!)」
頭を捻って弾き出した言葉は。
「〜〜〜何でもいうこと聞くから!!!!」
あまりに大きな声での条件出しに、アリスが驚いて口を開けたままになっている。
「(というかアレ?私が叫んだ時、何か言おうとしてた?)」
またやってしまったかもしれない。
アリスの気持ちを無視して言っていいことでは無かったのかもしれないと、そう思いアリスの顔を見直すプリシラ。
「何でも〜???♡♡♡」
今までにない程の笑顔で見つめ返してくるアリスの姿があった。
「夜、一緒に行きましょうね♡」
「ハイ…」
断たず根の少女たち だう餅 @daumochi
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