エクスプロージョン 秋犬

秋犬

今日もどこかで爆弾人間

 ぼん、という間抜けな音を立てて風がひゅうっと通り抜け、後ろのテーブルがガタガタ鳴る音が聞こえた。僕はコーヒーを片手に「ああまたか、可哀想に」と思って後ろを振り向く。


 僕の背後では「ごめんなさい!」という金切り声の後に今度はぼんぼん、と間抜けな爆発音。隣のテーブルにいた年配の女性客が「まあまあ」「落ち着いて」と取り成しながら、制服の背中の部分が大きく破けたまだ年若い彼女を宥める。同時に喫茶店の主人らしき人がすっ飛んできて、客に平謝りを始める。ここ最近では、あまり珍しくない光景だ。


 友人と話していたと思われる年配の女性が咄嗟に上着を持って、おろおろしている彼女の背中を包みながら「いいのよ、おばちゃんたちは勝手にやるからねえ、マスター雑巾ちょうだい」と言う。そして呑気に自分たちの飲んでいた紅茶で濡れたテーブルを片付け始めた。他にも店内には六人ほど客がいたが、爆弾人間の騒ぎだとわかると誰もが自分の世界へ帰って行った。


「申し訳ございません!」


 店長らしき男は、コーヒーと生クリームまみれの服を着た客らしき年配男性に一生懸命詫びている。


「ゴメンで済んだら警察はいらねえんだよ! 何で爆弾人間なんか雇ってるんだ!?」


 客は粗相をした従業員の彼女ではなく、店長に怒りの矛先を向けたようだった。


「しかし、その、あの……」


 店長は従業員をギロっと睨み付けた。爆弾人間であることを隠して就労していたのかもしれない。一連の様子を見て、先ほどまで優しく声をかけていた女性たちもぎょっとした表情をした。そして「やあだ、爆弾人間差別よ」とヒソヒソ声をかけあっているようだった。


***


 先の大戦の最中、悪の枢軸国は「人間爆弾」なるものを開発しようとしたらしい。人間の遺伝子を操作して、爆発により種を撒き散らすホウセンカだのカラスノエンドウだのを混ぜ合わせて刺激を与えると背中の『砲』と呼ばれる部位が爆発する「爆弾人間」の製造までは成功したらしい。そんなものが量産されてたまるものか。戦争はめでたく悪い国をやっつけて終わった。悪の科学者どもはみんな処刑台に送られたはずだった。


 ところが、どこをどうしたのか「爆弾人間」の遺伝子はどこかから流出したようだった。その遺伝子は変異して人から人へ流れゆき、今では世界中に少量の爆弾遺伝子を持った連中がウロウロしていることになった。その遺伝子はどの部分に存在するのか、研究は難航した。何せ当時の資料も研究に当たった科学者たちもみんな闇に葬られた後だったのだから。


 こうして僕たちは「爆弾人間」と共生せざるを得なくなった。爆弾人間はいつどこで生まれてくるかわからない。生まれたばかりの頃は『砲』が小さく、外見ではわからない。思春期まで成長し第二次性徴を迎える頃、『砲』の発達も始まる。そしてある日急に「ドカン」と始まり、爆弾人間であることが派手に周知されることになる。


 爆弾人間の爆発の威力はさほど大きくない。人によって威力に差はあるが、ほとんどは瞬間的に歩いている人が転びそうになる程度の爆風で終わる。ただ辺りに物が散乱し、爆弾人間の服が破れるくらいの被害であることがほとんどだ。しかし実際に爆発に巻き込まれて転んだり物を壊したりすることもあるので「爆発保険」なるものに大体は加入している。


 この傍迷惑な人類の変化は、大いに混乱をもたらした。 何しろ、いつどこで爆弾人間に出くわすのかわからない。彼らは外見は普通、中身もただの人間だ。ただ何かの拍子に爆発する器官を持っている。それだけで爆弾人間は完全に腫れ物扱いだった。


 その結果、端的に言えば人々は優しくなった。特に思春期前後の若者に対して怒鳴るなど、ストレスを与えることが禁忌とされたはずだった。そうして社会には少しずつ優しく温かく、爆弾人間を保護しながらうっすら迷惑がる空気が充満していた。


***


 爆弾人間の爆発があった喫茶店の中は被害を受けた男性客以外、皆我関せずと言った様子で座っていた。表向きは「刺激を与えて新たに爆発させたくない」であるが、「面倒事に関わりたくない」という気持ちの方が強いのかもしれない。確かに社会は優しくなった。しかしその分、人と人の距離は開いたような気もする。


 男性客はまだ怒って怒鳴り散らしていた。


「まったく、どういう教育してるんだ! 俺はブレンドって言ったんだ! ブレンドって言ったらホットコーヒーに決まってるだろ、それをそこのねーちゃんが勝手にブレンドなんちゃらラテを持ってきたのが間違いだろうが!」


 僕は一瞬、若者でも平気で怒鳴り散らす老害の相手をした爆弾人間の彼女に同情した。しかし、確認をしなかった彼女の落ち度もある。特に爆弾人間はちょっとした悪意でも身を守る防衛本能なのか、意図せず爆発してしまう。爆弾人間であることを公表しない状態で爆発を起こしてしまうと、保険が適用されないかもしれない。それに爆弾人間であることを隠して就労していると、それだけで解雇の理由にもなる。


 店長はとにかく平謝りをし、クリーニング代といくらかのサービスチケットを渡すことでその場を了承してもらい、男性客は舌打ちしながら退店した。店長は男性客を送り出し、震える従業員をバックヤードまで引っ張っていった。それからすぐに店長は店内に戻り、通りすがりのご婦人に爆弾人間が借りた上着をにこやかに返した。二人にサービスチケットを渡すことも忘れていなかった。


 さて、どうするかと僕は少し覚めたコーヒーを啜った。バックヤードからはまたぼん、という音が聞こえた。ああ、どうやらクビになったんだな。僕は急いで会計を済ませて、喫茶店を出た。そして店の外にしばらくいると、しょんぼりした女性が歩いてきた。間違いない、先ほどの爆弾人間だ。


「災難でしたね」


 僕は刺激しないよう、細心の注意を払って彼女に近づいた。


「放っておいてください、これは私の問題なので」


 どうやらナンパだと彼女は思っているらしい。見たところ高校生くらいだろうか。


「いいえ、我々の問題です」


 僕は彼女が逃げる前に、その手に名刺を滑り込ませた。


「何かありましたら、遠慮なくこちらへお越しください。我々は貴方を歓迎します」


 今度は彼女が何か口を開く前に、僕が逃げる番だった。爆弾人間と周知された者に公道で長時間接近していると、どこで誰が見ているかわからない。そして彼女は僕の名刺のQRコードを読み取って、驚くだろう。


 そうやって世間から疎まれ哀れまれ、ろくに仕事もできずに生殺しの状態で生かされている爆弾人間たちは日々普通の人間を羨んで、進化前の下等生物と見なしている。そんな彼らの体制を爆弾人間たちが結束して文字通り「爆破」してやろうという連中がいる。その工作員は日々仲間となる爆弾人間を探している。あるいは公園で、あるいは風俗街で、あるいはオフィスビルで、あるいは喫茶店で。


 不満の空気という奴は恐ろしい。いつどこで引火するかわかったものではない。それこそ爆弾人間のように、ある日突然「ドカン」だ。


 今日はいい活動ができた。僕は活動報告をボスに送信して、次の場所へ移動することにした。


〈了〉

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