『週末の楽しみは「Sランクダンジョン」でソロキャンすること。 ~ドラゴンが襲ってきても、俺の「神話級テント(絶対結界)」の中なら、ただの極上ステーキ肉(食材)にしか見えません~』

無音

最強おっさんのソロキャンプ。

【第一章:金曜日の逃避行】

 金曜日の午後8時。  都心にあるオフィスビルの裏口から、一人の男がひっそりと姿を現した。


「……ふぅ。今週も生き延びたな」


 **ケンイチ(45歳)は、ネクタイを緩めながら大きく息を吐いた。  しがない中間管理職。  上からは数字を詰められ、下からはハラスメントを恐れて気を使い、家に帰れば冷え切った食卓が待っている。  そんな彼の唯一の楽しみ。生きる糧。  それが、これから始まる「週末のソロキャンプ」**だ。


 ケンイチは駅のコインロッカーから、巨大な登山用バックパックを取り出した。  中には、厳選されたキャンプギアが詰まっている。  だが、彼が向かうのは、山でも川でもない。


 都心の地下鉄構内。  その最奥にある、厳重に封鎖されたゲート――**『東京第1ダンジョン(通称:地獄の釜)』**の入り口だ。


「おい、あのおっさん見ろよ。あんな軽装で入る気か?」 「自殺志願者か? 第1ダンジョンはSランク指定だぞ」


 フル装備の探索者たちが、奇異の目でケンイチを見る。  ケンイチは軽く会釈だけして、ゲートをくぐった。  彼らにとってここは「戦場」だが、ケンイチにとっては「聖域」なのだ。


 ゲートを抜けると、空気の色が変わった。  濃密なマナ。凶暴な魔物の気配。  ケンイチは懐から「転移結晶(闇ルートで購入した違法品)」を取り出し、砕いた。


「転移。……深層、90階層へ」


 光が彼を包み込む。  彼が目指すのは、携帯の電波も、上司の怒鳴り声も届かない、地底の楽園だ。


【第二章:地底の星空】

 転移した先は、別世界だった。    ダンジョン第90階層『水晶の地底湖』。  広大なドーム状の空間に、静謐な湖が広がっている。  特筆すべきは、その天井だ。  遥か高くにある岩盤に、無数の発光鉱石(ルミナス・クリスタル)が群生しており、それらが淡い青白い光を放っている。  まるで、満天の星空を地下に閉じ込めたような絶景。


「……ここだ。ここがいい」


 ケンイチは湖のほとり、平らな岩場を見つけて荷物を下ろした。  周囲には強力な魔物の気配があるが、気にも留めない。  まずは、城の建設だ。


 バックパックからテントを取り出す。  一見、ホームセンターで売っているようなソロ用テントだが、その生地は**『古代竜の皮膜』**で織られている。  物理攻撃無効、魔法反射、完全防音、空調完備。  国宝級のアーティファクトを、テントの形に縫い直した特注品だ。


「設営開始」


 ケンイチはハンマーを取り出した。  『雷神の鎚(ミョルニル・ハンマー)』。  本来は山を砕く武器だが、今はペグ打ち専用だ。


 カォォォン……!


 心地よい金属音が、静かな地底湖に響く。  地面に打ち込むのは、『アダマンタイト鍛造ペグ』。  どんな硬い岩盤にも豆腐のように刺さり、一度打ち込めば、地殻変動が起きても抜けない最強の杭。


「よし。張り綱、テンションOK」


 10分後。  湖畔に、完璧な設営(フォーム)のテントが完成した。  ケンイチは中に入り、ランタンに火を灯す。  ポゥッ……と暖色の明かりが灯る。  この瞬間、半径10メートルは「絶対安全圏(セーフティ・エリア)」となる。


「ふぅ……。ここからは、俺の時間だ」


 ネクタイを外し、ジャージに着替える。  折りたたみチェアを展開し、焚き火台をセットする。  薪(世界樹の枝)を組み、火をつける。  パチパチと爆ぜる音。揺らめく炎。    こうして、金曜の夜と土曜日を、誰にも邪魔されずに読書と釣りをして過ごした。


【第三章:日曜の夜、カレーと絶望】

 そして、日曜日の夜。  ソロキャンプ最後の夜だ。


「……はぁ。明日からまた仕事か」


 ケンイチは溜息をつきながら、夕食の準備を始めた。  最後の晩餐は、気合を入れたカレーだ。  焚き火の上で、ダッチオーブンがコトコトと音を立てている。  スパイシーな香りが、寂しさを紛らわせてくれる。


 その静寂を破るように、騒がしい音が聞こえてきた。


「はぁ、はぁ……! 逃げて! 早く!」 「くそっ、しつこいぞあのヘルハウンド!」


 湖の向こう側から、数人の男女が走ってきた。  全身を最高級の装備で固めた、Sランクパーティ『銀の翼』のメンバーだ。  リーダーらしき女騎士が、盾を構えながら殿(しんがり)を務めている。


「ギャウウウウッ!!」


 彼女たちを追っているのは、体長3メートルはある漆黒の魔狼『ヘルハウンド』の群れ。  1匹でも災害級の魔物が、10匹以上もいる。  パーティは満身創痍。ポーションも尽き、絶体絶命の状況だ。


「行き止まりだわ……! 地底湖!?」 「嘘だろ、こんなところで……」


 女騎士たちは湖畔に追い詰められた。  背後は水。前は魔物の群れ。  死を覚悟し、彼らが武器を構え直した、その時。


 ふわり。  殺伐とした戦場に、場違いな「香り」が漂ってきた。


「……え? 何、この匂い……」 「カレー……?」


 女騎士が視線を巡らせる。  そして、信じられないものを見た。


 魔物の群れのすぐ脇。  星空(鉱石)の下、優雅に焚き火を囲み、カレーを煮込んでいるジャージ姿のオッサンを。


「……あ?」


 ケンイチと、女騎士の目が合った。


「……こんばんは」


 ケンイチは気まずそうに会釈した。  ソロキャンのマナーとして、挨拶は重要だ。  だが、女騎士の脳内はパニックだった。


(な、なんなのあの人!? ここは深層90階層よ!? なんでパジャマでくつろいでるの!?)


「グルルルル……!」


 ヘルハウンドたちが、新たな獲物(ケンイチ)に気づき、標的を変えた。  美味そうな無防備な肉だ。  狼たちは一斉に、ケンイチに向かって飛びかかった。


「危ないっ!!」


 女騎士が叫ぶ。  だが、ケンイチはおたまを置くと、焚き火の横に置いてあった**「鉈(なた)」を手に取った。  ホームセンターで売っているような、無骨な鉈。  だが、その素材は『ヒヒイロカネ』。  あらゆる物質をバターのように断つ、『空間断絶の鉈(ディメンション・ハチェット)』**だ。


「……あー、薪が足りないと思ってたんだ」


 ケンイチは、薪割りをするような手つきで、無造作に鉈を振るった。


 スパンッ。


 乾いた音がした。  空中で、3匹のヘルハウンドが、真っ二つに両断された。  血飛沫すら上がらない、神速の斬撃。


「キャンッ……?」


 残りの狼たちが急ブレーキをかけ、怯えて後ずさる。  ケンイチは鉈についた脂を布で拭い、面倒くさそうに言った。


「おい、犬っころ。……俺のサイト(敷地)に入るな。マナー違反だぞ」


 殺気すら込められていない、ただの注意。  だが、その覇気は、深層の魔物たちを恐怖で震え上がらせるのに十分だった。  ヘルハウンドたちは「キャイン!」と情けない声を上げ、尻尾を巻いて逃げ出した。


 静寂が戻る。  パチパチと、焚き火の音だけが響く。


「……助かっ、た……?」


 女騎士たちは腰を抜かし、呆然とケンイチを見つめていた。  ケンイチはため息をつき、ダッチオーブンの蓋を開けた。


「……見るからに腹減ってそうだな。カレー食うか?」


          *


「……美味い」


 女騎士――セリアは、スプーンを持ったまま涙を流していた。  具材はダンジョン産の「コカトリスの肉」と「マンドラゴラの根菜」。  それを、ケンイチ特製のスパイスと赤ワインで煮込んだ、無水カレーだ。


「生き返る……。魔力(マナ)が身体の芯から湧いてくるようだわ」 「おかわりあるぞ。米は飯盒(はんごう)で炊いたからな」


 ケンイチは自分の分のカレーを啜りながら、満足げに頷いた。  やはりキャンプ飯は最高だ。


 その時だった。


 ズズズズズ……!!


 地底湖の水面が大きく盛り上がり、激しい波が湖畔を洗った。


「グオオオオオオオオッ!!!!」


 鼓膜を破るような咆哮。  湖の中から姿を現したのは、全身が黒曜石のような鱗に覆われた、体長20メートルを超える巨竜――**『ブラック・ドラゴン』**だった。  この第90階層の「主(エリアボス)」だ。


「あ、あぁ……! 嘘でしょ……!」


 セリアがスプーンを取り落とす。  顔色が瞬く間に青ざめた。


「終わりだ……。あれは災害指定の黒竜……! 万全の状態でも勝てるかどうか……!」


 だが。  ケンイチの反応は違った。


「……ほう」


 彼はカレーの皿を置き、立ち上がった。  その目は、恐怖ではなく、鋭い「品定め」の光を宿していた。


「(……いい肉付きだ。あの太い尻尾、脂が乗ってそうだなぁ)」


 ドラゴンが大きく息を吸い込む。  『冥府の息吹(ヘル・ブレス)』。触れたものを塵に変える、必殺のブレスだ。


「逃げて! ブレスが来るわ!!」


 ゴオオオオオオオオッ!!!!


 紫色の奔流が、キャンプサイトを飲み込む――はずだった。


 ヒュオォォ……。  ブレスは、テントを中心に展開された透明なドーム(絶対結界)に触れた瞬間、そよ風のように左右へ受け流された。  テントの布地一枚すら焦げていない。


「……へ?」


 セリアたちがポカンとする中、ケンイチは煙たそうに手を振った。


「煙いな。せっかくのカレーの香りが台無しだ」


【第四章:極上の霜降り】

 ケンイチは、再び鉈を手に取った。  彼はジャージのポケットに手を突っ込んだまま、ドラゴンの方へ歩み寄る。


「グルルァ……!?」


 ドラゴンが困惑する。  自分の最強の攻撃が効かない。それどころか、餌であるはずの人間が、無防備に近づいてくる。  ドラゴンは怒り、巨大な尻尾を鞭のようにしならせ、ケンイチを叩き潰そうとした。


 ブォンッ!!


 音速を超える尻尾の一撃。  ケンイチは避けない。  ただ、タイミングを合わせて、鉈を一閃させた。


「……いただき」


 スパァァンッ!!


 硬質な音が響いた。  ドラゴンの鋼鉄の鱗も、強靭な筋肉も、骨も。  全てが抵抗なく切断された。


 ドスンッ!!  切断された巨大な尻尾が、地面に落ちて地響きを立てる。


「ギャアアアアアアッ!?」


 ドラゴンが絶叫し、大量の血を噴き出しながら湖へと後退する。  本体へのダメージと、理解不能な恐怖。  エリアボスとしてのプライドは砕け散り、ドラゴンはそのまま湖の底へと逃げ去っていった。


「あーあ、逃げちまった。まあいいか、一番美味いところ(希少部位)は手に入ったし」


 ケンイチは鉈を収め、巨大な尻尾の前に立った。  断面を見る。  赤身と脂身が美しい層を成している。最高級の霜降りだ。


「セリアさん、手伝ってくれ。今夜のメインディッシュだ」 「は、はい……?」


 セリアは状況が理解できないまま、言われるがままに動いた。  ケンイチは手際よく皮を剥ぎ、肉を分厚いステーキサイズに切り分けていく。


 ジュウウウウ……。


 黒鉄のフライパン(スキレット)の上で、肉が踊る。  パチパチ、ジューッ。  香ばしい肉の香りが、カレーの香りと混ざり合い、暴力的なまでの食欲を刺激する。


「……焼けたぞ」


 ケンイチは熱々のスキレットを、テーブルに置いた。


「さあ、食おう。冷めないうちに」


 ケンイチはナイフを入れた。  スッ……と切れる柔らかさ。断面から肉汁が溢れ出す。  一口食べる。


「……うん。A5ランクだな」


 彼は満面の笑みで、ビールを煽った。  プハァーッ!  最高だ。この瞬間のために生きている。


 横で見ていたセリアが、ゴクリと喉を鳴らした。  さっきまで自分たちを殺そうとしていた怪物が、今はただの「ご馳走」になっている。  その常識外れの光景に、彼女の脳みそは処理落ち寸前だったが、胃袋だけは正直だった。


「……い、いただきます!」


 彼女もまた、肉にかぶりついた。  その瞬間、彼女の目が見開かれた。  恐怖も、疲れも、全てが吹き飛ぶほどの「旨味」の爆弾が、口の中で弾けたのだ。


【第五章:星空とコーヒー】

 宴は終わった。  巨大なドラゴンの尾のステーキは、セリアたち冒険者の胃袋に綺麗に収まった。


「……ふぅ。食った食った」


 ケンイチは焚き火に新しい薪をくべ、ケトルでお湯を沸かし始めた。  食後のコーヒーの時間だ。  ドリッパーにペーパーをセットし、挽きたての粉を入れる。  お湯を細く、注ぐ。  モコモコと粉が膨らみ、芳醇なアロマが立ち上る。


「……はい、どうぞ」 「あ、ありがとうございます……」


 マグカップを受け取ったセリアは、香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「あの……貴方は、何者なんですか?」


 セリアが問う。  ドラゴンを食材扱いし、結界の中でくつろぐ男。  伝説の勇者か、それとも神か。


「俺か? ただのサラリーマンだよ」


 ケンイチは夜空――天井のクリスタル群を見上げながら、淡々と答えた。


「平日は会社で頭を下げ、数字に追われ、満員電車に揺られる。……だからこそ、週末はここに来るんだ。  誰にも邪魔されず、好きなものを食って、好きな時に寝る。この『孤独』こそが、俺にとっての最高の贅沢なんだよ」


 セリアは言葉を失った。  彼女にとってダンジョンは「戦いの場」でしかなかった。  だが、この男にとっては「癒やしの場」なのだ。


「……綺麗ですね」


 セリアが天井を指差した。  発光鉱石の光が、地底湖の水面に反射し、まるで宇宙(そら)に浮いているような幻想的な光景を作り出している。


「ああ。ここが一番、星が綺麗に見えるんだ」


 ケンイチはコーヒーを飲み干した。  静寂。  時折、焚き火がパチッと爆ぜる音だけが響く。  それは、Sランクダンジョンの深層とは思えないほど、穏やかで優しい時間だった。


【エピローグ:月曜日の憂鬱】

 翌朝。  午前6時。ケンイチの体内時計が正確に作動し、彼は目を覚ました。


「……さて、撤収するか」


 彼は手際よく片付けを始めた。  焚き火の灰は火消し壺へ。ゴミは一つ残らず持ち帰る。  「来た時よりも美しく」。それがキャンパーの流儀だ。


 セリアたちが目を覚ます頃には、そこには何も残っていなかった。  ただ、整地された地面と、巨大なバックパックを背負ったケンイチがいるだけだ。


「あ、あのっ! もう行かれるのですか!?」 「ああ。今日は月曜日だからな」


 ケンイチはネクタイを締め、スーツのジャケットを羽織った。  その姿は、昨日までの「最強の男」から、どこにでもいる「疲れたおじさん」へと変貌していた。


「月曜日……?」 「仕事だよ。9時から会議があるんだ。遅刻したら部長に殺される」


 ドラゴンより怖いのか、そのブチョウという魔物は。  セリアたちは戦慄した。


「それじゃあな。……残りのカレー、鍋ごと置いていくから食ってくれ」 「えっ、いいんですか!? でも、お礼もまだ……!」 「礼なら、昨日の笑顔で十分だ。……じゃあな」


 ケンイチは懐から転移結晶を取り出した。  パリン。  光が彼を包む。


「転移。……新宿駅、西口へ」


 光と共に、彼は消えた。  残されたのは、鍋いっぱいの絶品カレーと、呆然とする冒険者たち。  そして、静かな地底湖の風景だけ。


          *


 数時間後。  都心のオフィス街。  ケンイチは死んだ魚のような目で、満員電車に揺られていた。


「(……はぁ。帰りたい)」


 吊り革に掴まりながら、彼は思う。  昨日の焚き火の暖かさを。星空の美しさを。  そして、また5日間戦い抜けば、あの楽園が待っていることを。


「よし」


 駅に着く。  ケンイチはネクタイを締め直し、戦場(会社)へと歩き出した。  その背中には、ドラゴンをも屠る「覇気」が、ほんの少しだけ残っていたかもしれない。


(完)

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