第14話 THE・修羅場②
「それはなんというか、言葉の綾というか……」
「…………」
和やかなムードから一転、突如冷戦に突入した雪花と近衛の二人。
疑惑の視線を向けるユナイテッド雪花に対し、曖昧な答弁に終始するソ連近衛。
そして何よりも和を重んじる
兄の口から言うのも何だが、俺の妹は嫉妬深い。
遠い異国の地で頼れるのは身内である俺しかいないからだと勝手に解釈しているが、例えば俺が陽子さんと二人で食事の約束をしても、何かと理由をつけて雪花もついてくるし、街中で若い女に声を掛けられたときも内弁慶らしからぬガンを飛ばし追っ払う。
まあ後者についてはお互いも持ちつ持たれつと言っていいのだが、陽子さんに関して
は俺の初恋の相手ということもあり、一方的に敵愾心を持っている。その陽子さんの娘が近衛だと知ったとき、果たして二人は良好な関係を築けるのだろうか。
「……ん?」
出口の見えない思考を断ち切ったのは、テレビから聞こえるピアノ音だった。
『フランツ=リスト パガニーニによる超絶技巧練習曲第3番 変イ短調』
この曲は俺がかつて作曲した鐘のロンド(ラ・カンパネラ)をリストというピアニストがピアノ向けに編曲したものだった。
ちなみに演奏しているのは俺の背後で核の睨みをきかせている雪花である。
雪花は4年に一度、ポーランドのワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクールで優勝するほどのピアニストで、その凱旋公演の映像らしい。
「……っ!」
いつの間にか俺の背後に来ていた近衛がテレビに釘付けになっていた。
この曲は大きく別けて3つの譜面がある。
①『パガニーニによる大練習曲第3番 嬰ト短調』
②『パガニーニによる超絶技巧練習曲第3番 変イ短調』
③『パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲』
後者になるほど難易度は上がっていく。
一般に知られるのは①の大練習曲の方で、②の超絶技巧練習曲はプロのコンサートにおいてもほとんど弾かれることはない難曲だ。
そして③の大幻想曲に至っては、原曲の譜面のまま完璧に演奏できるピアニストは誰一人として存在しない。いや、存在しなかった。
画面の向こうにいる雪花は、目を瞑り時折微笑みを浮かべながら超絶技巧練習曲を難なく最後まで弾ききった。
「す、すごい……私も昔ちょっとピアノ習ってたけど、この曲をテレビの前で完全に弾きこなす人がいるなんて思わなかった……」
「だってよ、雪花」
「……私なんて大したことないですよ」
ちょうど洗い物を終えた雪花に声を掛けると、濡れた手をタオルで拭きながらそんなことを言う。
「ううん、全然そんなことないよ! だって一流のプロの人たちも間違いなく雪花さんが世界一のピアニストだって口を揃えて言ってるし!」
「私が世界一のピアニスト、ですか。ふふ……だといいんですけどね……」
世間のそんな評価に、雪花は自嘲交じりの苦笑いを浮かべる。
「誰かさんと違って雪花さんは謙遜が上手いなぁ」
「喧嘩売ってんのか」
「ヴァイオリンならともかく、ピアノじゃ雪花さんには敵わないでしょ?」
「いずれそうなって欲しいとは思ってるんだがな」
「……はい?」
「結衣さん、私なんて兄さんに比べたらまだまだ半人前ですよ」
「……………………うそでしょ」
額縁に入れて飾ってやりたいぐらいのアホ面で、近衛の目が点になる。
「だ、だって雪弥くんはそもそもヴァイオリニストじゃ……」
「だからヴァイオリンはもう辞めたって言ってんだろ」
「あれって私の幻聴か冗談じゃなかったの!?」
幻聴でも冗談でもなく、ヴァイオリニストしての桂木雪弥はもう存在しない。いや、存在してはいけないのだ。そうせざるえない事情があった。
〝アノン〟という幻影が実体としての体をなすには、桂木雪弥の存在はあまりに危険すぎる。だから俺はこの5年間、桂木雪弥として余人の前でヴァイオリンを弾いたことは一度もない。ジュリアードではあえて雪花と同じピアノを専攻していた。
俺は当時、三大楽器といわれたヴァイオリン、ギター、ピアノのうち、ヴァイオリンとギターに関しては世界一という自負がある。だがピアノに関しては単に作曲に使うだけの道具としてしか見ておらず、積極的に磨こうなどとは思わなかった。
だからこそ俺はこの2度目の人生で、ピアノを本格的に始めることにしたのだ。
そしてこの5年間、弛まぬ努力と前世で培った感性によって、俺はピアノにおいても世界一と確信できる領域にまで達した。
「……ところで兄さん。今の私の演奏を聴いてどう思いましたか」
「ん? お前から感想を求めるなんて珍しいな」
「私なりに、今回は自信がありましたので」
「そうか。なら俺から言うことはもう何もないな」
「……どうしてですか」
「雪花、お前はこと音楽において俺の言うことはなんでも正しいと模倣(イミテート)する悪い癖がある。小器用な贋作家がお望みならいくらでも意見してやるが、それはお前も本意ではあるまい」
「……っ」
自覚があるのだろう。雪花は俺から視線を逸らす。
雪花は一を聞いて十を知るタイプではない。百を見て九十九を再現するタイプの天才だ。技術だけなら俺からいくらでも盗むことができる。
……だが、その最後の一点が、あまりにも遠い。
師弟関係などではなく、あくまで家族として、持っている技術は惜しげもなく雪花に見せてきたが、それがいつまでも俺を超えられない所以となっている。
「そんなシケた面すんなって。いつも言ってるだろ、芸術家は常に独立独歩。最後に頼れるのは自分自身だって。心配しなくてもお前なら一人で自分だけの色を見つけられるはずさ」
そう言って俺は立ち上がり、俯く雪花の頭をポン、と軽く叩く。
「兄さん……」
雪花はそっと俺の背に腕を回し、それに応えるようにして俺も。
妹とハグなんていつぶりだろうか。
「雪花」
「……なんですか」
俺の呼びかけに雪花は潤んだ瞳で顔を上げる。俺にはどうしても最後に伝えたいことがあった。
「明日の朝食はコルネット(クロワッサン)とカプチーノで頼む」
「……………………はい?」
「いやだから明日の朝メシは――げふっ!」
その瞬間、鳩尾に衝撃が走る。ゼロ距離とは思えない威力だった。
「な、なんで……?」
「知りません! 私はもう寝ますから兄さんは勝手にしてください!」
そう言って俺を突き放すとそのまま雪花はズンズンと階段を上がっていく。
「……はあ。せっかく今日くらいイイ兄さんで終わろうと思ったのに。ま、仕方ない、俺もそろそろ部屋で休むとするか……」
「…………」
「って、そういや近衛もいたんだったな。お前はメシ代置いてさっさと――ひっ!」
激痛の走る腹を押さえながら振り返ると、すぐ背後にはメデューサの如く一切の感情を消した近衛がわなわなと震えながら立っていた。
「…………認めない」
「は、はあ?」
「……私のこの5年間は一体なんだったの……そんなの……絶対に認めない……」
「な、何のことやら俺にはさっぱり……」
「桂木雪弥の……桂木雪弥のバカーーーーーッ!」
「ぶふっ!」
その瞬間、ぐにゃりと鈍痛が頬に走り、俺の身体はまるで体操選手のように宙を舞う。そして三回転ジャンプの着地をソファに決めたところで――
俺の記憶はぷつりと途絶えた。
悪魔と呼ばれた伝説のヴァイオリニストは日本人に転生する がおー @popolocrois2100
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