ときと流れ星

ep1-1

 物語りの始まりは二年前、出会いは唐突で最悪でした。


 列車が目まぐるしく行き交う都会の中心駅。高速列車の改札口を出ると、乗り換え通路に犇めく色とりどりの土産物屋の軒先と通路を埋め尽くす人の波。攫われそうになりながらも必死に逆らい黒髪を揺らしながら歩く私は、自分に敷かれた道をなぞっています。


 覇気のない虚ろな目で、忙しない人々に眼も暮れない闇を纏って。


 Uターンするように回った私は二つ隣の改札口を再び通り、高速列車のホームへ立つと、未だ消えることのない強いオフィスビルの白光が目に飛び込みます。無機質な鉄柱とコンクリートのオフィスビル、暗がりに溶け込んだそれは星を散りばめた夜空のよう。


 太陽が無いからこそ望める煌々と輝く摩天楼に眼を奪われて、トランクが鈍い音を立てて地面へ落ちました。


 二年前、思い描いていた将来の展望と重なって、感極まります。正反対の今の自分を、さながら嘲笑しているその光達に、私の頬は涙を伝わせたのです。


 黒く滲むプラットホームのアスファルト。かき消すようなブレーキの金切り音を傍目に、奏でられる透かした歌声が前を過りました。


 見られまいと、流れ続ける涙を乱暴に袖で拭き取って、その歌声を私は絶望に浸された瞳で一瞥します。


 物珍しそうに覗き込む円らな紅い瞳。目線に気づいたのか朗らかにはにかんでくれました。正直、今はそういう気分ではないのでやめて欲しいのですが、それでも仕掛けたのはこちらです。


 小さく手を振ってトランクに手を掛け、扉の開け放った列車へ逃げ出しました。昼間であれば抜群の景観を誇る二階席の指定席で、屈託のない純粋な笑みに一言溢します。


「今の私でも、あんな風に笑えたらいいのに……」


 手を振られた少女にその言葉はきっと届かないだろうと、その瞬間は考えていました。列車は大都会のターミナル駅を定刻通りに発って、私を終身閉じ込める目的地へと誘っていきます。


 その少女が私の目に気を留めて、隣の座席を占有するまでは、少なからず私の人生は、色を変え切った果てに塗りつぶされた、二度と返り咲かないものだと、諦観していたのです。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 探るような目線が私を釘付けにしたのは、始発駅を出てそう経たずしてのことです。


 最高時速240キロで走る二階建て高速列車の先頭車。二列ずつのゆったりしたシートに暖色の照明。この列車の最高グレードの座席に腰を掛けている私は、これが普通の座席と疑いもしません。


 リクライニングを目いっぱい倒して、一刻の気休めを求めるように車窓へ意識を移します。


 離れていく街。こんな光景を何度も。


 頬杖をついて、引き結んだ口元。黄昏に夢中の私を呼び戻したのは、


「切符の拝見に参りました」


 車掌さんでした。


 きっちり着こなした黒炭色の制服でタブレット端末を片手に爽やかな笑顔の男性が私の席のすぐ袂で優しく尋ねていました。


 穿いていたロングスカートのポケットから薄水色の切符を取って見せようとしますが、彼の目線が私ではなく、少し下を向いています。ちょっと妙です。


「座席、間違っていましたか?」


 そんなに影薄かったでしょうかと皮肉も付け加えたかったのですが、決して気づいていないわけではなかったのです。振り返って首を振ると、


「あぁいえ、こちらのお客様です」


 と左手でいつの間にか隣へ座り込んでいた人物を指しました。


「飛び乗ってきたから自由席のだわ。空いていたら付けてくれるかしら?」

「差額分は現金のみの清算になりますが、よろしいでしょうか?」

「えぇ、結構よ。むしろニコニコ満点笑顔のキャッシュの方が好みでしてよ」

「左様でございますか」


 では、とトントン拍子に進んでいますが待ってください。


 いつの間にか隣に居たのは、ホームで眼があった金髪の少女が座り込んでいるではありませんか。シートのリクライニングを最大に倒していて、影が彼女を隠していたようでしたが、物音一つ聞いていませんよ私。


「えっと車掌さん?」

「なんでしょう?」

「隣の席って埋まっていました?」


 発車までは誰もいませんでしたし、いつから? しかしそれを問い詰めようとすると、少女が辛辣に撃ち返して来ます。


「埋まったわよ。たった今ね」

「そんな屁理屈な!」

「大変恐縮なのですが、そろそろ乗務員室へ戻っても?」

「えぇ。ごめんなさいね。私のわがままに付き合って貰って」

「いえいえ。お客様の最善を共に導き出し、快適な旅をご提供するのが我々乗務員の責務ですから」


 心を穿つようなセリフが飛んできましたが、私はそれどころじゃありませんし、まだ話は終わっていませんよ。


 けれど訴える隙も与えられず、車掌さんは去っていきます。


「ふぅ、一悶着ってところかしらね」

「一悶着って……」


 顰めた顔を悟られないように下へ向けて、それでも苛立ちを露わにしないよう愛想笑いに作り替えて上を向きます。


「い、移動しても?」

「ダメに決まっているでしょう。私、あなたが居たから座ったのに」

「えっと、指図ですか」

「勿論」


 そうされる覚えはないのですが、ともツッコみたかったですが、我慢です。


「眼があったときから気になっているのよね。あなたのこと」

「ついさっきのことだと思うんですが、私の何を?」


 皮肉っぽく笑って、私は言いました。矛先の違う相手に厭悪を込めて。


 しかし彼女の表情は一寸のブレもなく、淡々と核心を突きます。


「あなたの眼、空っぽだったから」

「空っぽ?」

「まるで燃え尽きた灰を見ているようで、力は愚か、無抵抗に絶望へひれ伏した哀れな目をしていた」


 幾重に張り巡らされた何かを言葉の刃がなぞり斬り刻む音色が頭を過っていきます。精緻で憐憫な紅い瞳が嘲笑うように、私を見つめていました。


 感情が爆発してしまいます。そんな、全てを知っている風にされたら、私。


 ほんの数舜、キリっと走った眉間の皺とそれに気が付いて引き攣った顔を彼女は見逃してはくれません。丸くじっと据えていた視線が鋭く眇められて、心まで覗かれてしまうのではと私の視線は離れていきました。


「私から目を離したのはなぜ?」


 固唾を飲んで、沈黙を貫こうとします。話しても、どうしようもないと。誘うような、彼女の話術に引き込まれてしまわないために。


 けれど引き際は潔く、呆気がなかった。私の感想はその一言に尽きるでしょう。


 その必要がまるでなかったから。


「まぁいいわ。抱えているのは触れられたくない問題のようだし。根掘り葉掘り尋ねられるのも、腹が立つでしょう」

「……ごめんなさい」

「あなたが謝る必要なんてないのよ。こちらこそ変なところに食い下がって悪かったわね」


 努めて冷静を纏うようにも自己の探求心を抑圧しているようにも見えたその姿。


 そして、しばらくの沈黙を置いて鋭い牙のような真っ白い犬歯を見せつけながら放った一言が私の背筋を凍り付かせました。


「今夜、私とご一緒してくれないかしら?」


 顔の血の気が引いていきます。彼女は隠すことなく自らを——吸血鬼と示したのです。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 吸血鬼。人間の数百倍の寿命を持ち、血液を糧に生きる種族。生まれてから数十年は白日の下に出られない夜に生きる生命。


 人間の始祖とも、地球上最初の猿人類とも語られる彼女達は、今や莫大な富と権力を握る家柄もあるほど繁栄を遂げていました。


 かつて汚らわしい民族と迫害を受けていた時期もありましたが、彼女達は立ち直って人間と共生しています。


 そんな悪ししき時代はとっくの昔に終わっていて、勿論その正体を隠す必要はないのですが今の私にはその真実が毒であり、心を蝕んでいきます。彼女は何も悪くない。そう言い聞かせて、とにかく平静を取り戻そうと深呼吸を続けました。


「驚いた?」


 ニシシと得意げに笑う少女。それに一夜を共にするというのは、そのつまり。


 考えに耽った挙句、頬を紅潮させていると、今度は悪びれる様子もなく高く笑い、顔に出た勘違いを正してくれます。


「如何わしいことなんてしないわよ。清廉潔白よ私は。処女だし」

「あの、一応ここ公共交通機関の中なんですけど」

「あなたがお望みなら、慰めも買って出るわよ?」


 平然で周囲を勘違いの渦に巻き込もうとするのは、私にも火の粉が掛かってくるのでやめていただきたいのですが、反省の色はなく、むしろ人を揶揄って愉悦に浸っていたのか、目の端に涙がついていました。


 私のとは違う、笑いの涙。お茶目な彼女はしばらく堪えてからドリンクホルダーに入れた紅茶で一息ついて、本題を切り出しました。


「さて、誤解も解けたところで本題だ」

「本題?」

「導き出せないのよ。結論づけるには——あなたから聞かないとね」


 意図をすぐに理解できない私に怒りを感じてしまったようで、眼をぎゅっと瞑ります。暴力的なお方だと知っているわけではありませんが。


「瞑られると余計に見えないでしょう。その目」

「目……?」

「滅多に身を預けない高速列車を前に、冴えない目と表情されてたら、誰だって気になるわよ」


 私服のビジネスマンという筋はないでしょうか。偏見を前に彼女はすっ飛ばして話を続けます。


「だから、旅をしましょう」

「……旅?」

「そう、旅」


 旅と言えば、遠出して現地の人に触れ合ったり、特産品を食べたり、旅館の温泉でのんびりと非日常体験の事ですよね。


 足に履く奴とかじゃないですよね。と私は邪魔な質問を喉元で抑え込みます。


「あなたの街を案内してほしいの。この私に」

「私の街ですか」


 嫌気を全面に押し出した表情で少女に面持ちを向けると、顔を近づけて問います。


「嫌?」

「嫌ではないのですが」

「なら決まり」

「何もないですよ?」

「新幹線は通ってるでしょう?」

「まぁ、この電車の停車駅ですから」

「なら、秘境駅よりはマシよ。ご飯食べて、お風呂でも一緒に入ったら、そのしょげた物憂げな顔も変えられるでしょう? 奢るわよ、それくらい」


 質問というボールを特大ラケットで盛大に返した挙句、変な理屈まで持ち掛けて私を捻じ伏せようと畳みかけるこの吸血鬼。そこまでして私を引き留める理由があるのでしょうか。


「いいですけど」

「ほんと? やった」


 あどけなさ全開の無邪気な笑み。けれど条件があります。


「ただし、許しが貰えれば、ですけど」

「許し?」

「帰る予定を曲げてしまうと心配すると思うので、一応連絡を」

「窮屈なお家柄ね」

「あはは」


 幼少期から出掛けるときは常に父上に報告を、というのが義務でした。大事な一人娘の身に何かあったら眼も当てられないと、保険を掛けているのでしょう。


「私もちょっと仕事が残っているの。席を外すわ」

「仕事?」

「えぇ。吸血鬼だって無職って訳じゃないのよ」


 誇らしげに語りますが、就労はこの国の義務ですよ。かくいう私も人の事を指さして言えませんが。


 すると少女は席を立って、


「自己紹介、まだだったわね。私、クリスカ。よろしく、流浪のお嬢さん」


 軽い自己紹介を述べてきたので、こちらも名乗らないわけにはいきません。


「七見 光莉です。お見知りおきを」

「七見……ひょっとして、実家は赤城山の?」

「ご存じなんですか!?」

「風の噂であなたのことならちょっとだけ」


 それはまた、悪い噂ですね。喉元まで出た言葉を必死に飲み込んでいると、クリスカはデッキルームの列車の喧騒へ飛び込んでいきました。


 そして後に知ることになるのです。彼女の本性と正体を。


 クリスカさん、実は——。

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