この砂漠は「宇宙の忘れもの」

@F-Drifter

宇宙の忘れもの倉庫としての砂漠

この砂漠は「宇宙の忘れもの」を一時的に保管するための臨時倉庫であり、いまこの瞬間も、見えない誰かが世界の設定ファイルを整理している。


夜が明けるたび、この砂丘には小さなバグがひとつずつ捨てられる。

宇宙規模のプログラムを書いている存在たちは、ミスをしたとき、ゴミ箱ではなく「砂漠」というフォルダにドラッグ&ドロップすることに決めたらしい。

その結果が、足元のさざ波のような砂の文様だ。


一本一本の筋は、かつて実装されかけて消された現実のバージョンだ。

「水が空からではなく、下から沸き上がる世界」

「人間が午後3時以降は透明になる世界」

「月が毎週アンケートで色を変える世界」

そういう、採用されなかった案が粒子になって、風に撫でられながら寝そべっている。


あの奥にそびえる岩山は、かつてのビルではない。

あれは“やり直し前の宇宙”を保存しておくための石造りのハードディスクだ。

冷却ファンの代わりに、日中の熱と夜の冷気が交互に流れ込み、温度差でゆっくりと記憶が書き換えられていく。

もし近づいて耳を当てれば、「旧仕様の重力」や「廃止された感情」の断片が、低いハミングとして聞こえるだろう。


この砂漠には、正式には存在していない観光客もやってくる。

まだ生まれていない人、別のタイムラインで生きているはずだった人、途中でプロットから降ろされた脇役。

彼らは皆、足跡を残さない。存在の優先度が低いため、システム側に記録されないのだ。

その代わりに、風紋の向きが微妙に変わる。

だからこの縞模様は、昨日見たときと今日とでは、ほんの少しだけ会話の内容が違っている。


午前4時、まだ太陽が顔を出す前、砂丘の稜線だけがうっすら青く光る時間帯がある。

それは「削除予定の記憶」を最終確認するための点検の光だ。

宇宙の管理者たちは慎重で、

「本当にこれは消していいのか?」

「このどうでもいい失恋シーンに、後から意味が出てくる可能性はないか?」

と、いちいち迷っている。

その逡巡が、夜明け前の一瞬の青さとして可視化される。


やがて太陽が昇り、赤い光が砂の上を斜めに走る。

ここからは「採用された現実」が堂々と再生される時間だ。

砂丘は、選ばれなかった物語たちを雑に毛布でくるむように隠し、

「何もなかった顔」をしている。

私たちはそれをただの美しい風景だと思い、写真を撮って「#砂漠の朝」とタグをつける。

本当は、レンズの中に無数の未遂の世界がフレアとして滲み込んでいることなど知らないまま。


この場所でしばらく立っていると、自分の中の「不採用案」がむくむくと起き上がってくる。

あのとき告白していたら、別の街に住む人生を選んでいたら、あのメールを送らなかったら――

そうした枝分かれの可能性たちは、ここでは妙に具体的な姿をとる。

砂の一本一本が、別ルートの人生の背骨のように影を引くからだ。

歩くたびに足跡がそれを踏みつけ、数分後には風が全部を平らに戻してしまう。


その瞬間、私は理解する。

宇宙がわざわざこんな倉庫を作ったのは、完璧なシナリオを書くためではない。

むしろ「やり直せない」という仕様のままでも、どうにか物語を進める訓練を、人間にさせたかったのだ。

もし全ての分岐を選び直せる世界なら、この砂漠は存在しない。

失敗も後悔もアーカイブされず、ただ即座に書き換えられてしまう。

だがそれでは、砂の表面特有の、消えかけた線の美しさは生まれない。


夕暮れになると、岩山の影が伸びて、砂丘全体を一本の巨大な斜線が横切る。

それは宇宙側からのサインペンだ。

「本日の編集はここまで」と、日付スタンプを押しているのだろう。

その線を境に、それより手前に残った足跡と、奥に飲み込まれた足跡とが分かれる。

どちらもじきに消えるのに、なぜか私たちは、その境界線を飛び越えたくなったり、ギリギリで止まりたくなったりする。

人間は、意味がありそうな線を見つけると、とりあえず従ってみたくなる生き物だからだ。


やがて星が出る。

見上げれば、ごく普通の夜空だが、実はあの星々も、かつてはこの砂漠でテストされた光の粒だったらしい。

何千回ものリテイクの末、「よし、それでいこう」と決まった配置だけが、最終的に空に貼り付けられた。

そう考えると、星座占いは当たらなくて当然だ。

彼らはもともと、「本番前のリハーサルで偶然うまくいった照明の位置」にすぎないのだから。


私は砂を一掬いすくい上げ、手のひらの上で流しながら、そこに含まれた無数の「もしも」を想像する。

手から零れ落ちるたび、ひとつの未遂の世界が、完全に破棄されるのだとしたら――

それでも、私は指を閉じて握りしめず、あえて流れに任せる。

どのみち、握りしめて守れるほど、世界の分岐は少なくない。

むしろ、全部を抱えようとすること自体が、いちばん傲慢なバグなのかもしれない。


だからこの砂漠は、壮大なリサイクルセンターであると同時に、ささやかなレッスンでもある。

「やり直しのきかない世界で、今日の一行をどう書くか」

その問いを、黙ったまま、縞模様の影と光で突きつけてくる。

私たちは相変わらず、ただの観光地だと誤解したまま、

冷たいペットボトルと、使い捨ての感想を置き土産にして帰っていく。

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