第十五話 :長篠パブリックビューイング
決戦の日。天正三年(1575年)五月二十一日。
私は岐阜城の縁側で、冷たい麦茶を飲みながら空を見ていた。
隣には初と江。
膝の上には、信長から送られてきた高級煎餅。
敵より先に、うちの胃袋を落としに来る男。天下人。
「……始まったわね」
私が呟くと、初が無表情で空を見上げた。
アホ毛がアンテナみたいに立つ。
「……受信中。……電波(殺気)、良好」
「おじちゃんたち勝つ〜?」
江が煎餅をかじりながら言う。
無邪気に「おじちゃん(信長)」を応援している。教育が必要だ。
「江、違うわ」
私は煎餅をバリッと噛み砕き、低い声で言った。
「今日は『赤いの(武田)』を応援するのよ」
「あかいの?」
「そう。私の未来の旦那様の軍だから」
初が、空を見たまま、ぼそっと言う。
「……茶々姉……まだ……」
「諦めるも何も、私はすでに住民票を甲斐に移してる。心の中で」
私は甲斐の方角を睨んだ。
あそこには、私の愛しの信玄様がいる。
……はず。
だって最近、武田から“確かな話”が一個も落ちてこない。
病だの隠居だの影武者だの、噂だけが増えて、本人の手触りだけが消える。
つまり“修行中”。
いま絶対、肩が最終形態に進化してる。
……と、私は信じている。恋の方が史実より足が速い。
ボウズ。ヒゲ。肩。
肩に全てがある。肩は裏切らない。
今日はその筋肉が、尾張の軟弱な角度をへし折る日なのだ。
ヒュンッ!
庭先に黒装束の忍びが着地した。
息が切れている。命が軽い。情報は重い。
「報告ッ!! 長篠、開戦しました!!」
「よし。実況開始。状況!」
忍びはゼェゼェしながら巻物を開く。
「織田・徳川連合軍、馬防柵の裏に布陣!
対する武田軍、騎馬隊が突撃を開始! 赤備え、前進!!」
「行け! 赤備え!」
私は拳を突き上げた。
「私の恋文を届けた軍団よ! その筋肉を見せつけろ!
信長の貧弱な前髪なんぞ、マッチョの圧で吹き飛ばせ!」
忍びが一瞬だけ目を泳がせた。
何も言わない。賢い。生き延びろ。
「信長様、号令!
『一段、撃てぇ!』」
──ドカン!!
「『二段、撃てぇ!』」
──ドカン!!
「『三段、撃てぇ!』」
──ドカドカン!!
縁側まで届くわけがないのに、私の耳が勝手に轟音を作る。
硝煙。弾幕。筋肉の波が、削れる。
「チッ……当たってるじゃない」
私は麦茶を飲み干し、目を細めた。
「避けなさいよ武田。
信玄様の筋肉は、弾くらい“気合い”で弾くはずでしょ」
初が淡々と落とす。
「……気合いは……弾を……止めない……」
「黙って。恋の話してるの」
忍びの声が上ずる。
「そして──『四段目! 角度隊! “総整(そうととのえ)”!!』」
私は顔を覆った。
「出たわね、色物部隊……」
「硝煙の切れ間から、角度隊が前進!
鏡と櫛を取り出し──撫でました!!」
「武田! 見るな! 無視して突っ込め!」
私は縁側から身を乗り出して叫ぶ。
「そんな軟弱なチャラ男たち、筋肉で轢き殺していいから!
男の価値は角度じゃない! 肩幅(マッスル)よ!!」
初が、いつもの温度で解説する。
「……茶々姉……性癖が……戦術になってる……」
忍びが続けた。声が、少し震えている。
「角度隊、整髪料を追加しています!
椿油……それと……香(こう)……仏間みたいな匂いが……」
「戦場を線香で包むな!!」
江が目を輝かせた。
「おてらのにおい! すき〜!」
「好きでも吸わない。肺が戦死する」
忍びの報告は止まらない。
「武田軍、動揺!
『なんだあれは』
『腹立つ』
『でも匂いが気になる』
……の声、多数! 隊列が──」
「しっかりしろ武田ァ!!」
私は畳を叩いた。
「匂いに負けるな!
筋肉には筋肉の匂いがあるだろ!!
汗と土と血! それが戦(いくさ)だろ!!」
初がぼそっと補足する。
「……茶々姉……言ってることは……過激だけど……正しい……」
しかし。
忍びの声が急に低くなった。
戦国の“間”は、人が死ぬためにある。
「……武田軍、止まりません。
むしろ……『殴りたい』が統率されました」
「よし!!」
私はガッツポーズした。
「それが教育! 筋肉は裏切らない!!」
忍びが叫ぶ。
「馬防柵へ体当たり! 柵が揺れ──裂けます!
一角突破! 騎馬が柵の内側へ流入!!」
「いいぞ!! 愛の力だ!!」
私は立ち上がって扇子を振り回した。
「そのまま本陣へ! 邪魔な信長を排除して、私を迎えに来て!!」
江がニコニコして真似をする。
「むかえにきて〜」
「江、恋は真似しなくていい」
忍びが巻物をめくった、その瞬間。
空気が、一瞬だけ変わった。
変わり方が、戦じゃない。
「報告ッ!!」
「なに!?」
「角度隊が総整(そうととのえ)を行っている横を──
お市様と、信長様らしき二人が、全力疾走で通過しました!!」
一拍。
「……は?」
私は扇子を落とした。
「……あー。そう言えば昨日から母上いないと思ったら」
初は空を見上げたまま、ぽつり。
「……戦場に……母上乱入……」
江が手を叩く。
「わー! まま、はしってるー!」
「違う江。あれはね」
私は目を細めた。
「長篠の戦いじゃなくて、浅井家の戦いの延長戦だわ」
忍びは続けた。もう戻れないテンションで。
「お市様、叫んでおります!
『兄上ァァァ!! あとで殺すって言ったよねぇ!? “あとで”って今ぁ!?』
信長様らしき方、逃走中!
『今は戦だ! 今は武田だ! あとで!』」
「行け母上ェェェェ!!」
私は今日一番の大声を出した。
「母上! そのまま! 天下人を! 家庭に戻せ!!」
初が静かに言う。
「……天下人……家庭に弱い……」
江が煎餅を掲げる。
「おじちゃん、がんばれ〜!」
「応援する相手がズレてる!」
忍びが震える。今度は本当に“戦”の方だ。
「──戻ります!!
柵内に突入した騎馬が、徳川陣の前へ!
家康様の前です!!」
「タヌキか……」
私は鼻で笑った。
「ふふん。筋肉の軍勢よ?
あんなパンチパーマ、肩で小突けば──」
忍びが叫ぶ。
「敵の騎馬武者、目前! 刀を振り上げ──斬ります!!」
空気が止まった。
勝った。私の愛が、歴史を変えた。
初が静かに言った。
「……残念。顕現の時間」
「え?」
忍びが震える。
「その瞬間──家康様が……顔を上げました!!」
来た。
徳川大仏。
現象。
「サングラスが外れ、つぶらな瞳と……巨大な大仏ヘアが至近距離に!!」
──武田の騎馬武者が、なぜか半歩、減速しました。
「……え?」
忍びが言葉を探す。巻物がカサカサ鳴る。
「家康様……動きません。
……動かないのに……場が……変わります!」
「場が?」
「太陽光が……家康様の頭頂で跳ねました!!」
「跳ねた?」
「黒光りする巻きの密度が高すぎて……光が弾かれて……
頭の上に……輪が……立ちました!!
“輪”です! 丸い! まぶしい! ありがたい!!」
「……後光……?」
初が小さく頷いた。
「……魂、引っ張られてる……」
「引っ張るな!!」
忍びが続ける。声がもう泣き笑いだ。
「さらに……風です!
馬防柵を越える風が……なぜか家康様の頭上で巻いて……
後光の輪の内側だけ、煙が綺麗に抜けました!!
──そこだけ“舞台”みたいに明るいです!!」
「演出が勝手に付くな!!」
「そして……その瞬間……大仏が……」
嫌な予感が腹筋から立ち上がる。
「──ぷるん、と揺れました!!」
「ぷるん!?」
「硬そうなのに! 荘厳に! ぷるんと!!
揺れた瞬間、後光も一緒に揺れて……
“ありがたい寒天”みたいに見えます!!」
「言い方ァ!!」
初が静かに追い打ちした。
「……寒天は……お供えもの……」
「そうだけど!」
忍びが息を吸い直し、最後の札を切る。
「──そして!
その“輪”と“風”に乗って……鳩が来ました!!」
「鳩?」
「白い鳩が、ふわっと降りて……
家康様の頭頂に、ちょこんと着地!!
その瞬間、さっきまで荘厳に揺れてた大仏が──
急にピタッと止まりました!
後光! 静止! 鳩!
……完全に、ありがたい何かです!!」
「ありがたくない!!」
初がぽつりと言った。
「……魂が……正座した……」
忍びはもう半泣きで叫んだ。
「敵兵──吹きました!!」
「でしょうね!!」
忍びが続けた。もう止まらない。
「武田兵が叫んでます!
『斬るか拝むか分からん!! いま俺の腕が宗教に負けてる!!』」
「今、長篠で合戦してるんだよね!?」
初が静かに補足した。
「……戦場が……寺になった……」
「敵兵、腹を抱えて落馬!
それを見た後続も連鎖!
笑いが伝染して……戦場が『大爆笑の渦』に!!
武田の突撃が……笑いで……崩壊しています!!」
私は膝から崩れ落ちた。
「嘘でしょ……私の筋肉が……
光って揺れて鳥まで乗ってるタヌキに……負けた……」
畳をバンバン叩く。
「笑ってんじゃないわよ!!
そこは耐えなさいよ!! 筋肉でしょ!?
“後光ぷるん鳩”くらいで落ちるなァァァ!!」
初が冷たく言い放つ。
「……愛も筋肉も……笑いの暴力には勝てない」
「私の遠距離恋愛がぁぁぁ!!」
忍びが、勝ち誇ったように(織田軍だから当然だが)報告する。
「織田軍、その隙を見逃さず!
動けない敵兵(爆笑中)を制圧!
武田軍、総崩れ! 撤退!!」
私は大の字に寝転がった。無念。
肩に乗る夢は、後光に焼かれ、
ぷるんに潰され、鳩に居座られた。
忍びが最後に一枚の紙を差し出した。
現地の信長からの矢文だ。
『大儀であった。
タヌキの頭は国宝に指定する。
角度隊は帰ったら全員角度を鍛え直す。
あと、お市がまだ追ってくる。助けろ。』
「ざまぁみろ」
私は手紙を見て、ニヤリと笑った。
「武田は負けたけど、母上はまだ勝ってる」
初がまとめた。
「……信長包囲網……家庭方面……継続中……」
私は手紙を丸めて庭に投げた。
「忍び、伝令。
『母上、そのまま追い回してよし。
私の失恋の分まで殴って』」
「伝えられません!!」
こうして。
歴史に残る大激戦「長篠の戦い」は、私の歪んだ初恋も虚しく、連合軍の圧勝で幕を閉じた。
勝因は三千丁の鉄砲と、四段目の美容院、
そして──
一つのパンチパーマが起こした“現象”。
のちに家康は「東照大権現」として祀られる。
その最初の伝説が、戦場で後光を放って揺れて鳩に座られた徳川大仏だったことは──史料に書けなかった。
(つづく)
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