第4話 進歩の向こう側
数週間後。
エルダー王国との間で交わされた契約に基づき、ムラクモ・インダストリー(M.I.)は速やかにリニア貨物線の建設を再開した。同時に、M.I.の専門チームが聖なる森に入り、三次元レーザースキャナー、超高解像度カメラ、そしてAIを駆使した生態系解析ドローンを投入し、森の全データを収集していた。
ムラクモ都市圏の郊外、巨大なデータセンター。
壁一面が青い光に満たされたサーバー室で、クロエはヘッドセットを装着し、作業の最終確認を行っていた。目の前のディスプレイには、エルダー王国の**「聖なる森」**が、完璧なまでに再現されたVRデータとして映し出されている。森の木々一本一本、そこに生息する微生物のDNA情報までが、デジタル化され、サーバーの奥深くに保存されていた。
「これを見れば、彼らの言う『精霊』の通路も、ただの**『異常な魔力濃度を示す空間歪曲ポイント』**として解析できるわね。」
同僚のエンジニアが、ARグラス越しにデータを確認しながら、無感情にそう言った。ムラクモ都市圏の住民にとって、魔法は解明すべき物理現象であり、精霊は未確認生命体の一種にすぎない。
クロエは、VR内の森を歩きながら、ふと足を止めた。目の前には、エルダー王国の少女が抵抗時に座り込んでいた、巨大な古木が再現されている。デジタルであっても、その古木の持つ威厳は本物と変わらなかった。
(この森は、本当にこれで「永遠」になったのか?)
ムラクモは言った。デジタルデータは、物理的な破壊から守られ、サーバーに存在する限り、理論上は永遠だと。医療ポッドは、彼らの命を救い、データ保存は彼らの文化の核を守る。
しかし、クロエの心の中では、あのエルダーの少女の目が焼き付いていた。
「あなたたちは、私たちの森を、箱の中に閉じ込めるのですね。」
**「永遠の命」と称して、実体を「
クロエはヘッドセットを外し、サーバー室の冷たい空気を吸い込んだ。
「私たちは、彼らの未来を選んだわ。彼らが自分たちで選ぶよりも、効率的で、安全な未来を。」
クロエは、自分自身に言い聞かせるようにそうつぶやいた。父の教え、そしてこの都市の絶対的な合理性は、クロエの考えの拠り所だ。
しかし、その声は、サーバーの動作音にかき消され、誰にも届かなかった。
その数か月後、ムラクモ都市圏のリニア貨物線は無事に開通した。
エルダー王国には、M.I.の技術が惜しみなく投入された。伝染病はすぐに根絶され、村々には清潔な水と電力が供給された。最新の医療システムは、国民の平均寿命を飛躍的に延ばした。エルダー王国の市民は、M.I.から提供される生活の豊かさに、すぐに順応していった。誰もが、かつての「聖なる森」よりも、目の前の「電気と医療」を選んだのだ。
ムラクモ・インダストリー本社タワー最上階。
ムラクモは、巨大な透過ディスプレイに映る、エルダー王国の村人たちが医療ポッドから笑顔で出てくる映像を見ていた。
「どうだ、クロエ。五百億イェンの増額を回避し、人々の命を救い、そして彼らの文化を『永遠』にした。我々の行動は、常に最大の合理性に基づいている。」
クロエは、以前のように素直に頷けなかった。
「……彼らは今、**『ムラクモの文明』**なしでは生きていけません。彼らの国の経済も、インフラも、そして命さえも、父さんの会社のシステムに依存しています。」
ムラクモは、グラスに入った水を一口飲み、静かに言った。
「その通りだ。それが、真の平和というものだ。剣と魔法の世界の『暴力による支配』は、いつか必ず反乱で崩れる。だが、**『依存による支配』**は違う。」
ムラクモは、窓の外、光り輝くムラクモ都市圏を見下ろした。
「彼らは、自分たちの意志で我々の技術を選んだ。我々は彼らを豊かにした。彼らはもはや、昔の『聖なる森』の生活には戻れない。戻る理由がない。そして、我々の軍事力は、彼らが依存から脱しようとする**『非合理な選択肢』**を、完全に排除している。」
ムラクモは、懐から取り出した、ごく薄い金属製のカードを取り出した。これは、彼が核兵器の使用許可を含む、M.I.全軍事システムを統括するマスターキーだ。
「この力は、誰かに使われるためではない。誰も、私に手出しできない状況を作るためのものだ。この絶対的な技術力と軍事力、そして経済支配こそが、この世界で私が築いた孤高の平和なのだ。」
クロエは、そのマスターキーと、父の冷たい目を見つめた。
父は、この異世界を憎んでいるわけではない。むしろ、誰よりもこの世界を進歩させようとしている。しかし、その「進歩」は、常に彼自身の価値観と現代の効率至上主義を押し付ける形でしか実現しない。
クロエは、あの聖地の少女が最後に向けた、希望を失った瞳を思い出した。
「父さん。私は、このリニアの開通が、エルダー王国にとっての**『進化の終わり』**だったような気がします。」
「進化の終わり?」
「はい。彼らはもう、自分たちの力で、新しい魔法や新しい生き方を発見する必要がなくなった。全てを父さんが用意した**『箱庭』**の中で生きる。それは、最高の豊かさかもしれませんが、同時に……最も恐ろしい支配だと思います。」
クロエの言葉は、父に対する初めての明確な摩擦だった。
ムラクモは、娘の違和感に対し、表情一つ変えなかった。彼はクロエの頭に優しく手を置いた。
「心配するな、クロエ。それは、お前が感情という非合理なバグを、まだ完全に排除できていない証拠だ。いつか、お前も理解する。この世界で、文明とは、進化とは、そして平和とは、すべて力の行使であることを。」
ムラクモは窓から目を離し、再び社長室のデスクに戻った。彼の前には、次に支配下に置くべき別の国の資料が開かれている。彼の仕事は、終わらない。
ムラクモ都市圏は、今日も明日も、光り輝きながら、世界の進歩を牽引していく。そして、その輝きが増すほどに、剣と魔法の古き世界は、音もなく、静かに、ムラクモ・インダストリーの巨大な影の下に飲み込まれていくのだった。
科学が支配する異世界転生 氷室 常硯 @shinoyuri
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