第十六話:茶器収集。魔王、デッキ構築(茶の湯)に落ちる

 長篠の戦いが終わり、岐阜城は平和だった。

 あまりに平和すぎて、信長が死んだ魚の目で庭の鯉に餌をやっていた。


「……つまらん」


 鯉が口を開けて待っている。平和の口だ。

 魔王はそれが嫌いだ。

 平和って、勝手に向こうから寄ってきて、勝手に口を開ける。


「鉄砲で勝つのは早すぎた。情緒がない。

 もっとこう……ヒリヒリするような“読み合い”がしたい」


 私は縁側で、信長から届いた高級羊羹を切り分けながら言った。


「信長、筋肉の戦に飽きたなら、脳の戦しなよ」


「脳の戦?」


「そう。世界で一番、静かに殴り合うやつ。

 茶の湯。別名、デュエル」


 信長が鼻で笑う。


「茶? あれはジジイの飲み会だろ」


「甘い。あれは飲み会じゃない。

 “組み合わせで勝つ”ゲーム。つまりデッキ構築」


「……でっき?」


 私は羊羹をひと切れ口に入れて、扇子をパチンと閉じた。

 ここから魔王を“そっち側”へ連れていく。


「分からないままでいい。沼は理解してから入るんじゃない。

 落ちてから納得するの」


 信長が一瞬だけ黙った。


「いい? 信長。茶会ってのはね」

 私は指を折る。


「掛け軸は場。空気を決める背景。

 花入は盤面。見た目の布陣。

 茶碗は切り札。ここで“うわっ”って言わせる主役。

 この三点セットで、相手の感情をコントロールするゲーム」


「感情?」


「そう。客はね、殺せない。

 でも感情を殺せる」


 私低い声で言い切った。


「『ほぉ……』って言わせたら勝ち。

 『へぇ……』で止まったら負け。

 『なんか高いっすね』って言われたら即死」


 初が隣で空を見上げたまま、ぼそっと言う。


「……死因……感想の浅さ……」


 信長の目が細くなった。戦略家の目だ。


「……なるほど。勝利条件が違うのか」


「うん。で、構築のコツ」


 私は信長の眉間に向けて言い切った。


「派手の同時出しは事故。盛りすぎて胃が死ぬやつ。

 強い茶碗には、地味な掛け軸。

 派手な掛け軸には、静かな茶碗。

 引き算。バランス。以上」


「……バランス」


 信長がその単語を噛んだ。


 信長は立ち上がり、鯉の餌を池に全部投げ捨てた。

 鯉がパニックになった。

 平和がパニックになるのは、だいたい信長のせいだ。


「……面白い。わしの戦略眼で、その“構築”をやる」


(よし。改造開始)


 *


 数日後。

 信長は城中の茶道具を広間に集め、腕を組み、眉間にしわを寄せていた。

 完全に構築中の顔だ。武将の顔じゃない。デッキビルダーの顔。


「……ぬぅ。手札が弱い」


「どうしたの」


「わしの初期デッキを見よ。

 瀬戸物。量産茶碗。

 これでは環境で勝てん」


 初が小声で言う。


「……叔父上……“環境”を覚えた……」


「そう。環境ってのは“今、みんなが強いと思ってる勝ち方”ね」


 私は頷いた。


「いい。流行を読めるようになってきた。

 じゃあ質問。今の環境トップは?」


「……堺の商人」


「正解。

 そして彼らは名物っていう“見た瞬間、場がひれ伏すやつ”を握ってる」


 私は指を折った。


「九十九髪茄子、松島、初花……

 一個出しただけで空気が終わる。

 いわばSSR。みんなが見たがって、手に入らないやつ」


 信長の目がギラッと光った。


「欲しい」


「うん。欲しいのは自然。

 でも、ここからが沼の入口」


「入口?」


 私は笑った。笑い方は、道徳が薄い。


「強い道具を集めて勝つ。ここまでは初心者。

 ガチ勢は違う」


「違う?」


「ガチ勢はね」


 私は指を一本立てた。

「勝ったあとに反省する」


 信長が眉を寄せる。

「勝ったのに?」


「そう。

 『勝ったけど美しくない』

 『相手が事故っただけ』

 『運が良かっただけ』

 って言い出して、自分を殴り始める」


 初が頷く。

「……勝利を……信用しない……」


 信長が黙った。刺さってる。

 勝ちにうるさい男だ。刺さる。


 私はさらに押す。

「あともう一つ。ガチ勢は、勝つために好きになるんじゃない」


「……?」


「好きだから勝ち筋を作る」


 信長が鼻で笑う。

「弱いなら捨てればよい」


「その発想はまだ城主。ここから魔王」


 私は広間の隅、地味な茶碗を指差した。

 欠けがある。派手さもない。

 でも、なぜか目が離れない“いやな存在感”だけがある。


「あれ見て」


「……あれが何だ」


「弱い。地味。回りにくい。

 でも、手触りがある」


「手触り?」


「触るとさ、なんか気持ちいいやつ。

 使いたいって思わせるやつ。

 つまりファンデッキの主役。弱いのに愛で回すやつ」


 江が茶碗を積み木にして言った。


「よわいの、すきー」


「江は意味分かってないけど、結論だけ当たってる」


 信長は地味茶碗を見つめたまま、低い声で言った。


「……あれを中心に回す構築を作る」


「はい、もうガチ勢」


「黙れ」


 でも声が軽い。


 *


 そして、運命の大茶会。


 客は目利きの商人たちと家臣団。

 信長は上座に座り、いつもの“天下人の笑み”。


 その背後、床の間が異様だった。

 豪華。重い。圧がある。

 盤面としては完璧で、客の喉が鳴る。


 商人の一人が息を呑んだ。


「こ、これは……!!」


 信長がゆっくり言った。


「……俺のターン」


 茶室で聞く言葉じゃない。


「ドロー」


 さらに茶室で聞く言葉じゃない。


「場(掛け軸)は南宋の筆。

 盤面(花入)は季節を固定」


 商人たちが息を呑む。

 すでに空気が重い。


「そして――」


 信長が箱に手をかけた。

 ゆっくりと、丁寧に、開く。


「切り札。大名物――松島」


 ――静寂。


 その瞬間、誰かが小さく「あ……」と声を漏らした。

 その「あ……」が、敗北を認める音だった。


 どよめき。

 勝ち確の空気。


 商人たちの目が“負け”を認め始める。


「まいりました……」

「この空気……防げない……」


 信長は高笑いしない。

 意外なほど静かに、茶碗を置いた。


 勝った。


 はずだった。


 なのに。


「……茶々」


「なに?」


 信長が床の間を睨んだまま言う。


「今の取り合わせ……甘い」


「は???」


 客が凍った。

 勝利者が自分の盤面を殴り始めた。


「どこが!? 完璧に見えたけど!?」


「勝てた。だが――

 掛け軸が強すぎて、松島の“物語”を喰った。

 盤面が“俺すごい”で終わっておる。

 ……これでは、俺が残らん」


 その一言で、場の温度が変わった。

 天下人の反省は、戦より怖い。


 初が震える。


「……勝ったのに……反省してる……」


 江が言う。


「のぶおじ、へんなの〜」


「へんじゃない。ここからが本編」


 信長は続ける。


「それに、勝ち筋が名物頼りだ。

 強い道具で殴ってるだけだ。

 ……わしはそれが嫌いだ」


「嫌いなのに集めるの?」


「集める。だが主役にしない。

 主役は――」


 信長が指差したのは、あの地味茶碗だった。


「あれだ」


「え、あれ!? 地味枠だよ!?」


「地味だ。弱い。

 だが……あれだけは、こっちを見てくる」


 私は思わず笑った。


「うわ、最悪の恋みたいな言い方」


「黙れ。

 あれを勝たせるデッキを作る。

 好きな道具で勝つ方が、読み合いがある」


 初が静かに言う。


「……叔父上……沼の底へ……自走……」


 私は麦茶を飲み干した。


「で? 次の狙いは?」


 信長は迷いなく言った。


「平蜘蛛」


「出た」


「爆発力が欲しいのではない。

 平蜘蛛の来歴を噛ませて、あの地味茶碗を“物語で強化”する。

 相手の魂を、正座させる」


「言い回しがもう宗教」


 信長は微笑んだ。


 *


 その夜。


 信長は一睡もせず、広間に正座していた。

 目の前には昼間の道具一式。

 茶器を見て、紙を見て、また茶器を見る。


 私は寝巻きのまま顔を出した。


「……何してんの」


 信長は顔も上げずに言った。


「反省会だ」


「勝ってたよ?」


「勝った"から"反省する」


 初がいつの間にか隣にいて、ぼそっと言う。


「……ガチ勢……夜行性……」


 信長は筆を走らせ、紙を床に置いた。

 そこにあったのは、軍配じゃない。密書でもない。

 ――構築メモだった。


 題名。


 『茶の湯デッキレシピ(暫定)』


 私は覗き込んだ。



『茶の湯デッキレシピ(暫定)』


【コンセプト】

・名物で殴るな。取り合わせで"言葉"を奪え。

・勝利より再現性。勝った試合は信用するな。


【本日の勝因】

・松島が強すぎた。以上。


【本日の敗因(重要)】

・掛け軸が強すぎて主役が松島になった。

・盤面が"俺すごい"で終わった。俺が残らない。

・客の驚きが"高いですね"で止まった。浅い。


【改善案】

・主軸を地味茶碗 (推し)へ変更。

・名物は脇役。出すタイミングは終盤のみ。

・派手の同時出し禁止。

・香を一枚減らす。匂いが勝ちすぎる。


【次回の勝ち筋】

・地味茶碗を"来歴"で強化。

・平蜘蛛の来歴を噛ませて、客の口を奪う。

・成立しなければ、交渉ではなく制圧。


【必須入手】

・平蜘蛛(爆死属性/入手難度S/相手も自分も燃える)


【備考】

・俺はオタクではない。

・だが棚は必要。



 私はゆっくり顔を上げた。


「……完全にオタクじゃん」


「違う。天下人だ」


「天下人はデッキレシピ書かないのよ」


 信長は筆を置き、真顔で言った。


「書く。

 勝ち方を安定させるには記録が要る。

 戦も茶も同じだ」


 初が小さく頷く。


「……戦国……ログ管理……」


 江が眠そうに現れて、紙を見て言った。


「信長、これ……しゅくだい?」


「宿題ではない。未来だ」


 信長は紙を丁寧に折り、懐に入れた。

 武将の懐に入るべきものは、本来、密書か短刀。

 今はデッキレシピだった。


「茶々」


「なに」


「次は平蜘蛛だ。必ず入れる」


「その"入れる"がもうデッキの言い方なのよ」


 信長は不敵に笑った。


「……俺のターン」


 私は麦茶を飲んだ。

 戦は終わったのに、戦が始まっていた。



(つづく)

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浅井三姉妹の戦国サブカル革命 〜まずは信長の前髪の角度から〜 クリスチーネさくらんぼん🍒 @sakuranbon

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