断たず根の少女たち

だう餅

第1話 きれいな少女(前編)

 冬の寒気で手先がかじかむ。

 痛みに近づくその感覚が、長い時間をかけて少しずつ麻痺していく。

 静謐な朝が喧騒に変わっていくような、炭酸飲料の気が抜けるような、そんな変化だった。

 だからだろうか。

 いつだっていつの間にか私は痛みを忘れて、いつか自分が痛かったという事を思い出す。

 ・・・紅い、痛みと共に。



 世界は平和になった。人と魔物は何度も大きな戦争を起こし、起こした戦争の数の何十万倍の命が失われたけれど、その果てに平和は成った。

 多くの変化を伴って、私たち魔族は今という平和を受け入れる事にした。

 最後の戦い。リベルディア湾岸戦争。

 その戦いの最終局面に、ある人間が起動した幻想魔術式、それによって世界に存在する全ての生命はその情報を書き換えられた。

 悪魔と魔獣の心臓部にあった魔心炉結晶は、元来魔力を生み出す代わりに生命に有毒な物質を発生させてしまうモノであったが、その毒素を無害化させる肉体へ変化することになったのだ。

 また毒素が無害化された為か、精神状態の良好な悪魔が増えた事も大きい。



 昼の交差点を歩く少女は悪魔である。毛の生えた尾を持ち、耳の形状は人のそれではなく、獣の物を思わせる。

 家族もおらず、一人孤独に暮らしていた。

 その孤独が彼女には心地よく、またその寂しささえ彼女の人生には良いスパイスだった。

 こうして週に何度か外を歩き、食材や必需品を購入したり、運動したりして、静かな生活を続ける。それが少女にとって何よりも幸福な生き方だと思っていた。


「よう、サボり魔」

「あいでっ!」


 強い衝撃。

 後頭部を叩かれた衝撃を、筋力も体幹も無い体が耐えられるわけもなく、そのまま数歩前へ出て転ぶ。

 交差点を渡りきり、謎の黄昏感を演出していた少女に攻撃を仕掛けたのは、少女の唯一の友人であるシールフであった。


「いつつっ…。暴力反対だ〜」

「こんなとこで何やってんだよプリシラ。パートナー、もう来てたぜ」


 昼休憩中に買い物をしていたのであろうシールフは手提げカバンに美味しそうな匂いを詰めていた。

 今から学校へ戻り昼食にするのだろう。


「え?あっ、そう…なんだ…。14時からなのに…」

 プリシラはその大きな耳をげんなりとさせている。よほど行きたくないらしい。ショックやら緊張感やらよく分からない感情を「待ち合わせの2時間前に来るような奴はつまらない」とか「私に興味がないから早く終わらせに来たのだ」とか色んな言葉で誤魔化しながら会話をする。

 その言葉を否定も肯定もしないシールフは、他愛のないやり取りやら連絡やらを済ませて去っていく。彼女もまた、プリシラと同じくこの後相手との面会を控えているのだろう。

 二人が通う魔術学校には、2年の春から人間と悪魔は1対1のパートナーを組まなければならない決まりがあった。卒業後には解消されるペアリングであるが、伝統的に学生時代に出来たペアは本契約まで移行するケースが多い。


「はぁ…」


 人間は悪魔がいないと魔術が行使できず、悪魔は人間がいないと魔術の果てへは挑めない。

 そのため人間と悪魔は契約を交わし、それぞれが利益を受けるのだが、一度行った契約儀式は中々取り消しが難しい。

 魔術学校では本契約を行わずに「仮契約」という状態でペアを作り、卒業までの2年間は試験、課題作成、実験、フィールドワーク、宿泊行事の相部屋に至るまで、そのペアで行うことになる。

 プリシラの足取りは重い。それは彼女が孤独を愛しているからでも、初対面の人とのコミュニケーションが苦手だからでもない。

 彼女のペアがシノギ・コトトキであるためである。


「(まさかよりによって蛇蝎のシノギとペアになるなんて…。ツイてないよなあ…)」


 足取りは重いが、プリシラは間違いなく学校へ向かって歩き始めていた。ペアが文章上で発表され、つい先日まで自主退学をも検討していたプリシラであったが、再入学のハードルの高さから断念。今日は休学を告げるために学校へと向かうのであった。決して教室で待つシノギとは出会わないように、休学を告げてそのまま帰宅することだけを目標に歩を進めた。



 校舎の中に入り、違和感に気づくプリシラ。寒気、悪寒といった言葉が適切であろう。

 昼過ぎのこの時間と言えば、食堂やら中庭やら廊下やらに学生が出てきている時間帯である。いつもなら真っ直ぐ進むことすら難しい廊下は、人の姿が見えないほど閑散としている。

 プリシラは一階にある教職員室の戸をたたく。

 しかし誰もいないようだった。

 施錠もされていない。

 このまま中に入り、届を誰かの机の上に置いて立ち去ろうかとも考えたが、できることなら手渡しが良いだろうと思った。

 一階、誰もいない。

 二階、誰もいない。

 無音の校舎にプリシラの足音だけが響く。


「…なんでだろ。と、とにかくこの休学届を誰か先生に渡さないと」


 重い足取りは三階へ着く頃には早足になっていた。

 おかしい。

 どこの教室も講堂も、「ついさっきまでそこに人がいた」としか思えないのに、何故か誰もいないのだ。

 机の上に開けられた弁当箱。友人と会話をするためか別の机の横に付けられた椅子。何かの課題に追われていたであろう生徒の図書や筆がそのままだ。

 自分の呼吸音が響くような錯覚を覚えた。

 校舎の最高階へ辿り着く。

 やはり誰もおらず、プリシラは別館の大ホールに皆が集まっているかもしれないと思った。

 理由は想像できないが、突然全員が集まらなければならない、そういうことがあったのだ、と自身を無理やり納得させて来た道を引き返した。

 ふと窓からグラウンドを見た。


 "見てはならない"


 まだ正午だというのに、外は黄昏を思わせる赤に染まっていた。

 よく分からない恐ろしさが全身を駆け巡る。

 中央に誰かがいる。一人だ。


 "理解してはならない"


 プリシラは不安感や緊張感の高まりからか、その人影をずいぶんと長い時間見つめてしまった。

 何をしていたのだろうか、人影は立ち止まったまま一点を見つめているようだった。

 人影は何やら話を始めたようだった。相手は見えない。小型端末での通話だろうか。

 ずるりと、足元から蠢く「よく分からないもの」を使って、彼女のそばに横たわる人の形にも見えるそれを無造作にちぎり、片方はその場に放り捨てた。

 突如、プリシラにも聴こえる程の大きさで笑った。大きく、無邪気に、一点を見つめながら、幼児のような声で笑った。

 そして手に握られた黒い球体にかじりついて、それを数口でペロリと食べきった。

 プリシラの視力で状況は飲み込めた。

 人間の頭を喰ったのだ。

 さも当たり前のように喰った。


「……え」


 嗚咽か疑問か、プリシラ本人ですら分からない一音。

 刹那、グラウンドにいたソレは首をぐるりと回し、校舎の最上階にいるプリシラを見た。

 血塗れの笑顔がこちらを見ていた。

 にやりと。

 それは、ああその笑顔の意味。

 次の獲物を見つけたと言わんばかりに。


「ッ!!!!?」


 人ではない。悪魔でもない。そんな直感がプリシラを窓の下に隠れさせた。

 口元を手で覆い、呼吸音さえも漏らさぬようにした。

 アレは視てはならぬ類だと、第六感が告げている。

 人の常識を壊し、魔の常套を覆し、命の在り方を冒涜するものだ。

 応戦など考えてはならない。

 救援など待ってはならない。

 プリシラは確信した。

 みんなはあれから避難するために大ホールに集められたのだ。おそらく校長の転移魔術によって一瞬の内に移動させられたために、教室がそのままだったのだ。

 ガタガタと震え出す体をどうにか抑えつけて、中腰のまま移動しようとする。


「に、にげっ…」

「どこに?」


 心臓が止まった。

 赤い、赤い瞳がプリシラを写していた。


 自己評価ではあるが、プリシラは図太い性格をしている。

 今までも多くの絶望を味わって来た人生だったが、それなりに折り合いをつけて乗り越えてきた。

 しかし今日ほど絶望した日はなかっただろう。

 視界が切り替わるのに脳が追いつかず、理解できないものを理解しようとした脳は硬直という状況を作った。

 目の前に化け物がいる。

 そして化け物はグラウンドにいる。

 そしてプリシラもグラウンドにいた。


「ねえ、最後の一人のあなた」


 シスター服を着たソレは、腕から伸びた肉塊を蠢かせ、足から繋がる触手を這いずらせ、人間のような貌をノイズ混じりに見せながら、淑女のような口調で言った。

 死の恐怖と状況を飲み込めない脳。


 「あなた、どこにお逃げになるつもりだったの?」


 狂ってしまったからだろうか。

 考えることを放棄した脳が、プリシラの口を動かす。

 脈絡を、文法を、冷静さを持たないその口から溢れたのは、プリシラにとっては生まれて初めての言葉だった。


「きれい」


 間違いなく狂ってしまったプリシラは、化け物をそんな風に言って、気を失った。

 倒れ込むプリシラを目を丸くして見つめる異形。

 やがて伸びた長い影が、二人を覆い、いつの間にかそこには誰もいなくなっていた。

 惨劇を思わせる血の海を残して。



 プリシラの考えは当たっていた。生徒の殆どが大ホールに匿われており、防御結界を4重に貼った大ホール内は安全であった。

 しかし収容することができたのは390名であり、当日出席、出勤していた人間と悪魔は延809人。収容できなかった419名については安否の確認が取れておらず、死亡したとの見方が世間的にも強まっていた。

 メディアでは犯行は竜族の生き残りの仕業だとか、死霊術師の実験材料にされただとか色んな憶測が飛び交い混沌としている中、学校は二週間の休みを経て再開したのだった。



 プリシラが長い眠りから覚醒したのもまた二週間が経った後だった。

 目を覚ますとそこは薄暗い寝台の上であり、プリシラは見慣れない風景に体が強ばらせながら、あたりを確認した。

 オレンジのランプが微かに部屋を照らしている。

 床には多くの本が積み重なっており、年期を感じさせるオイルランプや、魔術結晶が無造作に置かれた作業台からは、古い魔術師の研究部屋の様相を思わせた。

 すると自分のものではない呼吸音が聞こえてきた。


「えっ」

「…んぅ…、…すぅ…」


 それは間違いようもなく、グラウンドで人を食っていた化け物であった。


「!!!な、なんで」


 恐怖と疑問が喉を震わせる。

 化け物は穏やかな眠りについているようで、目を覚ます気配がないようだ。

 隣で眠る少女を、プリシラは逃げることもなく観察した。

 観察して何が解ろうと、事態がどう転ぶのかなど見当もつかない。

 幼い頃から、疑問や謎は解決しないと気が済まない性質だったプリシラであったが、今日この日に限っては、無理にでも冷静さを保つ事で、自身の精神を保とうとする無意識下の防御反応であった。


「女の子…、だよね。髪は短いけど…」


 あの時着ていたシスター服はベッドの端に脱ぎ散らかされ、少女が纏っていたのは薄手の寝巻きであった。

 そして顔に走っていたノイズが見当たらない。

 眠る姿はあどけない子どものそれに他ならなかった。

 左腕は人間のものにしか見えないが、右腕は肘から先が人のソレではない。まるで心臓がそこにあるかのようにどくどくと脈うっている。指のような突起はあるが、第一関節のみを残して大きな肉に飲み込まれている。表面が蠢いているようにも見えるが、一定の動きを繰り返して形を保っているのだと理解できた。


「この動きをしないと崩れ落ちてしまう…てことかな」


 下半身にあった触手も見当たらない。

 自身がこのような状況にあるのに正気を保っていることに驚いたが、それよりももっと別の感情がプリシラを動かそうとしていた。


「竜属…だよね…」


 こうして近くにいるだけでも身震いしてしまう程の魔力量。

 そしてプリシラに絡みつく異形の腕に纏う赤の魔力。

 間違いようもない。

 自身がなぜ殺されていないのか、そもそもなぜこの少女と同衾しているのか、疑問は尽きないが、観察を続けたプリシラは、ある種の諦念のようなものを感じつつあった。


「……ん、…起きたのね…、プリシラ」


 目を覚ましてこちらをみやる少女。


「私の名前…!」

「…?知ってるでしょう。私と、あなたの関係なら」


 くすくすとあどけなく笑う少女。

 その瞳の深淵に吸い込まれそうになるプリシラであったが、自身が平静を保つのでやっとであることは理解していた。


「身を焦がすような、情熱的な日々だったもの」

「…え?」

「あら…?記憶の混乱…ね。まあ、すぐに思い出せるわ。プリシラ♡」


 プリシラの腕に抱きつき、小さな胸をおしつける少女。

 私は、間違いなく混乱している。

 あまりにも現実離れしている状況で、正常な反応など出よう筈もない。


「(数秒前まで冷静に観察できていた対象だった筈なのに)」


 赤い髪がプリシラの体をくすぐった。


 

 

 その扇状的な姿に、瞳に、私は。


「(何で興奮してるんだ…)」

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