第5話 思い出の屋台
娘と行ったファミレスで、まるで久しぶりに会った友達の様に色々と話した憲児。まだまだ子供だと思っていた娘はいつの間にか大人になっていて、自分よりずっと自分たち両親のことや世間のことを知っていた。
「お母さんから慰謝料取らないの?」
「いや、流石に……これまで一緒にいてくれたことには感謝しているし、不倫はともかく苦労もかけただろうから……」
「そうなんだ。でも相手の医者からは取れるよね」
「医者なの!?」
何でそんなことまで知ってるんだ!? と驚愕していると、スマホの画面を見せられる。そこには妻と並んで満面の笑みの、同年代の男が写っていた。
「お前、探偵なの?」
「相手、高校の時の同級生みたいよ」
友人が写真を送ってきたので、母親の卒業アルバムをこっそり調べてあとはネットでSNSを調べたらしい。
「こういうのはさあ、きっちりしておいた方がいいらしいよ。慰謝料の相場は三百万だってさ」
「……」
淡々と話す娘に怖さすら感じるが、まあ彼女の言うことも一理ある。妻は『弁護士を通して』と言っていたので、こちらも弁護士を立てることにして、娘の同意の元、離婚の方向で話を進めることになった。
それから色々あって手続き諸々のために何度か自宅と単身赴任先のマンションを往復することに。手続きは結構大変だったが、妻とその相手の弁護士とは揉めることもなく比較的すんなり離婚が成立する。妻からは慰謝料をもらわない代わりに財産分与はなし。相手の男性はポンと慰謝料を全額支払いこの件は終了した。最後に妻とは弁護士立ち会いの下で会い、離婚届にお互い署名することに。
「これで終わりね」
「ああ、そうだな。彩未に何か言っておくことはあるか?」
「もうあの子は大人だから、別にないわ」
「そうか。じゃあ、これで……今まで世話になったな、有り難う」
「最後にそれはズルいんじゃない? でも……私のわがままに付き合わせてごめんなさい。転職頑張って」
「そうだな。いい機会だから、自分を見つめ直してみるよ」
こうなってしまったことに多少の後悔はある。しかし、それ以上に今はお互いに別々の道を歩き始めることに対する吹っ切れた気持ちだ。結婚した時は彼女のことが大好きで、ずっと死ぬまで一緒にいるものだと思っていた。しかし子育ても終わって、おそらくここに至る一因であったであろう単身赴任を命じた会社も辞めた。梢に対する未練がないわけではないが、不思議と恨む気持ちはなかった。
まるで戦友と別れるかの様に握手をして元妻と別れ、弁護士事務所を出る。梢は新しいパートナーとなる例の男性が迎えに来ており、車の中からベコッと一度会釈すると彼女を乗せて走り去る。医者だけあって高級な外車に乗ってるなと思いつつ、その車が少し先の信号を左折して見えなくなるまで見送り、憲児自身は駅に向かって歩き始めたのだった。
自宅に戻って、今度はマンションの部屋を売る手続き。娘は大学の近くにさっさと部屋を決めてきたらしく、自分の引っ越し準備とこの家の引越し準備。梢の荷物などは、憲児が地元を離れている間にまとめてさっさと持っていったらしい。
「お父さん、車はどうするの?」
「売ろうと思ってるが、お前が乗るなら持っていっていいぞ」
「不倫に使った車とかいらないかなあ。あとデカイし」
「ハハハ、そうか。じゃあ、必要になったら言ってくれ」
しばらくは地元にとどまり色々と整理して、彩未の引っ越しに合わせて自分も退去。不倫に使った車と娘に言われていた車だが憲児的には好きで選んだものだし、彼女の引っ越しには大いに役に立ってくれた。だが憲児はしばらく単身赴任先である都心で生活することにしていたので、車も手放すことに。
新幹線で赴任先に戻り、ベッドに倒れ込んで天井を見上げる。ここ数ヶ月、目まぐるしく変化する状況に対して、良く対応したと自分を褒める憲児。これだけ身の回りのことが一気に変化することなど、会社生活においても今までなかったことだ。しかし家族や家のことは何とかなったが、自分のことはまだ残っている。職探しもそうだが、この部屋も引き払わなければならない。過程はともあれ自由になったのだから、新しい車も欲しいと考えていた。
「先ずは部屋を探さないとな……いや、金はあるから車が先か?」
今までは会社から家賃補助が出ていたので駅近のちょっといいマンションに住めていたが、補助がなくなった今では少し高すぎる。いい仕事が見つかれば住み続けられるだろうが、一人で住むには少し広いし憲児的には別にボロアパートでも問題はなかった。社会人になりたての頃、地元で一人暮らししていた時のことを思い出して懐かしく思いつつ、気の緩みもあってか目を閉じると眠ってしまっていた。
目を覚ますと夜の十時を回っていて、どうやら四時間近くも寝てしまっていたらしい。妙に頭はすっきりしているが空腹を感じて外食することに。ふと、こちらに赴任してきた頃最初に住んでいた部屋の近くで見つけたおでん屋台を思い出す。気に入って何回か足を運んでいたが、ここに引っ越してからは忙しさもあって行けていなかった。年配の男性が店主だったが、まだやっているだろうか。
電車に乗り込んで数駅。以前住んでいた最寄り駅で降りると、都心とは言えそこは少し寂れた感のある街。時間も時間だけにほとんどの店が閉まっている商店街を抜けてしばらくいくと、目的の空き地がある。来てしまったものの流石にもう営業していないかも……と思いつつ歩いていると、やがて赤い提灯が目に入った。
「あった!」
嬉しくて早足になり、屋台の前に立つと、『おでん』と書かれた赤い暖簾の隙間から、懐かしい香りと共に店主の顔がチラチラと見えた。
「こんばんは」
「いらっしゃい……おや、見たことある顔だね?」
「以前、この近くに住んでてね。何回か来たことがあるんですよ。久しぶりにここのおでんを食べたくなって」
「そうかい、そうかい。そりゃ有り難いことだ。そしてラッキーだね。今日じゃなきゃ食べられないところだったよ」
「えっ!? それはどういう……」
店主の話によれば、今夜が最後の営業とのことだった。高齢を理由に店を畳むことにしたらしい。今夜ここに来れたことはラッキーと言えばラッキーだが、寂しくもある。憲児は最近の自分の境遇と重ねて、こんな場所でも一つの転機と出会い、そこに居合わせたことに運命的なものを感じていた。
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