過去も、推しも、孤独もー

河村 恵

第1話

玄関前の小箱を手に取った瞬間、智也は小さく首を傾げた。

自分宛ではあるが、思い当たる注文がない。

開けてみると、黒いメガネのような機器がひっそりと収まっていた。

〈MRゴーグル〉とだけ印字されている。

「……アイマスク買ったつもりだったんだけどな」

深夜の自分が誤って注文したらしい。ため息をついていると、

手のひらの機器から機械音声が響いた。


「はじめまして。このメガネをかけて、スタートしてください」

機械的な女性の声がした。

メガネをよくみるとつるに3つずつ小さな穴があった。ここから音声が出たようだった。

「せっかくだからかけてみるか」

智也はメガネをかけた。

「こんちには。私はナビゲーターのアイです。名前は好きな名前に変更することもできますが、このまま進めていいですか?」

「あ、はい」

目の前に現れた若い女性は、あたかもそこにいるかのようだった。

「あなたのお名前を教えてください」

「智也です」

「トモヤさんですね。よろしくお願いします」

アイはぺこりと頭を下げた。

「このMRゴーグルはネット上にある画像・映像にアクセスして、呼び出すことができます。試しに、会いたい人の名前を言っていただけますか?」

3ヶ月前に別れた彼女のことを思い出したが、よりを戻せないのはわかっていたので言わなかった。

「なかなか思いつかないですよね。例えば、推しのアイドルとかいますか?」

「ナナちゃん、あ…」

智也は反射的に答えてしまい、後悔した。

この汚い部屋を見られたら一気に嫌われてしまう。

いや、まさか、どうせぎこちない映像か、ライブ映像からもってくる程度のことだろう。

「どちらのナナさんですか?」

目の前の空間に候補の映像が複数並んで見えた。

「こちらのナナさんですね」

「いや、俺なにもいってないのに」

「こちらのナナさんを見た時に、智也さんの瞳孔が開いたのでわかりました。この結果に不満があればフィードバックします」

「いえ、そちらのナナさんで、合っています」

「回答ありがとうございます。では、こちらのナナさんを招待しますね。私はここで失礼します。私を呼び出したいときは、アイ、出てきてと呼んでいただければ出てきます。音声のみの対応がよろしければ、アイ、次は誰を出してなどとおっしゃってください」

機械音がしてアイが消えた。部屋の中は静かだった。

智也はナナが現れるのを期待している自分を笑った。

「来るわけないじゃん、こんなメガネで」

メガネを外そうと手をかけたとき、

「ダメだよ、はずしちゃ。私が見えないの?」

横を向くと、そこにはナナがいて、僕のメガネを外そうとした手に、ナナの手が重なっている。

「ナナさん…」

「やっと気づいてくれた。智也って呼んでいい?」

「は、はいっ」

「ナナさんじゃなくて、ナナちゃんがいいな」

「はい、ナナちゃんさん」

ナナが吹いた。

「智也ったらおもしろい」

ナナが智也の目の前でおかしそうに笑う。

――こんな神々しい笑顔を間近でみられるなんて。

アニメだったら鼻血出して倒れているシーンだよな。

鼻血出して倒れちゃって、ソファまで運んでもらおうかな。

智也は自分の馬鹿な妄想がどんどんふくらんでいくのを抑えられなかった。

「もう、いつまで立たせているの?ソファにすわっていい?」

「あ、ごめんなさい。どうぞ」

「やったぁ」

ナナがソファに座ったのにちっともしずみこまない。やっぱり映像なんだ。

「いつも応援ありがとうね」

ナナは案外おしゃべりだった。緊張しきっている俺にわがままをいったりしてうまくリードしてくれた。

「ごめんね、もう時間なの。今日は楽しかった。また明日、智也に会いに来てもいい?」

小柄なナナの上目遣い。キラキラした目元は本物のようで触れたくなった。

「もちろん、明日も来てほしい」

大きな目が一気に細くなり、にっこりと微笑む。

「じゃあね」といいながら玄関から消えていった。

ナナが帰るといつものしんとした部屋に戻った。

ナナが座ったところに座る。ひんやりとしているはずなのに、なんとなく温もりを感じる。

それから1週間ナナがうちに遊びに来てくれた。

「これ以上一緒にいると本当に好きになっちゃいそうだから、もう会えない」

金曜日の夕方、俺はナナと別れた。

「あのう、お久しぶりです」

ナナをもう呼べない俺は未練たらたらでメガネをかけて過ごしていた。

「あ、アイさん」

「ナナさんはあなたをふったわけではないんです」

「でも、もう来てくれない」

「お試し期間が終了したのです」

「お試し?」

「同じ人物を連続で出現させるのは1週間までのプランに入っています。課金すれば毎日会えますよ」

「課金?そんなの嫌だよ。本当に好きになって欲しいんだ」

「これはMRゴーグルです。本人の意思とは関係ありません」

「そんなのわかってるよ!」

智也はメガネを外して床に叩きつけた。

少しひしゃげたが、壊れてはいないようだった。

アイの声が小人の声のように聞こえてくる。クローゼットにしまい、智也はソファに座り、テレビをつけた。

「一人の方がずっと気楽だよ」

目を擦った。


夢に母が出てきた。幼い頃亡くなったので、はっきりと覚えていないが、写真とそっくりの笑顔で、智也に何か話しかけていた。

そういえば実家に飾ってあった写真立てに、母が優しい笑顔で智也に何か話しかけている写真があった。母はどんな声で、なにを話してくれたんだろう。

クローゼットからあのメガネを取り出してみた。

まだ電源は入る。

「こんにちは。どなたをお呼びしましょうか」

「母さん」

「あなたのお母様ですね。検索しています。残念ながら、見つかりませんでした。またの機会にお越しください」

「アイさん、ちょっと待って。写真あるから、写真から再現できない?」

「写真は複数ありますか?」

「ある、あるよ。ちょっと待ってて」

アルバムごと出してきた。

「1ページずつ開いて、該当人物を選択してください」

父が撮った写真は智也よりも母が中心に思えた。

「読み込みに時間がかかっています。しばらくお待ちください」

玄関の方で買い物袋の音がした。

「ただいま」聞き覚えのない女性の声。

足音が近づいてくる。

智也はその場に立ち尽くしていた。

「智也?」

女性はまぎれもなく母だった。

智也はうなずいた。

「こんなに立派になって」

母は写真で見た通りの優しい笑顔で近づき、両手を広げて抱きしめようとしてくれた。

母は近すぎるくらい近くに見えるのに、両腕で抱きしめてくれているのに、なんの感覚もない。香りもしない。体温もない。

「母さん、智也に会いたかったよ」

「僕も…だよ」

ネギの飛び出した買い物袋を玄関に置いたまま、僕たちはソファに座った。

「こめんね、智也がまだ小さいのに、母さん死んじゃって。大変だったでしょ」

「…」

「ほら、あの人、父さんね、仕事人間だったから、智也が生まれてから育児とかほとんどしてこなかったから、私がさせなかったのも悪かったのよね」

母は、独り言のように言い、目を伏せた。

「なんていうのかしら、真面目一辺倒で不器用だから、それがあの人のいいところでもあるけど、仕事と育児、両方って大変だったと思うの。……智也は父さんに甘える暇なんてないままに大人になっちゃったんじゃないかなと、母さんずっと心配だった」

「父さん、そんなんじゃないよ。がんばってくれてた、と思うよ」

「そう?智也がそう思っているなら、安心した。照れくさいだろうけど、父さんにも、いつか言ってあげてね」

「うん…」

「さ、智也の好きなオムライス作ってあげるから待っててね」

母にとって、智也の記憶は小さい頃で止まっていた。

「いいよ、」

「なあに?久しぶりなんだから遠慮しないで」

「俺、トマトアレルギーになっちゃって」

「そうなの?初めて聞いた」

たしか小学生のころだった。給食で出たトマトを食べて具合悪くなって救急車で運ばれた。

花粉症がひどかった智也はトマトによるアレルギー反応だった。以来トマトやケチャップなどは避けてきた。

「智也は一人で寝れるの?」

「え?」

「耳たぶさすってやるとすやすや寝ちゃうのが可愛いのよね。もうそんなことしなくても寝れるの?」

「母さん」

母にとって僕はまだ幼稚園児の記憶しかないんだった。

「もう大人だもんね。誰か違ういい人が、いてもおかしくないものねえ」

母はキッチンで背を向けていた。喉が詰まったような声だった。

「いないよ、そんな」

笑い飛ばそうとしたけど、カラカラと乾いた声しか出なかった。

「母さん、そろそろ帰るね」

「なんで、せっかく来たのに。…もしかしてこの先、課金?課金ならするよ」

「お金は大事にしなさいよ」

「あ、母さん、明日も来るよな。まだ、聞きたいことあるし」

「母さん、智也の小さい頃の記憶しかなくて。大人になった智也に会えただけで十分嬉しいから」

「ちょっ、待てよ」

玄関に向かう母の腕をつかもうとしたが空をかいただけだった。

「ありがとう、智也。お母さんのこと呼んでくれて。楽しかったよ。智也は前を向いて生きてね」

母は玄関で姿を消した。

「アイさん、いるんだろ?どうして帰っちまったんだよ」

「データ量が少ないのでこれ以上表示できません。申し訳ございません」

アイがまるでロボットのような声を出して頭を下げた。

ナナが帰った時よりも、不思議と胸に空いた穴は小さく感じた。

母が去ってから、しばらくメガネは机の上に放置していた。

長い夏休み、周囲の友達は帰省するとか旅行行くとかで、遊ぶ友達もいなかった。

「つまんねーな」

ベッドに仰向けに寝転んでいて、思いついたようにメガネをかけた。

「智也さん、おかえりなさい」

「はいはい、帰ってきたよ。暇すぎ。誰か提案して」

「はい、夏休みで友達も帰省等でいなくて、お時間を持て余しているのですね。それならば、お友達をたくさん呼ぶのはいかがでしょうか」

「お、いいね、楽しそう」

「スマホに接続していただければ、大学のお友達の中から、こちらで適当にセレクトさせていただいて招待することができます。やってみますか?」

「そんなことできるの?いいね、スマホをここに繋ぐの?」

「はい、ありがとうございます」

「お部屋の大きさから考えて8名程度が良いと思いますがいかがですか」

「12人くらい入るっしょ」

「かしこまりました」

学部の友人とサークルの友人が男女ミックスでバランスよく現れた。

部屋もおうちパーティのように装飾され、賑やかになった。

「よお、最近どう?」

「え、まじ?別れちゃったの?」

「彼女が海外留学するんだって。だから別れようって」

「別れることないじゃん、SNSで世界中つながるんだし」

「彼女が別れたいだけじゃないの?彼女やさしいからさ」

「ショックだよ」

酒で顔を赤らめて話す青井たちのグループから離れると、端の方に女子のグループがあった。

その中の一人を見て、胸が高鳴った。

美月だ。

美月は元カノで、3ヶ月前に別れて以来久しぶりに見かけた。

「あ、智也くん」

女子グルーブに声をかけられて美月の正面に座った。

美月は僕と付き合う前の美月だった。

僕の前だと恥ずかしがって口数が減ってしまう。

話しているうちに、一人、また一人とトイレに行ったり、違うグルーブにうつっていったりして、美月と二人きりになった。

「あの、美月、じつは俺、」

美月が大きな目で、僕の口元を見ていた。

「美月のこと」

「待って、智也くん」

美月が智也に手を伸ばしてきた。

ザッ、ザー、ザーーーーーーー

急に視界が真っ暗になった。

「えぇ、なんで?いいところだったのに」

メガネを外そうとした時、背後から鋭い視線を感じた。

振り返ると一瞬、男の姿が見えた。くたびれたスーツを着た50代くらいの男だった。智也のことを恨めしそうな目で見ていた。

智也は前を向いて、メガネをかけてもう一度振り返った。

視界は真っ暗でなにも見えない。

(気のせいか)

メガネをはずすと、目の前にスーツの男がいた。

ちゃんと気配がある。スーツからか少しカビ臭い匂いがする。

「だ、誰・・・?」

「かえしてくれ」

「え」

「帰してくれ、向こうの世界に」

そういうとメガネを奪い取った。

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