血が不味すぎて虐げられてきた私が吸血姫と列車旅することになった訳

宵更カシ

トワイライト

 列車のお好きな主様との旅路はハイケンスのセレナーデにのせて。オルゴールの音色を小耳に授かってから到着の案内放送が始まります。


 前髪を綺麗に切り揃えた黒髪がゆらりゆらりと横に振れる列車の客室。深緑色の機関車に牽かれた夜行列車が春先のまだ肌寒い大阪の街を出て六時間が経とうとしていました。


 眠気を誘う暖房の陽気に意識を奪われそうになっていた私は、いっそこのまま終着まで眠ってしまおうかと思っていました。


 共用スペースの窓を向く長いソファー。フカフカで寝心地も良く、拍車をかけるような不規則な列車の揺れ、凛々しくも囁き掛けるような車掌さんの声音。


 もはやこれは寝てしまえと言っていて然りな状況。しかし二十歳そこそこの小娘が通路にもなる出来の良い公衆ベンチの真ん中では危険でした。けれど誘惑には勝てず、うたた寝してしまいます。


——あなたの血、錆臭いのよ。今すぐ出て言ってくれないかしら。


 脳裏を過った言葉に血相を変えた私はハッと目覚めて辺りを見渡します。


 と、油断が案の定。大きく見開いた霞んだ視界が暗転してしまい、パニックになった鳩のように手をばたつかせます。


「さてさて、愛しの機関車の後ろ姿を眺めに行った主についでとばかり御使いをさせておきながら、こっくり船を漕いでうたた寝しそうになる人間、だーれだ」


 暖気の回る部屋でも異質な冷感。瞳を囲った玉の肌に生命の温度はなく、無邪気で健気な金鈴の声音に焦ることを止めてしまいました。


「私でございましょう?」


 答えると視界がぱっと明転。


 スレンダーな身体に幼さを多少残した端正な顔立ち。寝台列車だからか高揚されている主様へ目が行くと、勝手を働いた無礼への負い目と不覚にも持っていらしていた袋の中身に期待が膨らみます。


「大正解。大層な身分の使用人ね?」


「ご無礼をお許しください」


「お許し? フフッ」


 少女の笑みが邪悪さを帯びました。フレアスカートが大きく華を開いて回ると袋を背で隠し、ガサゴソ漁ると私の頬に主様のとはまた違う、無機質な冷気が直撃して、声を上げてしまいます。


「冷たっ?!」


「これで半分。車内販売の人を捕まえて買ったの。夏じゃないけど、新作もあったから食べよ?」


「い、いきなりアイスを頬に当てるのは心臓に悪いですよぉ! もう!」


「拗ねちゃった? 可愛い」


「拗ねてません! 怒ってるんです」


 それも冷凍庫から出したばかりの物で、真冬の今日にはなんと不似合いな凍てついたアイス。


 しかし、それでも春のように温かいこの部屋で頂くのは格別だと、旅に次ぐ旅の中で知り得た発見でもあり、大切な思い出でした。


 蓋を開いてバニラアイスを頬張り始めると、そんな一刻の剥れも吹き飛びました。濃厚な牛乳の風味も束の間、滑らかなくちどけの一口は消えるが如く溶け出して、喉を抜けます。


 アイスも顔も蕩けてしまう、至福の表情。忽然な目線で隣を向くと主様の姿が映ります。私と同様で、けれど食べているのはチョコミント味のアイスで、満面に幸せを表現していました。


「にゃはぁー」


「はふー」


 二人揃って漏らした気の緩んだ声音。私は脱力し切っていましたが、主様のは風情を感じて感嘆というより、日常に辿り着いた安心感を纏っていたようでした。


 そしてスッと意識を戻したのか、隙だらけの私の手を取って口元へと運んでいきます。


「主様?」


「お仕置きの半分。ここでさせてもらうわね」


「お仕置きの半分……ってあの、ひゃん!」


 場所を弁えず、今度は甘い喘ぎが響きます。幸いとして生憎として、この車両は二人だけで誰彼構うことはありません。


 そこを突いたのか、困惑する私に主様の牙が指の皮膚を無慈悲に貫通。精緻に通された毛細血管を幾重か破って、舌で掬うように舐め始めていました。


「あ、の。ちょ……と、こんなとこ……ろで!」


 流石に見知らぬ旅人が来たらと、必死に止めるよう説得します。だって傍から見たら、小柄でさながらお人形さんにも見間違える可憐な少女二人が、指を頬張り頬張られて喘いでいるところなんて、性癖の歪んだカップルにしか見えないですから。


 けれど主様は一向に口を離す気配が感じられません。血が主食の鬼が齎す何度も押し寄せる濃密な快楽。指なのに容赦ない寄せては返す大きな波に、もう思考アルゴリズムは機能を止めています。


 体感こそ数十分でしたが、実際は三十秒も吸っていません。主様が唇を惜しみないしたり顔で指を離すと、艶めかしい息遣いで凭れ掛かった私。血を吸うのは夜と決まっているのに、不意打ちなんてズル過ぎます。


「ちょっとやり過ぎちゃったかな……あはは」


 主様も思わず苦笑い。内心は慌てふためいているはずなのですが、ちょっとしたら吹っ切れて眠りについた使用人を持ち上げました。


 それも軽々と、身長差は数十センチある小柄な体躯で。お姫様を寝室に連れて行くかのよう。


 溶け始めたアイスを眠る使用人の絶妙なバランスを誇るおでこに載せて、個室寝台の一室へと戻っていった主様。すれ違う車掌さんや約一日の鉄路を共にする他の乗客も思わず二度振り返って見直します。


 抱えている眠り姫の寝顔を一瞥。使用人の癖にと思いながらも、まんざらではない主様。夢の中でもわかってしまいます。長い旅で育んだ絆が、容易に想像させるのでしょうか。


 使用人は思います。走ってきたレールを振り返って、岐路を跨ぐ度に迷っていたことを。そして、隣にいる主様を、恩人を信じて付き従った旅は、血となり身体を巡っていることを。


 これは棄てられ続けた使用人『七見 光莉』と、海を、山を、この国を旅で渡る吸血鬼『クリスカ。アルタリィ』の物語。そして、私達の大切な思い出の足跡。

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