第3話 豊穣と破壊の代償
魔法障壁が無力化された後、エルダー王国の魔術師団はすぐに撤退した。彼らにとって、自分たちの力の根源が、理解不能な「技術」によって一瞬で無価値化された事実は、戦意以前に、存在意義そのものの崩壊を意味した。
聖地の少女は、もはや抵抗の言葉を失っていた。彼女の目には、圧倒的な文明の暴力が、火薬の臭いも流血もなく、ただ冷徹に実行された光景が焼き付いていた。
クロエは、少女に背を向け、父からの次の通信を待った。
《クロエ、状況は把握した。君の対応は見事だ。想定通りの結果だ。》
「ありがとうございます、父さん。」
《問題は、彼らの抵抗が感情論に移ることだ。技術的優位性を示しても、彼らの『信仰』を根絶することはできない。》
ムラクモの言葉には、感情論すらもデータとして処理する、長年の経営者としての経験が滲んでいた。
《クロエ、すぐエルダー王国の国王にメッセージを送れ。内容は、先に提示した五百億イェン相当の**『人道支援』に加えて、彼らの『聖なる森』の生態系を、デジタルデータとして完全に記録し、永久保存する**という提案だ。》
クロエは驚いて立ち止まった。
「森のデータ保存、ですか?それは、彼らの感情を和らげるためですか?」
ムラクモはわずかに笑った。
《彼らの『魂』とやらを、現代のサーバーにバックアップしてやるのだ。彼らが信仰する精霊や、祖先の魂の存在を肯定も否定もしない。ただ、M.I.の技術で、彼らの『記憶』を『永遠』にしてやる、という話だ。》
それは、ムラクモなりの「文化の尊重」であり、同時に最も陰湿な**「精神的な支配」**だった。
「聖なる森」という実体ある土地ではなく、その**「価値」**をムラクモの技術が管理するデジタルデータに置き換えさせる。それを受け入れた瞬間、エルダー王国は、自国の文化の根幹を、ムラクモ・インダストリーのサーバーに依存することになる。
クロエは、一瞬、胸の中に鋭い違和感を覚えた。
(私たちにとって、データは複製可能で、いつでも復元できる**『便利さ』の象徴。でも、彼らにとって、それは本当に『永遠』なのだろうか?それは、『魂の囚人』**ではないのだろうか?)
彼女は、ムラクモ都市圏で最高の教育を受け、科学的な合理性を絶対の真理としてきた。しかし、目の前で、信仰の象徴である魔法を失い、地に座り込む少女の姿が、その合理性を揺さぶる。
「父さん。もし、彼らがそれでも拒否したら?」
《拒否はしない。彼らが抵抗できるカードは、魔法障壁の無効化で尽きた。彼らは、自分の子供たちが伝染病で死ぬことを望まない。医療ポッドは、彼らの弱点であり、希望だ。》
ムラクモの論理は、常に完璧だった。彼らの「命」を救うという最大の善意を掲げながら、その裏で、彼らの**「国と文化の主導権」**を確実に奪い取る。
クロエは、感情を排したビジネスモードに戻り、通信機に返答した。
「了解しました。直ちにエルダー国王に最終提案を送信し、受諾確認を求めます。」
彼女は再び少女に向き直った。少女はまだ動かない。
クロエは、父から送信された膨大なデジタル記録と支援物資のリストを少女の目の前の地面に投影した。
「これが、私たちからの最終提案です。あなたたちの聖地をデジタル化することで、永遠に保存します。そして、あなたたちの子供たちの命を救う、最新の医療を供与します。」
少女は、地面に投影された、まるで魂のように輝く森のデジタルイメージを、虚ろな目で見つめた。
「あなたたちは……私たちの森を、箱の中に閉じ込めるのですね。」
「いいえ。永遠の命を与えているのです。」クロエは答えた。それが、ムラクモ都市圏の住民が信じる「進歩」の答えだった。
数時間後。
エルダー国王からの返信は、ムラクモの予想通り、**「苦渋の受諾」**だった。国王は、国民の命と医療を優先せざるを得なかった。
ムラクモ・インダストリーは、五百億イェンのコスト増を回避し、南部のレアメタル鉱山へのリニア貨物線敷設権、そしてエルダー王国の実質的な経済支配権を獲得した。
本社タワーに戻ったクロエは、夕暮れの窓際で、疲れた顔の父の隣に立っていた。
「クロエ。これでまた一つ、この世界は**『文明的』になった。我々は誰も傷つけていない。ただ、彼らの『未来の可能性』**を提供しただけだ。」
ムラクモは満足げに、遠くリニアが敷設される方向に目を向けた。彼の瞳には、世界を変える絶対的な自信が満ちていた。
しかし、クロエの心は違和感で重かった。
(傷つけていない?いいえ。私たちは彼らの**『抵抗する権利』を、『自分で選ぶ未来』**を、音もなく殺した。)
彼女の脳内では、ムラクモ都市圏の巨大サーバーに、「聖なる森」の美しい木々や精霊の通路のデータが、整然とアップロードされる様子が映し出されていた。
それは、まるで、一つの文化の魂が、現代文明の巨大な箱の中に封印される儀式のようだった。
クロエは、父の築いた「平和」の形が、実はこの世界で最も恐ろしい**「支配」**であることを、初めて皮膚感覚で理解し始めていた。
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