ep3-5

「あの子たち、白紙の意味をしっかり理解したかな?」

「大丈夫よ。そんなに鈍感じゃないわよあの二人」


 夕方の湯楽屋の一室。日当たりが悪く滅多に客の入らないその和室は、数十年前から専らクリスカ用になっている。


 横長の座卓に茶を淹れて向き合うクリスカと美喜恵。


「たまには事前に連絡したらどう?」

「連絡しているわよ。何か不満?」

「もっと前から連絡しろってことよ。カレンダーに印付けて、待ち遠しいなってソワソワできないから」

「いいわよそんなことしなくて。年甲斐にもない」

「あら、こんな体にしたのは誰の」

「はいはい私のせいです。もう耳にタコが出来てるわよ、美喜恵っていつも意地悪」

「ふふーん。好きな子には強情張れないのよね。そこが憎くも可愛いけれど」

「うっさい!」


 ガサツな返事でクリスカは茶を啜る。それからしばらく黙りこくって美喜恵が茶を一口飲むと苦しそうな引き絞る声色で尋ねる。


「盟約の日まで、あと何日?」


 虫の報せというには、タイミングが計られ過ぎていた。美喜恵にさえ打ち明けていなかったのだが、ただ知っていても不思議ではない。


「……そうね。あと月が何周かした頃だと思うよ」

「はぐらかさないで。わかるのよ。前よりやつれてる。多分これが最後でしょう?」

「馬鹿ね。まだ死ぬ気は毛頭」

「無理して、誰かを安心させようとするのはもうやめてよ。クリスカのそういうところが嫌いよ」

「そりゃどうも。でもね、どうしようもない。天寿よ」


 濁すに濁せず、視線を泳がせながらクリスカは言う。


「天からのではないでしょう。貴方が、ただ助かる道を、生きる道を放棄しているだけよ。そんなの」

「そうよ。私にとって、もうこの世界は居るべきところじゃないの。ずっと旅を続けながら考えてきた。もう百年も生きたのだから終わらせてほしいって」


 いつも身勝手な彼女だが、美喜恵は言い淀む。望み通りにすべきなのは重々理解している。人の人生なのだから、過干渉は避けるべきだ。


 その信念を貫き、前々から心に留め置いていた。彼女自身の人生、鬼生ともいうべき一生なのだから。


 けれど死を望んでいる、すでに見切りをつけているからと言って目の前で大切な人に死なれるのはあまり良い気分ではない。死の瞬間を明確に知っていれば尚更だ。


「遺される人の気も知らずに……」

「……ごめんなさい。死にたいわけじゃないの。想い残しもやり残しもある。未練だらけよ。だから光莉を旅に誘ったし、生きたいとも願ってる。でも生きる資格なんてないような気がする。光莉にも悪い事をしたから、償いみたいな物ね」

「償い。でも死ぬのだとしたら、あの子に罪だとは思わないの?」


 らしくもない涙ぐんだ震え声でクリスカは赤裸々に語る。手を引っ張ったのは誰でもない——私だ。


 また吸血鬼に裏切られて光莉が今度こそ同族を恨んでしまわないだろうか。誰かが手を差し伸べても拒むに違いない。


 私達の配下を夢見た少女がその夢から覚める。最悪の寝覚めだ。想像しただけでも総毛立つ。クリスカはお茶を啜って嘆息した。


「それでも、真実を知る方が残酷よ。私が光莉をただ自分よがりに利用していただなんて、言えない」


 罪悪感が背筋を伝う。唯一無二の血を求め、光莉を招いたとクリスカは彼女に告げていた。それは嘘じゃない。嘘じゃない。嘘じゃ、ない。


 生きたい。願いの為に友情を利用しようとした。クリスカ自身、それが許せなかった。無垢な純情に漬け込んだようで、不快だった。


 だから生きる資格がない。光莉だってきっと私を恨んで受け入れてくれなどしないから、死ぬことを選んだ。日々を過ごす中で芽生えた自己嫌悪に苛まれるのは沢山だ。


 美喜恵は口を噤んだ。睨むような視線は変えず、ただ彼女に据える。


「人を半人半妖に変えておいて無責任よね。他人様の人生散々弄んで滅茶苦茶にして」

「それ以上は言わないで」

「言わないでって」

「半分吸血鬼にしていることを悔やんでいるのならそれは思い違いよ。私は貴方と居られる時間が好きだったのだもの。取返しは付かないけど、責めたりなんてしないのよ」


 胸がすく思いだ。決心は揺らがないが、クリスカは静かに息を呑む。


 若気の至りとは言え、一人の人生を滅茶苦茶に壊した事実は今更どうしようもない。それなのに美喜恵は責めない。むしろその変化さえありがたいと感じるほどに。


 クリスカの頬を澄んだ輝きが伝う。冷たい涙。麻痺したように感触がないそれを、いつぶりだろうと我に問う。


 多分、美喜恵から人間という種を奪ったときだ。懐かしく儚げな記憶が脳裏を過る。


「まだ時間はある。考え直してもいいんじゃない?」

「でももう手遅れ」

「嘘つくの、やっぱり下手くそねクリスカ」

「嘘なんてついてないわよ。別に」

「生きたいから、光莉ちゃんを旅に誘ったんでしょう?」


 口走っていたことを思い出し、眼を逸らした。

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